Ⅰ.人形と魔女
はるか昔、世界が真っ二つに分かれていた頃の話です。
国同士の戦争だとか民族差別だとか、そういう社会的なものではなくて。
物理的に大地は、それはそれは大きな亀裂によって二つに割れていたのでした。
かつて、そこでは大きな戦いがありました。それも、たった二人の魔女によるものです。
『東の魔女』セレー・フラウと『西の魔女』リリカ・ファンム。
『世紀の二大魔女』とすら呼ばれた彼女たちの本気の戦いは、世界に大きな傷跡を残した大戦として、半ば伝説かのように語られ、恐れられています。大戦なんて言ったって、たった二人しか戦っていないのですけれど。
そうしてできたあまりにも広大な亀裂は、当然ながら人が塞げるような代物ではありませんでしたし、同じく他の魔女にもどうすることもできませんでした。そのくらい、二人の魔女の力は強大なものだったのです。
人々は亀裂によって分断されてしまいました。
橋をかけようにも、あまりに危険で途方もない作業でして、率先してやりたがる者はおらず、人手集めは捗りませんでした。
一方で、魔女達は浮遊の魔法を駆使し、亀裂の横断を試みましたが、並大抵の魔女では魔力が対岸まで持たず、皆一様に深い暗闇へと姿を消してしまいました。
そうして、何もできずに長い年月が経ちました。
人が動き、ものが動き。
やがて人々は、東の国『ドール』、西の国『ミネル』と、それぞれで国を造り、東の人間と西の人間が完全に干渉を絶って、今に至ります。
私はかつて、大地が割れるよりも前に、東の地で作られた人形でした。長い放浪の末に自我を形成し、生き物のような意思を設け、大地が割れた当時は西にいましたので、そのままミネルの街外れにある、小さな森の小さな古い小屋を住居として身を置いています。
きっと私は、このまま何年も何十年も何百年も、肉体が朽ちるその時まで、このミネルに留まる他ないのだろうと考えていたのですが、そんなある日のことでした。
「やっと見つけた、わたしの人形!」
私の魔女様、セレー・フラウ様が、突然私の前に姿を現したのです。
「作られた」ということはつまり「作り手がいる」ということに他なりません。
その私の作り手こそ、この世界を真っ二つにした張本人、セレー・フラウ様なのでした。
昔、魔女様は私を作り出し、その後三日もしないうちに、飽きてしまわれたのでした。
「大きく作り過ぎちゃった、仕舞うところが無いわ」
そんなことをおっしゃって、ご自身の魔法で私を動かし、ひとりでにどこか遠くに歩くようにされてしまいました。解体されなかっただけ、良かったのかもしれません。
魔法が薄れ、自分の意志で歩けるようになったのは、それから百年余りが経った頃でした。
しかしこの口ぶり、まさか私を探していたのでしょうか。
いえそれ以前に、魔女の寿命は一般的にせいぜい三百年前後のはずですが、なぜ魔女様は生きていらっしゃるのでしょう。記録によると、大地が割れてから今日で五二七年と二八三日のはずです。
「もー、大変だったのよ、ドールからここまでやってくるの」
鈴が転がるような声で魔女様はおっしゃいました。
「ドール、にいらしたのですね」
「ええもちろん。だって、ミネルにはリリカちゃんがいたんだもの」
「まさかリリカ・ファンム様もご存命なのですか」
「いいえ、あの子はもう死んだわ。だからわたしが来たのよ」
魔女様は小屋の中で、棚に長年仕舞われていた木製のティーセットを目ざとく発見し、手に取りました。
私が暇を持て余した際に、森に放置されていた倒木を削って作ったものです。いつか街を訪れる機会があれば、どこかの子供へままごとの道具として差し上げようかと考えていました。
魔女様は懐から愛用の杖を取り出し、手始めにティーカップの縁のあたりにちょん、と触れました。
途端にティーカップはかすかな光を帯び始め、それが収まった頃、それは見事な銀製のティーカップへと姿を変えていました。まるで貴族が使うような、精密で美しい彫刻も施されています。
数百年ぶりに見た、魔女様の魔法でした。
魔女様は次いでティーポット、ティースプーン、ソーサーにも同じように杖先で触れていき、あっという間にテーブルの上には高級な銀製のティーセットが揃いました。
「やっぱり元がよく出来ていると、魔法のなじみが良いわね〜」
「あ、有難うございます。その、魔女様」
「なあに?」
「私は魔女様の寿命は、とうに尽きているとばかり思っていたのですが」
私の言葉に、魔女様は目を丸くしました。
「あら、まさかあなた、わたしを普通の魔女と同じ括りに入れているの?」
「と、言いますと……?」
「わたしはセレー・フラウ、大地に亀裂を入れた世紀の二大魔女なのよ。リリカちゃんと並べられるのは不服だけれど……そんなわたしが、たかが平均寿命ごときにとらわれるわけがないじゃない」
魔女様は目を細めて微笑んでいます。
「……なるほど……?」
どういった仕組みなのかはまだ解明されていませんが、魔女という種族の寿命は、どうやら魔力量に比例して変化するらしいと聞いたことがあります。それでも三百年を大きく越えて生き続ける者は片手で数えるほどしか記録がなかったはずです。
改めて実感します。私の創造主は、あまりに規格外なのでした。
「ふふ、細かいことはどうでもいいわ。とりあえず座りなさいな。長旅で疲れたから、まずはティーブレイクといきましょ」
そう促され、私は魔女様の向かいの椅子に腰掛けました。
誰も触れていないのにひとりでに注がれるラズベリーティーの香りが辺りに漂います。
魔女様はこのお茶がお好きなのでしょうか。私が作られた日も、同じ香りが鼻をくすぐっていた記憶があります。
私はカップを口に運び、淹れられたラズベリーティーを一口だけ頂きました。温かく甘酸っぱい風味が喉元を通っていきます。
人形の私には水分や食物は摂取する必要のないものなので、カップはソーサーに戻し、代わりに持て余した視線を正面の魔女様に向けました。
白い肌、エメラルドの煌めく瞳、左右対称に二つに編まれたブロンドの髪……。
不思議なものです。魔女というのは、皆このように老いることがないのでしょうか。
思えば私は、このお方以外の魔女に会ったことがありませんでした。
そんなことを考えていると、私の視線に気付いた魔女様が、同じように私を見つめ返してきました。
魔女様はおもむろに私の頬に手を伸ばします。
「我ながら傑作ねえ、あなたは。本当に綺麗にできたわ。でもやっぱり、もう少し小柄にするべきだったわね」
そう言って、くすりと笑うのです。
細い指が私の頬を、そっと撫でました。




