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ねこに世界征服された京都で、没落お嬢様は今日も鉄フライパンを持ち上げる

作者: にゃむ
掲載日:2026/06/28

 西暦2222年

 世界は、ねこに征服された。


 何があったかは、よく解らない。


 その日、京都の空は、やけに青かった。

 あまりにも青くて。


 だからこそ、燃え上がる街の色が、余計に鮮やかに見えた。


 高層ビルが崩れ

 道路が割れ


 信号機が倒れ、空を飛んでいたはずの配送ドローンは、糸の切れた玩具のように地面へ落ちていった。


 あらゆる電子機器が、同時に死んだ。


 携帯端末も。

 自動運転車も。

 家庭用AIも。

 屋敷の防犯システムも。


 お父様が研究用に使っていた将棋AIでさえ、最後に一度だけ画面をちらつかせたあと、二度と動かなくなった。


 けれど


 清水寺は、壊されなかった。

 伏見稲荷の鳥居も。

 嵐山の竹林も。

 古い町並みも。

 石畳も。

 苔むした庭も。


 ねこ達は、そういうものを前にすると、なぜか足を止めた。


 そして、じっと見つめたあと。


「これは、いいにゃ」


 と、頷いた。

 壊すものと、残すもの。

 その判断基準は、人間にはよく分からなかった。


 ただ一つだけ、確かなことがあった。


 ねこ達は、可愛いものと、雰囲気の良いものには、少し甘かった。


 17歳の少女、シャルルの屋敷は、京都の山裾にある。


 広い庭。

 池。

 古い蔵。

 檜の廊下。

 季節ごとに表情を変える庭園。


 百年以上前から受け継がれてきた、大きな和洋折衷の屋敷。


 富裕層の家、と言われれば、きっとそうなのだと思う。

 けれど、シャルルにとっては、ただの家だった。


 生まれた時から、そこにあった場所。

 そして、生まれた時から、そこにあった存在。


「ルル……」


 シャルルは、胸に抱いたシャムねこをぎゅっと抱きしめた

 その子の名前は、ルル。

 シャルルが産声を上げた日、屋敷の庭で同じように小さな声で鳴いていた子猫だった。


 だから二人は、十九年間、ずっと一緒だった。

 けれど今、そのルルを抱いたまま。

 シャルルは、震えていた。

 屋敷の門の前に、ねこ達が集まっていたからだ。


 ただのねこではない。


 二本足で立つねこ。

 巨大な虎。

 長い釣り竿を持つねこ。

 黒装束を着たねこ。

 宙に浮かぶ、まんまるのねこ。


 その数は、数えきれない。


 彼らは屋敷を見上げ、庭を見て、屋根を見て、塀を見て。

 真剣に、悩んでいた。


「うーむ」

「でかいにゃ」

「これは残すべきかにゃ?」

「でも人間のぜいたくの象徴にゃ」

「しかし庭が良いにゃ」

「池も良いにゃ」

「縁側も良いにゃ」

「日向ぼっこに最適にゃ」


 ざわざわ。

 ざわざわ。


 ねこ達の会議は、思っていたよりも長かった。

 シャルルの隣で、母は口元を押さえている。

 使用人達は、廊下の奥で身を寄せ合っていた。


 そして父は。


「……これは、詰みか」


 盤の前に座っていた。

 電気が止まり、将棋AIも消えたというのに。

 父は、木の駒を並べていた。

 プロの将棋指し。

 けれど

 時代に埋もれた職業。

 AIには、全戦全敗なのだ。


 だからこそ、人間相手には負けられない。


 普段は穏やかで、滅多に声を荒らげない。

 けれど、将棋盤の前に座ると、別の生き物みたいになる。


 世界が崩壊しても。

 電子機器が止まっても。

 ねこに征服されても。

 父は、盤上を見ていた。


「お父様……今は、それどころでは……」

「いや、シャルル」


 父は駒を一つ置いた。


「こういう時ほど、読むべきだ」

「何をですの?」

「先を」

「もう少し、足元を見てくださいませ!」


 その時だった。


 門の前にいた大きな白猫が、前足を上げた。


「決めた」


 場が静まり返る。


 シャルルは、息を飲んだ。

 終わりだ。

 そう思った。

 この屋敷も。

 この庭も。

 家族の思い出も。


 全部、壊されてしまう。


「この屋敷は――」


「にゃあ」


 その声を遮ったのは、ルルだった。


 シャルルの腕の中から、するりと抜け出す。


「ルル!?」


 ルルは、廊下を歩いた。

 庭へ下りる。

 小さな肉球で、石畳を踏む。


 そして門の前まで行くと、ねこ達をまっすぐ見上げた。


 白猫が目を細める。


「……なんだ、おぬし」


「この家のねこにゃ」


 ルルが言った。


 その瞬間、シャルルは目を見開いた。


「ルルが……喋りましたわ……?」


 母が倒れかけた。

 使用人の一人が「お嬢様、我々も今かなり限界です」と呟いた。

 ルルは、そんな人間達を気にすることなく、尻尾をぴんと立てた。


「この屋敷は、壊さないでほしいにゃ」

「理由を述べよ」

「日当たりが良いにゃ」

「ふむ」

「縁側が温かいにゃ」

「重要だな」

「池の鯉が、見ていて飽きないにゃ」

「ワカル」

「廊下が長くて、夜中に走ると楽しいにゃ」

「かなりワカル」


「それに――」


 ルルは、振り返った。


 青い瞳が、シャルルを見る。


「シャルルが、ここで生まれたにゃ」


 シャルルの胸が、きゅっと鳴った。


「この子は、弱いにゃ。スプーンより重いものを持ったことがないにゃ。階段を二段上っただけで、人生について考え始めるにゃ」


「ルル!?」


「朝、起きるのも遅いにゃ。紅茶に角砂糖を入れすぎるにゃ。虫を見ると毎回この世の終わりみたいな顔をするにゃ」


「やめてくださいませ! 交渉ですよね!? それは交渉ですのよね!?」


「でも、優しい子にゃ」


 ルルは、静かに言った。


「いつも、大事にしてくれたにゃ。ずっと、一緒にいてくれたにゃ」


 風が吹いた。

 庭の木々が、さわさわと揺れる。


 ねこ達は、誰も喋らなかった。


 ルルは、白猫を見上げたまま続けた。


「だから、この家は残してほしいにゃ。シャルルも、家族も、ここに住ませてほしいにゃ」


 白猫は、しばらくルルを見ていた。

 やがて

 ゆっくりと頷いた。


「許可する」


 シャルルは、その場に崩れ落ちた。

 母が泣いた。

 使用人達も泣いた。


 父だけが盤面を見ながら、ぽつりと言った。


「……粘り勝ち、だな」


 ルルは得意げに胸を張った。


「当然にゃ」


 そうして

 シャルル達の屋敷は残った。

 ただし


 以前と同じ暮らしが続いたわけではなかった。


「お嬢様! 庭の掃除をお願いします!」

「わたくしがですの!?」

「はい! 糞だらけで、わたくしどもだけでは人手が足りません!」

「人手が足りない時に、真っ先にわたくしを数に入れるのは間違っておりますわ!」

「お嬢様も、もう立派な労働力です!」

「その言葉、わたくしの人生で一番似合いませんわ!」


 屋敷の敷地には、いつの間にか牛がいた。

 馬もいた。

 鶏もいた。

 山羊もいた。

 羊もいた。


 それだけではない。


 熊もいた。

 鹿が庭で草を食べ

 猪が池のそばを掘り

 猿が屋根の上で柿を食べる。


 そして、ねこ達が縁側を占領していた。


 世界征服後の新しい法。

 それはよくわからない。


 ただ、動物達の世話をすれば、イイネポイントという

 お金のようなものが貰える。

 誰かに喜んでもらえた瞬間、ポイントが入る。


 それが、新しい世界の決まりだった。

 問題は

 シャルルが、何もかも未経験だった事だ。


「お、お牛様……?」

「モモでいいわよ」


 牛が言った。

 名前はモモ。

 大きくて、穏やかな目をした雌牛だった。


 シャルルは、桶を持って震えていた。


「本当に、よろしいんですの?」

「何が?」

「その……乳を……絞るなど……」

「いいわよ。うちの子、もう乳離れしちゃったね。張ってくると痛いのよ。ほら、そこに座って」


「は、はい……」

「もっと近く」

「はい……」


「違う違う。そんな恐る恐るじゃだめ。手はこう」

「こ、こうですの?」

「そう。優しく。でも、ちゃんと強く」


 シャルルは、言われるがまま手を動かした。


 ぴゅっ


 白い乳が、桶の底に落ちた。


「出ましたわ!」

「出るわよ、乳だもの」

「ルル! 見てくださいませ! わたくし、乳を出しましたわ!」


「よくやったにゃ」


 縁側で丸くなっていたルルが、珍しく褒めた。


「ルル……!」

「三日前まで、瓶の蓋すら開けられなかったシャルルにしては、かなりの進歩にゃ」

「褒めているのか、刺しているのか、どちらですの!?」

「両方にゃ」


 モモが、のんびり笑った。


「仲がいいのねえ」


 シャルルは、少しだけ頬を赤くした。

 動物達の声が聞こえるようになったのは、世界征服から七日後のことだった。


 空から、銀色の霧が降った。

 雪のようで、雪ではない。

 雨のようで、雨でもない。

 それは、宇宙規模で散布された新型ナノマシンだった。


 人間と動物の間にある、言葉の壁を薄くするもの。

 完全に会話できるわけではない。

 けれど、気持ちが分かる。

 簡単な言葉なら、聞こえる。


 そのおかげで、シャルルの毎日は一変した。


「シャルル、藁が少ないわ」

「はい、モモさん!」

「ブラッシングしてくれ」

「はい、馬さん!」

「コケコッコー!」

「すみません、鶏語はまだ難しいですわ!」

「卵、そこに産んだって言ってるにゃ」

「そういうことでしたの!?」


 今まで、誰かにしてもらうのが当たり前だった。

 紅茶を淹れてもらう。

 服を整えてもらう。

 食事を運んでもらう。

 掃除をしてもらう。

 庭を管理してもらう。


 それが、当たり前だと思っていたわけではない。

 けれど

 自分がやるものだとも、思っていなかった。


 だから最初の一週間は、ひどかった。


 藁を運ぼうとして、藁に埋もれた。

 井戸の水を汲もうとして、桶ごと落としかけた。

 卵を集めようとして、鶏に追いかけられた。

 山羊にスカートの裾を食べられた。

 馬に髪を舐められた。

 猪に泥を掛けられた。


 そして


 最大の試練は、台所にあった。


「無理ですわ」


 シャルルは、鉄フライパンを前にして立ち尽くしていた。

 黒光りするそれは、あまりにも重そうだった。

 いや

 実際、重かった。

 試しに持ち上げようとして、手首が「もうやめよう」と訴えた。


「ルル」

「にゃ?」

「これは武器ですわ」

「調理器具にゃ」

「嘘ですわ。人を倒せます」

「倒せるけど、焼くものにゃ」

「なぜ、人類はこのようなものを片手で振るうのですか」

「振るわないにゃ。普通に持つにゃ」


 シャルルは、両手で柄を握った。


「ん……っ」


 持ち上げる。

 少し浮く。

 

響く、鉄の音。


シャルルの手には、フライパンは無かった。


「……今日は、このくらいにしておきましょう」

「まだ何もしてないにゃ」

「心が動きましたわ」

「フライパンを動かすにゃ」


 ルルは、台の上に座っていた。

 尻尾をゆらゆら揺らしながら言った。


「シャルル」

「はい……」

「がんばるにゃ」


 シャルルは、もう一度フライパンを握った。


「んんんんっ……!」


 持ち上がる。

 腕が震える。

 肩も震える。

 魂も震える。


 けれど、今度は落とさなかった。


「ル、ルル……!」

「すごいにゃ!」

「わたくし、今、世界を持ち上げておりますわ!」

「鉄フライパンにゃ!」


 その日の昼食は、少し焦げた卵焼きだった。

 形も崩れていた。

 味も薄かった。


 けれど、父はそれを食べて、驚いたように目を細めた。


「シャルルが作ったのか」

「はい……」

「そうか」


 父は、もう一口食べた。


「うまいな」


 その言葉だけで。

 シャルルは、泣きそうになった。

 日々は、少しずつ変わっていった。


 朝は、鶏の声で起きる。

 ルルに顔を踏まれることもある。

 顔を洗って、庭に出る。

 モモの乳を絞る。

 山羊に餌をやる。

 馬の背を撫でる。

 卵を集める。

 井戸水を汲む。

 火を起こす。

 米を炊く。

 味噌汁を作る。

 鉄フライパンを持つ。

 たまに落とす。

 ルルに励まされる。

 たまに笑われる。


 けれど、不思議だった。


 世界は崩壊したはずなのに。


 シャルルの毎日は、以前よりも騒がしくて。

 以前よりも疲れて。

 以前よりも、不便で。


 それなのに


 以前より、笑う事が増えた。


 屋敷の中には、いつも静かな緊張があった。


 父は勝ち続けなければならなかった。

 母は美しくあらねばならなかった。

 使用人達は失敗してはいけなかった。

 シャルルもまた、立派なお嬢様でなければならなかった。


 けれど今は。


 牛が鳴く。

 馬が文句を言う。

 鶏が騒ぐ。

 山羊が勝手に庭木を食べる。

 ねこが廊下の真ん中で寝る。


 父の将棋盤の上に、ルルが乗る。


「……ルル、そこは七六歩だ」

「知らんにゃ」

「どいてくれないか」

「ここが温かいにゃ」

「対局中なのだが」


 父は、困ったように笑った。


 シャルルは、その顔を見て驚いた。

 父が、こんなふうに笑うところを。

 自分は、今までどれだけ見ていただろう。


 ある夕方


 シャルルは、縁側に座っていた。

 膝の上にはルル。

 庭には、動物達。

 池の水面には、赤く染まった空が映っている。


 遠くでは、壊された街の跡に、草が生え始めていた。

 人間の作った便利なものは、たくさん消えた。

 もう、指先一つで何でも届くことはない。

 冷蔵庫も満足に使えない。

 照明も限られている。


 食べ物も、自分達で作る。

 洗濯も、掃除も、火起こしも。

 全部、面倒だ。

 全部、大変だ。


 けれど


「ルル」

「にゃ?」

「わたくし、少しだけ解かりましたわ」

「何がにゃ?」

「生きるということは、意外と重いのですね」

「鉄フライパンくらいかにゃ?」

「今のわたくしには、なかなかの重さですわ」


 ルルは、喉を鳴らした。

 シャルルは、その背をそっと撫でた。


「でも」


 夕風が、髪を揺らす。


「悪くありませんわ」


 ルルは、何も言わなかった。

 ただ、シャルルの膝の上で、丸くなった。

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