[2-2]
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「毎日毎日の出会いを楽しんでいると、年を取っているってのを忘れちまうんだよ」
夕刻前に笑顔で家に帰っていった孫が、夜遅くに泣きじゃくりながら再度飛び込んできた時、祖父はそう言いながらその節くれだった大きな手で小さな孫の頭をなでた。
「で、もっ、病気っ、なん、でしょう?」
しゃっくりを上げながらそう言ってまた泣き出した孫に、やれやれというように首を振りながら、祖父は肩に手を置いて椅子に座るように促した。
まだ暖かい急須からお茶を注いで「ほら飲め」と孫の前に置く。
祖父の入れるお茶は少し苦くて、いつもなら遠慮なく「苦い」と眉を顰めて文句を言う孫が、今日は両手で包み込むように湯飲みを抱えて、赤く泣きはらした目でその水面を見ながらちびちびと飲んでいた。
その様子を見て、祖父の顔に思わず笑みが零れた。
この愛しい幼い孫は、つい先日小学に上がったばかりだった。しかし、両親の仕事の関係から度々大人のレセプション等の社交の場に出ることの多かった孫は、いつの間にかすっかり大人びた表情をするようになっていた。しかし「ませた子供」というには若干の異彩を放っていた。
子供の間で遊んでいても、さりげなく危険な場所から遠ざけるように誘導したり、年長者の喧嘩を影から仲裁したり、さながら保護者のように、そしてそれを気付かれないように立ち振る舞っているようだった。そのことに、本人も何かしらの疑問を抱いていたのだろう。大人の会話に難なく入り込み意見を述べた自分に、「ませた子供」を見慣れているはずの大人ですら困惑と不安が強く入り混じった目を向けることを気付いた孫は、それから最も子供らしく振舞うようになり、その本質の片鱗を見せることをしなくなった。そんな孫の姿に、祖父は心配を禁じえなかったのである。
だから、こうして年相応に泣きじゃくる孫を見ていると、不謹慎ではあるが暖かな笑みが零れてくるのは仕方のないことだった。
「洋子さんが言ったのかい?」
落ち着いてきた孫に、優しく訊ねた。洋子、とは息子の元に嫁いできた聡明で明るい嫁、孫の母親の名前である。
その言葉に、孫は湯飲みに視線を落としたまま小さく首を振った。
「あの放蕩息子か……」
そう言って祖父は溜息をついた。国際犯罪を専門に捜査をしている息子は、一年のほとんどを国外で過ごしていたが、その分父親としての役割はしっかりと果たしていた。
自分の息子の本質にすぐに気付き、彼が何も振舞う必要がないように視線を揃えて助言を与えていた両親だったが、今度ばかりはどうやらそれが裏目に出たようである。
孫は、湯飲みを両手で握りながら、思いつめたような目で緑の水面を見つめ続けていた。
「何も今すぐ死ぬわけじゃない」
その言葉に、孫は俯いたままびくりと肩を震わせた。
彼は、ほとんど正確に『それ』を理解していた。親しい友人の母親、そして第二の母親のようだった祖母、仲良くしてくれた親戚など、生まれて十年と経っていなくても遭遇する機会は少なからずあったし、そこから他人の感情を読み取ることが出来るぐらいには高い理解能力を持っていた。逝く者、残される者、双方の気持ちをわかっているつもりだった。
しかし、と孫は唇を強く噛み締めた。わかっているつもりだった。けれども、ほとんど毎日入り浸って一緒に過ごしている祖父がもう長くないのだと聞かされた瞬間、信じられないような衝撃を受けたのだった。
わかっているつもりだった。けれども、わかっていなかったのだ。両親の言葉を聞いた途端、悲しみと恐怖が胸を押さえつけ、思わず泣きじゃくりながら家を飛び出していたのだった。
思い出してまた目に涙を浮かべる孫の頭に、祖父は笑いながら手を置いた。
「毎日毎日の出会いを楽しんでると、年を取ってるって気分を忘れちまうんだよ」
そう同じように繰り返して、視線を上げた孫の涙を無骨な指で拭った。
「毎日毎日ワクワクしてな。いろんな人と会う度に、刺激をもらって元気が出てくる」
お前に会うのも楽しい、と祖父は嬉しそうに目を細めた。
「やりたいことも沢山ある。挑戦したいこともまだまだ多い。これからどんな新しいことがあるかと思うと、毎日楽しくて仕方がないんだ」
「……でもっ」
顔を歪めた孫の顔を覗き込んで、祖父は笑いながら続けた。
「なに、言っただろう。やりたいことが沢山残っているんだ。最後の最後まで、何一つ諦める気はねぇよ」
「……」
黙る孫に、祖父は堪え切れないように声を立てて笑った。
「辛気臭ぇ顔をすんな。楽しんで生きろ!でなけりゃお前らしく生きろ!俺もそうする」
最後を無駄に強調して胸を張って見せた祖父に、ようやく孫は少し笑みを見せた。
「うん」
「出会いを怖がるな。きっとそいつらはお前を必要としているはずだから」
「……うん」
「ずっと、俺のことも覚えててくれるだろう?」
「……うんっ」
「ありがとな」
必死で涙を拭く孫に、祖父は目を細めながらわしゃわしゃと頭をなでた。その暖かく力強い感覚に孫は笑顔を向けようと必死で涙を拭い続けたが、しかしそれはなかなか止まらなかった。
祖父が息を引き取ったのはその一ヵ月後。そして孫が赤い光の世界で『彼ら』と出会うようになったのもその頃からだった。