地下駐車場の闇
警備員AとBが、あるビルの地下駐車場で体験する恐怖。
23時、大手建設会社の本社ビル1階、地下駐車場へ続く鉄扉の前。
重い鉄のシャッターが閉まり、警備員Aが二重、三重の錠を厳重に施した。
冷たいコンクリートの廊下が、薄暗い蛍光灯の光を反射し、不気味な影を落としている。
昼間は数百台の車が行き交う活気ある駐車場だが、夜になると完全に閉鎖され、誰も立ち入らない。
AとBは、監視室へ戻る前に最後の点検を終えたばかりだった。
Aは警備歴20年、このビルに15年勤めるベテランだ。
背は低く、顔には深い皺が刻まれ、目は常に鋭く、どこか怯えているようにも見えた。
Bは今年配属された新人で、緊張と好奇心が入り混じった表情を浮かべていた。
この深夜の作業はまだ慣れない未知の領域だった。
「よし、23時ジャスト。完璧だ」
Aが錠を確かめながら言った。
声は落ち着いているが、疲れが滲む。
「B、初めてのクロージングはどうだった?」
Bは少し震える声で答えた。
「なんとか…でも、Aさん、この駐車場って変ですよね。他のビルでは夜も見回りがあるのに、ここは0時以降、絶対に入らないって…なぜなんですか?」
Aの手が一瞬止まった。
蛍光灯がチカチカと点滅し、遠くで水滴が落ちるような音が響いた。
彼はBをちらりと見て、すぐに目を逸らした。
「…変、か。まあ、新人はそう思うよな。ルールはルールだ。深く考えるな」
Bは納得いかない顔で食い下がった。
「でも、Aさん、教えてくださいよ。なんか…気持ち悪いんです、この場所。さっき鍵かけてる時、駐車場の奥から変な音がした気がして…」
Aの表情が硬くなった。Bの言葉に、15年間封じてきた記憶が疼く。
「音?…お前、気のせいだ。早く監視室に戻るぞ。」
彼は早足で歩き出したが、Bが追いすがる。
「Aさん、絶対何か知ってるでしょ!僕、今日が初めての夜勤なんです。こんな気味悪い場所で、何かあったらどうするんですか?教えてください、頼みます!」
Aは立ち止まり、深い溜息をついた。
監視室のドアが見える廊下の角で、彼は振り返った。
Bの目は怯えと懇願で揺れていた。
Aは唇を噛み、拳を握りしめた。
「…お前、ほんとに知りたいのか?会社は新人にこの話をするなって言ってる。俺だって、15年黙ってきた。だが…お前がそんな目で頼むなら、放っておけねえ。昔、俺はこのビルで後輩を失った。まだガキだったやつを、守れなかったんだ」
Bの喉が締まった。
「後輩…?」
Aは目を伏せ、ゆっくり話し始めた。
「15年前、俺がここに配属された時、夜の見回りは普通だった。だが、ある夜からすべてが変わった。このビル、30年前に建った時、建設中に事故があった。知ってるか?」
Bは首を振った。
「事故?」
「そうだ。」Aの声は重かった。
「バブル期の話だ。会社は工期を縮めるため、無理なスケジュールを組んだ。地下駐車場のコンクリートを流し込む作業中に足場が崩れ、作業員が重機の下敷きになった。公式には『重傷』で片付けられたが、現場じゃ死んだって話だった。遺体は見つからず、コンクリートに埋まったままなんて噂もあった。会社は隠蔽した。作業員の家族が騒いだが、金で黙らせられた。それ以来、この駐車場じゃ夜になると変な音がするって話が絶えなかった。足音、呟き…そして、笑い声」
Bの背筋が冷えた。
「笑い声…?」
Aは頷いた。
「低く、くぐもった、まるで誰かが堪えきれずに漏らすような声。当時は幽霊話だろって笑ってた。だが、15年前、俺の後輩がその笑い声を聞いた」
Aの話はこうだった。
彼の後輩は、Aが配属されたばかりの頃の新人警備員だった。
まだ20歳そこそこ、生意気だが憎めない若者で、Aは弟のように可愛がっていた。
ある夜、後輩が駐車場の巡回中に無線で連絡してきた。
「Aさん、なんか変だ。足音がするけど、誰もいない…笑い声が…止まらない…」
Aは冗談だと思ったが、声が震えているのに気づき、急いで駐車場に向かおうとした。
だが、上司に止められ、ルール通り待機を命じられた。
それがAの過ちだった。
後輩の無線は途絶え、翌朝、彼は消えていた。
車も荷物もそのままなのに、人間だけが忽然と。
監視カメラを確認したが、映像はただの静かな駐車場。
だが、無線の録音には後輩の声が残っていた。
「助けて…笑い声が…近づいてくる…」と。
対応している時間の映像には、ぱっと見た目、何も映っていない。
Aは何度も映像を見返し、気づいた。カメラの隅に、ほんの一瞬、映らないはずの影が揺れた。
人間の形でも、動物でもない、ただの黒い歪み。
次の週、別の警備員が巡回を命じられた。
彼も消えた。最後に無線で言ったのは、「笑い声が…俺を呼んでる…」だった。
3人目、4人目、みな0時前後の駐車場で同じ報告をした。
笑い声が聞こえ、誰もいないはずの空間で影を見た。
そして、二度と戻らなかった。
最終的に会社は決めた。
「0時以降、駐車場は完全閉鎖。誰も近づくな」
警備員には口止めが課され、違反すれば解雇。
Aは後輩を失った自責に苛まれながら、15年間このビルで働き続けた。
駐車場の扉を見るたび、後輩の笑顔と最後の無線が脳裏に蘇る。
0時を過ぎると、空気が重くなり、蛍光灯が点滅し、遠くで足音や笑い声が聞こえることがあった。
カメラには何も映らない。
セキュリティログも異常なし。
だが、音だけは消えない。
AはBを見つめた。
「あの笑い声の正体?誰もわからん。事故で死んだ作業員の恨みだとか、隠蔽した会社への呪いだとか、いろんな噂があった。唯一生き残った警備員が言ってたよ。『笑うな。絶対に笑うな。笑ったら、終わりだ。』そいつは駐車場から這うように逃げてきたけど、それしか言わなかった」
Bは震えながら言った。
「それ…今も続いてるんですか?いや、しゃれになんないですよ!」
Aは額に浮かんだ脂汗を拭った。
「扉を開けなきゃ安全だ。監視室は駐車場から離れてる。だが、0時になると…何か変わる。実体は無いのに映る影、聞こえるはずのない笑い声…お前、さっき音を聞いたって言ったよな。あれ、気のせいじゃねえかもしれない。俺はもう誰も失いたくねえんだ、B」
時計は23時50分を指していた。
Bの心臓が早鐘のように鳴る。
監視室にたどり着いた二人は、ドアを閉めて鍵をかけた。
Bが震える声で言った。
「Aさん、笑い声って…何なんですか?本当に作業員の幽霊なんですか?」
Aは首を振った。
「幽霊かどうかなんて、俺にはわからん。だが、この駐車場は普通じゃねえ。あの笑い声は、ただの音じゃねえ。まるで…誰かを試してるみたいだ。答えたら、引きずり込まれる。後輩が消えた夜、俺は無線越しに聞いた。あいつの声が、笑い声に変わっていくのを」
その瞬間、駐車場の方からドンッと重い音が響いた。
Bが悲鳴を上げ、Aが監視カメラの画面を見ると、一瞬、映らないはずの影が揺れた。
人間の形ではない、ただの黒い歪みが、カメラの隅で蠢いた。
すぐに消えたが、遠くでずるり…ずるり…と引きずるような足音が聞こえ始めた。ゆっくり、だが確実に近づいてくる。
「聞こえる…足音が!」
Bが叫んだ。喉が締まり、涙が溢れる。
Aは強い声で言った。
「触るな!無線も、扉も、絶対に触るな!」
足音が監視室のドアの前で止まった。
ドアがガタガタと揺れ、まるで何かが叩いているようだった。
Bは泣き叫び、目を強く閉じている。
次の瞬間。低く、くぐもった笑い声が聞こえてきた。
駐車場の方から、壁を這うように、まるで複数の声が重なるように。
Bが耳を塞ぎ、Aが叫んだ。
「我慢しろ!笑ったら終わりだ!」
時計が0時を指した瞬間、すべての音が止まった。
静寂が監視室を包んだ。
Bは震えながら目を開けた。
だが、その静寂の奥から、再び笑い声が聞こえてきた。
今度ははっきりと、まるで監視室のすぐ外から。
低く、歪んだ、堪えきれずに漏れるような声。
カメラの画面に、映らないはずの影がちらついた――今度は、はっきりと二人を見つめるように。
Bが絶叫した。
「見てる!あれ、笑ってる!」
Aは凍りついた。
画面の影が、ゆっくりと口を開くように見えた。
笑い声が大きくなり、壁を震わせ、二人を飲み込むように響いた。
Aは最後に呟いた。
「今までこんなことはなかった…何なんだ…一体今日に限って。B、笑うな!!…笑うなよ、B。頼む…あいつみたいになるな」
だが、監視室のドアが、かすかに軋む音を立てた。
VTuberをやらせていただいています、言乃葉 千夜と申します。
この物語は、私のYouTubeチャンネル「言乃葉の館」で朗読用に作ったホラーストーリーです。
YouTubeチャンネル→https://t.co/UBdBrzvOYa
この物語の動画→https://youtu.be/aMMT2bD8Ddg
もし、この物語がお気に召されましたら、是非動画もご覧くださいませ!