プロローグ 私と誘拐犯と先輩
廃墟となったビルの地下階だろうか。そこに私は学校の制服姿で囚われていた。出入口は鉄のドアが一つだけで、灰色の部屋には家具などない……私が座らされている椅子を除けば。その椅子の背もたれに後ろ手を回されて、両手の自由を私は奪われている(拘束バンド、というものが使われていたと後から知った)。
「殺しは、しねぇよ。お前は単なる人質だ。俺が狙ってるのはお前の先輩だよ、お嬢ちゃん」
部屋に電気は通っていた。古い蛍光灯で照らされた室内で、知らない男の人が、吐き捨てるように言う。年齢は幾つだろうか、五十才前後? 暴力的な雰囲気があって、私を誘拐した彼は、きっと私や周囲のことを調べ上げているのだろう。
「せ……先輩に、何の用があるんですか……」
私は高校一年生で、二年生の先輩に可愛がられている。恐怖はあったが、もし倉餅先輩に危害を加えられたらと思うと、彼に問いかけずには居られなかった。
「言っただろ、お前は殺さないってよ。少しは頭を働かせるんだな」
彼の顔を正視できなくて、不潔な埃だらけの床に目を落とす。体が震えるのを抑えられない。
「いったい、どうして……」
「はっ! 何にも知らねぇんだな、お前。金持ちの先輩には裏がある、ってのに気づかなかったんだろ。金持ちなんてのは裏で悪いことをしてるのが相場なんだよ」
違う、と反論したかったけど言葉にならない。これまで私は、倉餅先輩に憧れ続けてきたけれど、本当に私は先輩を理解できていたのだろうか。
「考えたことはなかったのかよ。金持ちの先輩が、一般庶民のお前を何で構うのかってよ。どうせ捨て駒にでもするつもりだったんだろ」
「そんな……先輩は、そんな人じゃない……」
「ま、どうでもいいさ。何であれ、あの女はお前に利用価値を見出してる。だったら人質にする価値はあるってもんだ」
「言ってることが、わからない……。先輩をここに呼び出すつもり? 来る訳がないじゃない。普通、あなたみたいな誘拐犯には警察が対応するはずよ」
「あの女はサツなんか頼らねぇよ。サツを裏から操るくらいは、やるかもしれねぇが。俺なんかじゃ比較にならねぇくらいの悪党なんだぜアレは……。っと、来たか」
部屋の中で、椅子に拘束されている私と近くに立っている彼は、鉄のドアから離れた向かい側にいる。そのドアのノブが回って、内側に押し開けられた。
「倉餅先輩……」
思わず呟く。私と同じく学校の制服姿で、腰まで掛かる美しい髪が、まるで光を放ったように見えた。
「もう大丈夫よ。すぐに解決するから」
こんな時なのに、いつもと変わらない魅力的な微笑みが、私の胸を熱くする。私が憧れる先輩、倉餅万里愛さまが入室して、ドアを閉めた。