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保護は嬉しいけど婚約はできません 2

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「気がついた?」


 目を開けると、目の前に心配そうな顔でわたしを覗き込むディートリヒがいた。

 ぼんやりと視線を動かしたわたしは、ここが普段暮らしていた小屋の中でないことに気がついて首を傾げる。

 起き上がろうとするとディートリヒが背中を支えてくれた。


「ここは……?」

「離宮だよ。ごめん、勝手に連れてきて」

「離宮……?」

「うん、城のね」

「……え?」


 いったいどういうことだろうかと目を見開いたわたしに、ディートリヒが申し訳なさそうな顔で教えてくれた。


「覚えてない? エレオノーラは大神殿を出たところで気を失ったんだ。あれから丸一日経ってるよ」

「……覚えてないです」


 頭がガンガンして、胃のあたりがムカムカしていたことは覚えている。

 どうやら感情が制御できなくなったわたしは、気を失うことで自分を防衛したのだろう。

 一日眠っていたからか、聖女選定の直後に感じていたどうしようもない怒りは落ち着いていて、頭も冷静だ。


「何か飲むものと食べるものを持って来させよう。話は食べながらでもできるからね。お腹がすいているだろう?」


 ディートリヒはそう言って、ベルでメイドを呼びつけると、部屋に軽食を運んでくるように命じた。


 ……ディートリヒ様は、使用人にも穏やかに話すのね。


 穏やかでにこやかにメイドにものを頼むディートリヒに、わたしはちょっと新鮮な気持ちになる。

 ゲオルグもカサンドラもユリアも、使用人に傲慢で、記憶にある限りいつもわめきたてるように命令を出していた。人間はあれが普通なのかと思ったが、そうでもないのだろうか。


 メイドが食事を用意してくれたので、わたしはベッドから起き上がって、はたと気づく。


 ……服が違う。


 わたしは昨日、ディートリヒにもらったドレスを着ていたけれど、今わたしが身にまとっているのはゆったりとしたナイトドレスだった、

 目をぱちくりさせていると、ディートリヒが慌てて言った。


「ドレスのままだと寝苦しいと思って、メイドに頼んで着替えさせたんだ。決して私じゃないから安心して!」

「なるほど……。ありがとうございます」


 別に、眠っている間にディートリヒにドレスをはぎ取られたなんて思っていないが、彼の慌てようがおかしくて、わたしは笑い出しそうになってしまった。


 冬用のナイトドレスなので生地も分厚いし、上に何か羽織る必要はなさそうだ。

 わたしはそのまま、食事が用意されているテーブルへ向かった。


 ……それにしても、広い部屋ね。わたしの小屋の何倍かしら?


 さすが城の離宮だ。大きな家具がいくつも置かれているのに、全然圧迫感がない。広すぎる。


 テーブルに用意された食事は、ほかほかのパンとポタージュに、半熟のゆで卵、根菜のサラダである。ディートリヒは急いで用意させたからこんなものだけどと言ったが、急いで用意したにもかかわらずこれほど素敵な食事が出てくるのはすごい。


 お礼を言ってわたしがポタージュに口をつけると、ディートリヒがホッと息を吐いた。


「食べられそうでよかった。昨日は真っ青な顔をしていたから、もしかして転んだ時に骨折したんじゃないかって焦ったよ」


 わたしを離宮に連れて帰ったのも、実はそれが理由だったらしい。ユリアに突き飛ばされて転んだ時の怪我を侍医に診せたかったのだそうだ。「伯爵家に連れて帰っても医者はいないだろうし」とディートリヒが言う。

 確かにクラッセン伯爵家には常駐の医者はいないし、わたしが怪我をしたところで誰も気にしないだろうから、ディートリヒの判断は正しい。


「骨折はしてなかったけど、腕のところが結構ひどい打ち身になっていたようだ。痛くない?」


 言われてみたら痛い気がするけど、わたしは比較的痛みには強い方なのでそれほど気にはならない。あとでこっそり魔術で癒しても――あー、そうだ、癒しで思い出した。わたし、聖女に選ばれたんだ。


 ……その理由も後で考えないと。


 聖女に選ばれたという事実がわたしを憂鬱にさせるが、ひとまずはその問題は脇に置いておこう。ディートリヒから話を聞くのが先だ。


「痛くはないですけど、わたしを離宮に連れてきて、よくあの父たちが黙っていましたね」


 魔族だとか化け物だとか騒ぎ立てるゲオルグたちのことだ。ディートリヒがわたしを離宮に連れていくと言えば大騒ぎをしかねない。

 ディートリヒは肩をすくめた。


「その点は問題ないよ。君は聖女に選ばれた。君へのこれまでの対応は、王家が聖女を保護する理由としては充分だ。聖女に対する不敬罪の数々で摘発すると言えばおとなしくなったよ」

「つまり、脅したんですね」

「脅したというけど、君の妹はすでに摘発されているからね。その累が伯爵家全体に関わるか否か、君たちの判断によるよと親切に説明しただけだよ」


 それを世間一般には脅すと言うのだろうが、ディートリヒが笑っているので追及するのはやめておく。私自身、ゲオルグたちのことは家族だとも思っていないし、彼らがどうなろうと知ったことではない。


「ん? ちょっと待ってください。今、ユリアが摘発されたって言いませんでした?」

「そうだよ。当たり前だろう? だって彼女は衆人環視の前で君に暴言を吐いてあまつさえ突き飛ばしたんだよ? もちろん不敬罪が適用される。とはいえ、君と彼女は姉妹であるから多少の減刑がされて、衆人環視の前での鞭打ち三十回で許されることになったよ」

「……へえー」


 ……鞭打ち三十回か。ちょっと転んだだけで大泣きして大騒ぎをするユリアにはかなり厳しい罰でしょうね。しかも衆人環視の前……つまり公開刑罰かー。しばらくは恥ずかしくて外に出られないわね。


 それをいい気味だと思うわたしは、性格が悪いだろうか。

 でも、今まで散々嫌がらせをされて、石を投げられたりお湯をかけられたり、過去には崖から突き落とされて殺されかけたのだ。というかあの時前世の記憶を思い出さなかったら確実に死んでいただろう。それを考えると、ざまあみろと笑っても許される気がする。


 さすがに顔に出してニヤニヤ笑えないので心の中で笑っていると、ディートリヒがふと真剣な顔になった。


「で、ここからが本題なんだけど」


 ……うん?


 あれ、今の説明が本題じゃなかったの?


 ほかに何かあるのだろうかと思っていると、ディートリヒが綺麗な青い瞳でまっすぐにわたしを見つめてくる。


「私としては、今日からここで生活してほしいと思っているんだ。ここは城の敷地内にある離宮で、今は王太子候補の一人として私が住んでいる。城とは少し離れているし、私と使用人しかいないから気を張らなくてもいいと思うし……いいだろうか?」

「ええ⁉」


 驚くわたしに、ディートリヒは畳みかけるように言葉を重ねた。


「君の妹のあの様子や、それから伯爵夫妻の今までの君への対応を考えても、あのままあそこに残るのは危険だと思うんだ。君の妹が逆恨みするかもしれないし、聖女に選ばれたせいで君の父親が利用しようとしてくるかもしれない」

「あ、で、でも……」


 いくら何でも、未婚の男女が同じ邸で生活するのはまずい気がするのだが、そのあたりはどうなのだろう。

 少なくとも、前世では、未婚の男女が一緒に暮らすのは外聞的によくないことだと言われていた。それとも、人間と魔族とでは価値観が異なるのだろうか。


「エレオノーラ、君は言ったよね。聖女に選ばれたら、あそこから出て私と来てくれるって」


 しまった、すでに言質を取られていた。

 聖女に選ばれるはずがないと思っていたからそう言ったのだけれど、言ったことには間違いない。


 まいったなーと思っていると、ディートリヒが手を伸ばしてスプーンを持っているわたしの手の甲に触れる。


「私に、君を守らせてほしい」


 いつかも、同じようなことを言われた気がする。


 ……いくら何でも、責任感が強すぎると思うわ。


 躊躇っていると、ディートリヒが今度は言いにくそうに続ける。


「聖女に選ばれたから、君の元には求婚が舞い込んでくると思う。聖女は王族と婚姻を結ぶことが多いから、その……間違いなく、私との縁談も持ち上がるだろう」

「つまり……わたしはディートリヒ様と結婚することになる、ってことですか?」

「嫌?」

「それは……」


 急に結婚と言われてもピンとこない。

 それに、ディートリヒはいい人だけれど、勇者の末裔には違いない。わたしにはどうしてもその部分が引っかかってしまうのだ。


「エレオノーラ、私は君が好きだよ」

「え⁉」


 突然の告白に、わたしは声を裏返してしまった。

 まるで、わたしはゆで卵が好きだ、くらいの、あまりにもさらりとした言われ方に、わたしはどう反応していいのかわからなくなる。


「最初はただ、君を守らなくちゃっていう使命感の方が強かった。あんなにひどい扱いをされている君を見ていられなかった。でも、君と一緒にいるうちに、君のことが好きになっていたんだ」

「…………」


 真摯な顔で、本当にまっすぐな言葉をくれるディートリヒに、わたしは戸惑ってしまった。


 ディートリヒは優しいし、わたしを気にかけてくれて生活に必要なものもたくさんくれた。

 わたしも、彼はとても素敵な人だとは思う。


 だけど――、ディートリヒの顔は、千年前の勇者とはちっとも似ていないけれど、わたしはどうしても、千年前の記憶を忘れられない。


 ディートリヒのことは、人間の中で一番信頼しているが、彼の体に流れる勇者の血が、わたしに、ディートリヒを完全に信じることを拒ませる。


 だから怖い。

 今まで通り、ただの友達のような関係のままであるならばまだいい。

 けれど、結婚は怖い。

 彼をこれ以上わたしの内面に入れたくない。


 わたしが黙り込んでいると、ディートリヒが悲しそうに目を伏せて、それから無理して作ったような笑顔を浮かべた。


「無理強いするつもりはないよ。でも、結婚しなくても、婚約しなくても、やっぱり私に君を守らせてほしい。私がそばにいれば、多少なりとも君の盾になるだろう。意に沿わない求婚から君を守ってあげられる」

「……どうして、そこまでしてくれるんですか?」


 わたしは、彼の気持ちに答えられない。

 少なくとも今は彼の手を取れないし、この先もずっとこのままかもしれない。

 そんなわたしを守って、彼に何のメリットがあるだろう。


 ディートリヒはわたしの手の甲を撫でるように指を少し動かして、そして手を離した。


「好きだからだよ」


 悲し気に揺れる青い瞳は、やっぱりわたしをまっすぐに見つめてくる。


「君が好きなんだ。だから、守りたい。たとえ君がこの先私以外の誰かを選んだとしても、それまで私は、君を守る一番の盾でありたいんだ」


 その、あまりにまっすぐすぎる言葉を前に、わたしは嫌だと言えなかった。


 この先、わたしはディートリヒを選ばないかもしれない。


 でも、今この世界で、彼以上に安心する存在はいないかもしれないと、思ったから。





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