魔族の解放 1
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エレオノーラが気絶させた騎士たちを元に戻したあとで、彼らへの説明はディートリヒが行ってくれた。
わたしが魔王の娘の転生者だとか、魔族の生き残りとか、そのあたりの説明がややこしくてすぐに飲み込めないだろうことは伏せられ、単純に、シュタウピッツ公爵家で非人道的なことが行われている可能性が極めて高くそれを調査するとディートリヒは説明している。
……まあ、魔族が今の時代に生きているなんて誰も思わないでしょうから、騎士たちは単純に黒い髪に黒い瞳の人間たちだと思うでしょうからね。そしてその外見から迫害されているのだと勝手に結び付けてくれるでしょう。
さすが上に立つものの教育を受けてきたディートリヒはこのあたりの話運びがうまい。
説明の過程でうまい具合に彼らの騎士道精神や正義感を刺激してくれたので、話を聞き終えた時点での騎士たちの士気がすごい。
説明の過程で、バルドゥルたちはわたしたちを襲ったのではなく助けを求めに来たのだと伝えられた。
ディートリヒにつけられた騎士たちは、いわゆるディートリヒ派の騎士たちだ。
簡単に言えば、ディートリヒが次期王になることを望んでいる派閥の人間である。
それゆえ、ライバルであるジークレヒトのシュタウピッツ公爵家にきな臭いことがあれば嬉々として調べるような人たちで、当然のことながら、ディートリヒの今回の話を聞いても、否と答える人間はいなかった。
ただ、数が足りないことを悔やんでいたが、その点については、バルドゥルたちの同胞がまだいるという。
もちろんシュタウピッツ公爵軍が動かされると非常に厄介だが、幸いなことに、現在この地にいるのは領主代行のみだ。シュタウピッツ公爵家の当主夫妻もしくはジークレヒトが残っていれば別だが、領主代行の独断では軍は動かせない。そんなことをすれば公爵からだけでなく、王家からも咎めがあるからだ。
もちろん、公爵軍とは別に警備の兵たちはいるけれど、王都で騎士の位にいる護衛たちの敵ではないだろう。相手が数で圧倒してこようとしても、バルドゥルとその仲間たちがいれば充分抑えられる。
……いざとなったらわたしの魔術もあるからね。
あまり目立った行動はとらない方がいいとディートリヒに言われたが、騎士たちにしたように、シュタウピッツ公爵家の人間を気絶させるくらいならいいのではないかと思っている。ディートリヒに怒られそうなのでぎりぎりまで力は使わずにいるつもりだが、最悪の時の保険には充分だろう。
バルドゥルをはじめ、この場にいる魔族たちの魔力量はそれほどではない。バルドゥルがその中でも頭一つ分飛びぬけているようだが、わたしと比較すれば十分の一もないだろう。魔王の娘サンドリアだったころと同等の力があるわたしは、たぶん本気になればシュタウピッツ公爵邸の人間を一瞬で殲滅できるくらい強い。だからこそ怒りで暴走しないように気を付けなければいけないのだが、バルドゥルの話を聞いて頭に血が上っていたわたしは、今は落ち着いていて冷静だ。
シュタウピッツ公爵邸に乗り込むのは騎士たちと、それから仲間がどこに閉じ込められているのかを知っているバルドゥルたちだ。
わたしとディートリヒは目立たないところに停めた馬車の中でお留守番である。
まあ、戦にしろなんにしろ、軍の指揮者は前線に突っ込んでいったりしないので、ディートリヒとわたしが待機と言うのはわかる。わたしは指揮者ではないが「聖女」の肩書を持っているので、後ろに控えているのが仕事の立場だ。
……わかるのよ。わかるんだけど……。
これは戦争じゃない。
わかっているけれど、仲間が敵地ともいえるシュタウピッツ公爵邸へ突入するのを黙って見ているのは落ち着かない。昔の――千年前の悲劇が頭の隅をよぎってしまうから。
祈るように手を握り締めていると、ディートリヒが手のひらを重ねてくれる。
「心配しなくても大丈夫だよ。事前調査でシュタウピッツ公爵邸には使用人と護衛しかいないことがわかっている。人数では劣るが、そんな素人同然の相手に騎士たちが負けるはずがない」
「そう……ですね」
騎士たちは強い。バルドゥルたちもいる。彼らは宿願だった同胞の解放を前に破れたりはしないだろう。怪しまれないように魔術の使用は極力避けるように言っておいたが、万が一の時に命を犠牲にするくらいなら使えとも言っておいた。だからきっと大丈夫なはずだ。
もう、誰もいなくなったと思っていた魔族たち。
そんな彼らが捕らわれていて、けれども昔と違うのは、そんな魔族たちを救うために人間も向かってくれたということ。
騎士たちは彼らを魔族だとは思っていないだろう。
けれども、思っていなくても、人間である彼らが魔族を救いに向かっているこの状況は、不思議でありながらも安堵をもたらす。
今は千年前とは違うのだ、と。
聖女の力を有しているディートリヒは、前世が魔王の娘であるわたしを受け入れてくれた。
昔――、わたしは魔族と人間はどうして共存できないのかと嘆いた。
魔力があるかないかの違いだけで、他は同じなのに、どうして魔族は人間に忌み嫌われるのだろうかと。
今目の前にあるのは、共存とまでは言えないかもしれない。
千年前とは確実に違う。
「……ディートリヒ様、ありがとうございます」
きっと、ディートリヒがいなければこうはいかなかっただろう。
わたしは今もクラッセン伯爵家のタウンハウスの小屋の中で、一人でひっそりと生きていたはずだ。
かつて共存を願ったくせに、同胞を殺した人間を避け、彼らと向き合うこともしなかっただろう。
そして魔族の子孫が捕らわれていたことも知らず、ただ狭い小屋の中で生涯を終えていたはずだ。
そう考えると、わたしが今この場にいるのは、ディートリヒが紡いでくれた奇跡としか思えなかった。
ディートリヒは目を丸くして、それから笑う。
「私は何もしていないし、まだ作戦の成功を聞く前だよ。失敗するとは思っていないけど、お礼なら成功してからにしてほしいな」
嬉しくて気が抜けるからねとディートリヒが言う。
違うのに。わたしがお礼を言いたいのは、今のことだけではない。これまでのことすべてにお礼が言いたいのに、ディートリヒは気づいてもいないようだ。
優しくて、謙虚で――ああ、好きだな、と思う。
ディートリヒが好きだ。
……やっぱりこれは、奇跡みたいなものなのでしょうね。
彼の側にいるとすべてが大丈夫に思えてくる。
わたしがホッと肩の力を抜いて、ディートリヒの肩にもたれかかろうとした、そのときだった。
コンコンと馬車の扉が叩かれて、現場の指揮を執っていた騎士が顔を見せる。
「終わったか?」
「はい。……ですがその、少々予想外と言うか、予定外の人物がいらっしゃいまして……」
「予定外の人物?」
わたしとディートリヒは困惑顔の騎士に首をひねる。そんなに困った人物がいたのだろうかと思っていると、彼は小さく息を吐いて続けた。
「ユリア・クラッセン伯爵令嬢が囚われていました。……その、地下に」




