痛いのには慣れていますけど、人間が優しいのには慣れません
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ディートリヒ・ケルヒェンは変わった少年だと思う。
彼と出会ってから二年。
王太子候補のディートリヒはそれなりに忙しいはずなのに、彼は三日と開けずにわたしの小屋を訪れるようになっていた。
「エレオノーラ、新しいドレスだよ。それからもうじき冬になるから、毛布と羽毛布団を持って来た」
ディートリヒの来訪については、ゲオルグもカサンドラも最初はいい顔をしなかったらしい。
何とかして彼がやってこないようにとあれこれ手を尽くしたようだが、ディートリヒは彼らよりも何倍も上手だった。ディートリヒは自分の両親を味方につけて、王弟であるケルヒェン公爵経由で彼がここを訪れるのを認めさせてしまったのだ。
「ディートリヒ様、同じことを言うようですが、そんなにたくさんのものを持ってこられても、この狭い小屋の中には入り切りません」
「要らないものは私が回収して帰るから大丈夫だよ」
ディートリヒは最初、わたしがこの小屋を出て邸で生活できるように口添えをしようかと言ったのだが、義母や異母妹たちと一緒に生活したくないわたしが絶対にやめてほしいと懇願したところ、ならばせめてこの小屋の中をもっと住みやすく整えようとあれこれと手を尽くしてくれている。
それはありがたいし感謝もしているけれど、狭い小屋の中に大きなベッドを運び込んだり衣装棚を入れたり、隙間風を塞ぐという名目で改築までしてしまって、もはや小屋の中は二年前の見る影もない。
板張りだった床の上には分厚い絨毯が敷かれたし、以前の倍以上の広さに改築された小屋の中には暖炉や簡単な調理台まで設置されている始末だ。
衣装棚の中にはディートリヒが揃えた服がわんさかと入っている。
持って来た毛布と羽毛布団をベッドの上に置いたディートリヒに、お茶を入れて出してあげると、彼は絨毯の上に直接腰を下ろした。さすがにソファを入れる広さはなかったため、座ろうと思えばベッドしかないのだが、十二歳の女の子とはいえ女性のベッドに腰かけるのは気が引けると、ディートリヒが遠慮するのだ。
……本当に、変わった人よね。わたしの世話なんて焼いて何が楽しいのかしら?
ディートリヒは、わたしの黒い髪にも黒い瞳にも嫌悪感を抱かないようだった。
伸びっぱなしになっているわたしの髪を見て、わざわざケルヒェン公爵家お抱えの理容師まで派遣したほどである。
ディートリヒが連れてきた理容師は、今では月に一度彼とともに訪れてくれている。理容師は最初はわたしの髪の色にびっくりしていたものの、さすがディートリヒが連れてきた人物で、この髪の色にも瞳の色にもすぐに慣れた。今ではむしろ、整えればつやつやと光るわたしの髪が面白いみたいで、いかにわたしの黒髪を艶やかに仕上げるかに命を懸けている節がある。だって、毎回違うシャンプーを持ってきては、こっちの方が艶が出るはずだとか、サラサラになるはずだとか言って、わたしにも毎日丁寧に髪を洗って整えろと口酸っぱく言うのである。ちなみにそんな面倒臭いことはしたくないと言えば、「こんなに素敵な髪を持っているのになんてもったいないことを言うんですか!」と烈火のごとく怒られた。変な人だ。
「そうそう、今日はお菓子も持って来たんだった。母上のおすすめだよ。布団を抱えたら持てなくなったから置いてきたんだ。ちょっと待ってて」
ディートリヒが思い出したように立ち上がると、停めてある馬車まで行って戻って来た。
可愛らしいピンクのリボンでラッピングされている籠に入っていたのは、干しブドウの入ったバターケーキだった。
「ありがとうございます!」
以前は、お腹がすけば邸から食べ物を盗んできていたけれど、ディートリヒが来るようになってからそれもなくなった。何故なら食べるものは彼が運んでくれるからである。邸から盗んでいたときは、さすがにお菓子までは盗んで帰れなかったので、ディートリヒが持ってきてくれるお菓子はわたしの楽しみの一つだった。
さっそくラッピングをほどいて一切れずつ包んであるバターケーキを手に取る。ディートリヒにも一つ差し出して、わたしは小さなテーブルを挟んで彼と向かい合うように絨毯の上に座った。
「昨日、ジークレヒトがクラッセン伯爵家に訪問したと聞いたけど、何か嫌なことはされなかった?」
「こっちには近づかないので大丈夫ですよ」
ユリアが宣言したからなのかどうなのか、ジークレヒトはユリアと婚約した。
以来、月に一度くらいの頻度でクラッセン伯爵家を訪れているようだが、二年前のあの日以来、彼がこちらへやってくることはない。
ユリアは時折少し離れたところまでやって来ては、「いい気になるな!」とか「ディートリヒ様が優しいのはお前の髪の色が珍しいからだ!」とか「わたしが王妃になったらお前なんか処刑してやる!」とか意味のわからないことをわめいて帰っているが、実害がないので放っておいている。
はっきりいって、頭が空っぽで実力もない子供の相手など、わたしはしたくないからだ。
「そう? もし嫌なことを言われたりされたりしたらすぐに教えてね。私は君を守りたいんだ」
ディートリヒがそう言って、手を伸ばしてわたしの手をそっと握る。
だが、わたしは曖昧に笑うことしかできない。
ディートリヒがわたしのことを守りたいという理由が、わたしにはわからないからだ。
二年前の事件の罪悪感だろうか。
けれどもあれは、ディートリヒが悪いわけではない。
むしろ彼が駆けつけてくれなければ、わたしは怒りを暴走させてユリアやジークレヒトを殺していたかもしれないからだ。
……あの日、ディートリヒがユリアに会いに来ていて助かったわ。
あとから聞いた話だが、二年前のあの日は、ディートリヒとユリアの顔合わせの日だったらしい。
けれどもそれを聞きつけたジークレヒトがディートリヒが到着する時間よりも先にやって来て、ディートリヒとユリアの顔合わせに横槍を入れたそうなのだ。
ユリアの髪の色はわたしが思っている以上にドゥルンケル国内で有名で、次の聖女選定があればユリアが聖女に選ばれるのは間違いないとさえ言われているらしかった。
わたしは聖女選定について詳しくなかったが、ディートリヒによれば、王都にあるヘレナ教の大神殿にある女神像が光ったとき、聖女選定が行われるらしい。
聖女は女神像が選ぶので、誰が選ばれるのかはわかっておらず、女神像が光れば国中の女性が順番に神殿に集められて、聖女かどうかの選定を行うという。
女神像が光るなんて聞けば神聖な感じがするが、わたしが思うに、その女神像は魔術具の一種なのではないだろうか。
魔族のもつ魔力と聖女が持つ聖力は違うが、千年前、魔族の間でも、魔力量を測定する魔術具は存在した。
たぶん、女神像はそれと似たような魔術具なのだろう。
実際に目で見てみないとわからないけれど、そんな気がする。
ともかく、その聖女選定があれば、ユリアが聖女であろうという噂がささやかれていて、ユリアはそれゆえ王太子候補の婚約者候補に選ばれた。
ディートリヒとジークレヒトの二人は、順番にユリアと会うことになっていたが、ディートリヒの方がジークレヒトよりも先に顔合わせとなり、王太子になるために聖女を欲していたジークレヒトが焦って邪魔をしに来たということだ。
ディートリヒは、約束の時間になって訪れてみればすでにジークレヒトが来ていると聞かされて、その上彼らがわたしに剣を向けていたのを見て驚愕したらしい。
――君の妹を悪く言いたくはないけれど、正直言って、人を傷つけて笑っているような女性が婚約者でなくてよかったよ。
ディートリヒはジークレヒトとユリアの婚約が正式にまとまった後で、そう言って肩をすくめた。
ユリアと婚約したからなのか、王太子争いはジークレヒトが優勢のように言われはじめているようだが、ディートリヒは、国のために王になる覚悟はあるけれど、何が何でも王になりたいわけではないからあまり気にしていないらしい。
ただ、傲慢なところのあるジークレヒトが次の王になるのは少々不安だとは言っていた。
「エレオノーラ、もし君が望むなら、俺は父上に掛け合って君をここから出してあげることができるけれど、どうする?」
「そこまでしてもらうわけにはいかないわ」
ディートリヒはわたしのために充分すぎることをしてくれている。
本音を言えば、こんな場所からさっさと逃げ出したいところだが、それでディートリヒに迷惑をかけるわけにはいかないのだ。
ディートリヒが気にしなくても、やっぱりわたしの容姿は目立つ。
ジークレヒトと次期王太子の座を争っているディートリヒにとって、わたしの存在はマイナスでしかない。
ディートリヒの両親は彼がここに来ることを問題視していないらしいけれど、世間の目は必ずしも彼らと同じではないのだ。
ディートリヒは優しい。
優しすぎるくらいに優しい。
彼はわたしやわたしの家族や友達を殺した勇者の末裔だけれど、一生懸命にわたしを守ろうと手を尽くしてくれるディートリヒのことは嫌いじゃない。
でも、だからこそ、わたしはわたしのこの「色」で、彼に迷惑をかけたくないのだ。
「エレオノーラ、さっきも言ったけれど私は君を守りたいんだ。ここじゃあ、さすがに毎日様子を見に来ることはできないから……」
やんわりと断ったつもりだったのに、今日のディートリヒはいつもより粘って来た。
あとからわかったことだが、ディートリヒがしつこかったのは、王太子候補としての教育が忙しくなって、今後は三日に一度の頻度で来られなくなるからだったようだ。頑張っても一週間に一度様子を見に来るのがせいぜいらしい。
そうとは知らないわたしは、なんとかわたしをここから出そうと粘る彼に向かって、おどけて笑ってみせた。
「そうね。じゃあ、もしわたしが聖女に選ばれでもしたら、そのときはあなたについて行くわ」
――まさか五年後、この冗談が本当になるとは、このときのわたしは露とも思わなかった。