ディートリヒの告白
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「君が聖女に選ばれた時のことを覚えている?」
ディートリヒは、そう話しはじめた。
馬車の座席に座る彼はうつむいていて、どんな表情をしているのかはわからない。
ただ、指先が白くなるほど手を握り締めていたから、わたしは立ち上がって、彼の隣に座った。
ディートリヒの手の上にそっと手のひらを重ねると、ぎゅっと握りしめられる。
「聖女選定のことですよね?」
「うん。……あの時、実はね、私はちょっとずるをしたんだ」
「……ずる?」
わたしは首をひねった。
聖女は女神像が選ぶ。女神像に触れ、女神像が光れば聖女だと断じられるのだ。
あの女神像は魔術具の一種だったから、無理やり光らせることは不可能で、ディートリヒの言う「ずる」が何なのかわたしはよくわからなかった。
ただ、あの選定はやっぱり間違っていたのではないかとは思っている。
だって、あれから何度も自分の体に流れる力を探ってみたが、わたしの体には聖力は宿っていなかった。宿っていたのは魔力だけだ。
「あの像は聖女の力に反応する。そして私は、あの場にいた、いや、国中にいる女性の全員が、聖女でないとわかっていた。君を含めて、ね」
「でも、女神像が光って聖女選定を告げたということは、国に聖女は存在するんですよね」
「うん、いるよ。でも、ある意味いない。聖女はね、不思議とその時代に一人しか誕生しないんだ」
「つまり、他の国に誕生しているということですか?」
「そうじゃない。……そうじゃないんだよ」
ディートリヒは、大きく息を吸って、顔を上げた。
そして、自嘲するように笑う。
「この時代に、聖女の力を持って生まれたのは女性じゃない。男だ。……そしてそれは私なんだ」
「……え?」
「私はあの日、君をクラッセン伯爵家から出すには、君を聖女に仕立て上げるしかないと思った。だからずるをした。君が女神像に触れた際に、私もこっそり触れたんだよ」
「ああ、だから……!」
「うん、女神像は私の力に反応して光った」
わたしはどうしても解けなかった難問に答えをもらって、なんだか脱力したい気分になった。
……でも、男性に聖女の力なんて、不思議ね。
そう思って、重ねた手からさりげなくディートリヒの力を探ってみる。すると、かすかだったが、本当に聖女の力を感じることができた。おそらくその力が小さすぎることと、まさかディートリヒに聖女の力があるとは思わなかったことから、これまで気づけずにいたのだろう。
「私がこの力に気がついたのは十歳になるかならないかくらいのころだったかな。剣の練習中に怪我をしてね。あまりに痛くて、早く治れと念じたんだ。すると、腕に走っていた切り傷が塞がってね。あまりに驚いて、母上と父上のところに走ったんだ。そうしたら、父上がこれは聖女の力だろう、と」
「つまり、ハルネス様もヨゼフィーネ様もご存じだったんですか⁉」
「うん。君が本当は聖女ではなくて、私が小細工したことも含めて知っているよ。……でも、父上たちにしたらむしろそれは都合のいいことだったから何も言わなかった。私にね、この力を隠しておけと言ったのは父上なんだ。歴史を見るとね、男に聖女の力が宿ったことも、一度か二度あったみたいなんだよ。とても珍しいみたいだけどね」
「えっと、ハルネス様はどうして隠しておけ、と?」
「私が次期王になるのが確定するから、かな?」
「え?」
「聖女がいれば、聖女を娶ることで王位に限りなく近づくことができるだろう。聖女は国の至宝だ。誕生すれば、その権力は王や王妃に次ぐ。でも、聖女がいなければどうだろう? そしてその力を持った男に王位継承権があれば?」
「……確かにそうですね」
「だろう? だから父上は黙っていろと言った。下手に明かせば騒ぎになるだろう。陛下に子ができなければ私とジークレヒトが争うことになるのはわかっていたけれど、もし陛下に子ができたらどうだろう? そのとき私に聖女の力があると明かしていたら、たぶん陛下の子ではなく私が王につけられる。……陛下もそれは望まないだろうし、そんなことなればごたごたするのは目に見えていたからね」
なるほど、そういう意味では黙っているのが正解だったろう。
現に今王妃は妊娠中だ。ディートリヒに力があるとわかっていたら、王妃の腹の子が無事に生まれても、その子は王にはなれない。そしてそれを、ディートリヒは望まないのだ。
わたしが納得していると、ディートリヒが探るようにわたしの顔を覗き込んできた。
「……嫌じゃないの?」
「嫌、ですか?」
「うん。だって、千年前、魔族が滅びるきっかけを作ったのは間違いなく聖女だ。そんな力を私が持っていて、そして私のせいで君は聖女にされた。……恨まれても仕方がないと思っている」
わたしはゆっくりと瞬きを繰り返す。
確かに、言われてみればそうだ。
わたしは聖女を憎んでいたし、恨んでいた。
そんな聖女という存在にされて嫌悪感を抱かなかったと言えば嘘になる。
それなのに――どうして、ディートリヒに対して怒りを覚えないのだろうか。
彼がわたしを守ろうとしてくれていたことを知っているから?
傷ついた顔をしてうなだれているから?
彼がとても優しいから?
……ううん、どれも正しいようで違う気がする。
ディートリヒがわたしを魔王の娘の転生者だと知って嫌悪感を抱かなかったように、わたしも彼に聖女の力があると聞いても嫌悪感を抱かない。
それは彼が――ディートリヒが、大切だからだ。
守ると言われた。
守らせてほしいと言われた。
求婚された。
でも、わたしは彼の手を取れなかった。
勇者の末裔だからだとか、細かいことにこだわって、わたしは純粋にディートリヒ個人を見ることを避けていたのだろう。
でも、もういい。
だってもう千年も経ったのだ。
そしてわたしはサンドリアじゃない。
勇者とか聖女とか魔族とか魔王の娘とか、そんな付属の言葉はいらない。
わたしはエレオノーラで、彼はディートリヒ。
その事実があればいいじゃないか。
くだらないこだわりで、自分の中にある気持ちを封印して気づかないふりをするのは、もうやめよう。
だって――わたしは、この優しいディートリヒが、好きなのだから。
「ディートリヒ様は、千年前の聖女ではありません。勇者でもありません。そしてわたしは魔王の娘サンドリアではありません。エレオノーラです。……だからどこにも、恨むところはないですよ」
「エレオノーラ……」
「わたしをわたしと言ってくれたように、ディートリヒ様はディートリヒ様です。力があっても、そこは変わりません。わたしは優しいディートリヒ様が、好きですよ」
言ってから、わたしはハッとした。
さらりと言ってしまったが、今のはもしかしなくても告白めいていなかっただろうか?
そういうつもりでは、と、慌てて否定しようとしたけれど、ディートリヒは待ってくれなかった。
「エレオノーラ」
「ひう!」
ぎゅっと手を握られて、真剣な声で名前を呼ばれると、変な声が出る。
きっと今、わたしの顔は真っ赤になっていることだろう。
そんなわたしに、ディートリヒはとろけるような笑顔を向ける。
「わたしも、君が君だから……エレオノーラだから、好きなんだ。前世とか、魔族とか、驚くことはたくさんあるけど、その気持ちは変わらない。君が好きだ。ずっと好きだ。この先もずっと君を守りたいし、守らせてほしい。君と生きていきたい。……ダメかな?」
それはあまりに壮絶な告白だった。少なくとも、わたしには。
目を白黒させていると、ディートリヒが握りしめたわたしの手を持ち上げて、指先に小さな口づけを落とす。
その体勢のままじっとわたしの答えを待つのは――確信犯としか思えなかった。
わたしは酸欠の魚のようにはくはくと口を動かし、何も言えずに、小さくこくりと頷く。
直後、ディートリヒがぎゅうっと抱きしめてきたけれど、頭の中がぐるぐると回っているわたしは、ただされるままになっていた。




