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魔族ではなく元魔族ですが…… 2

 簡単なお昼ご飯を食べて、本の続きを読みはじめたわたしは、しばらくして顔を上げた。

 小屋の外が何やら騒がしくなったからだ。

 神経を研ぎ澄ませて気配を探ると、誰かがこちらに近づいてきているのがわかる。


 ……いったい誰かしら?


 父ゲオルグも義母カサンドラも使用人たちも、もちろん異母妹のユリアも、この小屋には気味悪がって近づかない。


 わたしは怪訝に思って本を隠して立ち上がった。

 この小屋の中には邸から盗んできたあれこれがたくさんあるので、見られたくないからだ。

 最悪目くらましを小屋全体にかけるという手もあるが、小屋に近づいてきている人間が何者なのかも気になるので、わたしは小屋の扉を開けて外に出た。


 すると、少し離れたところに異母妹のユリアと、それから見慣れない少年が手をつないで歩いているのが見えた。少年は十三、四歳くらいの外見で、金色の髪に碧い瞳をしていた。目鼻立ちが整っていて、豪華な服を着ている。


「あ! あれです! あれが化け物ですよ、ジークレヒト様‼」


 あの少年はジークレヒトと言う名前らしい。

 ジークレヒトの隣で、ユリアが青い瞳を意地悪くすがめて声を上げた。それから「こわぁーい」と言ってジークレヒトに縋り付く。

九歳でも小柄な方のユリアと、年の割に背の高いジークレヒトではそれなりに身長差があり、何ともアンバランスな二人だった。


 ……ジークレヒトって、どこかで聞いたことがある名前ね。


 どこで聞いたのだったかしらと考えていると、ジークレヒトが碧い瞳に侮蔑の光を宿してこちらを睨んだ。


「魔族だ! 何故魔族がここにいる!」


 魔族、と呼ばれてぎくりとした。

 わたしの前世が魔族であると気づかれたのかと思ったからだ。

 けれども、どうやらジークレヒトは単純にわたしの髪と瞳の色を指してそう言っているらしかった。


「汚らわしい『黒』め!」

「ジークレヒト様ぁ、わたし、こわぁい。だってお姉様は本当に本当に化け物なんですもの。五年前、崖から足を滑らせて落ちたんですけど、大人でも死んでいるような高さで生きていたんですよ。きっと魔物だから死なないんですわ。こわーい!」


 ……いやいや、足を滑らせて落ちたんじゃなくて、あんたが突き落としたんでしょ。化け物なんだから空でも飛んでみなさいよとか意味わかんないことを言って!


 突き落とされたときにちらりと見えたユリアの顔が、愉快そうに笑っていたことも鮮明に覚えている。

 イラっとしたが、ここで下手に反応すればさらに「化け物」だとか「怖い」とか騒がれるのは目に見えていた。

 ぐっと我慢していると、ジークレヒトがますます険しい顔になる。

 その表情を見て、わたしはハッとした。


 ……こいつ、もしかしなくても千年前の勇者の末裔じゃないの⁉


 侮蔑をにじませた相手を見下すような顔が、千年前にわたしを嬲り殺した勇者にそっくりだ!

 腹の底で憎悪が渦巻いて、わたしは思わず拳を握った。

 魔力が勝手に暴走してジークレヒトを攻撃しようとするのを、どうにか抑え込む。

 千年前の勇者の末裔だったとしても、勇者とジークレヒトは別人だ。彼に報復するのは間違っていると、何度も何度も自分に言い聞かせた。


 だからだろう。

 自分の感情を抑えつけるのに必死だったわたしは、ジークレヒトが腰に佩いていた剣に手を伸ばしたのに気がつかなかった。


「私の婚約者になるユリアを怯えさせるなど言語道断だ。切り捨ててやる」


 ……婚約者ですって?


 わたしが顔を上げたとき、ジークレヒトはすでに剣を抜いて構えていた。


「ジークレヒト様はぁ、将来この国の国王陛下になる方なのよ。わたしは『聖女』だからジークレヒト様と結婚するのー」


 戸惑いながらユリアを見えれば、ユリアが「きゃはは」と笑いながら教えてくれる。「怖い」「怖い」と騒ぎながら、そんな風に楽しそうに笑えるユリアは頭がおかしいのかもしれない。怯えた演技をするのならば最後まで徹底すればいいのに。馬鹿なのか。


 ……だいたい「聖女」って、あんたが勝手に言ってるだけで、認定されていないじゃないの。たまたま初代聖女ヘレナと同じ髪の色だっただけでしょうに、何を言っているのかしら?


 だが、ユリアが馬鹿なのは今にはじまったことではない。いちいち気にするだけ無駄だった。そんなことよりも、ユリアが言った「将来この国の国王陛下になる」と言う言葉の方が気になる。


 ……聞いたことがある名前のはずよ。そうよ。ジークレヒトって言えば次期王太子候補の二人のうちの一人じゃない。


 わたしは小屋でひとりぼっちで生活しているが、世間の情報にはさほど疎くはない。

 何故なら姿を消して邸に忍び込んではものを盗んでいるので、その際に使用人たちの噂話などを耳にするからだ。


 この国――ドゥルンケル国の国王と王妃の間には、現在までに一人も子が生まれていない。

 結婚して十年以上が経つのにいまだに王妃が懐妊しないので、国王は今年の春、このまま王妃との間に子ができなければ、王太子を甥の二人のうちのどちらかにすると通達を出した。

 そしてその一人が、シュタウピッツ公爵家に嫁いだ王姉の長男ジークレヒト・シュタウピッツなのである。


 ちなみにもう一人は、王弟ケルヒェン公爵の息子ディートリヒ・ケルヒェンだ。

 ジークレヒトとディートリヒはともに十三歳で同じ年であるため、国王はこの二人の成長を見てどちらを王太子にするか決めると言ったのである。


 ……それはわかったけど、ジークレヒトはあくまで王太子候補の一人なだけで、国王になるのが決定しているわけではないのに、本当にユリアの頭の中はどうなっているのかしら?


 単なる王太子候補を将来の国王といい、自分が王妃だなんて、人前で口にしていい言葉ではない。

 ここが自分の邸の敷地内だから気が緩んでいるのかもしれないが、どこで誰が聞き耳を立てているのかわからないのだ。


「王太子候補であるジークレヒト様が、わたしに何の用事でしょうか?」


 おおかたユリアがわたしの話をして怖いもの見たさに来たと言うのが正解な気がするが、一応訪問を受けたからには用件を訊ねるべきだと思って言えば、ジークレヒトが眉を跳ね上げた。

 抜身の剣を握っているジークレヒトを前に、わたしがちっとも怯えていなかったから腹が立ったのかもしれない。

 言い方を間違えたなと思ったときには遅かった。


「化け物め! 魔族は滅びるべきだ! 勇者の末裔であるこの私が、今ここで貴様を成敗してくれる!」


 なんだろう、この正義のヒーロー気取りの頭のおかしい王太子候補は。


 ……十三歳の子供だったらこんなものかしら? でもねえ……。


 髪と瞳の色で魔族を決めつけて剣を向けるような男が王太子候補で、この国は大丈夫なのかしらねと、どこか他人事のように思ってしまう。

 おそらくそれは、剣を向けられたところで、わたしが本気になればこの二人をこの場で殺すことなど造作もないからだろう。それだけの実力差があるのだ。剣ごときでひるんだりしないのである。


 とはいえ、本当に殺したり、魔術で防御したりすると、さらに「化け物」だと騒がれる。

 ここは痛いのを我慢しておいて、二人が満足していなくなったあとで治癒するのが得策だろうか。


 ……痛いのやだなあ。


 わたしはちょっとげんなりした。

 そのとき、ひゅっと風を切る音がして、ガンッとわたしの頭に固いものがぶつかった。


「っ」


 痛みに顔をしかめて額を抑えると、押さえた手のひらに血がついた。

 見ればユリアが小石を握り締めてニヤニヤ笑っている。


「ジークレヒト様! わたしも加勢しますわ!」


 そう言いながら、ユリアが二つ目の石を投げてきた。

 石はわたしの腕をかすめて落ちる。

 うまく当たらなかったのが腹立たしかったのか、ユリアがすぐに三つ目の石を振りかぶった。

 今度は結構大きい。あれが当たるのはさすがにまずいと、咄嗟に防衛機能が働いて、投げられた石を目の前でつかみ取る。


「投げた石を素手でつかんだわ! やっぱり化け物なのよ‼」


 ……本当に、この異母妹は馬鹿ではなかろうか。


 九歳の子供が投げた石だ。わたしでなくても、ぶつかる前につかみ取ったり叩き落したりできる人間はいる。鍛錬している騎士ならばたいてい可能だろう。


 ああ、それにしてもずきずきする。

 わたしはつかんだ石をその辺に放り投げて、額を抑える。

 当たり所が悪かったのか、額の傷からはだらだらと血が流れていた。


 痛みと苛立ちで、腹の中が燃えるように熱かった。

 この熱をそのまま開放すれば、目の前の二人の命は一瞬で散るだろう。

 わたしの理性が残っているうちにできれば退散してほしかったが、馬鹿二人は、どうやら自分たちが優位に立っていると盛大な勘違いを起こしているらしかった。


「ジークレヒト様、今です! 痛がっているうちに、やっちゃってください!」


 ユリアが拳を振り上げてきゃーきゃーと囃し立てる。

 ジークレヒトがにやりと笑って、剣を構えたままこちらにゆっくりと近づいてきた。

 ほかの大人はどこで何をしているのだろうかとふと思えば、少し離れたところに父ゲオルグと義母カサンドラ、それから数名の使用人の姿が見える。つまりはこの状況を、笑って傍観しているというわけだ。


 わたしはきゅっと唇をかんだ。

 ああ、怒りがどんどん渦を巻く。

 このままだと本当にまずいかもしれない。


 ……落ち着け、落ち着けわたし。さすがにここで怒りを爆発させるのはまずいわ。


 深呼吸を繰り返し、何とかして怒りを散らそうとするも、目の前の二人は馬鹿なので今がどれだけ危険な状況かを理解していないようだった。

 ジークレヒトが剣の切っ先をまっすぐにこちらへ向け、そしてなぶるようにわたしの頬をわずかに傷つける。


「泣いて命乞いでもしてみろ。気が向けば殺さずにいてやる」


 ニヤニヤ笑いでジークレヒトがそんなことを言った。


「ジークレヒト様、お優しいわ! すてき!」


 ジークレヒトの背後で、ユリアが頓珍漢なことを言っている。


 ……ああもう、だんだんどうでもよくなってきたかも。この馬鹿二人が生きていたほうが、世の中的には迷惑な気がするし、消してもいいんじゃないかしら?


 そんな濁った感情があふれ出そうとした、そのときだった。


「何をしている‼」


 突然、わたしの耳に変声期前の少年の怒鳴り声が聞こえてきた。

 顔を上げると、一人の少年が血相を変えてこちらへ向かって走ってきている。

 灰色の髪に青い瞳の、ジークレヒトと同じくらいの年ごとの少年だった。

 彼は息を切らしながらこちらへ駆けてくると、ジークレヒトとわたしの間に身を滑り込ませた。


「ジークレヒト‼ そんなものを女の子に向けるなんてどういうつもりだ‼」


 すると、ジークレヒトは興が覚めたとばかりに嫌な顔をして、剣を鞘に納めた。


「ちょっと遊んでいただけだ。なあユリア?」

「え、ええ、そうですわディートリヒ様。本気になんてしないでください」


 ユリアが青い顔でこくこくと頷き、ディートリヒの険しい表情から逃れるようにジークレヒトの背後に隠れた。


 ……ディートリヒ。ディートリヒ・ケルヒェンかしら? もう一人の王太子候補の……。


 ジークレヒトに続き、なぜディートリヒがクラッセン伯爵家にいるのだろう。

 ジークレヒトはユリアが彼の婚約者になると言っていたが、もしかしてユリアは王太子候補たちの婚約者候補に上がっているのだろうか。


 ……ユリアのあの髪の色を神聖視しているのならばあり得ないこともない、か。


 初代聖女ヘレナは女神として祀られている。

 ヘレナの名前をそのまま冠した「ヘレナ教」はドゥルンケル国の国教で、そのヘレナと同じ髪色を持って生まれたユリアが特別視されているのは本当だ。

 現代に聖女がいないのであればせめて聖女と同じ色を持った女性を次期王の妃にと、ヘレナ教に染まっている重鎮たちが考えても何ら不思議ではなかった。


 ……でも、ユリアを王妃になんてしたら国が大変なことになりそうだけど。ま、わたしには関係のないことね。


 ディートリヒのおかげで爆発しそうだった怒りが霧散したから、それには感謝するけれど、妹をめぐっての面倒くさい争いには関与したくない。そう思っていると、ディートリヒが鋭くジークレヒトとユリアを睨みつけた。


「これが遊びか⁉ こんな……こんな大きなケガを負わせるのが、本当に遊びだと、そういうのか⁉ 伯爵も夫人も、ジークレヒトとユリアの言うことに間違いはないと⁉」


 すると、ゲオルグが真っ青になってうつむき、カサンドラが、おろおろしながら返した。


「も、もちろんですわ。ただの子供の喧嘩でお遊びです。我が家ではいつものことですの。お気になさらず……」

「これがいつものことだと⁉」


 カサンドラは言い訳したつもりだろうが、その発言はディートリヒの怒りにさらに火をつけたようだった。


「これがいつものことだと言うのならば、そなたらはそこの娘にいったいどういう教育をしているんだ! こんな性悪な娘は見たことがない‼」


 ディートリヒがユリアに人差し指を突きつけると、ジークレヒトの背中に隠れていたユリアは、顔を真っ赤に染めて泣き出した。


「ひ、ひどい! ひどいですわディートリヒ様! うわああああん‼ わたし、わたし、ディートリヒ様とは婚約したくありません! お父様お母様、わたし、ジークレヒト様と婚約します! 怖いディートリヒ様なんて絶対に嫌です‼」


 ユリアはここに来てもやはり頓珍漢だった。

 だが、ユリアが泣き出したおかげで、ユリアを連れてジークレヒトや父や義母たちが去ってくれたのには助かった。

 ユリアたちがいなくなると、ディートリヒがわたしを振り返り、一転して心配そうな顔になると、そっと額に手を伸ばして触れるか触れないかのところで止める。


「急いで手当をしよう。出血がすごい」

「額の傷は血が出やすいですから、気になさらないでください。そのうち止まります」

「そうはいかない!」


 王弟の息子ならばディートリヒも勇者の末裔だ。

 できれば関わり合いになりたくないと思ったのだが、彼はどうやらわたしが思った以上に正義感の強い性格をしていたらしい。


 部屋に行こうと言われたので、後ろの小屋がそれだと答えると、ディートリヒは眉をひそめてわたしを支えるようにして小屋の中まで連れて行ってくれた。

 そしてその中にまともに治療できる道具がないとわかると、「待っていてくれ」と言って小屋から飛び出して、しばらくして塗り薬や包帯などを持って戻ってくる。


 ディートリヒがいなければ魔術であっという間に治癒できたけれど、彼がそんなことを知るはずはない。

 わたしは仕方なく、額の傷の治療をディートリヒに任せることにした。


「君は、本当にいつもあんな仕打ちを受けているの?」


 わたしの額に包帯を巻きながらディートリヒが訊ねる。


「いつもというか、以前は、ですかね。ここで暮らすようになってからは、誰もここには近づきませんから、毎日穏やかに生活できています」

「毎日穏やか……ここで?」


 ディートリヒが信じられないと言わんばかりに目を見開いた。

 わたしはこのとき、「平気だから気にしないで」と伝えたつもりでいたのだけれど、ディートリヒは違った受け取り方をしたようだった。

 わたしはわたしの知らないところで、ディートリヒのよくわからない使命感に火をつけてしまったらしい。


 わたしの額の治療を終えて、満足して帰ったのだろうと思っていたディートリヒは、三日とあけずにここへやってくるようになってしまったのだった。






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