幻惑草の秘密 2
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夜――
……そろそろ、ディートリヒ様は眠ったころよね?
眠る前に焚いていた暖炉の炎は下火になり、炭化した薪が時折小さな音を立てている。
物音がしなくなったから一部の宿直の使用人を残して、ほとんどが眠りについたころだろう。
わたしはむくりと起き上がると、そーっとベッドから降りて窓に近づいた。
結露している窓を手のひらでぬぐうと、はらりはらりと粉雪が舞っているのが見える。
……うぅ、寒そう……。
わたしはクローゼットから一番分厚いコートを引っ張り出すと、夜着の上から羽織って、さらにマフラーをぐるぐる巻きにすると、魔術で己の姿を消した。
部屋を抜け出すと、そのまま玄関へ向かう。
姿は消していてもあまり大きな音を立てると誰かが気づくかもしれないので、慎重に行動しなければならない。まるで泥棒にでもなった気分で、わたしはちょっとおかしくなった。
そーっと玄関扉を開けて外に出る。
城の敷地は広く、ディートリヒの離宮と真反対の場所に立っているジークレヒトの離宮へは、歩いて十五分くらいはかかるだろうか。
地面に雪は積もっていなかったが、庭の落葉樹の枝先はうっすらと白くなっているので、このまま降り続ければ帰るころには多少なりとも積もっているかもしれない。
……うん、急ごう。
城や城の庭には夜警の兵士たちがいるが、こんな雪の日はそれほど熱心に外を見回ったりはしないだろう。もし見張りの兵士たちに足音を聞かれたとしても、姿を消しているので、夜行性の動物か風の音かだと思ってくれるに違いない。
わたしは離宮の庭を出たところで歩調を早めると、急いでジークレヒトの離宮へ向かう。
……もし、ジークレヒトの離宮に幻惑草が生えていたらどうしたらいいのかしら。
千年のうちに生態を変え、魔力のない場所でも幻惑草が育つことができるようになっていたなら、わたしはどう対応するのが正解だろう。
下手に騒ぎ立てるのは得策ではないが、知らん顔もできない。
幻惑草だけじゃない。フランツィスカに使われていた避妊薬にしてもそうだ。魔族が暮らしていた地以外で生息可能となった薬草たちが多数存在するのならば、わたしはどうしたらいいのだろう。
人間の住む地域にも、匂いを嗅いだり食したりすることで、何らかの特殊な作用をもたらす植物はある。
けれど、魔族が住んでいた地域で生息していたその手の植物は、魔力がない人間ほど強い効果を表すのだ。そして知名度が低いため、人々はその植物を警戒すらしないだろう。ただ生えているだけならばまだいいが、例えばジークレヒトが幻惑草を用いたように、何らかのきっかけでそれらの植物の効能を知った人間に悪用されでもしたら――
わたしはきゅっと唇をかむ。
幻惑草の存在がわたしを落ち着かない気分にさせる理由が、今なんとなくわかった。
わたしは嫌なのだ。
魔族が滅びて千年。
そんな魔族が残した遺産ともいえる植物が人間に悪用され、その結果、千年のときを超えて再び魔族が悪しざまに言われるのが、耐えがたいほどの苦痛なのだ。
魔族と人間は、変わらないのに。
ただ魔力を持って生まれてきただけなのに、そのせいで人間に悪と呼ばれて滅ぼされた。
お互いに手を取り合い共存する道を模索することができれば、千年前の悲劇は生まれなかっただろう。
魔族は滅びてしまったけれど、滅びてなお、人間たちにまるで悪魔のように思われ続けるのは、わたしには耐えられないのだ。
……幻惑草は……、人間界で育つことができるようになったわたしたちの国の植物は、わたしが消し去らないといけないわ。
それはまるで、千年のときを超えて生き続けてきた同胞を屠るようで心が引き裂かれそうだったが、わたしにはそうする以外の方法を思いつかない。
ジークレヒトの離宮に到着すると、わたしはすぐさま庭の散策を開始した。
幻惑草は寒さにも暑さにも強い植物だ。魔力さえあれば、それこそ水のない不毛の大地でも育つことができる。もちろん進化を遂げているのならば何かしらの変化はあるだろうが、少なくとも、ジークレヒトが青々とした幻惑草をバラとともに胸に挿していたように、今もなお青い葉を茂らせているのは間違いなかった。
ならばすぐに見つかるはずだ。
冬の庭は、大半の植物の葉が枯れ落ちている。
この中で艶やかな緑色をしているものを探すのはそれほど難しいことではないだろう。
わたしは魔術で視力を強化し、暗い中でもはっきりと色彩が見えるようにした。
……違う、違う、これも違う!
ほとんどの葉が枯れた庭に残る常緑性の植物を一つ一つ確認していくが、幻惑草は見つからない。
目につく限りすべての緑色の植物を確かめ終えたわたしは、思わず茫然としてしまった。
ジークレヒトが幻惑草を花束に混入したに胸元に飾ったりしているということは、彼が手に入れることができる環境にあると言うことだ。
それなのに、どうして見つからないのだろう。
……まさか、邸の中で育てているのかしら?
わたしは暗い影を落とす離宮を見上げてぐっと眉を寄せる。
姿を消しているのだ、離宮の中に入り込むことも容易だ。
けれど、ジークレヒトに対する嫌悪感からか、彼が生活している空間に入るのはあまり気が進まなかった。
……って、ここまで来たんだから調べる前に尻尾を巻いて逃げるようなことはできないわ。
わたしは覚悟を決めると、正面玄関を避けて使用人が使っている裏口へ回った。
万が一正面玄関を開けた先に宿直の兵士や使用人がいたら、姿を消していたとしても突然開いた扉に怪しまれるのは間違いない。それならば裏口の方がまだ安全だろう。
けれども、裏口を探そうと離宮の裏に回ろうとしたわたしは、突然聞こえてきた話し声にぎくりとした。
……こんな夜中に、いったい誰が?
最初は見張りの兵士たちかと思った。
しかし、見張りの兵士たちが、夜中に、しかも雪が降っている中、離宮の裏庭で立ち話をしていると言うのがどうにも解せない。
……だめだわ。ここからじゃあ何を話しているのか聞こえない。
わたしは慎重に歩みを進めて、話している人物に近づくことにした。
離宮の裏に回ると、裏口の近くで二人の男が話しているのが見えた。
一人はフードつきの外套を羽織っていて顔まではわからない。
そしてもう一人は――
……ジークレヒト⁉
暖かそうな毛皮のコートを着た金髪の男は、間違いない、ジークレヒトだ。
……こんな真夜中にジークレヒトが裏口で何をしているの?
これは怪しいなんてものじゃない。
ジークレヒトにいい印象のないわたしは、すぐに彼を疑ってかかろうとしてしまうが、どう考えても今回のこれは勘違いではないはずだ。
わたしはそーっと、二人の話がはっきりと聞こえるところまで近づいていく。
そして聞き耳を立てていると、どうやらジークレヒトが苛立っているらしいと言うのが、その声色からうかがえた。
「これより強い薬草はないのか? エレオノーラにはまったく効いていないぞ」
わたしの名前が聞こえて、ついびくりと肩を揺らしてしまう。
……落ち着いてわたし。わたしがここにいることは気づかれていないはずよ。
わたしはジークレヒトが握りしめている麻袋を見やってから、ハッとした。
くん、と確かめるように鼻を動かす。
……幻惑草‼ しかも、あんなにたくさん⁉
庭を探しても見つからないはずだ。ジークレヒトは幻惑草を外部から調達していたのである。
すると、あのフードの男が幻惑草をジークレヒトに売りつけているのだろうか?
ならばあの男を追えば、幻惑草が生えている場所、もしくは栽培している場所にたどり着く?
……問題はどうやってあの男を追うかよね。
わたしが男の追跡方法を考えている間にも、二人の会話は進んでいく。
「もしかしたら聖女の力が関係しているのかもしれません。もっと強い薬草に改良できればいいのですが、何分、コウモリの数が減っておりまして」
「ならばさっさと増やせばいいだろう」
「それが……長年繁殖を繰り返してきたせいか、血が濃くなったのかなかなか増えないのです。奇形も生まれやすくなっておりますし、血を薄める必要があります」
……コウモリ? え? コウモリの飼育でもしているの?
何故急にコウモリの話になったのかがわからない。
現代の幻惑草とコウモリに何か関係があるのだろうか?
「薄める、か……」
ジークレヒトが難しい顔で考え込んでいる。
よくわからないが、ペットのコウモリの血が濃くなったのならば、よそから別のコウモリを仕入れて番にすればいいのではなかろうか? コウモリの生態はよくわからないので、何とも言えないが、それで解決する問題のような気がするのに、何を難しく考えているのだろう。
誰でも思いつきそうなことなのに、ジークレヒトはしばらく眉を寄せて考え込んでいた。
そしてやおら顔を上げると、ニッと口端を持ち上げる。
「それならばちょうどいいのがある。あれなら手ごろだろう」
……もうっ、コウモリの繁殖の話なんてどうでもいいから、幻惑草の話をしてよ!
どこで育てているとか、何かしらの情報を口にしないものだろうかと、焦れたわたしは一歩前に踏み出した。そのとき、足元にあった小枝がパキッと音を立てて、ジークレヒトと男が勢いよくこちらを振り向いた。
「誰だ‼」
……まずい!
わたしは自分が姿を消していることを忘れて、反射的に駆けだした。
ジークレヒトが追いかけてくる足音がする。
しばらく縦横無尽に城の敷地内を駆け回ったわたしは、ふとそこで、自分が姿を消していることを思い出した。
……なんで逃げたのかしら、わたしってば。
わたしはその場にしゃがみこんだ。
外気はとても冷たいのに、走り回ったせいで体が熱い。
幻惑草とあのフードの男が気になったが、警戒して逃げた後だろうから、今更戻っても仕方がないだろう。
……はあ、仕方ない。今日のところはひとまず諦めよう。
ジークレヒトが外部から幻惑草を買い付けているのならば、あの男はどこかのタイミングで再び現れるはずだ。城の敷地内に生息している動物たちに特徴を伝えて、似た男がやって来た時には知らせてもらえるように頼んでいこう。
今日のところは、ジークレヒトが幻惑草を外部から買い付けているとわかっただけで良しとしよう。
……それにしても、これでますます王妃様の件にはジークレヒトが絡んでいる可能性が高くなったわね。
幻惑草を買い付けるツテがあるのならば、避妊薬に使われた薬草を仕入れることができるかもしれない。もしかしたらあの男から買い付けたのかもしれないし、そうでなくとも、ジークレヒトは魔族の地で生息していて現代に残る植物を仕入れるツテを持っている可能性が高い。
……急いてはことを仕損じるわ。ここは慎重に、確実な証拠を手にいれましょう。
わたしは乱れた息を整えると、念のため遠回りをしてディートリヒの離宮へ戻った。




