魔族ではなく元魔族ですが…… 1
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あれから五年。
わたし、エレオノーラ・クラッセンは十歳になっていた。
隙間風がびゅーびゅー吹き込んでくる狭い小屋の中で寝ぼけ眼をこすっていると、コツコツと小屋の扉が叩かれる音がしたので立ち上がる。
扉を小さく開ければ、隙間から二匹のリスが「チチチ」と鳴きながら入って来た。
「いらっしゃい」
『キッチンから人がいなくなったよ』
『忍び込むなら今のうち』
わたしの前でリスが二本足で立ちあがり、両手をぶんぶん振り回す。
彼らはクラッセン伯爵家のタウンハウスの庭に住み着いているリスたちだ。魔術を使えば、動物たちと会話することなど造作もないのである。
ちなみにわたしがいる小屋はタウンハウスの庭の端っこの、物置に使われていた小屋である。
五年前、崖から転落したのに生きていたわたしをみた義母カサンドラは「やっぱり化け物よ!」と騒ぎ立てた。
父ゲオルグも使用人も気味悪がり、わたしを突き落とした張本人の異母妹ユリアは「お母様化け物に仕返しされるわ‼」とわんわん泣き叫んだ。
そして気味悪がった父たちに、わたしはこの小屋に押し込められて、邸には絶対に近づくなと厳命されて放置されているのだ。
……五歳児を、世話係一つつけずにこんな小屋に放置したりしたら、わたしじゃなかったら死んでいたでしょうね。
ここドゥルンケル国には四季があり、真冬には軒下に氷柱ができるほど冷え込む。
そんな中、暖炉も毛布も何もないこの小屋の中で、ただの小さな子供が生きていけるはずがないのだ。
つまりはゲオルグたちはわたしがいつ死んでもいいと思ってここに閉じ込めたということになるが、幸いにして魔術が使えるわたしにとっては、ここでの生活は何の苦にもならなかった。
「ありがとう、ちょっと行ってくるわ」
わたしはリスたちに礼を言って、自分の姿を消す魔術を使った。
そして「ここから出るな」と言われている小屋から堂々と出ていくと、悠然と邸に近づき、キッチンへ向かう。
そしてそこからパンの残りを四つ、食糧庫にもぐりこんで両手に持てるだけの食糧を盗み出すと、それにも姿消しの魔術をかけて、平然と小屋まで戻ってくる。
二匹のリスにお礼として食糧庫から盗んできたクルミを上げて、わたしは魔術でパンを温めると、少し遅い朝食を摂った。
隙間風が入り込む小屋の中も、わたしの魔術で空気を温めてあるので寒くはない。
「お前たちはそろそろ冬眠する季節ね」
一心不乱に頬袋にクルミを詰め込んでいるリスたちに話しかけると、彼らは顔を上げてこくこくと頷いた。
まだ日中は温かいが、秋も深まり朝晩はだいぶ冷え込んできた。
リスのほかにも友達の動物はいるけれど、彼らには温かくなるまで会えないと思うと寂しい。
とはいえ、この二匹のリスはわたしが暮らしている小屋のすぐ近くのドングリの木に巣を作っているから見ようと思えば見える。
リスたちは頬袋がパンパンになるまでクルミを詰め込むと、二人そろって小屋の外へ出て行った。クルミを巣に運ぶのだ。
「さてと、わたしも食べ終わったら洗濯しなくちゃね」
わたしの世話をしに来る人はいない。
父や義母はもちろんのこと、使用人すらこの小屋に近づきたがらないからだ。
そのため、食べるものも着るものも持ってくる人がいないので、わたしはさっきのように姿を消しては邸から必要なものを盗んできて生活していた。
とはいえユリアが着ているような豪華な服を着ていたら、万が一誰かがここにやって来た時に怪しまれるので、服はメイドが着なくなった服を直したり、古くなって捨てられていたシーツやカーテンを縫い合わせて作っている。裁縫道具は結構前に盗んできた。
それらの自作の服だが、洗濯しようにも小屋の近くには井戸はないし、かといって邸の近くの井戸には不用意に近づけないので、汚れれば魔術で水を生み出て洗濯をし、外には干せないので同じく魔術で生み出した風を当てて乾かして使っていた。
わたしは朝食を終えた後で、いつものように魔術で洗濯をして乾かし、ふうと一息つく。
「今日はほかに何をしようかしら」
このように前世の恩恵で魔術が使えるわたしは、さほど苦労もなく毎日を過ごせているが、ほとんど一日を小屋の中で過ごすのは非常に退屈だった。
十歳の子供の一人暮らしなので、何かしなければならないことはほとんどない。
食事を摂って洗濯をして小屋の中の掃除を終えれば、あとは一日暇になるのだ。そして洗濯も掃除も魔術であっという間に終わるので、合計しても一時間もかからない作業だった。
「わたしも冬眠出来たらいいのになぁ」
巣に帰ったっきり戻って来なくなったリスの姿を探して、わたしは小屋の戸を少し開ける。
姿を消して散歩に出かけてもよかったが、庭の中を歩き回るのは少々飽きた。
邸の外に出てもよかったが、今日は気分ではない。
姿を消せばこんな家からすぐに逃げ出すことも可能だが、行く当ても思いつかないし、わたしのこの黒い髪と瞳はどこに逃げても目立つ。
今のところ、ここから逃げて安寧と暮らせる算段が経っていないので、もうしばらくはこの小屋で、ある意味自由な生活を満喫するつもりでいた。
「……今日は本でも読んで過ごそうかしら」
姿を消して何かを盗んでくるついでに、邸の書庫からめぼしい本を盗んでは持ち帰ってきている。クラッセン伯爵家の人間は書庫に滅多に近づかないくせに、何代も続く伯爵家だからか書庫の本は膨大だった。おかげで読むものには困らない。
わたしは昨日、本を返すついでに新しく盗んできた本を手に取った。
魔王の娘だったサンドリアの記憶があるわたしは、それなりに知識も教養もあったけれど、千年のうちに世界は大きく変化しているので、本を読んでその空白の間の知識を埋めるのはとても楽しい。
どうせ今日もいつも通り変化のない日常だろうから、一日本を読んですごそう。
わたしは魔術で水を生み、湯を沸かして、食事を盗むついでにちょろまかしてきた茶葉でお茶を入れると、藁を魔術で固めてシーツをかぶせた自作のベッドの上に腰を下ろして本を開いた。