ディートリヒのお父様は愉快な人です
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ヨゼフィーネが用意してくれた淑女教育の教師は穏やかな六十代の女性だった。
とても丁寧でわかりやすく説明してくれる教師で、その彼女から、一週間で「問題ないでしょう」と太鼓判を押されたわたしは、今日、お披露目パーティーに臨む。
本日はヨゼフィーネと彼女の夫である王弟ハルネス・ケルヒェン公爵も出席するそうだ。
わたしの実家であるクラッセン伯爵家からは一人も呼ばれていないという。クラッセン伯爵家がわたしを冷遇していたという噂は、ユリアの公開刑罰とともに瞬く間に広まったため、どうやらわたしとクラッセン伯爵家を関わらせないようにしようという思惑が働いているらしい。
……聖女って名前はすごいわね。
聖女は尊く、何よりも守るべき存在だとドゥルンケル国――いや、人間の社会では認識されている。
そんな聖女を傷つける輩は、たとえ聖女と血のつながった家族であろうとも排除するらしい。
……まあ、わたしとしてはありがたいところだけど。
できることならばクラッセン伯爵家とは関わりたくないので、この措置は非常に助かる。
「エレオノーラ、とっても綺麗だよ」
わたしはマダム・コレット作の緋色のドレスに身を包んでいた。
スカート部分にはたっぷり布が使われていて、まるで幾重にも花弁が重なるバラの花を思わせる。
色も色だがデザインも派手すぎやしないだろうかと思ったけれど、マダム・コレットに髪が黒いから赤がとてもよく映えると目を血走らせて力説されて、その勢いに押されて頷くよりほかはなかった。
ドレスが派手な色をしているので、アクセサリーは色を抑えましょうと、ヨゼフィーネがシルバーやダイヤモンドなどアクセサリーを貸してくれた。
長い黒髪は一つに結い上げて蔦模様の銀の髪飾りでまとめ、首元には大粒のダイヤモンドのネックレスが光っている。
耳元にも、小粒のダイヤモンドを縦に三つつなげたデザインのイヤリング。これは歩くたびにゆらゆらと揺れて、その都度キラキラと光を反射するので、小粒ではあるがとても派手だと思う。
「……派手すぎませんか?」
これは非常に目立つだろうなと、着替えた後ではあるが、わたしは玄関先でしり込みした。離宮を出れば着替えるチャンスがない。着替えるならば今のうちだ。……あまり時間は残されていないけど。
「そんなことないよ。とても似合っている。私が霞んで見えなくなりそうだ」
ディートリヒが冗談にしては真顔でそんなことを言った。
だが、それこそあり得ない。ディートリヒは光の加減によっては銀にも見える灰色の髪に、綺麗な青い瞳の美青年だ。身長も高く、堂々としていて、他者を圧倒するような気品がある。さすが王太子候補と言うべきか……と思いかけて、わたしはその考えを打ち消した。ジークレヒトも王太子候補だが、わたしはあっちには気品と言うものを感じたことがない。つまりこれは、ディートリヒだけの美点だ。
ディートリヒが着替えるのに反対なようなので、わたしはあきらめてこの格好のままパーティーへ向かうことにした。
離宮は城の敷地内にあるので、城まで歩いて行ける距離ではあるが、わたしが歩いていたらいろいろな人が寄ってきて大変なことになるらしい。そのため、わたしは離宮の前に用意された馬車に乗り込んだ。
聖女選定後、ディートリヒがわたしを隠すように離宮にかくまったため、わたしが「聖女」として人前に出るのはこれがはじめてのことになる。
さらに言えば、聖女に選ばれる前からわたしは閉じこもっていて、社交界にも一度も顔を出したことがないため、わたしの姿を見たことがない人は非常に多い。
そのため、今日はわたしの周りに貴族たちが大挙して訪れる可能性が非常に高いそうだ。わたしを守るためにも、ディートリヒや彼の両親の側から離れないようにと言われている。
……本当に、聖女って面倒くさいわね。
憎しみしか抱かない称号を与えられた挙句に、どこへ行くにも注目されるなんて、まったくもってありがたくない。
けれどもそのおかげでケルヒェン伯爵家から逃げられたのも確かである。わたしの心中は大変複雑だ。
馬車が城の前に到着すると、ディートリヒの手を借りて馬車を降りる。
その途端、近くにいた人が一斉にわたしに注目したのがわかった。
刺すような視線にぎくりと肩を強張らせると、ディートリヒがわたしを守るように腰に手を添える。
「あの……聖女様……」
勇気を振り絞るような震えた声で誰かが話しかけてきたが、ディートリヒは笑顔一つで相手を黙らせると、城の玄関前にいた騎士にさっと目配せをした。
騎士がわたしを守るように両脇を固めて、人々を遠ざけてくれる。
「さあ、行こう。大広間の前で父上と母上が待っている」
……えーっとつまり、大広間の前までこうして騎士に守られながら行くことになるのね。
何とも居心地が悪いが、人に囲まれるよりはまだましか。
前世が魔王の娘だったので、注目されることには慣れているけれど、この値踏みするような視線はいただけない。
淑女教育の教師から、困ったときは顔に笑みを張り付けておけと言われていたので、薄く微笑んではいるけれど、だんだん口元が引きつりそうになって来た。
淑女教育によると「笑顔」は社交の場において大変使える武器らしい。
浮かべた笑みの雰囲気で、相手に自身の意図を伝えることができるのだとか。
……そんな魔術もびっくりな処世術があったなんて知らなかったわ!
わたしにはいまだによくわからない部分がある「笑顔」であるが、先ほどのディートリヒの雰囲気から見ても、淑女教育の教師が言ったことは本当なのだろう。到底真似できそうにはないが、使いこなせれば便利なことは間違いなさそうだ。
パーティー会場である大広間の前では、ディートリヒの言った通り、ヨゼフィーネとハルネスが待っていた。
……ヨゼフィーネ様に似ていると思ったけど、こうしてみるとディートリヒ様はハルネス様似なのね。
ハルネスはディートリヒと同じ灰色の髪に青い瞳の美丈夫だった。
身長はディートリヒの方が若干高いが、ディートリヒがあと二十年ほど年を取ればこんな風になるのではないかというほど似ている。穏やかで優しそうな雰囲気だ。
わたしはハルネスとは初対面なので、ドレスの裾をつまんで丁寧に腰を折った。
「はじめまして、ケルヒェン公爵。お会いできて光栄です」
「はじめまして、エレオノーラ。だが、私のことはハルネスと呼んでくれ。ディートリヒもヨゼフィーネも名前呼びなのに、私だけケルヒェン公爵と呼ばれるのは仲間外れみたいで寂しいからね」
ハルネスはそう言って茶目っ気たっぷりに片目をつむって見せる。
ヨゼフィーネがハルネスの腕を叩いた。
……ハルネス様はお茶目な性格をしているみたいね。
ヨゼフィーネのあきれ顔を見るに、彼はこれが正常運転なのだろう。
わたしは笑って頷いた。
「ありがとうございます。ハルネス様」
「うん。ああ、もちろん、お義父と呼んでも構わないよ」
……あーうん。この二人はやっぱり夫婦だ。言うことが同じである。
「父上」
ディートリヒがたしなめるような声を出したが、ハルネスはどこ吹く風だ。
「お前が情けないから、この父が頑張っているんだが?」
「余計なお世話です!」
「いやいやすまないねエレオノーラ。ディートリヒは頭の出来はまあまあなんだが、いかんせん朴念仁でね。気の利くセリフ一つ言えないんだよ。ところでそのドレスはヨゼフィーネの言っていたマダム・コレットの新作かな。うん、とっても綺麗だ。そしてそれはきっと君にしか着こなせないだろうね。まるで薔薇の妖精か精霊みたいだよ」
ディートリヒとヨハネスは似ていると思ったが、性格はあまり似ていないのかもしれない。
天気の話でもするかのようにさらりと、しかも歯が浮くようなセリフで褒められて、わたしは目をぱちくりさせるしかなかった。
「ディートリヒは朴念仁かもしれませんが、あなたは少々口が軽すぎですよ」
ヨゼフィーネが瞑目して首を左右に振る。
「ごめんなさいね、エレオノーラ。この二人は放っておいて行きましょうか。今日はあなたのお披露目ですからね、席が用意されているのよ」
こっちよ、と言われて、大広間の正面の出入り口とは違う方へ案内される。
ディートリヒはハルネスを睨んでいたが、わたしがヨゼフィーネに連れて行かれそうになって慌てて追いかけてきた。
ハルネスも「でも、ヨゼフィーネはそんな私が好きだろう?」と軽口をたたきながらついてくる。
……うん、ハルネス様はとっても自由な人ね。
そしてこんな二人を両親に持ったディートリヒが、苦労しつつものびのび育ったのであろうことは想像に難くなかった。とっても素敵な両親だと思う。
……ちょっとだけ、ハルネス様は魔王だったお父様に似ているわ。
前世の父も、こんな風に茶目っ気溢れる性格をしていた。
なんだか懐かしくなって、少しだけしんみりしてくる。
ヨゼフィーネについて行くと、騎士が二人守っている別の扉を発見した。騎士の一人が扉を開けてくれる。
この扉は、大広間の数段高くなっている場所に続いているようだった。
「わたくしもハルネス様も、席が用意されているの。だから安心して頂戴」
ハルネスは王弟なので、彼らも王族の座る場所に席が用意されているのだろう。
……ん? ということは、ジークレヒトの席もあるのよね? いやだなあ……。
笑顔で誤魔化しているつもりだったが、気持ちが若干顔に現れてしまったようだ。
ディートリヒが「ジークレヒトの席とは離れたところに用意してもらったよ」とそっと耳打ちしてくれた。
王族の席に国王夫妻もジークレヒトの姿もなかったが、まだ開始時間には早いからだろう。
わたしたちの席は正面から見て左側のようだ。
ディートリヒと、ハルネスとヨゼフィーネに挟まれるように座る。
パーティーがはじまって、国王から紹介を受けた後は比較的好きにしていいらしいが、それまではこの席に座っていなければならないらしい。
「お飲み物はどうなさいますか?」
給仕を担当している使用人が、ドリンクを聞きに来た。
「エレオノーラ、どうする? お酒にする?」
わたしが首を横に振ると、ディートリヒが自分用にワインと、わたし用にアルコールの入っていないスパークリングジュースを頼んでくれた。
ハルネスとヨゼフィーネはスパークリングワインを頼んでいる。
お酒と一緒にフルーツの盛り合わせが運ばれてきて、わたしたちはそれをつまみながらパーティーがはじまるのを待つことにした。
そして――
席から見える会場に、人が大勢集まりはじめたところで、不意に鼻先をかすめた香りにわたしはハッと顔を上げる。
……浄化!
場の空気に浄化をかけたのは、ほとんど反射的だった。
そして、改めてその香りを漂わせている男へ視線を向ける。
口端をわずかに笑みの形に持ち上げて、こちらへゆったりと歩いてくるジークレヒトの胸元には、赤い薔薇とともに幻惑草が一本刺してあった。