厚顔無恥って言葉を知っていますか? 3
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……え、ものすごくものすごーく、会いたくないんですけど!
わたしは仏頂面でダイニングチェアに座ったまま、やって来た闖入者を追い返す方法はないものかと考えていた。
ジークレヒトは初対面のときから最悪で、ユリアと一緒にわたしを罵り傷つけたいやーなヤツである。
離宮に移ってからは、ジークレヒトが暮らしている離宮は真反対にあると聞いていたし、わたしとは無関係なやつなので、顔を合わせることはないと思っていた。
それなのに何故、ジークレヒトが訊ねてくるのだろう。
……もしかしてユリアのことで文句を言いに来たのかしら?
ユリアはジークレヒトの婚約者だ。
聖女選定の日、わたしを罵倒し突き飛ばした罪で鞭打ちの刑に遭ったと聞く。
ジークレヒトがその件で苦情を言いに来たと考えると筋道が立つし、もっと言えば仕返しに来た可能性だってある。
……でもあれって別にわたしは悪くないし。あっちが勝手にしたんだし。
そして、聖女に選ばれたあとも、わたしに対して「化け物」だとか「聖女に選ばれたのは間違い」だとか「本物の聖女はわたし」だとかわめいていたのも、すべてユリアの意思だ。わたしが罵ってくださいとお願いしたわけではない。
……聖女って人間の世界ではとても神聖視されているみたいだからさ、そんなことを言えば不敬罪になるって、ちょっと考えればわかるじゃない?
わたしが何もしなくても、ユリアは勝手に自爆して勝手に刑罰に遭ったのである。
わたしはユリアを罰してくださいなんて頼んでいない。ざまあみろとは思ったけど、決してわたしが命じたことではないのだから、わたしに仕返しに来るのは逆恨みもいいところだと思う。
「どうなさいますか?」
わたしに連絡を入れに来たメイドが困った顔をしている。
本音を言えば会いたくない。
追い返したい。
だが、相手は王太子候補だ。わたしが「追い返して」と言えばオイゲンやほかの使用人たちも頑張ってくれると思うけれど、その結果、オイゲンたちが王太子候補に不敬を働いたと言われて罰を受けることになるのは嫌だった。
……権力者って面倒くさい!
わたしも魔王の娘だったので、かつては「権力者」と言われる地位にいた。
でもわたしのお父様もお母様も理不尽なことを言う人ではなかったし、わたしも身勝手に権力を振りかざすことはするなと言われて育ったので、何かにつけて権力を振りかざして人を虐げようとするユリアもジークレヒトも、わたしは大嫌いだ。
大嫌いだけど……、ここはわたしが出て行かないといけないよね。
「仕方ないから、顔だけ出しておきます」
「かしこまりました。今、ディートリヒ様のもとに使いをやっていますので、急いで駆けつけてくださるとは思いますが……できればあまりお近づきになりませんよう」
オイゲンもメイドたちも、わたしがジークレヒトにどんな目に遭わされたのか知っているんだろうな。
たぶんディートリヒが警戒するように注意をしたんだろうし。
メイドの優しさにほっこりしつつ、わたしは大きく頷いて、彼女とともに玄関へ向かった。
そして、わたしは玄関前の光景に「は?」と目を丸くした。
……あれ? ジークレヒトへの拒絶反応のせいかな? なんか幻覚が見える気がするんだけど……。
金髪碧眼の美丈夫と、外見だけは申し分ない性悪ジークレヒトは、何故か玄関ホールに巨大なバラの花束を持って立っていた。
妙に様になるのがムカつくが、そんなことよりも、何故こいつが花束を抱えて立っているかと言うことだ。
そしてさらに気持ちの悪いことに、ジークレヒトはわたしの姿を見つけると、まるでユリアに向けていたような満面の笑顔を浮かべた。
……ひっ!
わたしは思わず二の腕をこすった。
あまりの不気味さに鳥肌が立っちゃったよ!
背筋がぞわわっとするし、やっぱり見なかったことにして回れ右して逃げたいんですけど!
とにかく近づきたくなくて、わたしは限界までジークレヒトから離れようとしたのだが、何を思ったのかバラの花束を抱えたジークレヒトの方がわたしに近寄って来た。
……オイゲン! オイゲンさん! 助けて‼
泣きそうな顔でオイゲンに視線を向けると、彼はハッとしたように慌ててわたしとジークレヒトの間に割って入ろうとする。
しかしどういうことだろう、ジークレヒトに近づいた瞬間、まるでめまいを覚えたかのようによろけてその場に膝をついてしまった。
わたしの隣にいるメイドも、ぽーっと酒に酔ったような顔をしている。
……どういう……ん?
くん、と鼻を動かしたわたしは、ぐっと眉を寄せた。
……この香りって、まさか……いやでも……あり得ないはずなんだけど……。
そう思ったけれど、オイゲンもメイドの様子もおかしいし、何なら玄関にいる使用人たち全員がぼーっとしている。
……考えるのは後ね。
わたしはこっそり魔術を使うと、玄関ホールの空気を浄化した。
ハッとしたようにオイゲンが顔を上げ、メイドたちの顔色も元に戻る。
ジークレヒトが不思議そうな顔をして、それから気を取り直したようにわたしに花束を押し付けてきた。
……やっぱり、この香り……。
ジークレヒトからの花束なんて受け取りたくないが、そうも言っていられないかもしれない。
わたしは花束を受け取ると、もう一度くんと鼻を動かす。
……薔薇に交じって、あの香りがする。
でもどうしてだろう。だってこの香りは――
理解が追いつかずに考え込んでいたせいで隙が生まれてしまったのだろう。ジークレヒトがわたしの手を取って、わたしはハッとした。
反射的に振り払おうとしたが、思いのほか強い力でつかまれているので振りほどけない。
「ジークレヒト様――」
オイゲンが割って入ろうとするが、ジークレヒトは冷ややかにオイゲンを睨みつけてその動きを封じると、にこりとわたしに向き直った。
……何を企んでるの?
わたしはぐっと眉を寄せる。
不快感を顔いっぱいに表現してみたのだが、ジークレヒトには通じなかったようだ。
「エレオノーラ。私と結婚してくれないか?」
「…………………………は?」
わたしがすぐに反応できなかったのは仕方がないことだろう。
だって、言っていることが意味不明だ。
こいつ、もしかして頭でも打ったんじゃないでしょうね?
もしくはとうとう馬鹿になったとか?
「放してくれませんか?」
こんな馬鹿には付き合っていられないと睨みつけるも、ジークレヒトは手を離してくれない。それどころかさらに力を入れてきたので、地味に痛い。
「君が不審がるのも当然だ。だが安心してほしい。私とユリアは婚約を解消したから」
いやいや、本当に本当にほんっとーに意味がわかりませんよ。
確かにわたしが不審がるのは当然ですよ?
でも、ユリアとジークレヒトが婚約を解消したことの、何に安心しろと?
ユリアとジークレヒトが婚約しようと婚約を解消しようと、わたしには何の関係もないのだけど?
「放してください」
わたしが繰り返すと、ジークレヒトが悲しそうな顔をする。
「怒っているんだね。これまで私が、ユリアの言うことを鵜呑みにして冷たい態度を取っていたから……」
冷たい態度なんて軽いものではないでしょうよ。それとも王族さんは剣を抜いて切りかかるのが「冷たい態度」なんて言葉で扱われるほど簡単な問題なんですかね。
……っていうか、早く放してくれないかな。わたし、急いでこの花束を分解して調べたいことがあるんですけど!
だんだんイライラしてくる。
ばれない程度なら魔術で攻撃してもいいだろうか。
例えばこいつを麻痺させるとか、気絶させるとか、全身吹き出物だらけにするとかさ!
イラついたわたしが本気で魔術を行使したくなっていると、遠くから「エレオノーラ‼」と叫ぶ声が聞こえてきた。
バタバタとこちらへ走ってくる足音がして、玄関から息を切らせたディートリヒが飛び込んでくる。
「ジークレヒト! 私の不在に何をしている⁉」
ジークレヒトは小さく舌打ちして、それから振り返った。
「何って、求婚だが?」
「自分が何を言っているかわかっているのか⁉ これまでお前がエレオノーラに何をしたのか、忘れたわけではないだろう⁉」
「過去のことはちょっとした行き違いだ」
「ふざけるな‼」
えーえー、まったくですよ。
あれをちょっとした行き違いなんて簡単な言葉で言い表されてもね。
ジークレヒトはわたしに向き直ると、残念そうな顔を浮かべる。
「エレオノーラ、邪魔が入ったから今日のところはこれで失礼するよ。またね」
いや、またとかないから。
もう二度とこないでほしいから。
わたしは精一杯睨みつけているのに、ジークレヒトはまったく堪えた様子はなく、ひらひらと手を振って去って行く。
あいつの手がようやく離れたのは嬉しいけれど、「また」と言われたら安心もできない。
……って、今はあいつよりもこっちだった!
わたしはバラの花束を抱えて急いでダイニングへ向かった。
「エレオノーラ?」
慌てたようにダイニングへ向かうわたしを、ディートリヒが驚いた様子で追いかけてくる。
「ディートリヒ様、助けてくれてありがとうございました。でももうちょっとだけ待っていてください」
わたしは急いでバラの花束を解くと、何十本あるのかわからない薔薇をかき分けた。
ディートリヒもオイゲンも、メイドたちも不思議そうな顔をしている。
「あった!」
ようやくバラの花の中から目当てのものを見つけると、ディートリヒがますます不思議そうな顔になった。
「なにそれ? 草?」
わたしが手で握りしめているのは、その辺に生えている雑草と思われても不思議でないただの草だった。
「この草、知っていますか?」
「ただの草じゃないの?」
「知らないならいいんです」
わたしはバラの花ごとその草を抱え持つと、今度は急いで二階の自分の部屋へ向かった。
ディートリヒが首を傾げながらついてくる。
わたしは自分の部屋の暖炉の中にバラの花ごとその草を突っ込んだ。
冬になって暖炉には常に火が焚かれていたので、花束は葉が先っぽからくるくると丸まりながら縮れて燃えていく。
「……何してるの?」
「ええっと……ジークレヒト様からのもらい物なんて、いらないので」
あの草が何か知らないのであれば、あえて言う必要はない。
わたしがそう答えると、ディートリヒは「なるほど」と頷いて、バラの花が燃えるのを黙って見つめた。
……あの草は、燃えてしまえば効果がなくなるからこれで大丈夫だろうけど、念のためあとで離宮の中の空気をもう一度浄化しておいたほうがいいわよね。
薔薇と一緒に草が灰になると、わたしはホッと息を吐く。
……でもどうして、幻惑草が紛れていたのかしら?
あの草は――本来、人間の住む場所には生えていないものだ。
魔族が住んでいた国には、そこにしか生えない固有の植物があった。
そこにしか生えないのは、それらの植物が魔力を吸って成長するからだ。
魔族の吐息、体液、排泄物……。それらにはすべて微量の魔力がこもっている。
だから魔族が住む場所の大地には魔力がこもっていて、それらの植物はその魔力を吸って成長していた。
けれど魔力を持っていない人間の住む場所の大地には魔力は籠っていない。
だから千年前に魔族が滅んだ際、これらの植物も同じように滅んだはずなのに。
……千年の間に魔力がこもっていない大地でも生きていけるように進化を遂げたのかしら?
わからないけれど、もしこの草が人間界にあるとすれば問題だ。
幻惑草は魔族にはそれほど効果はないけれど、人間はその香りの影響を受けるのだ。
少し嗅いだ程度では眩暈や酩酊感を伴う程度だが、大量に嗅ぐと、惚れ薬に似た効果があるのである。
……普通、バラの花束にあんなものを入れるはずがないわよね? ってことは、たまたま紛れ込んだのかしら……?
わからないけれど、ひとまず燃やしておいたので問題はない。
今日の午後、オイゲンが薬草の図鑑を借りてきてくれるというので、そこに載っているか銅貨を調べれば、進化を遂げて人間の世界に存在しているかどうかもわかるだろう。
「エレオノーラ?」
考え込むわたしの顔をディートリヒが心配そうにのぞき込む。
わたしはハッとして、誤魔化すように笑った。