SIDE ディートリヒ
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「君が好きなんだ。だから、守りたい。たとえ君がこの先私以外の誰かを選んだとしても、それまで私は、君を守る一番の盾でありたいんだ」
そう言ったディートリヒに、最後は微笑んで頷いてくれたエレオノーラを見つめて、彼は口元が緩むのを止められなかった。
今日からエレオノーラが一緒にいてくれる。
それがこの上なく嬉しかったのだ。
求婚は断られたけれど、エレオノーラならば断るかもしれないと心の中で思っていた。
もちろんショックだったけれど、今は彼女が近くにいてくれるだけで充分だ。
出会ったときから、エレオノーラは、ディートリヒにとって特別だった。
はじめてエレオノーラを見たのは、ディートリヒが十三歳の時。クラッセン伯爵家の庭の端だった。
外見の特徴からか次期聖女と噂されていたユリアは、早くからディートリヒとジークレヒト両名の――つまり、王太子候補の婚約者候補として名前が上がっていた。
とはいえ、ディートリヒとしては「聖女かもしれない」という理由だけで婚約を結ぶのはどうしても気が進まず、両親にも頼んでユリアの情報を集めさせた。
そうして集めたユリアの評判は、まあひどいものだった。
ユリアは幼いころから、自分が聖女であると信じていて、周囲に対してやたらと高慢な態度を取っていたらしい。
ユリアと関わった令嬢たちからは、彼女の悪口が出るわ出るわで、ディートリヒはあまりの多さにあきれ果ててしまったほどだ。
もちろん、本人を見る前から噂を鵜呑みにするのはよくないだろうが、火のない所に煙は立たぬという。これはもしかしなくとも、とんでもなく大変な相手が婚約者候補に上がったのではないかと、ディートリヒは頭が痛くなった。
そんな中、大臣を通して、ユリアと顔合わせをして来いという連絡が入った。
日取りは大臣側で調整済みだというし、婚約者候補に上がっているのは知っていたので、ディートリヒとしても断り切れず、直接会ってどのような女の子かを確かめてくるかとクラッセン伯爵家へ向かったのだ。
しかしそこで見たものは、ユリアと思しき女の子とジークレヒトが、十歳前後の女の子を傷つけている場面だった。
女の子は額から多くの血を流し、さらにはジークレヒトの剣で頬を傷つけられていた。
それを見た瞬間、ディートリヒの頭にカッと血が上った。
「何をしている⁉」
気づけば怒鳴って、女の子とジークレヒトの間に身を滑り込ませていた。
ジークレヒトたちを追い払った後でディートリヒが急いで手当てをしようと言ったときの、エレオノーラの返答は今でも覚えている。
「額の傷は血が出やすいですから、気になさらないでください。そのうち止まります」
冷静なその言葉に、ディートリヒは心の底から驚いた。
ディートリヒよりも三歳も年下の、十歳の女の子だ。
額を傷つけられ、頬を切られ、とても痛くて泣きたいはずなのに、彼女は神秘的な黒い瞳でまっすぐにディートリヒを見返して、はっきりと言ったのだ。
エレオノーラは血だらけだったのに、ディートリヒは、なんて強くて綺麗な女の子なのだろうかと思った。
その日から、エレオノーラはディートリヒにとって、唯一で特別になったのだ。
唯一で特別と言っても、最初はその感情が何なのかディートリヒにはわからなかった。
十三歳のころのディートリヒにとっては、一歳の差もとても大きく感じられる時期だった。
十歳の女の子はディートリヒにとって庇護の対象であっても恋愛対象ではない。
だから、この感情が何なのかはしばらく理解はできなくて、でもエレオノーラから目を離すことはできなくて、彼女が困惑しているのもわかっていながら必要以上に世話を焼いたと思う。
驚くべきことに、エレオノーラは五歳のときから、小屋に閉じ込められて誰からも世話をされていなかったらしい。
五歳児にそのような手ひどい虐待をすれば、命を落としていた可能性が極めて高い。
ディートリヒはクラッセン伯爵夫妻とその使用人たちに強い怒りを感じるとともに、エレオノーラがこうして生きていることが奇跡であると感じていた。
きっと、女神が彼女を守っているに違いない。
普通の十歳の女の子よりもはるかに大人びていて聡明な彼女は女神に愛されているのだと、ディートリヒはそう思った。
そんな綺麗で強いエレオノーラに頼られたくて、ディートリヒは彼女が喜びそうなことを片っ端からやった。
綺麗なドレスも、母親に事情を説明してたくさん用意してもらったし、美味しい食事も届けた。伸びっぱなしになっていた髪も、お抱えの理容師に頼んで可愛く整えてもらったし、狭そうだった小屋を、クラッセン伯爵夫妻を黙らせて――父親の名前を使って脅したともいう――改築し、ベッドや家具も運び込んだ。
でも、エレオノーラは確かに喜んではくれたけれど、ディートリヒを頼ろうとはしてくれない。
焦ったディートリヒは、エレオノーラに「守らせてほしい」と言ったが、それも上手くかわされてしまった。
どうすればエレオノーラが頼ってくれるだろう。
どうすればエレオノーラと一緒にいられるだろう。
エレオノーラが成長するとともに、その感情は恋心としてしっかりとディートリヒの胸に、脳に刻まれる。
エレオノーラが好きだ。
どうしても一緒にいたい。
どうすればエレオノーラは自分を好きになってくれるだろうか。
どうすれば一緒にいることができるだろうか。
そんなとき、大神殿の女神像が光った。
エレオノーラは昔、聖女に選ばれればディートリヒと一緒にいてくれると言った。
あれはディートリヒが「守りたい」と言ったことに対しての、やんわりとしたエレオノーラの断り文句だったに違いないけれど、約束は約束だ。
もし、今回の聖女選定でエレオノーラが聖女に選ばれれば、彼女はディートリヒと一緒にいてくれる。
――聖女、か。
ディートリヒには秘密があった。
聖女は女性たちの中から現れる特別な力を持った女性のことだが、なにも、その力は女性にだけ現れる力ではない。
ディートリヒには、昔から、人には秘密にしている力があった。
普段は使わないように胸の奥底に抑えつけている秘密の力。
卑怯かもしれない。
でも、エレオノーラをあの家から救い出すには、今日を逃せば二度と訪れないだろう。
そしてディートリヒは決行する。
エレオノーラが女神像に触れたその時に、エレオノーラを支えるふりをしてそっと自分の指先を女神像に触れさせた。
光った女神像を見て、やっぱりなと小さく笑う。
当代、聖女の力を宿したのは女性ではない。
――この、私なのだ。