隠れた逸材
「おやめください、殿下。わたしなど、ただの小悪党です。ちょっとした気まぐれでやっているにすぎません」
パトリスは、さらに慌てている。
人は見かけで判断してはいけないわよね。
小説の中でもさんざん出てくる教訓だわ。
「クースコスキ伯爵令嬢。じつは、はじめましてではないのですよ」
息子のエンリコが、やわらかい笑みとともに言った。
「父に頼まれて、図書館ですごすことがあります。あなたにいらない虫がついていないかを確認する為です。ほら、父の部下だと図書館にそぐわないでしょう?だから、わたしがというわけです。ところが、じつはわたしは大の本好きでして。最初に行ったとき、あの図書館に感動しました。だから、すぐに図書カードを作りました。以降、父から頼まれるたびにうれしくなります。依頼料は手に入るし、大好きな本は読めるし、ほんとうに最高ですよ。あそこで日中入り浸って読書三昧です。このしあわせは、本好きにしかわからないでしょうね」
うっとりとした表情のエンリコを見ていると、彼からしあわせを感じる。
たしかにそうよ。本に囲まれて時間を気にせず読書出来るなんて、しあわせ以外の何ものでもないわ。
「あら?長身でこれだけカッコいい青年だったら、覚えていてもよさそうなのに」
館長の言う通りである。
来館者に長身はたくさんいるし、美形だってたくさんいる。だけど、長身で美形というのはそこまで多くはない。
「ああ、それはこの通りです」
エンリコは、上着の胸ポケットから眼鏡を取りだしてかけた。
なんてこと。雰囲気が違って見える。
「このようにして、その都度恰好をかえるのです。つまり、変装ですね。覚えてもらっては困りますので」
「まぁっ!まるで小説に出てくる諜報員だわ」
思わず口から出てしまった。
「ええ、そんな感じです」
エンリコは、やわらかい笑みを浮かべつつうなずいた。
「なんだと?おまえ、親から金貨をむしり取ってろくに仕事をしていなかったのか?」
「おっと」
パトリスにどやされ、エンリコは舌をペロリと出した。
「ちゃんとしていたさ。クースコスキ伯爵令嬢に近づく人のチェックはしていたから」
「そんなの一人しかいなかっただろう?アリサにまとわりつく虫ってやつだ」
アマートがニヤニヤ笑いながらエンリコに尋ねると、エンリコは困ったような表情になった。
「アマート、ちょっと待て。それは、わたしだろう?わたししかいないじゃないか」
「アマートッ!殿下を虫呼ばわりするなんて、何をかんがえているのっ」
王太子殿下にかぶせ、プレスティ侯爵夫人が金切り声を上げた。
「王太子殿下。誠に失礼ながら、殿下が図書館にいらっしゃり、伯爵令嬢と言葉を交わしながら地下の書庫へ降りて行かれるのを見るたび、早く伯爵令嬢をしあわせにして下さったらいいのに、と願っておりました」
エンリコは、プレスティ侯爵夫人をなだめるかのように静かに言った。
「そ、そんなにわかりやすかったかな?」
「ええ、殿下。殿下の表情、それはもうしあわせそうでやさしくって……。ですが、ラムサ公爵子息のことも知っていましたから、殿下であろうとそこはなかなか思うようにはならないのかと推測していました。しかし、ラムサ公爵子息が自滅してくれてよかったです。殿下、クースコスキ伯爵令嬢。あらためて、おめでとうございます」
エンリコは、そう言ってから左手を胸元に置いて頭を下げた。
「ありがとう、エンリコ」
「ありがとうございます、エンリコさん」
王太子殿下とともにお礼を言った。
ティーカネン侯爵家での彼との出会いが、彼の人生の転機になるなんて、彼自身想像もつかなかったはず。
このしばらく後、彼は王宮に出仕することになるのである。
王太子殿下の三人目の側近として。
主に調査や工作を受けもつことになる。
エンリコにとっても、その父親のパトリスにとっても、この大抜擢は驚き以外の何物でもないでしょう。
もっとも、公にというわけではない。
パトリスのことがあるからである。金貸しを父に持つ者を側近にということになると、それはそれで王太子殿下をあげつらういいネタにされてしまう。
それでも、王太子殿下は決意した。
優秀な人材を側に置きたい。たとえそれがどんな出自や身分であれ関係ない。
王太子殿下は、そうかんがえている。




