王太子妃になる為に
王家に仕えるマナーの先生は、ベルタ・ゼルビーニという名の王宮の侍女長を務める女性である。
ゼルビーニ伯爵家は、ラハテラ王国の伯爵家筆頭の由緒正しき家門。
小説に出てくる教育係や作法の先生は、たいてい銀縁のメガネをかけている年配の女性である。そして、ものすごく厳しいか、もしくはヒロインを虐めるかのどちらかのパターンが多い。
だから相当な覚悟を必要としたし、構えていた。
先に王宮で侍女としての研修をはじめているカーラは、「お嬢様、それはちょっと違うかもしれません」と言っていた。
カーラに、「ちょっと違うかもしれません」というのがどう違うのかと尋ねてみた。すると彼女は、「会えばわかります」と言うだけで具体的なことは教えてはくれなかった。
仕方がないので、王太子殿下の乳母として王宮に務めていたプレスティ侯爵夫人に尋ねてみた。だけど、彼女がいた頃はその先代つまりベルタの母親が侍女長兼教育係を務めていて、そのときベルタはまだ少女だったらしい。
まさか王太子殿下に尋ねるわけにもいかない。彼はわたしが不安がっていることを知れば、心配してしまうに違いない。
結局、ベルタについて何もわからないまま、彼女に会った。
そして、たしかに彼女は「ちょっと違うかもしれません」だった。
彼女は、わたしよりも三歳年長である。ソフィアのような派手目の美しい容姿で、底抜けに明るい。なにより、何事にも寛大なのである。
いいえ……。
はっきり表現すると、おおざっぱすぎる。テキトーすぎると表現してもいいかもしれない。
「作法なんて、最低限身についていればいいの。王家って言っても、国王陛下のご弟妹くらいで人数はかぎられている。受け継がれている儀式で必要な作法さえ知っていれば、あとはどうとでもなるわ。だって、王家の人たちだって作法なんかテキトーにしか知らないし、守っていないんですもの。それよりも、あなたが王宮で楽しくすごすことの方が大切よ。とにかく、いつも楽しそうにしているの。笑顔でいればいい。笑顔でいることが、周囲に対しても自分自身に対しても一番効果的だから」
そう言って大笑いする彼女を見ながら、驚くというよりかは「こんな人もいるんだ」、と心の底から感心してしまった。
そして、彼女も本好きだということがわかった。その為、わたしの教育係や作法の先生像がすっかり塗り替えられてしまった。
いずれにせよ、王宮でなんとかやっていけそうかもしれない。
とにかく、王太子殿下に恥をかかせないようにしなければならない。そんな程度にはなれるかも、と前途に希望を持つことが出来た。
公式の婚儀の準備は着々と進んでいる。打ち合わせも頻繁にあり、王太子殿下とともに様々な人に会っている。もちろん、王家の方たちにも会わせてもらった。国王陛下のご弟妹とそのご家族で、どの方も国王陛下同様さっぱりとしていて気配りのある方々である。
王太子殿下は隣国二国との三か国会談を終えたばかりだというのに、また隣国二国を招いて違う協議をされるという。その協議が婚儀に近い為、ついでといってはなんだけど二国の外交官も婚儀に招くことになっている。
もちろん、わたしも挨拶をする。
つい最近まで王宮内の図書館で司書をしていたわたしが、他国の外交官のおもてなしをするなんて……。
まるで王子様が町や村の娘さんを見染め、結婚するみたいなストーリーそのままだわ。そんなストーリーは、たいていの女性にとっては憧れであり夢である筋書きである。それがまさか、自分が体験することになるなんて思ってもみなかった。
じつは、いまだに信じられないときがある。ほっぺたをつねったり、「これは夢じゃないわよね?」って何度も確認したりしている。
いつになったら自覚出来るのだろう。いつになったら実感出来るのだろう。
ハッと目が覚めたらクースコスキ家の屋敷で、叔母様と叔父様の怒鳴り声がきこえてきたり、お酒のにおいが漂ってきたりするかもしれない。
しあわせである反面、そういう不安もつきまとっている。
こんな不安感は、ぜったいに王太子殿下に知られてはならない。
彼を悲しませてはならない。
いつも自分にそう言いきかせている。
公式の婚儀も順調だけど、図書館での式の計画も順調に進んでいる、と思いたい。
うれしいことに、アマートとソフィア、ディーノとカーラ、王太子殿下とわたし、の三組で行うことになった。
アマートとソフィアは、プレスティ侯爵家とティーカネン侯爵家それぞれの親族だけを招き、プレスティ侯爵家の屋敷で婚儀を行うことになった。
盛大な婚儀を、という両家のご両親を説得し、妥協案として屋敷で親族だけを招くらしい。それに合わせ、ディーノとカーラも同じ日にということになった。
ディーノとカーラもまた、派手で大げさな式に興味はないからである。
だけど、アマートとディーノ、それからプレスティ侯爵やティーカネン侯爵は、ソフィアとカーラの花嫁姿をぜひ見てみたい。そういう願望が本人より強いらしい。
形だけでも、ということに落ち着いたわけである。
親族だけとはいえ、王太子殿下とわたしも招いてくれた。
当然、参加するにきまっているわよね。
もちろん、王太子殿下も参加するとはりきっている。




