我慢の限界
「後見人たちは、舞踏会に出ているだろうな」
賭場でパトリスとの話が長引いてしまった。
アリサの叔母と叔父は、賭場に来ていたほかの貴族の馬車にでも便乗し、すでに舞踏会にでているはずだ。
「ガブリエルは、もう婚約破棄することを発表したかな?」
尋ねているのではない。独り言のようなものである。
何か言い続けていないと、不安に押し潰されそうだ。
「そうですな。出席者は、そろそろ踊るのにも飽きたころでしょう。だとすれば、そろそろではないでしょうか」
ユベールの落ち着いた声が止んだとき、馬車が停止した。
転がるようにして馬車から飛び出し、プレスティ侯爵家の馭者に礼を言った。そのときには、すでに足が勝手に動いている。
駆けながら、ユベールに尋ねた。
「サラは来ていないのか?」
「叔母と出席しております」
「そうか。それはよかった」
駆けながら、はやる気持ちを紛らわせたかった。
そうでないと、焦燥感と不安とでどうにかなってしまいそうだ。
感覚的にはかなりはやく、そして長い間駆け続けた気がする。
ようやく大広間に到着した。
「今はうまく隠していますが、彼女の左半面は火傷の跡があって醜いのです。ほら、ご覧ください」
足を止めたと同時に、その言葉が耳に飛び込んできた。
ガブリエル・ラムサは、わたしの見ている前でアリサの前髪を乱暴につかみ、彼女の火傷を衆目にさらした。それだけではない。火傷の跡を隠す為に塗っている白粉を、手でこすって落とし始めた。
その暴挙を無言で見守っている周囲の男女から、うめき声や驚きの声が上がる。
「殿下」
すぐ後ろからささやかれた。同時に、肩に手が置かれた。
ユベールである。
そのとき、自分が拳を握りしめ、駆けだそうとしていたことに気がついた。
よく小説などで用いられる「怒りにわれを忘れる」という表現が、こういうことなのかと気づかされた。
「おまえたちもだ」
ユベールは、自分の双子の息子たちも止めた。
アマートとディーノも、わたしに従うつもりだったに違いない。
もう少しで、三人でガブリエルに駆け寄り、彼をぼこぼこにしてしまうところだった。
ユベールがいなかったら、と思うとヒヤッとしてしまう。
眼前の人だかりの向こう側で、ソフィアがガブリエルを責め、否定しまくり、アリサの火傷の跡がどうして出来たのかを語っている。
その話をあらためてきくと、またしても怒りにわれを忘れてしまいそうになる。
ソフィアは、この話だけはしてくれなかった。
アリサがどうして火傷を負うことになったのか。
この理由だけは、教えてくれなかったのである。
アリサに口止めされている。
彼女は、そう言った。
真実を告げてくれたのは、ガブリエルがアリサに婚約破棄を言い渡してからである。
かんがえてみれば、ソフィアがだまっていてくれてよかったのかもしれない。
知った時点で、ガブリエルをどうにかしたに違いないからだ。
いや……。
王太子の地位を利用して、葬っただろう。
奴は、クズだ。クズすぎる。人としても男としてもけっして許されるものではない。
そのクズ野郎が、いまはソフィアにたいして駄々っ子みたいにキレまくっている。
そしてついに、クズ野郎はさらなる暴挙におよんだ。
「この忌々しい火傷の跡が悪いのだ」
クズ野郎は、そう叫ぶなりアリサの髪をひっぱりはじめた。
そのときには、すでに足が動きはじめている。
アマートとディーノも同様である。
「ユベール、止めないでくれ」
群がる貴族たちを、アマートとディーノがかき分けて道を作ってくれる。
驚き顔でわたしを見る貴族たちを横目に、うしろをついて来ているユベールに命じた。
もうユベールの制止をきくつもりはない。
「ご随意に。わたしにも我慢の限界というものがございます。ここで殿下を引き止めれば、あとでサラにぶん殴られた上にいっさいの食事抜きを言い渡されます」
落ち着いた彼の声に、ほんのわずか理性が戻った気がする。
ついに人垣をこえ、アリサとクズ野郎のすぐ近くにまで達した。
「ガブリエル・ラムサ、アリサ・クースコスキ伯爵令嬢からはなれよっ!」
落ち着いた表情と声音を装い、クズ野郎にそう命じた。




