金貸しパトリスの過去
賭け事というのがこれほど儲かるものだとは思わなかった。いや、知ってはいる。知ってはいるが、これほどのものとは思いもしなかった。
結局、わたし自身は賭けなかった。ディーノを危険な目にあわせておいて自分が賭けるなど、かんがえられなかったからだ。
特別室に移動した。
後から特別室にやって来た金貸しのパトリスは、今夜稼いだ金貨をローテーブルの上に置いた。木箱に入っている金貨は、どれほどの枚数があるのか想像もつかない。
勝負に勝ったディーノへのファイトマネー。パトリス自身の賭けの取り分、その他もろもろの結果がこの大量の金貨である。
もちろんこれは、極端な稼ぎに違いない。いくらハイグレードな賭場であっても、普通の客がこれほど稼げるわけはない。賭ける金貨の枚数はしれているだろう。
それでも、さほど時間や労力を必要とせずに大金をせしめることが出来る。それにかわりはない。
賭け事に夢中になるのもムリはない。
が、それも節度や常識というものがある。
人に迷惑をかけたり、わが身を貶めたりなど、そこまですべきものではない。
ユベールとアマートとディーノも、大量の金貨を眼前にしてポーカーフェイスを保ってはいる。だが、これを目の当たりにして心穏やかではないはずだ。
「お納めください」
パトリスは、憮然とした表情のまま顎で木箱を示した。
「どういう意味かな?この大量の金貨で、何か見返りを求めようとでも?」
ユベールが代弁してくれた。
検察庁を束ねるユベールを味方につけておくことは、パトリスにとってけっして損にはならない。
味方につけることが成功すれば、今後彼自身何かと活動しやすくなるだろう。
「ふんっ」
パトリスは、鼻を鳴らした。
思わず感心してしまったほど、いまの鼻の鳴らし方はうまかった。
「プレスティ侯爵閣下、たとえばあなたを買収するとか?」
パトリスは、苦笑を浮かべた。
その姿は、バイオレンス系の小説に出てくる悪党の大ボスそのものだ。
「そんなこと、出来るわけがない。それは、あなた自身が一番よくわかっているでしょう?」
彼は、わたしの隣に座っているユベールに鋭い視線を向けた。
パトリスの言う通りである。
ユベール・プレスティ侯爵を買収することは、たとえ国王や神であっても不可能である。
もっとも銘酒やスイーツを贈ったり、貴重な犯罪録の文献を見せてやるという条件で、ささやかな嘘の片棒を担がせることは出来るが。
たとえば、今回のように。
「ああ、そうだな」
ユベールが即答した。すると、パトリスはまた鼻を鳴らした。
「こういう金は、手元にあってもロクなことはありません」
パトリスの視線がこちらに向けられた。
彼は、開け放たれた扉へ視線を走らせてから小声で続けた。
賭場で稼いだ金は、匿名で寄付や寄進をしているという。
その告白は衝撃的だった。思わず、ユベールと顔を見合わせてしまった。
うしろに立っているアマートとディーノも、おたがいに顔を見合わせている。
パトリスはさらに続ける。
彼は隣国の貧民街で生まれ、育ったらしい。そういう場所だから、生き残る為になんでもやった。だが、それにも限界がある。生き残る為に出来ることが何もなくなると、あとは他へ移るよりなくなった。そして、この国へやって来た。
食う物もなく、かといって土地勘がない為悪事すら出来ない。力尽きる一歩手前ですがったのが、ある教会の炊き出しだった。
そこで彼は、ある貴族夫妻に出会った。
その貴族夫妻と話をする機会があった。最初、彼はその貴族夫妻をだまして金をせしめるつもりだった。が、貴族夫妻はだまされているとわかっていながら、彼の話にのってくれて金を融通してくれた。
それだけではない。貴族夫妻は何の見返りも求めず、他の多くの困っている人々同様惜しみなく彼に援助してくれた。
彼はそのときになってはじめて、人のやさしさや高潔さに触れた。
彼は、腕っぷしは強いが知識に乏しい。あいにく、まっとうな事業をすることは出来なかった。が、そこそこに稼いで成功することが出来た。
そして彼はその貴族夫妻への恩返しも含め、稼ぎの二、三割は匿名で寄付や寄進をしているという。さらには、賭場で儲けるなど予期せぬ稼ぎがあった場合は、関係者への褒美をのぞいて全額寄付や寄進をするらしい。
この目の前にある金貨も、わたしたちがいなかったら寄付するつもりだったという。
彼の命を救い、生きる道筋を作り、成功をおさめさせ、その社会貢献でこの国の多くの人に恩恵を授けているきっかけをつくった貴族夫妻がだれであるか、彼の口からきくまでもない。
アリサの両親、つまりクースコスキ伯爵夫妻である。




