プレスティ侯爵夫人
「それが、お願いがありまして」
「やはりそうね、アマート。それで?お金なの?それとも、どこのご令嬢のお屋敷にお詫びにうかがえばいいのかしら?というよりかは、まずご令嬢にお詫びしないと」
アマートのお母様の困ったような言葉に、カーラと顔を見合わせてしまった。
そ、そんなに?アマートは三度の食事や睡眠と同じように、日常茶飯的にご令嬢を泣かしているの?
元婚約者のガブリエルのことが頭をよぎってしまった。
「母さん、やめてくれよ。もうそんな付き合い方はやめたんだ。おれは生まれかわった。これからは、一人の女性を心から愛し、守り、添い、しあわせにする。殿下のようにね」
「あなた、おききになりました?その宣言は、これでもう何十回目でしょう?それに『殿下のようにね』って殿下を引き合いにするなんて、不敬罪にあたるわ」
「不敬罪だなんて大げさな」
アマートと彼のお母様の会話で、ショックを受けてしまった。
ショックを受けてしまったことに、困惑もしてしまった。
『殿下のようにね』
殿下には心から愛し、守り、添い、しあわせにしたいと思っている女性がいる……。
なぜかショックを受けてしまった。同時に、胸がチリチリと痛んだ。
そんな反応をしてしまったことに、自分でも驚いたし困惑もしてしまう。
王太子殿下なら、そんな女性がいたっておかしくはない。むしろ、いない方がおかしい。
それがショックだなんて……。
それこそ、不敬罪に値するわ。
呆れると同時に、その女性はだれなのかしら、とかんがえてしまった。
その方を婚約者としてまだ迎えていないということは、もしかすると他国のご令嬢なのかもしれない。王太子殿下は、外交官である。当然のことながら、他国を訪問した際にその国のご令嬢と知り合う機会はたくさんあるでしょう。
このラハテラ王国の周辺の国々には、素敵な王女様や皇女様が大勢いる。
もしかすると、そういう王女様や皇女様をお迎えする準備をしているのかもしれない。
そう結論にいたったとき、またしても胸が痛くなった。
この痛みは、いったいなんなのかしら……?
「そうだ。母さ、いや、母上のペースに巻き込まれている場合じゃなかった。二人とも、入って入って」
「まあっ、連れ帰っているわけ?しかも、二人?」
「アマート、いくらなんでもひどすぎやしないか?わたしたちは、まだ心の準備ができてはおらんぞ」
「だから母上、父上、違いますって。さあ、入って」
「にぎやかな家族ですまない。どうぞ」
アマートとディーノに導かれ、重厚な樫の扉が大きく開かれ、屋敷内に足を踏み入れた。
「まあああああっ!図書館のアリサじゃない。驚きすぎて心臓が止まるところだったわ」
「ベ、ベルティエ夫人?」
金切り声で出迎えてくれたのは、図書館の常連の数少ない上流階級のご夫人だった。
あとで事情をきかされたのだけど、ベルティエという名はプレスティ侯爵夫人の旧姓なのだそう。
彼女は結婚するずっと前、実家の食堂を手伝いながら図書館で本を借りて勉強をしていたらしい。旧姓で図書館のカードを作っているし、作りかえると王太子殿下の乳母であることがバレてしまうかもしれない。そうなると、いろいろと面倒なことにる。
図書館長に相談し、カードは作りかえずにそのまま使用することになった。
しかも、図書館長はプレスティ侯爵の叔母であるということを、このときはじめて知った。
「アマートッ!あなた、なんてことをしでかしてくれたの?彼女みたいに清楚で真面目なお嬢さんをたぶらかすなんて。あぁ神様、愚息に罰をお与えください」
「ちがっ、違います。母さん、だから違いますって」
「ベルティエ夫人。いえ、プレスティ侯爵夫人、ほんとうに違うのです。アマートさんは、助けてくださったのです」
「アリサ、いいんだよ。兄さんの場合は、自業自得ってやつさ。遊んでばかりいるからね。勘違いや疑われて当然さ。だけど、アリサ。きみには『アマート・プレスティに遊ばれた』だなんてステータス、迷惑なだけだよね」
「おまっ、何を言っているんだ、ディーノ。アマート・プレスティに遊ばれたっていうステータスは、あった方が他の子息たちにたいして箔がつくだろうが。アマートに認められ、メロメロにさせたご令嬢ってわけだ」
「いいかげんになさいっ」
「痛っ!」
なんてこと……。
プレスティ侯爵夫人の拳固が、アマートの後頭部に炸裂してしまったのである。
アマートがわたしなんかを相手にするわけがないのに……。
わたしがついて来たばかりに、とんだ誤解を与えてしまったみたい。




