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シロクロ男  作者: とど
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4-3 推しを泣かせるものは万死


 しょり、しょり、と何かが削れるような小さな音が耳に付く。

 頭が痛い。ズキズキと脈打って嫌でも意識が覚醒していく。私がゆっくりと目を開けると、そこは見たことの無い場所だった。

 ぱっと見回した所、此処は質素な作りの廃屋のようだった。もともとログハウスか何かだったのか壁は木で作られており、所々壊れて穴が空いている。目の前では誰かが私に背を向けてしょりしょりと音を立てて何かの作業をしており、そして私自身はというと……いつの間にか体にぐるぐると縄を巻かれて柱に縛り付けられて座っていた。


「……ああ、起きたんだ」


 きつく縛られた縄をどうにかしようと動くと、その音に気付いたらしい背を向けて居た誰かが振り返った。振り返る前から誰かは分かっていた。何しろ、彼には色が見えなかったから。

 じわじわと此処に来る前に何があったのか思い出してきた。私はあの時なずなさんに嫌がらせをしていた犯人に殴られた。そしてそれは――。


「……犯人は、あなただったんですね」

「ちょっと待ってくれよ。もうすぐ研ぎ終わるから」


 私の言葉に返事を返さず、振り返った男――あの時話したADの彼はその手に鉈を持っていた。この男がさんざんなずなさんを嫌な目に合わせて、そして私が気絶している間にこの場所へと運んで拘束した。


 ……殴られて目が覚めたら急に知らない場所で拘束されていたなんて、あまりに現実味がなさ過ぎてなんだか一周回って冷静になって来た。そしてその妙に落ち着いてしまった頭で、今何をするべきかということを考える。

 とにかく今私がしなければならないことは、勿論生き残ることである。時間さえ稼げばきっと夕さんが警察を呼んでくれるなりなんとかしてくれる。カメラが付いたヘアピンは置いてきてしまったが、まあ多分どうにかなるだろう。


 あ、待てよ。そういえば夕さんって機械類ってどれくらい使えるんだろう? 普通にパソコンは使っているようだが、陽太君のように色々と特定ってできるのだろうか。

 ……まあ、そこは他力本願だが信じるしかない。夕さん頑張ってくれ。


「よーし、これでいいや。準備完了」

「どうしてなずなさんに嫌がらせをしたんですか」

「嫌がらせ? 何言ってるんだ? 僕はただ、なずなさんの周囲の邪魔な人間を消したかっただけなんだけどなあ」


 努めて冷静に尋ねると、彼は心底不思議そうな顔をして当然のようにそう言った。

 立ち上がった男が、鉈を持って一歩私に近づいた。


「それだけじゃないでしょう。楽屋だって荒らしたし、それに今日だってあのビン……何をするつもりだったんですか」

「はは、簡単なことだよ。ちょっと塩酸をプロデューサーや他のスタッフの飲み物に混ぜてやろうと思っただけさ。けど竜胆さん、あなたがわざわざ出向いてくれたから、ちょっと計画を変更しようと思って。……竜胆さん。ああ、なずなさんから名前を呼ばれるなんて随分親しい仲なんだなあ。流石代理とはいえマネージャーだ」

「それはどうも」

「じゃあそんなあなたのぶつ切りが届けられたら、なずなさん一体どんな顔をするんだろうなあ」


 その時、今まで何の色も見えなかった男に急に“あの色”が見えた。楽しげに楽しげに、その色を濃くする男は鉈を素振りしながらゆっくりとこちらへ近づいてくる。


「……どうして、そんなことを?」

「勿論決まってるじゃないか。なずなさんを愛しているからだよ。愛しているから他の人間が邪魔で、僕の手で色んな表情をしているのが見たくなる」

「……」

「……さて、話はこれくらいにしておこうか。解体は初めてだから時間がかかりそうだしね」


 私は男をじっと見つめる。全身を、穴が空くほど観察する。

 ……ああ、そういうことか。ようやく分かった。





「私、人の色が見えるんです」

「……は?」


 凶器を前にしても静かに喋り始めた私に、男は不可解だという顔をした。


「共感覚っていうんですけど……まあ簡単に言うとその人の性格とか感情が色や波になって見えるんです」

「いきなり何の話だ」

「だけど何故かあなたの色は見えなかった。今まで生きてきた中でそんな人はあなただけです。不思議ですよね。でも、その理由がようやく分かりましたよ」


 訝しげに眉を顰める男は、やはり透明だ。先ほどような喜びの色もまったく見えない。あの色以外は全く色がない。その理由は実に簡単なことだった。

 無いものは見えない、当然のことだ。


「あんた、本当に何もない空っぽな人間なんだ」

「!」

「人を傷つける時にしか喜びを見い出せない、そんなどうしようもなく虚ろな人間なんですね」

「……黙れよ」

「そんなに怒るってことは自覚がおありでしたか?」

「黙れって言ってんだよ!!」


 一瞬で豹変した男が力任せに私の頭上の柱に鉈を叩き込む。脅しのようにぎりぎりに突き刺さった鉈に、私は思わず口角が上がった。


「黙るのはそっちだこのサイコパス野郎!!」

「な!?」


 私はしゃがんだ状態から立ち上がる勢いを利用して思い切り男の顎にアッパーを食らわせた。思った以上に綺麗に入ってしまったそれは男の脳を揺らし、彼は顎を押さえてよろよろとふらつきながら後ずさった。


 立ち上がった私の足下に、千切れたロープが落ちる。


「ったく、もう。こんな事態も想定してるとかホントにどういうことなのあの人」


 ちらりと腕時計に視線を落として針を調整する突起を回す。すると時計の側面から小さなカッターの刃が出てきて、私は感心するよりも先に呆れてしまった。陽太君から説明を聞いていた時には使うはずも無いと思っていたのにまさか本当に活用できるとは。

 私は柱に突き刺さったままの鉈を引き抜くと、ガラスの割れた窓から外へと放り投げた。これで少なくともバラバラ死体になる可能性は減った。


「よく、も、やりやがったな」

「それはこっちの台詞だよ最低の同担拒否男が。なずな様の心を傷つけようとなんざ死んでも許さんわ!!」


 大人しく聞いてりゃ好き勝手言いやがって。こちとらとっくの昔にキレてるんだよ。こういうやつがいるからファンの民度がどうのとか言われるんだ。


「あんたはなずな様を愛してなんていない。あんたが好きなのは、自分の行いで他人が苦しんでいる姿を見て優越感を抱くことだ。その対象がたまたまなずな様だっただけ」

「黙れ……黙れ黙れ黙れ!」


 ようやく怒りの色が見えた男が殴りかかってくる。私はそれを先ほどの柱の裏に回って避け、そして急ぎ半開きになっている扉から外へと走り出した。


「待て!」


 背後から叩き付けられた声を勿論無視する。探偵業務の研修時に一応護身術も習ったのだが、付け焼き刃な上実戦で通用するのか分からない。下手に博打を打つよりも逃げる方を優先した。

 廃屋の外は一面の緑、どうやら山の中だったらしい。何処へ逃げていいのか分からないがとにかく足を止めず、草が生い茂った下り坂を勢いよく下りていく。


「っい、」


 しかし直後、後頭部に固いものが直撃してそのまま前に倒れ込んだ。頭を押さえて顔を上げると目の前に転がるのは私を転ばせたあの憎きビンで、しかも蓋が取れかかっていた。これ確か塩酸だったはず……もし中身をぶちまけられていたら本当に危なかった。


「やっと、追いついた」

「!」


 立ち上がった所で想像以上に近い距離で男の声が聞こえた。振り向きざまにお腹を殴られて蹲ると、男は両手で私の首を掴んでぎりぎりと締める。


「っ、ぁ」

「僕は、なずなさんを愛してる……こんなにも愛してるんだよ! 愛して愛して愛して――」

「あ、んたが……どれ、だけっ、言おうが!」


 私は思いっきり右腕を引くと、全力で男の鼻っ面に拳を叩き込んだ。鼻血を出しながら仰け反った男の手が緩み、私は必死に呼吸をしながら彼から距離を取った。


「あんたが、どれだけ口先で愛してるって言おうが……何の色も見えない。お前の心の中、何にもないよ」

「黙れええええ!」


 男が拳を握りしめて殴りかかってくる。しかし今度は私も逃げなかった。息も絶え絶えでもう足を動かす気力もなかったし、何より……男の背後から、こちらへ向かってくる人影を見つけたから。



「警察だ! 大人しくしろ!」


 腕で顔を覆ったがそのまま殴られて転がったところで、男は背後から現れた数人の警察官に飛びかかられて地面に倒れ込んだ。力尽くで抵抗しようとしているが向こうはプロだ。男の抵抗をものともせず押さえ込み、「傷害の現行犯で逮捕する!」と後ろ手に回した男の手首に手錠を掛けた。

 助かった。一気に体から力が抜けて、草の上にごろんと仰向けに転がった。

 まだ愛してる愛してると叫び続けている男を横目に見て、怒りと同時に虚しさを覚える。


「竜胆さん!」

「……あ、夕さん」


 ぼんやりと空を見上げていると、雲しか無かった視界に息を切らして珍しく焦った顔をした夕さんが飛び込んできた。

 あー、やっぱり間に合ってくれた。あのままだったら逃げ切るよりも先に殴り殺されていたところだろう。一気に安堵が押し寄せて涙腺が緩んで、私はちょっと泣きながら笑う。

 しかし、そうしたところで何故か夕さんの表情が歪むのが見えた。


「……遅くなってすみませんでした」

「何言ってるんですか。間に合ったじゃないですか」

「そんなぼろぼろになって何処が間に合ってるんですか」


 ちゃんと警察も連れてきてくれたし、なんで夕さんがそんな責任を感じているんだろうか。私がうかつに犯人に接触しようとしたのがまずかったのに。普段は自信満々で偉そうな人なのに変な感じだ。

 いつもの真っ黒が波に揺れ、余計に何か黒いものが混じったように見えた。


「そもそもあのADの男が全部悪いんですからね? 夕さんと陽太君のおかげで縄抜け出来たし、私もまあ夕さんならどうにかしてくれるかなーって人任せでしたし」

「……そうですね」

「全然心籠もってないな……どうしたんですか本当に」

「担架来ました! 被害者をすぐに運び出します!」


 訳も分からず首を傾げていると、救急隊員らしき人達が慌ただしくやってきてあっという間に担架に乗せられる。山の中である為近くまで車が来られなかったようで、揺れで若干酔いそうになった頃にようやく救急車の中へと運ばれた。

 夕さんも一緒に乗り込んで、処置をされる私をじっと見つめている。


「……酷い有様ですね」

「でも生きてますから、まあ大丈夫ですよ」

「加神さんは泣くでしょうが」

「ぐ……」


 一番痛い所を突かれて呻く。ああ私の馬鹿、なずな様は優しいんだから気にするに決まってるのに。あの男に啖呵切ったくせに私が一番なずな様の心を傷付けてるじゃん最悪……。


「夕さん。私、元気になったら絶対格闘技習いに行きます」

「是非そうして下さい。これからもいつ何があるか分かりませんから」


 決意を新たにしたところでなんだか妙に眠くなって来た。重い瞼を持ち上げているのも辛くて、私は「ちょっと寝ます」とむにゃむにゃ寝ぼけながら言ってすぐさま意識を失った。



「……陽太なら、もっと早く助けられた」


 だから、眠る直前に夕さんがそんなことを言った気がするが、それが本当だったかは分からない。




    ■ ■ ■  ■ ■ ■




「私の所為で巻き込んでこんなに酷い怪我をさせて……本当にごめんなさい!」


 翌日、案の定見舞いに来てくれた最推しを泣かせてしまった私は絶望した。おい私、なずな様にこんな顔させてるんだぞ、責任取って切腹しろ。


「瀬名ちゃん、そんなことしたらますます泣かせちゃうんじゃない?」

「生きます、死んでも生きます」

「死なないで下さい……本当に」

「あああああ本当にごめんなさいなずなさん! お願いですから……いや私がお願いなんてするのはおこがましいですが、どうか泣き止んで下さい!」

「あっはは、なずなさんの前だと瀬名ちゃんホント面白いね」


 思わず病院のベッドの上で土下座し掛けると、それを見た陽太君が爆笑する。面白いとかそういう問題じゃないんだよ。色んな意味で私の命が掛かっている。主に精神的に死にたくなるという意味で。


「あの……依頼料だけじゃ足りません。治療費は勿論、何かお礼を」

「とんでもない! 治療費は多分労災下りますし、私はなずなさんが無事だっただけで十分ですから!」

「でも」

「なずなさんなずなさん、ちょっと」


 頭の傷が開きそうになる勢いでぶんぶん首を振っていると、陽太君が何か思いついたように意味深に笑ってなずなさんに何かを耳打ちした。ちょっといくら陽太君でもなずなさんに近すぎるでしょ!


「え、でも、そんなことで」

「いいのいいの。瀬名ちゃんにとってはきっと何よりも今回のご褒美になるよ」

「ちょっと陽太君! それ以上なずなさんに近付くと未来さんに言いつけるよ!」

「ええっ!? 止めてよ! それだけは本当に!!」


 いつもへらへら笑っている陽太君がこんなに本気で焦っているの初めて見た。未来さん効果すごいな。


「あの、竜胆さん。これを……」

「え」 


 私が陽太君のレアな表情に気を取られていると、不意になずなさんが鞄の中から白い封筒を取り出してその中に入っていた一枚を私に差し出して来た。

 何だろうかと受け取ってその紙を見下ろした瞬間、私はぴしりと固まった。


「は……え……、」

「今度のライブ、関係者席なんですがよかったら来てもらえませんか? 打ち上げなんかも参加できますし、うちのマネージャーも是非なずなさんにお礼がしたいって言っていたので……」

「あ、マネージャーさん意識戻ったんだ。よかったねー」


 カタカタと手が震える。そこにあるのはなずなさんのライブの招待券。私には縁が無いと思っていたライブチケットだ。

 元々例のトラウマの所為で推しを生で見るのは絶対に止めようと一度も現場へ足を運んだことがない私だが、そんな決意は勿論なずな様の前では何の意味もなさない。


「瀬名ちゃんどう? 僕のアイディアよかったんじゃ……な、泣いてる」

「う……な、なずな様の……ライブ……っ、人生初の、ライブが、最推しの……」

「ガチ泣きじゃん……」


 陽太君がドン引いてるが構ってはいられない。私は招待券を握りしめて「絶対に行きます。何があっても行きます。死んでも行きます!」と叫び、案の定なずなさんに「死なないで下さい」と言われた。またやってしまった……。




 後日。私は人生初のライブに参戦し、なずな様の生歌と神ファンサに晒され、さらに打ち上げでなずな様に乾杯されて無事死んだ。オタクは軽率に死ぬというのに供給が多すぎる。


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