3 モノクロ恋愛模様
二度あることは三度ある……なんてことわざこの世から無くなってしまえ。
「うわー……やっぱり死んでる」
「陽太君、改めて言わなくていいから」
窓越しにまじまじと包丁が突き刺さった死体を眺めている陽太君から目を逸らして頭を抱える。もう金輪際死体なんて見るものかと思っていたのに、まさか三度目があるなんて思いたくもなかった。
今日の仕事はよくある浮気調査だったのだが、他にやることが無かったのか陽太君が着いてきた。それは別にいい。今日はあらかじめ調査の済んでいた浮気相手の家へ行く予定だったので、一瞬でも気を抜けない尾行とは違う。彼が居ても問題ないだろうと思ったのだ。
というのも、依頼人である奥さんが「一昨日から夫が帰って来ない」と憤りながら電話してきたのだ。しかも陽太君の(ちょっとあまり公にできない)調査によると浮気しているらしい夫の位置情報はとある一軒家からずっと動いていない。事前の調査の時点でほぼ浮気確定だったので、もういい加減こそこそと嗅ぎ回るよりも直接訪問することになったのである。ちなみに奥さんからは離婚届を渡すように言われている。
……が、しかし。そうしてのこのこと浮気相手の家にやってきた私たちを迎えたのはインターホンを押してもまったく開かない玄関扉と、そして僅かに開いていたカーテンの隙間から見えた男の死体だった。
ちらりと見た死体にはまだかすかに色が残っている。この色は……驚きと悲しみ、だろうか。
「あ、パトカー来たみたいだよ」
「やっとかー……」
むしむしと熱い屋外で待つ時間は実際よりも随分と長く感じた。お決まりのサイレンの音がどんどん近くなって来て、そして家の前で停まった。何台か来たらしくそこからわらわらと警察官が出て来て、庭に居た私たちに近づいて来る。
「警察です。通報者は貴方たちでしょうか」
「はい、そうです」
「ほらそこ、あの人死んでるみたいでー」
「……なるほど。詳しい話をお聞きしたいのでこちらへ」
全く緊張感のない空気で遺体を指さす陽太君を見て警察官の男性が眉を潜める。陽太君にとっては自然体なんだろうがちょっと止めてほしい。何か不審に思われて疑われたらどうするんだ。もう容疑者になるのはごめんだぞ。
私たちは家の外に出て待ち構えていた他の警官に発見時の状況や被害者との関係などを聞かれる。正直警察にいい思い出がないのでどうしても警戒して中々上手く話すことができないが、大体陽太君がぺらぺらとしゃべってくれたので助かった。
「ほう……探偵ですか」
「実はそうなんですよー」
へへ、と自慢げに胸を張る白い彼に警官が胡乱げな目を向ける。あんまりいい印象を抱かれてないなと思っていると、不意にそれまでにこにこと警官に向き合っていた陽太君の目が横に逸れた。
「あ!!」
馬鹿でかい声と共に彼の顔に今までに見たことの無いほどの笑顔が浮かぶ。突然の大声に私も警官も驚いて彼の視線を追うと、その先には警察車両から降りてきた一人の女性が居た。
「陽太君? どうし」
「未来ちゃん!!」
その瞬間、普段のんびりしている陽太君が驚くべき俊敏な動きでその場から消えた。そしてあっという間に女性警官の側に行くと、彼は両腕を広げて勢いよく彼女に抱きつこうとしたのだ。
「会いたかった!」
「仕事中」
しかしその前に未来と呼ばれた彼女はするりと腕を躱し、そして陽太君は勢いを殺さぬまま前屈みにたたらを踏んで思い切り道路に倒れ込んだ。
彼女はそんな倒れた彼に見向きもしないままこちらへやって来ると、私たちの相手をしていた警官に向けて軽く会釈する。
「お疲れ様です」
「笹島……お前あの男と知り合いか?」
「ええ、まあ……」
「未来ちゃんは僕の彼女だよ!!」
「……え?」
いつの間に復活したのか、陽太君がひょこっと彼女の後ろから現れる。そして爆弾発言を……え、彼女? 誰が誰の?
「え……え? この人、陽太君の、彼女……?」
「そう!!」
「うるさい」
耳元で大声を出された未来さんが思い切り顔をしかめる。そして肩を組もうとする陽太君を再び躱した彼女は「そういう訳ですので、私は今回現場に入らない方がいいかと」と男性警官に告げる。
多分事件の関係者が知り合いだと色々と問題があるのだろう。分かったと頷かれた彼女は再び会釈すると踵を返して来た道を戻ろうとする。
「待ってよ未来ちゃん!」
当たり前のように後を追いかける陽太君の背中を見て、私も釣られてその後を追う。特に呼び止められなかったのでとりあえず話はもういいのだろう。
今度こそしっかりと腕を捕まれた未来さんは足を止め、何か言いたげな色で陽太君を見上げている。
「離して、仕事中だって言ったでしょ」
「でももう未来ちゃんは帰るんでしょ? せっかく会えたんだしちょっとくらいいいじゃん。あ、瀬名ちゃん瀬名ちゃん、改めて紹介するね。この子は僕の彼女の笹島未来ちゃんだよ!」
「ど、どうも……ん? 笹島って」
「うん、雅人君の妹だよ。僕と同い年でずっと昔から仲良しなんだー」
笹島さんの妹か。陽太君と同い年ということは私より一つ年上だ。
改めて未来さんを失礼にならない程度に観察する。青い作業着に身を包んだ小柄な体型で、編まれた髪の毛が帽子にすっぽりと入っているのが見える。先ほどからの言動からちょっとクールで冷静な性格なのだろうか、ぼんやりと青みがかった色が取り巻いている。
「未来ちゃん、こっちは瀬名ちゃんだよ。前に話したけど兄さんが連れて来た子なんだ」
「竜胆瀬名です。少し前から探偵事務所で働いていて」
「あなたが。私は笹島未来です。見ての通り警察官で、鑑識の仕事をしています。兄さんから夕君がいい人連れてきたって聞いてますよ」
「いい人……?」
「はい、夕君のことよろしくお願いしますね」
なんか勘違いしてないかこの人。
しかし訂正しようとしたところで今まで鉄壁だった無表情が崩れてほんのり笑みを浮かべていることに気づいてなんとなくタイミングを失う。クールそうな人だと思ったが笑うととても可愛らしい人だ。
「あー! 瀬名ちゃんずるい! 未来ちゃん僕にも笑ってよ!」
「……それと、これが迷惑掛けると思いますがよろしくお願いします」
「はは……はい」
すぐさま笑みが消えて鬱陶しそうに陽太君を避ける姿を見れば、二人の関係性は手に取るように分かった。
■ ■ ■ ■ ■ ■
「……で、結局犯人は浮気相手の女性の旦那さんだったらしいです」
「なるほど」
翌日、私は事務所で昨日の事件について夕さんに話をしていた。結局あの後私達はあっさり容疑者から外れて事件は解決したという。
事件の概要はこうだ。私達が調査していた依頼人の夫は別の女性と浮気していた。しかしその女性も元々結婚していて、つまり不倫だったのだ。女性はそのことを隠しており、不倫相手の男を家に迎え入れていたところに出張中だった夫が偶然帰宅してしまったのだという。
不倫がばれると焦った女性は男のことを「突然家に入って来て襲われそうになった」と夫に話し、それに憤った夫が男を刺し殺した。そして殺してしまって流石にまずいと思った二人は慌てて海外に逃げようと荷物をまとめて空港へと向かったのだという。
「結局飛行機が飛ぶ前に警察が二人を確保できてよかったですね」
「まあろくに痕跡も消さずに慌てて出て行ったのなら当然ですが。日本の警察は優秀ですから」
「私はその警察に証言だけで犯人にされそうになったんですが」
「実際あのままでも証拠不十分で不起訴だったと思いますよ。まあその頃には完全にあなたがやったと誰もが思ったと思いますけどね」
「うわー……」
「どうぞ、大いに感謝して下さっていいんですよ」
「……アリガトウゴザイマス」
あからさまに感謝を強要されるとありがたみが失せる。片言で礼を言いながら仕事を続けていると、ふと昨日のこと思い出して顔を上げた。
「そういえば、昨日笹島さんの妹さんに会いましたよ」
「未来に? ああ、仕事でですか」
「……仲いいんですね」
「まあ長い付き合いですし、陽太の恋人ですからね」
「本当に恋人だったんだあの二人……」
気兼ねない仲だということは分かったが正直陽太君が勝手に彼女だって言い張っててもおかしくないななんて失礼なことを考えていた。
「あの二人も長いですよ。中学生の時から付き合ってますから」
「長っ!? 十年以上じゃないですか! じゃあなんでけ……」
結婚しないのか、なんて言いかけたところで咄嗟に言葉を止めた。いやだってあの二人が……というか未来さんが実際にどう思っているのか分からないが、陽太君は……。
「……」
「急に黙ってどうしたんですか」
「別に、何でもないです」
陽太君は、夕さんの人格の片割れ。長年一緒にいる未来さんが気づいていないはずがないだろう。そして夕さんは未来さんに恋愛感情を持っているように見えない。……あくまで彼女の話題を出した時に真っ黒の中にその色が混じることが無かったというだけの根拠だが。
多重人格の一つの人格とだけ恋人。その事実を未来さんはどんな風に考えているのだろう。そもそも夕さんと陽太君、元々の人格はどちらなのだろうか。中学生の時から付き合っているということはその時からすでに人格が分かれていた? それとも元々陽太君しかなかった人格に夕さんが後から生まれた?
……どちらにしても。
「夕さん」
「今度はなんですか?」
「夕さんって彼女いるんですか」
「ごふっ、」
優雅にコーヒーを飲んでいた夕さんが漫画みたいなタイミングでむせた。そんなに焦るような質問じゃないと思うんだけど、と思っていると、夕さんはデスクに零したコーヒーを拭きながら私を軽く睨んだ。
「いきなり何ですか」
「いや、陽太君に彼女がいるんなら夕さんはどうかと思っただけじゃないですか」
「……居ませんが」
何が悪いんだこの野郎とでも言いたげな圧のある声で言われた。夕さん彼女居ないのか。まあ確かにどう見ても真っ黒陰険男よりかは真っ白天然陽キャの方がモテるのは分かる気がする。
「あなた今途轍もなく失礼なことを考えていませんか」
「そんなまさかー。色も見えないのに適当なこと言わないで下さいよ」
「生憎顔に出てるんですよねえ……」
おっと危ない、いやもう手遅れだが。
誤魔化すように笑って手元の書類に視線を落とす。仕事をしていればそれ以上は何も言ってこないだろう。
……だけど、もし夕さんに彼女ができたらどうするんだろう。ある意味二股か? 未来さん的にはどうなんだろうか。私に「夕君をよろしくお願いします」と言っていたことに別に深い意味はなかったのか?
一日置きにしか現れない恋人。そしてお互いのことを別々の人間だと思い込んでいるらしい本人たち。……何にせよ、未来さんは色々と苦労してそうだ。
「……ところで」
「はい?」
「逆に聞きますが竜胆さん、あなた恋人は」
「居ませんよ何か文句でも?」
「なんでそんなに喧嘩腰なんですか」
「人の心が見えると、色々と不便なんですよねえ……」
恋人以前に人間不信を拗らせている為友人すら殆ど居ない。
「私だって……清廉潔白までいかなくても正直な、もう浮気しない人だったら誰でもいいから彼氏作りたい……」
「ハードル低すぎでは?」
呆れたような顔の夕さんに、私は思い切り手元にある浮気調査の資料を突きつけた。
「低くないから私たち食べていけるんですよ」
「確かに」