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シロクロ男  作者: とど
38/40

番外1 最高の敗北


「本当にありがとうございました! 先生にお願いして本当に良かったです!」

「お役に立ててなによりです」


 目の前で何度も何度も頭を下げる女性に顔を上げるように促すが、中々聞いてくれずに少し困った。


「はは、笹島君は優秀だったでしょう? まだ若いのにうちの事務所のエースなんですよ」

「はい! もう本当に助かりました。やっと離婚出来たし慰謝料もたっぷりもらったし……これでようやく再婚を考えられます!」


 心底嬉しそうな女性は自分――笹島雅人に弁護を依頼して来た人物だった。浮気を繰り返しても絶対に別れてくれなかった夫に困って弁護士を頼ってきた彼女を担当し、そして今日家庭裁判所で完全勝利をもぎ取って来たところである。

 隣に座る上司が誇らしげに俺の肩を叩いて来るのに苦笑する。確かに自分の手腕のおかげでもあるとは自負しているが、浮気の証拠をこれでもかと持ってきた探偵の力でもあるのだ。


「笹島君、今後も期待しているよ。ミスズの方も忙しいだろうが頑張りたまえ」

「ええ、ご期待に添えるように努力します」


 依頼人が帰ってようやく上司からも解放されると昼食に行こうかとデスクに戻る。今の案件が片付いたので少しは手が空いた。久しぶりにゆっくりと何処かで美味い物でも食いに行こうか。


 何を食べようかと考えていると、椅子に座ったところでデスクに付箋が貼り付けられているのに気付いた。どうやら席を外している間に電話があったらしい。そこに書かれている名前は自分もよく知っている人間のもので、ひとまず出掛ける前にスマホを手に取った。


『――思ったより早かったな』

「開口一番それか? で、何の用だ夕? 事務所の方に掛けてきたってことはプライベートな話じゃないだろ」


 早速耳に入ってきた尊大な言葉に呆れつつ、俺は肩でスマホを挟みながらスリープ状態になっていたパソコンを起動させる。相手――夕が法律事務所を介そうとするってことは十中八九仕事の話だろう。


『今手は空いてるか?』

「ああ。お前が持ってきた浮気の証拠のおかげで粘られずに済んだからな」

『なら一人弁護を担当してほしい人がいる』

「民事? 刑事?」

『大本の事件自体は殺人事件だが、担当して欲しい裁判は民事だ』

「分かった。いつ頃行けば良い」

『今すぐ』

「……横暴な。分かったよ、行けばいいんだろ。資料は揃えておけよ」

『ああ。よろしくな』


 ……まったく、あいつは昔からこういう所があるんだよな。

 青海夕は俺の幼馴染みの一人だ。昔から頭が良く要領がいいやつで、教師や大人からの覚えのいい男だった。今の職業である探偵業も順調に評判を上げており、あいつの仲介で弁護の仕事を受けることも多々ある。

 基本的には有能な男なのだが……まあちょっと問題を抱えている部分もある。主に心の関係で。




 早速荷物を持って青海探偵事務所へと車を走らせた。今度絶対あいつに何か奢らせてやると思いながら通い慣れた道を通って何事もなく事務所へ到着する。そうしていつも通りに事務所の中へ入ろうとしたのだが、何故か全く返事がない。


「夕? 居ないのか……?」


 いやそんな訳はないだろうと思いながら扉を開けると案の定鍵は掛かっておらず、しかし事務所の中はがらんとしていて夕どころか依頼人らしき人影もなかった。

 何かあったのだろうかと首を傾げていると、ふと事務所の奥の方から話し声が聞こえてくるのが分かった。それも……何か口論しているような男女の声だ。そしてそのうちの男の声が幼馴染みの声であることはすぐに分かった。


 依頼人と言い争っている? あの夕が?

 青海夕という男は“基本的に”冷静だ。特に相手が客とあれば、たとえ向こうがどんなに激昂しようが馬鹿にして来ようが声を荒げたりせずに宥めて対応するはずだ。そんなやつが口論――とは言っても別に大声で怒鳴り合っている訳ではないのだが――なんて珍しいと思いながら、俺は事務所の中に足を踏み入れて声のする方へと近付いた。

 どうやら茶請けを用意する為の簡易キッチンにいるらしい。


「――だから、分かんないんですって!」

「そう言われてもまともな紅茶くらい入れられるようになってもらわないと困るんですよ」

「いやだって今青海さんが入れた紅茶と私が入れたやつ飲み比べても違いが分からないレベルですよ? どーすりゃいいんですか! 大体、依頼人だってこんなの分かる人早々居ませんって!」

「早々居なくてもたまに居るから困るんですよ。いいですか竜胆さん、探偵業なんて信用商売です。ほんの少し紅茶が美味しくないだけで印象は大きく変わりますし、ちょっとの綻びで文句を付けて来る面倒臭い輩なんてうじゃうじゃいるんです。ですから少しでも付け入られる隙は減らさなければなりません」

「それは……言いたいことは分かりますけど、でも紅茶の味の違いなんて全然分かんないんですって」

「分からなくてもいいです。入れる手順、時間を秒単位で正確にやって下さればそれなりのものになりますから」

「秒単位!?」

「ああ……もう時間ないじゃないですか。いいですか、もう一度今教えた通りにやるんですよ」

「え? 私でいいんですか? だってこの前はお客さんに出す分は結局青海さんがやったじゃないですか」

「いいんですよあいつは、どうせ紅茶の違いなんてろくに分からないので。存分に練習台にしてやって下さい」

「おい」


 キッチンへ辿り着いたところで耳に入ってきた声に思わず突っ込んだ。すると話すのに夢中になっていた二人が驚いたように揃って肩を揺らし同時にこちらを振り返った。夕の眉間に皺が寄るのが見える。


「……勝手に入って来るな」

「いやお前が気付かなかったから仕方なく入ったんだろうが」

「にしても声くらい掛けろ。驚いただろうが」

「おかげで悪口本人に聞かれたって? ……で、そっちの子。もしかして此処で雇ったのか?」

「は、はい! 先日から此処で働かせてもらってます!」


 そう言ってこちらに頭を下げたのは、すらりとした綺麗な女性だった。見たことのない彼女と夕を思わず交互に見てしまう。そりゃあ此処は探偵事務所なんだから人を雇うことだってあるだろうが、夕がそれをしたことに正直驚いた。だってお前、いいのか? この人が毎日出勤して来たら……あれ、知られるんじゃないのか。

 俺が密かに動揺していると、顔を上げた女性が俺を見て何故か首を傾げた。


「彼女は竜胆瀨名さん、調査員兼事務員として雇いました。竜胆さん、こいつが先程話していた笹島雅人、弁護士です」

「初めまして、竜胆です。あの、私の弁護を担当してくれるんですよね? どうかよろしくお願いします!」

「私の?」

「今日頼もうと思ったのは彼女の弁護だ。元々竜胆さんはうちの依頼人だったんでね」

「依頼人というか、押し売りだったというか……」

「……とにかく、最初から順を追って説明してもらえるか?」


 突然投げ込まれた情報量が多すぎて訳が分からない。ひとまず話を打ち切って、俺はキッチンから出ていつものソファに座って一つため息を吐いた。いや、本当にあの子雇ったのか? ……陽太のこととか、大丈夫なのか。


 しばらく待っていると出てきたのはロールケーキと紅茶。まずは紅茶に手を伸ばし口に含むと普通に美味しかった。……うん、味の違いが分からないのは否定しない。たまに偉い弁護士の先生に会席料理をご馳走されることがあるが高い割にいまいち美味くないなと感じるのを思い出した。いいんだよ表面上は分かってる振りしておけば。正直その後に食べるラーメンの方が美味いけど。


「これが彼女の弁護に関する資料だ。更に必要なものがあれば言ってくれ」

「ああ。どれどれ……」


 そして肝心の弁護関係の資料をもらって読んだのだが……竜胆さん、思った以上に大変な事態に陥っていたらしい。同僚五人に殺人の罪を着せられそうになったとは……。


「冤罪が証明されて本当に良かったな」

「青海さんが一瞬で何とかしてくれたので……」

「一瞬ではないですが、まあ」

「……っていうかよく読むと、お前バーで竜胆さんと居合わせたのか」

「そうだが」


 夕は自分でわざわざ飲みに行く程酒好きじゃなかったはずだが……好みが変わったんだろうか。まあ一々突っ込むことでもないな。

 そういう関係で夕には彼女が犯人じゃないことは分かっていたらしい。だけどこいつが頼まれもしないのに自ら留置所に赴いて彼女に会ったことが少々引っかかった。しかもさっき押し売りされたとか言ってなかったか……?


「……」

「何か疑問が?」

「いや、なんでもない」


 俺が考え込んでいるのが分かったのか夕が声を掛けて来るが、結局何も聞かなかった。




       ■ ■ ■  ■ ■ ■




「ん?」

「あ」


 竜胆さんの弁護から時折訪れるようになったバーに入ると、見知った顔の先客が居た。


「よう……ホントに一人で飲みに来るんだな」

「何か悪いか」

「別に? ただ、酒嫌いだったお前がなあ、って思っただけだ」

「……」


 大人になったってことかと一人納得する。本当に昔から知っているからか、一つ違いでもこうした姿を見ると大きくなったななんて爺臭いことを考えてしまう。

 勝手に隣の椅子に腰掛けるとため息が聞こえて来たが無視だ。適当におすすめを頼んでいると、ふとグラスを置いた夕が不機嫌そうな声で話しかけてきた。


「おい、雅人……この前、此処で竜胆さんに会ったと聞いたが」

「ん? ああ。ちょっと一緒に飲んだが」

「お前もあの事件を知っているなら彼女に酒を飲ませるのは止めろ。また記憶が飛んで面倒な事態を引き起こしたらどうしてくれる」

「面倒な事態って……流石に竜胆さんだってもう自分の限界くらい分かっているだろ」

「お前と飲んだ翌日二日酔いになってた」

「いや二日酔いぐらいなる時はなるだろ。何が言いたいんだよ?」

「……竜胆さんには私が監督している時以外は外で飲むなと約束させた。だからお前も今後彼女と飲むな」

「……」


 大真面目にそう言って酒を呷った男を見て……俺は正直引いた。いやこいつ……こいつさあ。というか竜胆さんもよくそれ承諾したな。また上手いこと言いくるめたのか。

 どう言い返そうかと少しだけ考える。が、結局俺は一番ストレートな言葉を選んだ。


「夕、お前……竜胆さんのこと好きなのか」

「……」

「聞いてんのか」

「……そうかもしれないな」


 嘘吐け、何がかもしれないだ。絶対そうだろ。

 竜胆さんがあの事務所で働き始めてから、こいつは変わった。夕は基本的に冷静だが、その基本的じゃないところで酷く情緒不安定になることがある。俺がそれに気付いたのは三年前だが、きっとそれよりも前からこいつはずっと心に爆弾を抱えていたはずだ。

 “陽太”の時は驚くほど安定しているが、“夕”の時は突然頭を抱えて黙り込んだりどこか焦点の合っていない目でぼうっとしている時もある。……本人に自覚は無いようだが。


 それが、彼女が来てからだろうか。正確に言うと気付いた時にはいつの間にかそんな姿を見なくなった。それだけでは竜胆さんのおかげという確信は持てなかったが、初対面の時から遠慮のない会話がぽんぽんと飛び交い、今も事務所を訪れるとしょうもない話題で延々と会話が続いているのを見れば、夕にとって彼女が随分と気の置けない存在になっていることはすぐに分かった。だから未来にも思わず「夕にいい人が出来たみたいだ」なんて言ってしまったのだ。

 ……だがまあ、ここまで独占欲を見せるほど執着しているのは予想外だった。


 そういえば昔一度だけ、陽太が未来を好きらしい男子に牽制しているのを見たことがある。たまたま通り掛かった空き教室で、陽太が一人の男子に「ねえ、未来ちゃん僕のなんだけど。なんで必要も無いことで話しかけようとしてるの? ねえ聞いてる?」と繰り返し詰め寄っていたのだ。普段はへらへら笑っている顔は真顔だったし口調は感情のない淡々としたもので、いつもの陽太と掛け離れた姿に思わず怖すぎて逃げた記憶がある。あの時の少年、すまない。

 いや、そもそもあの時はまだ小学生だったから陽太と未来は付き合っていなかったはずだが……うん、思い出さない方がよかったなこれ。というか陽太のこと思い出した所為で夕の嫉妬が随分可愛らしいものに思えて来た。


 俺が一人色々と思い出したりため息を吐いたりしている間、夕も一人考え込むように黙り込んでいた。


「……だが、いいのか。とも思う」

「何が」

「彼女に好意を持っても」

「はあ? 何が悪いんだよ」

「まだ陽太も見つけられていないのにか?」

「……」

「未来の恋人を探し出せずにいるのに、私がこんなことに現を抜かしていてもいいのかと、少し思う」


 ぶつぶつと小声で呟いた夕が虚ろな目で俯き、額を肘をついた両手に預けた。……ため息を吐きたい。思いっきり、隣の馬鹿に見せつけるように吐きたい。

 この十年間、こいつは何を差し置いても陽太のことを最優先に生きてきた。自分のことは何一つ後回しにして、それを周囲の人間がどんな風に見ているのかも知らずに。


「良いに決まってるだろ。むしろ、未来はお前に恋人が出来たらきっと喜ぶ」

「……そうか?」

「ああ、絶対にな。滅茶苦茶喜ぶ。現にあいつ、俺が夕にいい人が出来たみたいだって言ったら嬉しそうだったぞ」

「余計なことを言うな……」


 だが、そのことを怒ってもこいつが変わらないのは分かっている。だから思いっきり肯定することにした。自分のことを考えても大丈夫だと、むしろ皆それを望んでいるんだとはっきり言ってやる。……本当に、竜胆さんに感謝しなくては。こうして夕がようやく自ら求める物の為に行動しようとし始めたのだから。

 ……実際、未来が喜ぶのは事実だ。竜胆さんが現れて、夕が安定し始めて……そうしてほんの少し、こいつが元に戻るのではないかと希望が見えた。正直、あの陽太といる時の未来は見ていられないのだ。突き放せない、けれど受け入れることなど到底できない。そんな状態でずるずると来て、今度は妹の心が壊れてしまわないか心配で仕方が無い。

 このまま上手いこと竜胆さんと付き合い始めて夕が落ち着いてくれたら未来が解放される。本人に直接言えないが、俺も未来もそれを願っていた。勿論、夕本人の幸せだって。


 陽太が見つかって欲しいのは当然だが、夕にも未来にも幸せになってほしい。あの二人はずっと頑張ってきた。進路もその後の人生も、全て陽太に費やしてきた。……俺とは違って。


 俺だけが違う。俺は元々弁護士になりたくて、陽太の為になった訳じゃない。それに警察でも探偵でもなく、あいつを見つけるのに役に立つ仕事でもない。唯一ミスズに顧問弁護士として入り込めたことだけは僥倖だったが、それだって現状何の好転にも繋がっていない。

 俺は違うんだ。陽太の兄弟でも恋人でもない。だからあいつらよりもよっぽど楽な立場に居て、高みの見物をしている。薄情だが、俺は陽太の為に人生を全て投げ出せる人間じゃない。二人と同じ場所にいるような顔をしておきながら、結局一人安全な場所にいる卑怯者で、裏切り者だ。

 きっと俺は、あの二人の苦悩を一生理解できない。


「未来が喜ぶってことは、陽太も喜ぶってことだ」

「……そう言われると、少し気が軽くなるな」


 少し明るい声になった夕を見ながら、俺は密かに罪悪感を抱き続けていた。




       ■ ■ ■  ■ ■ ■




 自分は陽太の為に人生を投げ出すことはできない。……そう思っていた。


「それでは、判決を言い渡します――」


 裁判官が告げた言葉に自分が弁護していた男は崩れ落ちるように膝を着いた。そしてそれを見た瞬間、心の底から歓喜が沸き上がって来るのを感じた。


 世間を騒がせた、大企業ミスズテクノロジー社長の裁判。その裁判が今終わった。結果は勿論――有罪の実刑判決だ。

 こんなに清々しい気持ちは久しぶりだ。俺は意気揚々と法廷を出て、そして控え室に戻った。


「笹島! どういうことだ!!」


 すると途端に被告人である三珠洲社長が掴みかかってきた。人を殺しそうな目で憎々しげにこちらを見る男に、俺は思わず笑い出しそうになるのを堪えて恭しく頭を下げる。


「申し訳ありません三珠洲社長。私も手を尽くしたのですがお力になれずに……」

「白々しい! わざと負けた癖に何を言うんだ! この裏切り者!」

「……裏切り者、ね」


 夕と未来以外に言われても何にも響かない。それどころかむしろ嬉しいぐらいだ。結局堪えきれずに笑ってしまうと、怒りで最早言葉も出ない様子の社長がわなわなと体を震わせた。


「ところで三珠洲社長、これは世間話なんですが……私、妹がいるんですよね」

「は?」


 しかし突然話題を変えると、三珠洲社長は虚を突かれたように一瞬間抜け面を晒した。


「三つ年下の可愛い妹でしてね、今は警察官をしているんですよ。で、その妹はこの十年間ずっと行方不明になった恋人を探していたんです。妹の名前は笹島未来、そして恋人の名前は――勿論、ご存じですよね?」

「! ま、さか、お前」

「あのまま何事もなかったらきっとあの二人は結婚していて、俺もあいつの兄貴になっていたはずだ。……うちの弟の命を弄んだ報い、きっちり受けてもらうぞ」


 言葉を失って力が抜けた手を振り払い、俺はさっさと控え室を出て行った。

 あー、滅茶苦茶気分が良い。弁護すべき被告人を裏切ったのだから事務所からの叱責は避けられないだろうし、辞めさせられるかもしれないが今はまったく気にならない。この手で陽太を殺した男に罰を与えることが出来たのだ。夕も未来も苦しめたあの男にこの手で止めを刺せた。これ以上に喜ばしいことがあるだろうか。


「笹島弁護士、今のお気持ちを一言どうぞ!」


 意気揚々と裁判所の通路を歩いていると、不意に背後から楽しげな声を掛けられた。その瞬間一瞬で気分が降下し、思わず舌を打ちそうになる。

 此処は関係者以外立ち入り禁止の区域だ。だというのに一体何処の記者が潜り込んだのか。


「こんなところまで勝手に入って来るような輩に言うことは――」

「勝手に? それは違うな。俺も被害者遺族の一人だからな」

「!」


 さっさと追い出そうと振り返って、そこで俺は言葉を止めた。よう、とひらりと片手を上げたのはカメラを持ってにやっと笑ってこちらを見る颯だった。


「颯さん」

「お疲れ。全く最高だったよ、法廷じゃなきゃ大笑いしてたところだった」

「それはどうも。……で、早速仕事ですか?」

「ああ。とは言ってももう終わってるがな」

「は?」

「これ見てみろよ、明日発売のやつ。あ、ちなみにwebでは有料会員用にさっきもう公開してる」


 颯さんが鞄の中から一冊の雑誌を取り出す。ぺらぺらと捲ってお目当てのページを見つけると「読んで見ろよ」とそれを俺に差し出してきた。

 何なんだと思いながら雑誌を受け取り視線を落とす。しかしその瞬間、飛び込んできた記事の内容を読んで俺は思わず眉を顰めた。


 『ミスズ有罪! 弁護士の裏切りとその苦悩』

 見出しを見てすぐに顔を上げた。さっきの法廷の記事がもう本になっている。もしかしなくてもこの人、開廷前にすでに記事を書き上げていたな。


「……俺にこれを読ませてどういうつもりですか? 世間からの批判を大人しく受け入れろと?」

「ちゃんと内容まで読んでみろって」

「はあ……」


 仕方が無く言われるままに本文に目を通す。しかしそこに書かれていたのは、自分が如何に楽しそうに手のひらを返して被告人を裏切ったかではなく、苦悩の末に裏切らざるを得なかったという俺自身も見覚えのない話が書かれていた。


 “……顧問弁護士は、自分が弁護する被告人が友人を殺害した犯人だと知った。しかしそれでも一審は弁護士として法廷に立ち、私情を殺して仕事に徹したのだ。だが無罪を主張しながらも彼には真実が見えていた。それを隠蔽し友人を殺した犯人を擁護し続けることに彼は酷く苦悩していた。開廷前に行ったインタビューでは弁護士は酷く悩んでいる様子であり、最終的に彼は弁護士生命を掛けてでも真実の追求と友人の仇を取ったのだ”


「……あの、これは一体」

「俺は依頼されればどんな記事でも書くジャーナリストなんでな。是非この裁判の記事を書いてくれって頼まれて快く受けたって訳」

「いやそういう話じゃなくて、なんですかこの内容。というかそもそもインタビューとか受けてないですし」

「固いこと言うなよ。記者なんて大体あることないこと書いてるだろ」

「それもどうかと思いますけど……」

「まあなんだ、そういうことにしておけば多少は世間の目も優しくなるだろ。俺の記事、結構影響力あるんだぞ? しかもまだ他の雑誌社が全く掴んでいない情報だからな、他の記者が調べ始める頃にはとっくにこの話が広がってるってもんだ」


 俺は最初から三珠洲を逃がさない為だけに法廷に立った。一審で大人しくしていたのは最後まで弁護士を変えられない為だし、私情を殺したどころか私情だらけだった。

 そんなことは勿論颯さんも分かっているんだろうが……というかこの記事、誰かに依頼されたって言ったか?


「……夕のやつ、余計なことを」

「まあありがたく受け入れとけって。これで事務所に残れるかもしれねえし、たとえ辞めさせられてもすぐに次が見つかるだろ」


 けらけら笑う颯さんは何も否定しなかった。やっぱりあいつの差し金かよ。仲が悪い癖に必要とあらばあっさり手を取るところは本当に綺麗に割り切っている。


「……お返しします」

「別にもらってもいいぞ」

「結構です」


 最後まで記事を読み切って颯さんに雑誌を返す。そうして俺は……彼に向かって深く頭を下げた。


「颯さん、ありがとうございました」

「ん? 別に礼はいいぞ。俺は仕事で」

「そうじゃなくて。未来のこと、一言も書かずにいてくれて」

「……」

「裏切った弁護士の妹で、被害者の恋人。格好のネタになるであろう妹のことを守ってくれたんですよね」


 本来なら絶対に未来のことまで使った方が話題になったはずだ。だけどこの人はそれをしなかった。

 俺がしばらく頭を下げた後顔を上げると、颯さんは俺をじっと見た後何処か小馬鹿にするように笑った。


「はっ、俺は薄汚いジャーナリストだからな。記事に嘘も平気で混ぜるし、自分にとって都合の悪いことは全部隠しちまうんだよ」

「自分にとって、ですか」

「まあでも、せっかくだからちゃんとジャーナリストらしく一つインタビューして帰るとするか。で? 残念ながら無罪を勝ち取れなかった笹島弁護士、今のお気持ちを一言頂けますか?」

「……ええ、勿論」


 心底嬉しそうに笑った颯さんにレコーダーを突きつけられ、俺も笑いながら頷いた。



「最っ高に嬉しい負けですよ」


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