epilogue 今日になる
「いやー、改めて言いますけど本当に今日の裁判すごかったですねー」
「瀨名さんそれもう五回目です」
「別に良いことは何度言ったっていいじゃないですかー」
某日夜、私と夕さんはいつものバーでお酒を飲み交わしていた。
いつもならば多少明日の仕事の為にセーブするのだが今日は特別だ。明日は休み――と言っても重要な予定は入っているが夜だし、何より今日の裁判を見て飲まずにいられるだろうか。
今日、三珠洲社長の裁判が行われた。あの時は自ら罪を告白したようなものだった三珠洲社長だが、裁判時はまた白々しく無罪を主張した。……本っ当にふてぶてしい人間だ。
しかしあの男の思い通りにはならなかった。それは勿論、三珠洲社長の弁護人のおかげである。
「俺は今回の件に一切関わる気はない。未来と俺との関係も極力伏せておいてくれ」
ミスズに乗り込む前、笹島さんとの打ち合わせで彼はこう言った。当初は笹島さんの紹介で社長に繋いでもらう予定だったのだが彼が拒否し、結局警察に頼ることになったのだ。
「どうしてですか? 笹島さんからの紹介の方が確実だと思いますけど」
「いいか、事件当時の状況を推理して証拠を集めて逮捕して……そこで終わりじゃないんだよ。取り調べをして起訴して、裁判で有罪判決を取って刑罰が決定される。そこまで行ってようやく罰を与えることができるんだ。今俺がお前らに関与していることがばれて顧問弁護士を解任される訳にはいかないんだよ」
「……雅人、お前それ」
「何も言うなよ? 俺は弁護士としての仕事を全うするだけだ」
そう言った彼は言った通りに三珠洲社長の弁護人として法廷に現れ――そして最後の最後で思いっきり被告人を裏切ったのだ。一審で弁護人らしく無罪や情状酌量を求めていたのとは打って変わって、あっさりと被告人の罪を認める言動をし始めた。三珠洲社長もそんな笹島さんの姿に驚愕し裏切られたことに気付いて喚いたが、法廷での笹島さんは強かった。結果的に誘拐と過失致死の罪で実刑を与えることができたのだった。のちに立川専務の裁判もあるようだが、彼は社長ほど苦労もしないだろう。
「でも、思いっきり負けましたけど笹島さん大丈夫ですかね」
「刑事事件で弁護士が負けるのは珍しくありませんよ。むしろ無罪を勝ち取る方がほぼ無いですから。ですが今回の場合はあいつが被告人を裏切ったのは誰の目にも明らかだ。少々物議を醸すでしょうね」
グラスを傾けながら裁判後に会った彼の姿を思い出す。彼はとてもすっきりした顔で「清々した」と言っていたが、やはり今後の弁護士生命に関わって来るのではないだろうか。特に今回の裁判は大企業の社長が被告人なだけあって世間の注目度は非常に高いのだから。
「弁護士、続けられるんでしょうか」
「少なくとも事務所からの非難は避けられないでしょう。多少は手を打ちましたが……まあ仕事が無くなってしまったら責任を取ってうちで雇いましょうか。法律に強いやつがいると色々と便利ですし」
「あ、いいですねそれ」
最近また忙しくなってきたし人が増えるのは大歓迎だ。まあ日を開けずに依頼を受けることもできるようになったので以前よりも仕事の効率も上がっているのだが。
ちなみに三珠洲社長を殴った未来さんだが、謹慎と罰金で済んだらしい。こっちは警察を辞めさせられずに済みそうで何よりである。
「マスター、同じものを」
「少々お待ち下さい」
夕さんが飲み干したグラスを置いてすぐに追加注文する。彼もいつもよりもちょっと浮かれているのか飲むペースが早かった。
「夕さんそんなに飲んで大丈夫ですか? 明日の予定覚えてます?」
「加神さんのライブでしょう、分かっていますよ。瀨名さんこそ人のこと言えませんが」
「私はなずな様の為なら意地でも復活するので大丈夫です!」
どん、と胸を叩く。とはいえそろそろ控えておいた方がいいだろう。せっかくのライブなのだから最高のコンディションで挑みたい。明日は夕さんが隣に居ようが騒ぎまくる予定なのでお酒で声が出にくくなったら困る。
「でも珍しいですね、夕さんが一緒にライブに行ってくれるなんて」
「一応加神さんの楽曲は一通り聞きました。まあライブに行くようなファンには到底及ばないとは思いますが」
「夕さんの一通りは絶対一般的な一通りじゃないんですよねー……。でもなんで一緒に来てくれるんですか? この前のコラボカフェみたいにどうしても連れが欲しかった訳ではないですけど」
「不満ですか」
「まさか。これを期にもっとなずな様に嵌まってもらえたら嬉しいので。でもなんでかなって」
明日のライブ、何故か夕さんが着いてくる。チケットが外れたと私が落ち込んでいると彼がさらりとチケットを二枚渡してきたのだ。私はファンクラブの先行を含めて全滅したのに夕さんと来たら一般の抽選であっさり当ててきたのである。物欲センサー優秀すぎる。
しかし何故夕さんは抽選に、しかも二枚も応募していたのか分からない。私がそう言うと、彼は指で眼鏡を押し上げて「いいですか瀨名さん」と改まった様子で椅子を回して私に向き直った。
「加神さんのファンの男女比、知っていますか?」
「は? 知らないですけど」
「七対三です」
「いやなんで私よりも詳しいんですか」
「そんな場所にただでさえ彼女のことになると浮かれて周りが見えなくなるあなたを一人で行かせると思いますか」
夕さんが私の方へ手を伸ばす。そして少し顔に掛かっていた髪を耳に掛け、ふっと優しく笑った。
「加神さんとチケットが外れた純粋なファンには申し訳ないですが、私の最優先はあなたなので」
「っ、……そういうこと、恥ずかしげもなく……!」
「私は自分の心に正直なだけです。何か問題でも?」
優しい笑みがどんどんこちらをからかうものへと変わっていく。あーもう! この人ホントにいっつも人のこと面白がって!
「ホントに性格悪いですね! この真っ黒くろす……じゃ、ない」
殆ど言い終える直前で言葉を切った。違う、そういえばもうこの人の色は……。
私は隣の男をじっと見つめる。以前と同じ、本当に人間かと思うほどのブラックホール。けれどそこに、他の色が混じっているのがはっきりと見て取れた。
「……このっ、シロクロ男!」
「改めて言い直さなくてもいいんですが……というか白、混ざってるんですか?」
「はい、ところどころ」
「そうですか……」
嬉しいのか苦しいのか、何とも複雑な表情を浮かべて、彼はちょうど運ばれてきたジントニックを煽った。私ですらこういう時の夕さんの感情は分からないし、多分本人も分かっていない。
「……瀨名さん、少し昔の話をしてもいいですか」
「勿論。どうぞ好きなだけ話して下さい」
「では遠慮無く。馬鹿な……本当に大馬鹿な天才の話ですが――」
■ ■ ■ ■ ■ ■
「はあー……陽太さんってやっぱ変な人ですねえ……。普段字が汚いくせに「み」と「ら」と「い」だけ異様に綺麗に書いてたとか……」
「正直当時の私は引きました。というか未来も引いてましたよ。思えば幼かったこともありますが未来に出会う前の陽太の姿が全く思い出せないんですよね……」
バーを出てタクシーの中でも陽太さんの話は続いていた。非常に奇天烈でトンチキなエピソードばかりが飛び出して来て、お酒が入っているのもあって楽しくなって来る。未来さんが女子校に行こうとしたら自分も女になると言い出したとか。そういう発想になる? 学校を変えてと言わない辺り未来さんの意見は尊重していたんだろうけど……。
「ほら、着きましたよ」
「はーい」
いつの間にか止まっていたタクシーから引っ張り出されて外に出る。夕さんがお金を払っているのを見て「給料から半分引いといて下さいねー」と言うとはいはいと適当な返事で流された。
足下が若干ふらふらする。いくら祝杯だったとはいえ飲み過ぎたか。同じくらい飲んでいた夕さんは顔も赤くなっていないし相変わらず強い。
のろのろ歩いていると大きなため息と共に体を支えられた。「まったくいつもいつも……」と小言が聞こえて来るが今日飲まずにいつ飲むっていうんだ。
エレベーターで三階へ上がり、こつこつと靴音を立てながら部屋の前まで来る。そこで一旦体を離されると、夕さんはすぐに鍵を開けて私に先に入るように促した。
「どうぞ」
「どうも」
靴を脱いで最早見慣れた部屋の中へ入る。適当に鞄を放って寝室に向かおうとしたところで「化粧落とし、歯磨き」と後ろから端的に呼び止められた。お母さんじゃん。……あー、すっごい面倒臭い。
どんどん瞼が落ちてくる。なんで家に着いた途端にこんなに眠くなるんだろう。ぼんやりとそう考えながら言われたことを何とかこなすとようやく眠る許可が出たので改めて寝室に向かってベッドにダイブした。
「明日出る時間はちゃんと分かっていますね?」
「はいはい……あ、先に家に寄りますから」
「分かってますよ。ペンライトとか取りに行くんでしょう」
そうそう。ライブに行く前に色々と支度をしなければならない。えーっと必要な物は……まあいいや、明日考えよう。眠い。
「……夕さーん」
「はい」
いつの間にか寝間着に着替えていた夕さんが隣に来るのを感じて、私は寝返りを打ってそちらを向いた。眠い。本っ当に眠いが……眠る前にこれだけは言っておかなければ。
「お休みなさい。また、明日」
限界ぎりぎりでそう言って目を閉じる。明日は待ちに待ったなずな様のライブだ。しかも夕さんも一緒に。きっと最高の一日になるだろう。
ーーーーー
「……明日、ね」
目の前で一瞬で眠り始めた彼女を見て、私は無意識のうちに壁に掛かっている時計を見上げる。――そして、思わず小さく笑ってしまった。
「もう、とっくに今日になっていますよ」
end
 




