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シロクロ男  作者: とど
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21-2 過去から未来に


「……青海、陽太」

「あれ、僕のこと知ってるの?」

「いえ。昔……そういう名前の神童が居たという噂を聞いたことがあっただけですよ。知らないうちに聞かなくなりましたが」


 白々しい、自分達の手で殺したくせに。

 白君に対して表向きは動揺せずに言葉を返した三珠洲社長は、無意識にか私が差し出した名刺を曲げるように握りしめた。


「ふーん? まあいいや。それで本題なんだけどさ」

「そのことですが、此処で立ち話をするのも何なので応接室の方に」

「駄目だよねーミスズさん、アンドロイドに問題があるとかそういう以前に、そもそも人のアイディア盗んだらいけないんだよ?」


 三珠洲社長が外に出るようにと促すが白君は全く話を聞かずにしゃべり続け、そしていきなり重大な話を唐突にぶっ込んできた。


「は……?」


 しかしそれに驚いた顔をしているのは専務だけだ。警察には今回の作戦について大体話をしているし、社長は全く顔に出ない。それに気付いた専務が訝しげにきょろきょろと周囲の人間を窺った。


「盗む、とは?」

「もー、しらばっくれちゃって。このアンドロイド、十年前に僕が考えてたやつでしょ?」

「人聞きの悪いことを言わないでもらいたい。たまにいるんですよ。あなたのように人の功績を自分の物だと声高に主張してこちらから金を巻き上げようとする連中がね。迷惑極まりない」

「……ここまで開き直れるといっそ清々しいですね」


 私がぽつりと呟いた声には反応せず、三珠洲社長は冷めた視線を白君に向けている。……大企業の社長らしく意外と精神力があるらしい。自分が殺した男を前にこうも冷静を保てるとは。白君を使って動揺させる作戦は今のところ社長には通用しないようだ。

 だがまあ、それでもいい。そんなことで失敗する程夕さんの作戦は甘くない。


「アイディアを盗んだと主張するのなら、それ相応の証拠があるんでしょうね」

「証拠というか、このアンドロイドがミスズテクノロジーが考えた技術じゃないってことは証明できるよ?」

「ほう? どうやって?」

「だって此処の人達ってアンドロイドの構造、全部理解しきれてないでしょ。だから不具合なんて起きるんだよ。不具合っていうか仕様だったけどね、どっちみち把握しきれてない」

「何?」

「元々僕が作ったアンドロイドに色々と手を加えても上手く稼働させたのはよくやったと思うけど……結局、一番重要な場所――アンドロイドの核となる部分はブラックボックスだった。きっと何処かいじろうとしたら動かなくなったんだろうね。だからこそ構造が分からずともそのまま使うしかなかった」

「先程から何を……」

「この前のショッピングモールの爆破事件、勿論覚えていらっしゃいますよね?」


 私が背後から口を挟むと、社長は眉を顰めながらも「当然です」と頷いた。


「私、あの事件に巻き込まれて大怪我したんです。それでこの前まで入院していました」

「それは……我が社がしたことではないとはいえ、巻き込んでしまって申し訳ない」

「そして、そちらに居る女性警官さんもです。彼女も私と同じようにショッピングモールに居合わせて怪我をしたんですよ」

「ええ。調書を見れば間違いないことが分かりますよ」


 私の言葉に合わせて未来さんが一歩前に出た。そして、白君の隣に並ぶ。

 この光景を、本当の陽太さんで見たかった。それを出来なくしたのは……こいつらだ。未来さんの剣呑な目を見てこの男は何も感じないのだろうか。既に、彼女の中身は憎悪の色で燃え上がっているというのに。


「……何が言いたいのですか」

「トリアージ、分かるよね? 災害現場なんかで怪我人の中から重傷の人を選んで優先的に救出すること」

「ええ勿論。何せ我が社のアンドロイドにもAIでその機能を内臓していて――」

「あの事件の時、その機能が上手く作動していなかったって言ったらどうする?」

「……」

「此処で作られたアンドロイドは災害現場なんかで使われるって前に会見でも言ってたよね? だからその機能はとっても重要なものになる。だけど実際、あのショッピングモールで稼働していたアンドロイドは見るからに重傷な瀨名ちゃんを置いて真っ先に未来ちゃん……それよりも軽傷のこの子の救出を最優先した。それってどうしてか分かる?」

「そ、そんなはずはありません! 我々は完璧にアンドロイドを設計して」

「うん、完璧だったよ。……だってこれは元々ちゃんと設定されていた“仕様”だからね」


 酷く狼狽した立川専務に白君が笑いかける。無邪気な微笑みだ。だけどそこに……何か影が過ぎった。


「普通だったら異常なんて起きないから気付かなかったんだろうね。だけどその仕様こそがこのアンドロイドの根幹だった。このアンドロイドが何故設計されたか知らなければ、分かるはずもない」

「え……」


 無邪気なそれが、徐々にとても見慣れた表情に表情に変わっていく。

 同時に、純白に泥水のような黒が混じったのが見えた。


「特別に教えてあげようか。このアンドロイドはね、社会に貢献してやろうとか特許を取って金儲けしてやろうとか、そんなことの為に生み出されたものじゃない。高校へ入学したばかりの青海陽太が、別の学校へ進学することになった恋人と離れることになるのを懸念して、彼女を……未来を守る為だけに設計したものだ。だから何があろうが、誰が今にも死にそうだろうがあのアンドロイドは未来を優先する。あれはそういう物で……あいつは、そういうやつだったんですよ」


 彼が胸ポケットに入れていた眼鏡を取り出して掛ける。そしてコーヒーとミルクが混ざるようにぐるぐると黒と白が回る。


「十年経とうが、自分が死のうが……陽太はそれでも今の未来を守った。本当にあいつは、未来の為なら手段を選ばない」


 顔を上げた“彼”は、よく見る悪い顔で薄らと微笑みを浮かべていた。




「よくも――私の弟を殺してくれましたね」

「夕……さん」


 白君が……夕さんになった。日付も変わっていないのに、彼が、黒が……元に戻った。

 彼のすぐ側に居た未来さんが大きく目を見開いて口を覆う。彼女にも確かに分かったのだろう。大事な幼馴染みが、自分を取り戻したことを。


「夕君……?」

「はい」

「夕君が……夕君が元に」

「気がつけばこうなっていました。……ですが今は、こちらの方が大事だ」

「な……なんなんだね君は!? 弟だとか何とか急に……」

「だから言ったでしょう。私は、あなた達に殺された青海陽太の兄です」

「こ、殺されたって」

「夕さん。混乱されているようですし、一から説明して差し上げては? 十年前に自分達がやったことを、はっきり思い出させてやりましょう」

「ええ、勿論です」


 示し合わせたように目が合った夕さんが私に向かって頷く。……本当に夕さんだ。嘘みたいだけど、本当に元に戻ったんだ。目の奥が熱くなって思わず目元を拭いながら、私は彼と共にずっと黙っている三珠洲社長を振り返った。

 ……覚悟しろ、今からあんた達の罪を全て暴く。


「……盗んだだの殺しただの散々な言い様だ。今までの言動全て、名誉毀損で訴えても構わないんですが」

「名誉毀損かどうか、ご自身が一番よく分かっていらっしゃるのでは? ……ああ、反論なんていりませんよ。これからあなた達が十年前に行った全てを順を追って説明します。まあ勿論知っている話だとは思いますがしばしお聞き下さい」

「……」

「まず、十年前です。当時この会社はまだ今のような大企業とはほど遠い零細企業で、そして経営の危機に瀕していました。そうですよね、立川専務?」

「え? ……は、はあ。確かにそういう時期もありましたが」

「そこであなた達は当時天才だと業界では密かに話題になっていた弟……青海陽太を誘拐し、その技術を全て奪おうとした。――頭の中を丸々コピーするようにね」

「とんだ言いがかりですね」

「別にしらばっくれていても構いませんが。まあ、そういう訳であなた達は高校の帰り道で陽太を攫い、あいつの記憶を全てデータとして記録媒体に移そうとした」


 前情報無しに聞けばきっとそんなことは出来るはずもないと思ったはずだ。けれどもミスズにはそれを行える可能性が少なからず存在している。


「三珠洲社長の十五年前の論文、読ませて頂きました。記憶を外部にデータ化して保存する技術……あなたはそれを使って陽太の記憶を取り出そうとした」

「あれは現実的には無理ですよ。実際当時の学会で酷評もされた」

「ですが、あなたは可能だと思って論文にしたんですよね? 今のミスズが商品化している脳波を読み取る装置もこの論文が元になったもの。ならば少なからず更なる研究をし改良も進めたはずです。そして完成したそれで、記憶を抜き出した」

「研究が進みそんな技術が開発されたのなら、そのまま世間に発表すればいいだけのこと。会社を立て直すならそうするべきなのに、どうしてわざわざ他人のアイディアを盗むという発想になるんですか」

「それは勿論、そちらの方が利益を得られるからですよ。誰も実際に記憶を取り出せるなんて思わないんですから、疑われることなく長期的に余所の人間の思考や技術を奪える。……まあそれと、もしかしたら使われた人間に悪影響でも残ってしまうから公表できなかったという線もありますね」

「……そこまで突飛な妄想ができるのはすごいですね。想像力が豊かで羨ましい」

「それはどうも。実際に先日発見された陽太の白骨遺体には両耳の上に電気によるらしい火傷の跡も見つかっています。あの論文に書かれていた通りのね」


 その瞬間、立川専務の色が大きく揺らぎ波を作った。そういえば遺体が見つかったという話は今が初か。しかしそれに対して三珠洲社長は殆ど分からないような僅かな波しかない。……まるで心を切り離しているようだ。私の目から見てもこれだ、普通の人だったらまずまるで動揺のない三珠洲社長を疑うことはしないだろう。


「そしてあなたは陽太の脳から全ての記憶を抜き出した。常に最適なプログラムを構築し続け、十年経った今でもこの会社を守るセキュリティシステム。本当の人間に限りなく近付いた思考を持ったアンドロイド。他にもミスズが世間に公表した殆どの技術はあいつの記憶データから作り出したものだ。……ですが誤算があった。記憶を全て完全にデータ化する前に、何らかのトラブルが起きて完全に記憶を掌握できなかったんです。結果的に陽太は感電死、そして残されたのは――これです」


 夕さんは私の側に近付くと、画面いっぱいに暗号が表示されたコンピュータを指で叩いた。


「大量の暗号と厳重にロックが掛けられたデータファイル。陽太の遺体は八十口村の住民に交渉して処理してもらい、そしてこのデータを閲覧する為に解読を始めた。まあ、十年経ってもまだ成果は出ていないようですけどね」

「……」

「話はこれで終わりですが、どうです?」

「どうとは? 何の根拠もない作り話を聞かされただけで感想も何もありませんよ」


 挑むように三珠洲社長を見る夕さんを社長も見返す。しかしそこには何の温度もなく、ただ不愉快だという表情が浮かぶだけだ。


「根拠がない? アンドロイドの構造を理解していなかった点についてはどうですか」

「指摘して頂いたトリアージが正常に機能していなかったという点については、残念ながら我が社の落ち度です。そこは正式に謝罪しましょう。どうやら不具合が発生していたようですから」

「……こちらは仕様だと言っているんですが」

「それは勝手に言っているだけでしょう? あちらの女性を優先して救出したからといって、他の人間で絶対にそれが起こらないという証拠にはならない。そんなものは国民全員に試してみければ分からないことだ」

「そんなの不可能に決まっている」

「勿論そうです。ですからそちらの言い分を通すなら……絶対に彼女にしか反応しない機能があるという、そんな証拠があるんですか?」

「……」


 確かにそうだ。そもそもこの世のたった一人だけを最優先するということよりも、ただの不具合の方が何倍も理解しやすい。実際客観的に見たら夕さんの主張は不具合を盾に言いがかりを付けているだけのように見えてしまうだろう。ちらりと警察の人達を見ると、未来さん以外の彼らは夕さんをやや懐疑的な目で見ていた。

 社長の言葉に、夕さんは苦々しい表情で「ありません」と小さな声で告げた。


「勿論そうですね。そもそも存在しないものだからあるはずがない。……まったく、警察まで巻き込んで何を言うのかと思えばこんな聞くに堪えない侮辱だったとは」

「侮辱などではありません、ただの事実だ。あなた達は弟の誘拐に確実に関与している」

「確実に、ね。この際だからはっきり言いますが私は青海陽太という男に直接会ったこともなければ名前を聞いたことがあるだけで全く関わりもない。当然我が社もです。うちの会社の技術は全て社員が開発したもので、その男とは何の関係もない」

「ですが――」

「往生際が悪いな……。立川君、すぐに笹島君に連絡を。この男達を訴える準備をしますので」

「は、はい!」


 突然話を振られた専務が酷く慌ててスーツのポケットからスマホを取り出す。そのまま画面を操作しようとしたところで――そのスマホを片手で覆うように他の手が握りしめた。


「……少し待って頂けますか?」


 夕さんが俯きながらスマホを握りしめ、静かな声でそう言った。しかし勿論、社長は忌々しげな顔をして「しつこい」と一言。


「何故あなたの言うことを聞く必要が? 立川君、さっさと」

「裁判を開くのは構いませんが、その時の被告人はあなたですよ三珠洲社長。誘拐と過失致死の罪でね」

「いい加減にしてもらえますか」

「『青海陽太とは会ったこともないしこの会社を含めて一切関係もない』……確かに聞きましたよ。では、それに反する証拠をここで提示させて頂きましょう」

「……何?」

「あるじゃないですか、此処にこの会社と陽太を繋ぐ大きな証拠がね。竜胆さんが頑張って引っ張り出して下さったのでしっかり活用させて頂きます」


 夕さんは再び目の前のコンピュータを示し、私に向き合って微笑んだ。


「あなたの演技、上出来でしたよ」

「当然です」


 私が夕さんから任された最重要の役目、それは陽太さんが最後に残したこのファイルをこの場に引きずり出すことだった。このファイルこそが、余裕振っている三珠洲社長を追い詰める唯一の証拠品となる。笹島さんの情報のおかげだ。


「今までの私の考えからすると、この中には陽太の記憶データが残っている。つまりこのファイルを開けばあなた方が陽太の記憶データを奪ったことが証明されるんですよ」

「何を言うかと思えば……そもそも暗号が分かったというのもフェイクなんでしょう」

「いえ? 私はこのパスワードの答えを知っています」

「また嘘を」

「大丈夫ですよ社長、この場で実際に開いて差し上げますから。……さて、最初に大前提の話なんですが、この大量の文字列はそもそも暗号ですらありませんよ」

「……は」


 その瞬間、初めて誰の目にも分かる程に社長が驚きを見せた。


「ですから暗号ではありません。ただの文字の羅列、それだけですよ。まあ暗号として解けそうで解けないという絶妙な配列が非常に腹立たしいですが」

「どういうことですか……」

「ところで竜胆さん。あなたがもし誰にも絶対に見せたくないデータを隠そうとする場合どうしますか?」

「セキュリティ強くしたり、絶対に分からないパスワードにしたり、ですね」

「そうです。陽太もこうして隠したいデータがあったからパスワードを設けた。記憶を抜き取られながらそんなことが出来る時点でやっぱりあいつはおかしいですが……まあそれはいいとして。そもそも変だと思いませんか? 誰にも知られたくない情報なのに、誰が解けるとも分からない暗号をパスワードに設定するなんて」

「あ……」


 専務が唖然としながら小さく声を上げる。私も最初に聞かされた時には盲点を付かれたとしばし呆然とした。

 それにパスワードを打たせる前にセキュリティを構築しなかった理由もある。陽太さんはその時点で持っていた技術情報をコピーされていた。だから作ったところで突破の仕方だって知られてしまっているから意味がなかったのだ。


 私は夕さんから視線を外して画面に向き直るとパスワードを入力する項目をクリックした。そして指をキーボードの上に滑らせる。


「あいつが暗号に見せかけた文字列を残した理由は単純明快です。そうしなければすぐに答えを知られてしまうからですよ。もしこの暗号が無かったらどうです? きっと陽太に関する情報からパスワードにするであろう答えを探ったでしょう。誘拐時の目撃情報が全くなかったことから犯人は事前にあいつの行動をしっかり調べていた。だからあいつがいつも最寄り駅で恋人と待ち合わせをしていたことも……その子に心底ベタ惚れだったことも知っていたはずだ」

「……ま、さか」


 最初に打ったキーは“m”だ。


「暗号の答えがパスワードだと誤認させることであいつはデータを守った。……くっ、はは……知ってました? 生前、あいつがパソコンなんかで使うパスワード、いっつも同じものだったんですよ」


 次に打ったのは“i”“r”“a”。


「誰でも分かるしセキュリティ強度も低いから止めろと言ってもあいつは聞かなかった。その代わりに馬鹿みたいに他のセキュリティを強化して自分以外がパスワード画面に辿り着くことさえ出来なくした。……あいつね、こう言ったんですよ。『だって、パスワード打つ度に幸せになれるでしょ』って」


 ――最後は勿論、“i”だ。


 エンターキーを押した瞬間、ピコンと音を立てて大量の動画と画像がディスプレイ中に現れた。一つ一つ場面は異なっているが、そこには共通して一人の人間が居る。


「……陽太」


 未来さんが大きく目を見開いた。動画、画像、それら全てには昔の未来さんばかりが映されていた。時々幼い夕さんや笹島さんらしき子供もいるが全てピントが合っておらず、はっきりと見えるのは彼女だけだ。

 手前側には手や足が映っているものがあり、誰かの視界から見たの景色であることが分かる。それが誰かなんて、言うまでも無い。


「どうです? あなた達がずっと見たかったものですよ? 少しは喜んだらどうですか」

「……っ」

「あいつが後生大事に隠しておきたい記憶が未来以外であるはずがないんですよ。もっと早く気付くべきでしたね。さて……どうして青海陽太の目から見たらしきデータがこの会社にあるんですか。しかもこんなに厳重な部屋で保存されて」

「しゃ、社長」

「きちんと説明して頂けますか?」


 夕さんがお手本のような綺麗な笑みを形作る。立川専務が震えながら三珠洲社長を窺う。そして三珠洲社長は、俯いたまま黙り込むとふらりとこちらへ近付き――。


「っ夕さん!」


 勢いよく振り上げた拳を躊躇いなく振り下ろしたのだ。私は慌てて立ち上がると夕さんを庇ってその腕を受け止める。……違う、この人は今夕さんを狙ったんじゃない。振り下ろされた拳の先にあったのは――記憶データの入ったコンピュータだ。


「……あのクソガキ、何処まで私を弄べば気が済むんだ」

「しゃ、社長……」

「この暗号を解こうとして一体何年費やした。どれだけの金を使った。……ふざけるなよ!! こんな、こんなくだらないものの為に、私は十年も人生を浪費する羽目になった!」


 顔を上げた社長は、鬼の形相だった。先程までの澄ました顔なんて見る影もない。目をかっ開き、苛立ちのままに机を叩き付け、陽太さんへの怨嗟を吐き続ける。


「そもそも全ての記憶をコピーするまであいつが大人しくしていればよかったんだ! そうすればそのまま無事に家に帰してやったっていうのに……薬が効いているはずなのにあいつは突然飛び起きて暴れ始めて! 挙げ句の果てに無理矢理装置を外そうとした所為で勝手に死にやがった! 私達を馬鹿にするように何の価値もないデータをあたかも重要な情報だと勘違いさせて!」

「……陽太さんにとっては、最先端の技術なんかより未来さんの方がずっと重要だったんですよ」

「物の価値も分からないガキがあんな脳みそ持ってる方がおかしいんだよ! ……はは、そうだ。私はただ、あれがいらなかった情報を有効活用して世間の為に役立ててやってたんだよ! むしろ感謝してほしいくらいだ。大体あいつが暴れた所為で勝手に死んだだけで私は何も手を下していない、私は無実だ! あの男が勝手に自殺しただ」


 壊れたように笑い出した三珠洲社長の顔面を、思いっきりえぐるように未来さんの拳が襲った。バキ、と音を立てて真っ正面から殴られた社長は訳も分からないまま床に倒れ込み、顔を鼻血で汚した。


「……あんたには一生分からないでしょうね。ううん、理解なんてさせない。あいつの心も、私達の十年間も」


 肩で大きく息をした未来さんは、顔を上げると大量の自分の画像を見つけてくしゃりと顔を歪めた。


「本当に、バッカみたい。こんなものを守る為に死ぬなんて……過去の記憶を守る為に、これから先に作るはずだった思い出が全部無くなっちゃったじゃない」

「……未来さん」


 彼女は消え入りそうな声でそう呟くと、そのままふらつく足で他の警官の元に戻って自ら両手首を揃えて前に突き出した。


「現行犯です」

「お前な……警察官の自覚はあるのか」

「ありますが今殴らないくらいなら警察辞めた方がましです」

「……はあ、傷害の現行犯だ。処分は追って伝える。それと三珠洲社長、誘拐と過失致死の疑いで逮捕させて頂きます。お前ら、とりあえず救急車呼べ」

「はい!」


 一番上司らしい男が指示を出すと他の警官がてきぱき動き始めた。倒れて痛みで動けない三珠洲社長を介抱したりスマホで電話を掛けたり、はたまた憔悴した立川専務を拘束したり。そんな彼らを横目に、私はじっと未来さんが映るデータを見る夕さんを見上げた。その表情は疲れ切っていたけど、しかし達成感に満ち溢れている。

 そして画面に映る未来さんはあの日酔っ払った時の彼女と同じ、心底幸せそうな顔をしていた。


「夕さん、本当にお疲れ様でした」

「……ええ。竜胆さんのおかげもあって全部上手く行きましたよ」

「皆それぞれ頑張ったからじゃないですか。勿論夕さんもですよ?」

「分かってますよ。……さて」


 ふと、夕さんがディスプレイから視線を外して歩き出した。そして他の警官に付き添われて部屋を出て行こうとした未来さんを呼び止めると、彼は神妙な顔で頭を下げる。


「夕君?」

「未来。……ずっと、ずっとこの三年間、私はお前を苦しめて来た。本当にすまなかった」

「……」

「謝って許されることじゃないし、きっとあいつが居たら殺され掛けてたと思う。だけどどうか、謝らせてくれ」


 本当にごめん、とずっと頭を下げている夕さんを、未来さんが表情を消してじっと見つめている。端から見ているだけでも伝わる緊張感に手のひらに汗が滲んだ。

 きっと十秒もなかったかもしれない。それでも異様に長く続いた沈黙に終止符を打ったのは未来さんの方だった。


「……本当だよ。ずっといい加減にしてって怒りたくて堪らなかったんだから」

「そう、だよな」

「何度我慢できずにキレそうになったか。――だって夕君、陽太の真似下手過ぎるんだもん。やるならもっと上手くやってよね」

「は……?」


 予想外の切り返しに夕さんが顔を上げると、未来さんは怒った顔を作りながらも……心は別の色をしていた。


「陽太、二人っきりの時は私のこと呼び捨てだったの」

「……そうなのか」

「それに夕君が思うほどあいつ清廉潔白じゃないよ。私のことだってたまにからかうし、他の男の子と話すと滅茶苦茶嫉妬してくるし。……それにね、これが一番大きな違いだけど」


 その時、わざとらしく怒っていた未来さんが破顔した。あのデータの少女のように、陽太さんを想って幸せそうに微笑み――涙を流した。




「陽太はね、もっともっとずっと比べものにならないくらい心底……私のこと、大好きなんだから」


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