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シロクロ男  作者: とど
33/40

19 本物と偽物


「――、――」


 微かに話し声が聞こえる。その声は徐々に大きくなり……違う、私の意識の方が覚醒しかけて来ただけか。

 目を開けるとカーテン越しに明るい光が入ってくる事務所の中だった。昨日の最後の記憶通りに私は毛布を被ってソファで眠っていて、けれど眠る前より随分と広かった。


 そうだ、夕さんは。少しずつ意識がはっきりとしていく中声のする方へと顔を向ける。彼は私に背を向けるように仕事用の椅子に座り、スマホを耳に当てて話をしていた。


「夕さ――」

「うん……そっか。ごめんね雅人君」


 一瞬で完全に目が覚めた。何を寝ぼけていたんだろう、今日は夕さんじゃなくて陽太君の方だ。本物が亡くなったという事実があったとしても彼が変わる訳じゃない。すぐに電話は切られたようで、椅子から立ち上がった彼がこちらを振り返る。眼鏡をしていない少し幼げな表情のその人は、私が起きているのを見るとそっと微笑んだ。


「おはよう、瀨名ちゃん」

「おはよう……陽太君」


 陽太君がそのままこちらへ近付いてくる。「とりあえず顔洗って来たら?」と言われ、そう言えば昨日は結局家にも帰れなかったしそのまま眠ってしまったんだと思い出す。きっとかなり見苦しい姿をしていただろう。

 私は慌てて顔を洗って歯磨きをし、身支度を整える。入院していた時の荷物があるから必要は物は全て揃っていたのは不幸中の幸いか。


「ごめんね陽太君、みっともない姿見せて」

「ううん。それより……昨日はありがとう」

「え?」

「兄さんの側にずっと居てくれて」


 ぱちり、と一つ瞬いた。昨日……なんで陽太君が昨日のことを? あの時流石に夕さんはタブレットで報告を残せるようなタイミングも気力もなかったはずなのに。

 首を傾げていると陽太君は私の疑問が分かったのか、いつもよりも少し落ち着いた様子で「実は」と口を開いた。


「僕ね、覚えてるんだ。昨日何があったのかも、それに……これまで文字でしか知らなかった日のことも、全部思い出した」

「!? それは」

「僕が兄さんになって……ううん、兄さんが元に戻っている時のこと、もう分かっちゃったんだ」


 それはつまり、陽太君は……自分の正体に気付いたってことで。


「僕って、本当は青海陽太じゃなかったんだ。騙しててごめんね」

「騙すとか……そういう話じゃないでしょ。陽太君だって自分のこと知らなかった訳だし」

「でも僕は本物じゃなかったからね。……まあそういう訳なんだ、だから」

「陽太君、」

「瀨名ちゃん、僕に新しい名前付けてくれないかな?」

「……今この流れでそういう話になる??」


 へらっといつも通りに笑った陽太君……彼を見て途端に肩の力が抜けた。そうなんだよなあ。いくら夕さんの記憶があったって、相変わらずこの子は真っ白しろすけ君だ。


「だって陽太だと紛らわしいんだもん。ね、何か良い名前付けてよ」

「いきなり無茶振りしてくるじゃん……名前、名前ねえ」


 そんなことを言われてもすぐには思いつかない。ずっと陽太君って呼んできたのに他にしっくり来るような名前なんてあるか……? 陽太って名前からもじってみる?

 私は彼をじっと観察する。子供っぽい表情、夕さんと同じ顔、それから……その色。


「しろ……じゃあ白君は? ちょっと単純過ぎる?」

「白? ……白、僕は白……うん! 分かった!」

「え、いいの?」

「分かりやすくていいよ。……じゃあ僕は今日から白だから。多分短い間になるけどよろしくね」

「……短い間?」

「うん。きっと僕が居なくなるのも時間の問題だと思うから」


 は? と疑問符が頭の中に飛び込んでくる。彼の、白君が言った言葉を何度も頭の中で繰り返す。……が、飲み込めない。


「居なくなるって、どういうこと」

「こうして記憶が流れ込んできたのもきっとそれの予兆だと思う。だって兄さんは気付いたんだ、もう青海陽太にならなくたっていいって。だから僕の役目ももうすぐおしまいだよ。……いやまあ、それは別に何でもいいんだけどさあ」

「な、何でもいい!?」

「それよりももっと大事な話があるんだよ。実は瀨名ちゃんに一つお願いがあるんだ」

「いや自分が消えるよりも重要な話とかある!?」

「あるに決まってんじゃん! 未来ちゃんの話だよ!!」

「……あぁー」


 そうか未来さんか。確かに白君なら自分のことよりも未来さんだな。滅茶苦茶大事な話なのにぶん投げても全然違和感ないのがすごい。そう言えば昨日、笹島さんが未来さんの様子を見に行くって言ってたっけ。


「今雅人君と電話してたんだけどさ、昨日雅人君未来ちゃんに会いに行ったみたいなんだけど仕事中だからって追い払われたらしいんだ。青海陽太のことは何とか伝えたみたいなんだけど「知ってる」って一言だけ。絶対に無理してるから今日も様子を見に行きたいんだけど、雅人君今日はどうしても外せない仕事があるんだって。昨日のことがあって余計にミスズから目を離したくないって言ってて。なんとしてでも手がかりを見つけるって」

「……そっか」

「で、雅人君の代わりに瀨名ちゃんに未来ちゃんの様子を見に行って欲しいんだ。調べたら今日は非番みたいだし、きっと家にいるだろうから」

「それ、私でいいの? 部外者だし、陽太さんには会ったこともないんだけど」

「うん。僕はさ、絶対に会いに行けないから」

「あ……」

「今青海陽太の偽物なんて見たら、きっと未来ちゃん壊れちゃう。……だから瀨名ちゃん、お願い」


 「この通り!」と目の前で両手を合わせられ、私は殆ど迷うことなく頷いた。こんな頼みを断れる訳もないし、それに私も未来さんが心配だった。

 だって彼女は――長年探し求めてきた恋人を失ったのだから。




    ■ ■ ■  ■ ■ ■




 あの爆破事件以来、今度こそ久しぶりに自宅へ戻ってあれこれとやるべきことをやってからもう一度家を出た。未来さんの家にはまだ行ったことがなかったなと思い、陽太君……じゃない、白君に住所を聞いて彼女の自宅近くのコインパーキングに車を停める。



 未来さん、どうしているだろうか。恋人が亡くなって……そんなところに会いに行くのが本当に私でいいんだろうか。やっぱり笹島さんを待つか、明日夕さんが会った方が……。少し逡巡するが、それでもこのまま放って帰る訳にも行かずにエントランスに入ってエレベーターに乗り込んだ。

 ……そういえば昨日、私未来さんに対してかなり酷いことを言った。あのままじゃあ夕さんが一生自分を責めて壊れてしまうと危惧して少々荒療治だがああした。勿論彼女はそんなことは知らないが……何となく気まずいな。


 インターホンを押すとすぐに中から音がした。在宅なのは間違いないようだが、しかししばらく待っても中々出て来ない。……やっぱり彼のことがショックで誰とも会いたくないのかもしれない。

 どうする、このままそっとしておく方がいいのか……? でも状況ぐらいは確認しておきたいし、白君の頼まれた以上何もせずに帰る訳にはいかない。どんな状況だろうが一応直接顔を会わせておきたいと、そう思って再度インターホンを押そうと手を伸ばしたところで――不意に内側から扉が開かれた。


「あ、瀨名ちゃんだー」

「……は?」


 そこから現れたのは勿論未来さんではあったのだが……何故か顔を真っ赤にしてへろへろの笑顔をこちらに向けていた。ついでに大分酒臭い。その笑顔が何となく朝見た白君の顔とダブった。


「あの、かなりお酒飲んでます?」

「そうそう、瀨名ちゃんも一緒に飲もうよ」

「あ、ちょっと」


 有無を言わさず腕を掴まれると、私は未来さんに無理矢理部屋の中へと引きずり込まれた。その瞬間むわっと濃いお酒の匂いが広がって、そして連れて行かれたリビングの光景を見て私は絶句することになった。


 テーブルの上には封の開いた缶ビール、チューハイ、ワインの瓶。そして床には空になったウイスキーの小瓶まで転がっている。完全にアル中の部屋だ、もう数秒立ち入っただけで酔ってしまいそうになる。……これ、全部未来さんが飲んだの? 一人で?


「ほら座って座って」


 唖然として立ち尽くしていると未来さんに背中を押されて椅子に座らされる。そしてすぐさま側に置いてあったまだ未開封のチューハイを突き出された。


「はい! 瀨名ちゃんこの前これ飲んでたよね」

「いや私車で来てるし……それに退院したばっかりで医者にも禁酒って言われてるから」

 「あーそっかー、残念。でも退院おめでとう!」

「あ、ありがとう……」


 にこー、と笑って渡そうとしていたチューハイを自分で飲み始めた未来さん。流石にこれ止めないとやばくないか。


「あの、そろそろ飲むの止めた方が……」

「あ!!」

「え、何!?」

「せっかくだから兄さんも呼ぼっか。夕君も、それに――陽太もね!」

「は……」

「あ、瀨名ちゃんは初めて会うかな? 陽太っていうのは私の彼氏でね……」


 急にぺらぺらと青海陽太について話し始めた未来さんを前に、私は何を言えばよかったのか。もう彼は居ないのに、未来さんはまるでそんなことを知らないかのように恋人の自慢を続ける。笹島さんが言うには、もう彼女は陽太さんが亡くなった事実を知っているはずなのに。現実を受け止められずに、意識を飛ばそうとでも思ったんだろうか。


 心底楽しげに笑う未来さん。オタ活している時も確かに楽しそうだったけど、そんなものとは比べものにならない幸せそうな色に思わず胸が詰まった。……彼女のこんな色、初めて見た。

 もう何も言わずに帰った方がいいかもしれない。一瞬そんな考えが過ぎったが、けれども酔いが覚めたその時未来さんは嫌でも現実を直視することになる。それすら無視して酒に浸り続ければ、彼女は死ぬまで飲み続けるかもしれないとさえ危惧した。今の彼女の精神状態ならやりかねないのだ。


「み、未来さん……」

「それでね。陽太は馬鹿なんだけどそこが可愛くって」

「未来さん、陽太さんは――」

「っ、気安く陽太の名前呼ばないで!!」


 迷った末にそのことを口にしようとしたその瞬間、今まで楽しげに笑っていた未来さんが一瞬で豹変した。手を叩き付けた衝撃でテーブルの上にあった缶や瓶が大きな音を立てて倒れる。それに驚いている間に、いつの間にか彼女の色もまた怒りでぐちゃぐちゃになっていた。

 たった一度名前を呼んだだけ。今の未来さんにとってはそれすらも地雷になってしまうのか。


「陽太は私のものなの! 馴れ馴れしく呼ばないで!」

「……未来さん、彼はもう昨日」

「うるさい!!」

「……」

「黙ってよ! 陽太のこと何にも知らないくせに、勝手に口を挟まないで! 陽太は……陽太は、私の恋人で、天才で、馬鹿で、誰よりも私のこと大切にしてくれて! だからあいつは此処に来るの! 絶対に戻って来るんだから!」

「みら」

「黙ってって言ってるでしょ!」

「いっ、」


 怒りに任せて未来さんが腕を振り回し、テーブルの上にあった空き缶や瓶に当たって落ちる。叩き付けられた瓶が割れ、その破片が私の足を掠めてふくらはぎから一筋の血が流れた。


「あ……」


 そしてそれを見た瞬間、今まで激昂していた未来さんの顔からみるみるうちに血の気が引いたのが分かった。


「わ、たし……あ、あああ」

「未来さん!」


 ひゅ、と息を詰まらせた未来さんが錯乱するように頭を抱えて叫ぶ。私は咄嗟に立ち上がって、彼女を抱きしめるように抱えて背中を擦った。

 「ごめんなさい、ごめんなさい」とぶつぶつとただひたすら謝る声が聞こえてくる。


「未来さん、未来さん……大丈夫ですから、ね? ゆっくり深呼吸して」

「……」


 たどたどしく、少しずつだが呼吸が落ち着いてくる。そのまましばらく彼女の背中を擦り続けていると、未来さんは縋るように私の服に縋り静かにすすり泣き始めた。


「陽太、ようた……」


 嗚咽混じりに聞こえてくる痛々しい悲痛な声。……夕さんも未来さんも笹島さんも、皆ボロボロになるまで傷付いている。三人にとって青海陽太という人物がどれだけ大きな存在だったのか、嫌というほど伝わってくる。

 未来さんが徐々に落ち着いて来るのを待って、私は彼女の体をゆっくりと離した。


「割れた瓶片付けますね」

「ご……め」

「大丈夫ですから」


 その辺に落ちていたビニール袋に割れた瓶の破片を入れて、立てかけてあったコードレスの掃除機を借りてしっかり掃除する。

 全て片付いたところで彼女を覗き込むと、先ほどよりも随分と静かになった未来さんが目を擦ってこちらを見上げた。


「瀨名ちゃん……本当にごめん」

「いいってそんなの」

「勝手に怒って勝手に暴れて、その上怪我までさせちゃうなんて……最っ低だ」


 そうだ、怪我したんだった。今更思い出して、私はいつもの救急セットから大きめの絆創膏を取り出して傷口に貼り付けた。傷は浅かった為もう血は止まっているようだ。


「仕方ないですよ。それだけ大変なことがあったんです」

「……瀨名ちゃんも、聞いてるんだよね」

「はい。昨日夕さんに警察から電話が来た時に居合わせて」

「夕君、大丈夫だった……?」

「大丈夫ではなかったんですが、一応持ち直したと思います」

「そっか……ごめんね、夕君のことも私のことも気にしてくれて」

「……」


 白君に頼まれたから、とは絶対に言わない方がいいんだろうな。


「……あのね、夕君の弟の青海陽太は、私の恋人だったの。高校生になったばかりの時に突然居なくなって、それからずっと行方不明で。……でも三年前、陽太って名乗る男が私の前に現れた」

「……それは、」

「未来ちゃん、って馴れ馴れしく私のこと呼んで、当たり前のように彼氏面して来て……夕君には絶対に言えなかったけど、本当はずっとぎりぎりで堪えてた。『偽物のくせに陽太って名乗らないで!』って言いたくて堪らなくて……でも、言えなかった。夕君も苦しんでるのは分かってたから……そんなこと、言える訳もなかったの」


 この三年間ずっと未来さんを苦しめてきたと、昨日夕さんが零していた。だけど勿論夕さんも同じように苦しんでいて、笹島さんだってそんな二人を見守ることしかできなくて、そんな自分を責めていた。

 どうして、誰も悪くないのに皆こんなに苦しまなければならないんだろう。


「陽太の遺体、照合したの私だったんだ」

「……え」

「科捜研の手伝いしててね、行方不明者リストと照合してみたらあいつのデータが一致した。間違いだと思って何度も何度もやり直しても結果は同じ。……陽太の死を最初に確認したのは私……だけどもしかしたら、まだましだったのかもしれない。他の人から言われても信じられなかったかもしれないし、私が一番に陽太を見付けられたと思えばね」


 未来さんがそう言って微笑んだ。誰が見たって分かるくらい無理した作り笑いだ。私は陽太さんに会ったことはないけど、自分のことを思って未来さんがこんな顔をしていると知ったら死ぬほど後悔するだろう。……死ぬほどなんて、今言うのはとても不謹慎だけど。


「今更こんなことを言うのもなんだけど……もし私が、陽太がもうとっくの昔に死んでたって前から気付いてたって言ったらどうする」

「え……? 前からって、それじゃあ」

「……気付いてたっていうのはおかしいかな。でも、ほとんど確信してた。……陽太がもう二度と私の元へ帰って来ないって。夕君は必ず生きてるって言ってたけど、私はそれを信じ切れなかったの」

「どうして……分かったんですか」

「きっと笑っちゃうけどね」

「笑いませんよ」

「そうかな。……だって、陽太が私に何の連絡も無しにこんなに長い間居なくなるはずなんてないもの」

「え?」

「あいつはね、生きていたらどんな状況に居たってどんな手を使ってでも私に連絡取ってくれるはずだから。陽太は馬鹿だったけど、馬鹿みたいに天才で、私に心配させることなんて絶対にしない人だったから」

「……」

「ごめん、やっぱり笑うよね。何の根拠もない話で」

「すごいですね」

「え?」

「誰に話を聞いたって、陽太さんは未来さんのことが大好きで大切で、宝物って言うんです。だから……未来さんがそう確信して思えたのは、それだけ陽太さんの想いがちゃんと伝わっていたんだなって」


 未来さんは、ちゃんと自分が陽太さんに愛されていた自信がある。それだけ彼の想いは誰が見たって分かるほど強かったんだ。それって、すごく素敵だなと思った。

 私がそう言うと、未来さんは眉を下げて柔らかく破顔した。


「うん、そうだよ。でも私の方があいつのこと好きだったんだけどね。こんな風に部屋を滅茶苦茶にして自暴自棄になっちゃうくらいには。……さてと、私仕事行かなくちゃ」

「……え? 今?」

「こんな家で自棄酒してる場合じゃないってやっと分かったの。一刻も早く陽太の遺体を調べて、どんな小さな手がかりでも見付けてみせる。知り合いだから駄目とか知ったこっちゃない。こっそり科捜研に紛れさせてもらうわ。どうせ向こうも人足りてないしね」


 そう言って張り切って椅子から立ち上がった彼女は……しかし、すぐにふらついて倒れそうになった。当たり前だ、今までどれだけ飲んでいたと思っているんだ。こんな状況で仕事に行けるはずがない。


「未来さん、とりあえず休みましょう、ね?」

「あーもう……私、馬鹿。本当に、何やってるんだろ」

「ちゃんと酔いを醒まさないと正確な鑑定なんて出来ませんよ。明日からにしましょう」

「嫌……せめて夕方からでも行く」

「それでもいいですから」


 ぐらぐらと危なっかしい体を支えてベッドまで運ぶと、未来さんは「迷惑掛けてばっかでごめんね」と一つ謝って横になった。すぐに瞼が落ちてしまって、私はある程度片付けをしてから帰ろうと踵を返した。


「瀨名ちゃん」


 が、袖をぐっと引かれて立ち止まる。振り返れば再び目を開いていた未来さんが、真剣な眼差しでこちらを見上げていた。


「お願いが、あるんだけど」




    ■ ■ ■  ■ ■ ■




「『絶対に陽太の遺体から新しい手がかりを見つけるから、あいつを殺した犯人を見つけてほしい』……未来さんからの伝言です」

「そっかー……」


 事務所に戻ると私は今か今かと待ち構えていたらしい白君に未来さんの様子を話す。酷く荒れていたということを伝えると痛ましげに顔を歪めたが、最後まで説明し終えると少しほっとした様子で「ありがとね」と頷いた。


「やっぱり瀨名ちゃんに頼んで正解だったよ」

「まあ部外者だからこそ言えることもありますよね」

「瀨名ちゃん部外者部外者ってさあ……」

「実際そうでしょ。別に卑屈になって言ってる訳じゃないよ」


 今日だって、未来さんがずっと夕さんに言えずに抱えていた気持ちなんてとても陽太さんを知る人達には言えないだろう。これは白君にも話していないし、私だからこそ言ってくれたことだと思う。


「遺体はまだ鑑定終わってないから警察の方の情報を待つしか無いね」

「うん、他に現状で調べられることってあるのかな」

「……」

「白君?」


 私が居ない間に何か調べていたのだろうか。彼の人格の方では珍しく難しい顔をした彼は軽くタブレットを操作してこちらに画面を見せてきた。


「遺体が何処から見つかったのかまだ話してなかったよね」

「あ……そういえば。夕さんが倒れて慌ててたし警察からも聞かなかったような」

「僕もさっき警察の情報ハッキングしてた時に初めて知ったんだけど……青海陽太の白骨遺体が見つかったのは、あの八十口村。石像の下から沢山発見された人骨のうちの一体……だったみたいなんだ」

「! それってつまり……」

「うん、彼は十中八九……殺された後に村に送られて、供物として処理された」


 タブレットを両手で掴み食い入るように画面を見る。すると確かにそこには青海陽太の遺体発見場所として“八十口村”と表記されていた。

 一瞬息が出来なかった。私達がされそうになったように、陽太さんはあの村人達に……食べられたんだ。彼は最後に、人間の尊厳まで奪われるような終わり方をしてしまった。

 悔しいのか悲しいのか、虚しいのか。感情がぐちゃぐちゃになって頭が沸騰しそうだ。


「……何年も前に颯君が兄さんを尋ねてきた時に、青海陽太を目撃した人を見つけたって話を持ってきたことがあったんだ」

「え?」

「その時の人はもう亡くなっているんだけど……多分その人は、“食べた人”だ。」


 その時、不意に思い出したように白君が呟いた。

 颯さんが見つけた人は陽太さんについて尋ねたすぐ後に奇妙な遺書を残して自殺している。そして彼は、怪しげな教団に入信していた。……恐らくそれは、八十口村に関係したものだったのだろう。だからこそその人は恐らく儀式の際に陽太さんを目撃し、そして――食べた。

 覚えていなかったのは、人食の記憶を封じていたのかもしれない。颯さんに尋ねられ、記憶を辿り……そして、思い出してしまったのか。


「……とにかく明日、遺体の鑑定が終わり次第兄さんと警察に行ってきてよ。遺骨の受け取りとかもあると思うから」

「うん……」


 話を打ち切って白君がまた何かタブレットを操作し始める。覗き込めば、どうやら同じく八十口村で発見された別の遺骨の情報を洗っているらしかった。もしかしたら陽太さんと関係があるものがあるかもしれない。


 一度会話が無くなるとなんだかどっと疲れが出てきた。まだ昨日退院したばかりなのに急に動いたからかとても眠い。だんだん瞼が重くなっていくのを感じながらぼうっと白君を眺めていると、窓から差し込んでいる夕日のオレンジ色が彼の全身を染めていた。

 ……けれど、彼の“色”は変わらず白だ。


「……ねえ、白君」

「なに?」

「白君は……怖くないの」

「怖いって何のこと?」

「だって白君、もうすぐ消えるって自分で言ってたのに。それなのに全然いつも通りで……色だって全く変わらない」


 夕さんは自分が消えるのをずっと恐れていた。けれど白君の方は疑問をぶつけてみても全く揺らぐ様子がない。虚勢を張っている訳でもなく、本当に何とも思っていないようにすら見える。

 それを裏付けるように、彼はにこっと笑って「全然」と簡潔に答えた。


「どうして? だって自分が消えちゃうんだよ? 自我が無くなって喋れなくなって、もう二度と未来さんとも会えなくなるのに」

「怖いことなんて何も無いよ。……だって僕も、青海夕の一部なんだから」

「!」

「白っていう人格は、きっと兄さんが青海陽太に憧れていた部分だ。陽太だったらできる、陽太だったら大丈夫……僕はそういうものが集まってできたもので、元々兄さんが持っていたものだ。ただ元に戻る、それだけのことだよ」

「白君……」

「それにね、もし本物の青海陽太だったらきっとこう言うよ。『兄さんが元通りになったら未来ちゃんは喜んでくれる。それ以上の理由っている?』ってね。少なくとも兄さんから見た“弟”はそう言うと思ってるよ」

「……ふ、」


 何の憂いもなくあっさりと言われた言葉に、思わず小さく笑ってしまった。……うんそうだね。私も陽太さんには会ったことはないけどそう言うと思う。

 前から、それに先ほど未来さんと話した時も実感したけど、本当に。


「未来さん、ホントに滅茶苦茶愛されてるなあ」

「勿論。瀨名ちゃんだって兄さんのこと愛してるでしょ? 一緒だよ」

「……そうだね」

「あれ、瀨名ちゃん今日素直だね。照れ隠しで怒るかと思ったのに」

「そういう気分の時もあるの。……夕さんってさ、ホントにほっとけないんだよね。人のこと危なっかしいって言うくせに、自分の方がよっぽど不安定で危なっかしいんだもん。側で見てなくちゃって思っちゃうよ」

「うんうん、その調子でずっと兄さんの側にいてね。兄さん瀨名ちゃんが居なくなったら駄目になっちゃうから」

「……私も多分、駄目になりそう」


 嬉しそうに言う白君を見て、もし夕さんが居なかったらと考えた。……ら、想像したくない未来が過ぎった。あの時夕さんと出会わなかったら本気で人生滅茶苦茶になっていただろうな。今だって、もし陽太さんのようにある日夕さんが居なくなってしまったら? 考えることすら拒否したくなる。


「……あ」

「瀨名ちゃん?」

「あのさー……今更なんだけど、もしかしなくても今日の記憶って明日夕さん覚えてたりしちゃう訳? 記憶共有される!?」

「んー? まあ僕がそうだったから兄さんの方でも今日のこと覚えてるんじゃない?」


 ってことは、今言ったのも全部本人に伝わってしまう訳で。……!?


「忘れて! 今の全部頭の中から消して!」

「ええ? 無茶なこと言うなー。昨日だってさんざん好きだとか言ってたじゃん」

「あ、あれはああいう雰囲気だったとかあるでしょ!?」

「まあ大丈夫だよ。もし覚えてなかった時の為にしっかりタブレットに記録残しておくから安心してよ」

「大丈夫の意味知ってる!? お願いだから記憶のファイル分けて厳重にロック掛けておいてよ!」

「無茶苦茶言い過ぎじゃない?」

「白君ならできるって信じてるから! いい感じに何とかして!」


 私の叫びを聞いても笑うだけで済まされてしまった。……白君の前だからと油断していたが今後は気をつけなければ。また夕さんにからかわれる口実にされてしまう。


 叫んだ所為でますます疲れてしまって、私はぐったりとソファに身を預ける。疲れたけど逆に目は覚めてしまって、覚醒した頭で再び白君のことを見つめた。


 ……白君、今日初めて名付けた名前。本物と……偽物を区別するためのもの。


「瀨名ちゃん、明日のこともあるしもう帰っても――」

「ねえ白君、ひとつ言わせて欲しいことがあるんだけど」


 彼の言葉を遮るようにそう言って、私は立ち上がると彼の隣に腰を下ろした。


「他の人には言えないし、聞かれたら怒られるかもしれないけどさ」

「うん?」

「……私にとっての陽太君は、白君以外の誰でもないから。今までずっと一緒に仕事したり、時間を過ごして来たのは君だから……だからその、私にとっては偽物なんかじゃない、本物だよ」


 本物を知らない私にとっては偽物も何もない。本人は偽物扱いについて当然だと思っているようだしそれに不満なんて抱いていないと思うけど……それでも、白君が消える前に言っておきたかった。ただの自己満足だ。ただ私が、自分にとっての陽太君をないがしろにされたくなかっただけ。夕さんの記憶には残ってしまうかもしれないけど、どうか許して欲しい。

 二人並んだソファで靴を脱いで膝を抱える。すると急に隣からこてんと肩に頭が乗った。視線だけで隣を見上げる。眠るように目を閉じて頭を預けて来る彼を見て、私もそのまま目を閉じた。

 夕さんに抱く気持ちとは違う。彼だって私に恋愛感情は持ってない。だけどこの言葉にしにくい関係性が、とても居心地が良かった。



「……ありがと、瀨名ちゃん」


 ぽつりと、陽太君・・・が呟いた。


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