18 望んで、望まれ、息をする
ふっと意識が浮上する。ぼんやりとした頭が少しずつ覚醒して、薄らと目を開くがそこは暗闇だった。
暗さに慣れた目がこの場所が見慣れた事務所の中であること、そしていつも座るソファの上で眠っていたことに気付く。いつの間に眠っていたのだろう。そもそも眠る前は何をしていたのか。
「……っ!」
記憶が一瞬で蘇り、私は勢いよく体を起こした。その際体に掛かっていた毛布がばさりと床へ落ちる。そうだ私は警察からの電話を受けて、それで……陽太の遺体が見つかったと言われた。
間に合わなかった。あいつが生きている間に見つけることが出来なかった。……確か白骨遺体だと言われたんだ。死んだのはもっと前で、私はそれも知らずにのうのうと生きていた。
頭が痛い。目の奥が熱い。ぐらぐらと揺れる視界の中で絶望に打ちひしがれていたその時、不意に自分以外の存在が目に入った。
テーブルを挟んだ向こう側、同じようにソファで眠るその人の姿が。
「竜胆さん……?」
目の前で彼女が丸まるように身を縮めて眠っていた。体には何も掛かっておらず寒そうに眉を顰めている。……自分の足下を見てみれば落ちている毛布は二枚。事務所に置いてあった二枚はどちらとも自分に掛かっていたらしい。いくら暖房が入っているといっても二月だ、そのまま眠ったら寒いに決まっている。
……馬鹿じゃないのか。退院したばかりだというのに今度は風邪を引いたらどうするんだ。そう言って叱りたかった……それなのに、それ以上にじわじわと胸に温かいものが広がっていくような感覚を覚えた。先ほどとは違う理由で視界が滲む。
テーブルに置かれていた眼鏡を掛けて薄暗い室内で時計を見上げれば十一時過ぎ、カーテンのされていない外は真っ暗で体の感覚から言って二日は経っていない……ということは意識を失って五時間くらいだろうか。
ふらりと立ち上がって毛布を手に彼女の側へ行く。体を震わせていた彼女の体に毛布を掛けると、少し身じろぎをした竜胆さんがゆっくりと目を開けた。
「夕さん? ……夕さん!!」
「っ!」
目を合わせて早々勢いよく起き上がった竜胆さんの頭が顎に直撃した。声にならない声で呻き痛みを堪えていると、すぐに「す、すみません!」と彼女がおろおろと焦ったように謝った。……竜胆さん自身は別に痛くないらしい。石頭め。
なんだか気が抜けてしまってソファの前にしゃがみ込む。すると彼女はそれほど痛かったのかと急いで私の腕を引っ張って隣に座らせ、ついでに肩に毛布を掛けてきた。
「すみません……」
「いえ、こちらこそご迷惑をお掛けしたようで」
「迷惑なんかじゃないです! えっとそれで……大丈夫ですか。いや大丈夫じゃないですよね」
「勝手に答えるの止めてもらっていいですか。大丈夫ですよ」
「嘘吐き」
「嘘じゃありません」
「大丈夫な人は数時間も意識失ったりしないんですよ」
「……」
言い返せなくなって黙り込むとそら見ろと言わんばかりにため息を吐かれた。確かにこれほど迷惑を掛けてしまった以上、平気だと言っても信じてもらえないだろう。
「さっき笹島さんに来てもらって、それで色々と話を聞きました」
「……そう、ですか」
薄暗い部屋の中で電気も付けずに竜胆さんと向き合って話す。……そうか、あいつが話してくれたのか。私ではまともに話せなかったその事実を、もう彼女は知ってしまっている。ならばもう、何も隠すことはない。
「……聞いたでしょうが、青海陽太という男は私の弟です。本当に、実在した」
「はい」
「私は十年前に誘拐されて居なくなった弟をずっと探していて……ですが、間に合わなかった」
力なくソファに拳を叩き付ける。弟はもう死んだ、もう二度と帰ってこない。
「私の所為です。私が無力だったから、何の役にも立たないからもっと早くあいつを見つけることが出来なかった。結局この十年間、私は何のために生きてきたんでしょうね」
「夕さん……」
「同情なんていりませんよ。そんな物をもらう価値なんて私にありませんから」
「同情とかそういう問題じゃありません! だって夕さん今までずっと頑張って来たんでしょ!? なのにそんな無力だとか価値がないとか」
「結果を出せなければ何の意味もありませんよ。私は何も出来ず……それどころか弟の偽物の人格さえ作り出して、この三年間ずっと未来を苦しめて来た」
「それは」
偽物が恋人の振りをしているのを見てあいつがどれだけ苦しんだか、私に気を遣って本物の陽太のように接するのがどれだけ辛かったか、想像に難くない。陽太の宝物を私はどれだけ自分勝手な理由で傷付けて来たことだろうか。
「私は……陽太や竜胆さんと違って特別な人間ではありません。何の取り柄もなく、ただ必死に虚勢で外側を取り繕っているだけの凡人です。だから、だから私は、陽太になろうとして、だけど……結局私はあいつにも成り切れないまがい物で、中途半端なことばかりして……。ねえ、竜胆さん」
「……はい」
「私は、この世に必要だと思いますか」
こんな質問を彼女にするなんて卑怯だと分かっている。だって彼女がなんと答えるかなんて考える必要もないからだ。
竜胆さんがこの状況で私を拒絶するはずがないのに、それでも言葉を求めてしまう。自分を肯定してもらいたいだけの、だたの承認欲求の塊だ。
「必要に決まってるじゃないですか。少なくとも、私にとっては」
「……私が? それとももう一人の方の陽太が? この人格の私なんて本当に必要なんですか」
「まったく、疑り深い人ですねえ……」
私が食い下がると、竜胆さんは酷く呆れたような表情を浮かべてため息を吐いた。
「私を冤罪から救って、此処で働かせてくれる人が居なかったら私は今頃泣き寝入りして何も信じられなくなって……生きていたかも分かりません」
「……」
「お父さんから庇ってくれてお母さんの真意まで探ってくれる人が居なかったら、私はもっと自分に自信の持てない人生を送っていました」
「……」
「それに」
竜胆さんの手が徐に持ち上がる。無意識にそれを目で追うと、彼女は小さく笑ってその手で私の頬に触れ――そのまま顔を近付けた。
「っ、」
ほんの一瞬、熱を感じた唇が離れていく。唖然としたまま彼女を見ていた私に、竜胆さんは少し照れたように微笑んで。
「私のこと好きになってくれた人が居なくなったら、とっても困ります」
その言葉を聞いた瞬間、薄暗い室内がまるで照らされたように視界が開けた感覚を覚えた。
……ああ、そうだ。この気持ちだけは紛うことなく自分の、青海夕だけのものだ。それはたとえもう一つの人格にだって決して渡すものか。
竜胆さんが私の気持ちに気付いていることなど当然知っていた。何せ彼女の“目”を鍛えたのは他ならぬ自分だ。感情において彼女に隠し事などできるはずもない。だからそれを逆手に取ってあからさまな態度で接してきた。
これでも探偵だ、人の気持ちを察するのは得意な方だ。だから……彼女の気持ちだって勿論分かっている。
「……それが、あなたへの気持ちが、酷く打算的な理由だったとしても?」
「え?」
けれど誰にも渡したくないと願うこの想いは、元々酷く醜い打算から生まれたものだ。
「私がどうして、たった一度会っただけのあなたを冤罪から助けようとしたか分かりますか」
「それは……前に言ってたじゃないですか。私の目が目的だったって」
「確かにそれも理由の一部……いえ、ほんのついでではありました」
「ついで?」
「あの時あなたの冤罪を証明し真犯人を見つけられるのは私だけだった。私だけがあなたを助けられたんだと、私にも生きる価値があるんだと実感したくて助けたんです。決して竜胆さんの為ではありませんでした」
「……」
「あなたを見ていると安心するんです。この人は私が助けたから此処にいるんだって、見る度に思い出せるから……私はずっと、自分の承認欲求を満たす為にあなたを利用していたんです」
彼女が好きだ。それは嘘じゃない。けれどそのきっかけは純粋な恋心とは随分ほど遠い。側にいてくれるだけで自分を肯定してくれるように感じる彼女の隣が酷く居心地がよかった。それだけのことだ。
竜胆さんがどんな顔をしているのか見るのを躊躇ってつい視線が下に向く。
「軽蔑しますか。それとも、愛想を尽かしましたか」
「……はは、奇遇ですね夕さん」
「は?」
「実は私もなんですよ。私も夕さんを好きになったのはそれこそ打算のようなものなので」
拒絶か、それとも変わらず受け止めてくれるのか。そう思っていた矢先に聞こえてきたはあまりにお気楽な、まるで世間話をするかのような軽い声だった。
顔を上げれば案の定、その声に似つかわしいなんとも平然とした顔の彼女がいる。
「夕さんを好きな理由は色々あるんですけどそこはまあ割愛させてもらって」
「割愛するんですか……」
「え、聞きたいんですか? でも長くなるんで今度にしてください」
「……」
長くなるほど語ることがあるのかと、こんなあっさりとした言葉でさえ私の心を軽くしてしまうのだから彼女はずるい。
「夕さんさっき言いましたよね。私のこと特別な人間だって」
「ええ、言いました」
「私は元々特別なんかじゃなかったんですよ。ただ厄介で可笑しな目を持っていただけの人間だった。この目を特別にしてくれたのは、夕さんなんですよ?」
「……私?」
「はい。この目に価値を見出して使えるように訓練して、そして実際に人の役立てるようになった。この目は私の唯一無二の武器です。他の人には真似出来ない、私だけの特別な才能です。夕さんがそうしてくれたんですよ」
「仕事で有用だから利用しているだけとは思わないんですか」
「思いますけどそれって悪いことですか? 必要とされるのが嬉しいことなんて、夕さんが一番よく分かっていると思いますけど」
「それは……」
「大っ嫌いだったこの目を私の力に変えて、思いっきり使ってくれる。……それは好きになった理由としては打算的だって思いますか? 幻滅します?」
「……しませんよ。そんなのするわけがない」
「あーよかった。嫌われたらどうしようかと思ってました」
絶対にそんなこと心にも思ってなかっただろう。色なんか見えなくたって白々しさがばればれだ。彼女はその程度で私の気持ちが揺るがないことなど最初から分かっていたはずだし、実際その通りだ。
「大体、打算的な理由じゃなく好きになるなんてそっちの方が珍しくないですか? 人間なんて単純なんです。優しくされたら好きになるし、助けてもらったら好きになるし、お金持ちでも顔がいいだけでも好きになるんです」
「……身も蓋もないこと言わないでもらえますか」
「普段あれだけ浮気だの不倫だのドロドロした関係見て来てるのに、夕さんって意外とロマンチストなんですね」
にまにまと楽しそうに笑う竜胆さんに反論出来ずに黙り込む。……自覚は無かったが案外そうなのかもしれない。むしろいつもその手の依頼ばかり目の当たりにして来て「自分は絶対にこうならない」という気持ちが強くなったのだろう。
「まあそんな夕さんも嫌いじゃ」
――その時、室内に壁時計の低い音が一度だけ鳴り響いた。
「!」
咄嗟に時計を見る。十一時半……それを認識した瞬間、突然冷水を浴びせられたような気分になった。……今日もまた、あと三十分で入れ替わる。自分が自分で無くなる。
「夕さん?」
「……」
時計にばかり目を向ける私を見て、竜胆さんがその視線を追いかける。そして何を見ているのか気付くと彼女はじっと私を見つめてそっと手を握ってきた。その時にようやく自分の手が震えていたことに気付く。
「怖いですか」
「……ええ、怖いです。こうして入れ替わるようになってから、ずっと」
今まで誰にも言えなかった言葉がするりと口からこぼれ落ちた。多重人格を理解し受け入れてくれて、尚且つ弱みを見せられるような人間など今まで誰も居なかったのだから当然だ。
「お恥ずかしい話ですが、いい年して明日が来るのが怖い……眠るのが怖いんです。あいつに入れ替わる瞬間自分が消えていく感覚がして、もう二度と“私”が戻って来なくなるんじゃないかって……情けないですよね。あいつに成れればって、望んだのは私だったのに」
「……夕さん」
「本当に、何もかも駄目なんですよ。私は何一つ為し得ずに、結局陽太を死なせた。どれだけ足掻いたって何も良くならなくて、ただ自分の無能っぷりを再認識しただけです。……本当に、死んだのが私の方だったら――」
ダンッ! と突如目が覚めるような大きな音が響いた。一瞬思考が止まり、今まで何を考えていたのか分からなくなった。
何だったんだと見れば、竜胆さんが側にあるテーブルに手を思い切り叩き付けたらしい。暗い部屋の中で、普段から淀んでいる彼女の目がギロリとこちらを睨んだ。
「いい加減にしてもらえますかこの自己評価ド底辺男。自己嫌悪のプロ。そんなんだから真っ黒くろすけなんて言われるんです」
「……言っているのはあなたなんですが」
「うるっさいですねちょっと黙ってて下さい。本当にさっきからずっと聞くに堪えないんですよ。状況が状況なんであんまり口を挟むのもどうかと思っていましたけどもう無理、我慢できない。……私、青海陽太さんのこと会ったことも無いしちゃんと知りませんけど、部外者は部外者らしく勝手に好き放題言わせてもらいます」
「……どうぞ。どうせ私に止める権利などありませんから」
「では遠慮無く。さっきからぐだぐだぐだぐだと同じようなことばっかり言って、馬鹿の一つ覚えですか? 無能、役立たず、自分には何も出来ない……はは、大いに結構。そうやって自分を責めていれば満足なんですもんね。実際陽太さんはこの十年見つからなかったし、結局助けることはできなかった。夕さん、無能ですもんね?」
「……」
「本当に無能、役立たず、存在する価値がない。……まあ別に夕さんに限った話ではないんですけど。ほら、未来さんもそうですよね? ちっとも役に立たないんですから」
「……は?」
「ですから未来さんですって。せっかく警察官になったのに何の意味もなかったですよね。笹島さんだってミスズの顧問弁護士になったのに手がかり一つ掴めない。皆役立たず、お揃いじゃないで――っ」
「黙れ!」
思わず竜胆さんの胸ぐらを掴んで叫んだ。一瞬で頭に血が上り、衝動的に手を上げそうになったところでぎりぎり堪える。落ち着けと心の片隅で冷静な声が聞こえて来るのに全く聞いていられない。だって、よりにもよってこの人は未来達のことを。
近くなった距離で彼女を睨む。しかし竜胆さんはというと何の感情も浮かんでいない顔で平然とこちらを見返して来る。
「何を怒っているんですか? 私は思ったことをそのまま言っただけです。好き勝手に言っていいってたった今言ったじゃないですか」
「……私のことは何を言おうがどれだけ罵倒しようが構いません。ですがあの二人を侮辱するのは、いくらあなたでも許さない」
「へえ、どうして? あの二人と夕さんと何が違うっていうんですか? 皆等しく陽太さんのこと探して、でもちっとも見つけられなかったお仲間でしょう」
「違う! 私は、あいつの兄で……だから絶対に見つけてやらなくちゃいけなかった」
「未来さんは恋人ですが。笹島さんだって将来的には陽太さんの義理の兄になっていたかもしれません。……ああ、探していたといえばきっと夕さん達のご両親も陽太さんのことを探していたんでしょうし、もしかしたら颯さんもそうですよね。で? 兄だから何です? 兄弟っていうのは恋人よりも親子よりも比べものにならないくらい遙かに責任が重いんですか?」
「……」
「笹島さんが言っていましたよ。顧問弁護士になったのに全然手がかりが得られなくてちっとも力になれていなかったって。本人も認めているんですから責めて何が悪いんですか」
「あいつは! あいつはずっと、私の仮説を信じて一人でミスズを内部から探ってくれていた! 力になれなかったなんてこと」
「でも得られた情報は今のところなし。結果が出なければ意味がないって、今さっき夕さんが言ったんですよ」
「それは……そうですが、でも」
「ねえ夕さん、まだ分かりませんか。あなた方三人に大した立場の違いなんてないんですよ。全員必死になって陽太さんを探して、けれど結果が得られなかった。だから笹島さん達を責めるなと言うのなら――同じ立場の夕さんが自分を責めていいというのは客観的に見ておかしいと、そう思いますけど何か反論ありますか?」
その瞬間、無表情だったその顔にふっと笑みが浮かんだ。そしてそこまで来てようやく、私は彼女の言葉の意図を理解した。
「あなたは……」
「反論できないのであれば今後夕さんが自分を責めることは禁止です。まあ、反論されても全力で打ち返してあげますが」
「……」
彼女を掴んでいた手から力が抜ける。ゆっくりとソファに落ちたそれを拾って、竜胆さんは何も言えない私を見てそれはそれは楽しそうな顔をした。私に彼女の色が見えていれば、きっととても鮮やかな明るい色をしているだろう。
「ふっ、夕さんに口で勝った!」
「はあ……一々緊張感に欠ける人ですね。初めて会った時からずっと、どれだけあなたの言動に振り回されてきたか」
「知りませんよそんなの。それに夕さんだって私のこと結構からかって来るじゃないですか」
「そうですか?」
「今日チョコ食べてた時とか」
「別にからかってなどいませんが? 思ったことをそのまま口にしただけです」
「そーいうこと言ってんですよまったく!」
すぐに照れ隠しで怒り始める竜胆さんを見て思わずため息を吐いた。可愛い、だなんて思っても言わない。彼女の前で口にする言葉なんて心の中で考えているほんの一部だ。全てをぶちまけてしまえばきっとあまりの重さに引かれてしまうだろうから。
「大体、何ですかさっきのは。わざと私を怒らせて……今の私なら感情的になって手を上げていてもおかしくなかったんですが」
「生憎そのまま殴られてあげるほど優しくありませんよ、私。逆に返り討ちにしてあげます。こっちだって大事な人のことさんざん侮辱されて怒ってたんですからね」
「……」
……そっちの言動こそ大概だ。
「……さて、夕さん。もう夜も遅いですからとりあえず寝ましょう」
「それは分かっていますが――は、」
先ほどよりももっと針が進む時計を見上げて心臓が嫌な音を立てる。しかしそちらに気を取られているうちに、竜胆さんはするりと眼鏡を抜き取って再びテーブルに置くとそのままこちらに抱き付いてきた。そして勢いよく後ろに倒れ込み、まるで私が彼女を押し倒したような体勢になってしまう。
「何をするんですか!」
「え? だって夕さん眠るのが怖いっていうから。せっかくですから安眠抱き枕兼湯たんぽにでもなって上げようかと」
何を平然として言っているんだこの女。私の肩に掛かっていた毛布を引き寄せて二人で被ると「いややっぱ狭いな」と暢気な感想を口にする。狭いに決まっているだろう、二人とも体格が良い訳じゃないが大きいとはいえソファに二人だ。
「あのですね、夕さん自覚無いかもしれませんが疲れているんですよ。だからさっさと休むべきです。さっきだって普段なら早々に私が言いたいことだって伝わっただろうしあっさり反論だって出来てると思うんです」
「……買い被り過ぎでは」
「ほら、いつもなら自信満々なのに弱々じゃないですか。さっき仕事のスケジュール見ましたけど私が居る時と同じぐらいの仕事量でしたよ。一人で依頼人相手して尾行も書類仕事もして、おまけに毎日お見舞いに来て……明らかにオーバーワークです。何もなくたって倒れていましたよ絶対」
「個人事務所ですから依頼が来たら余程のことが無い限り受けますよ。仕事が来るうちが花ですから」
「いや流石にあの父親のプレゼント探しとかいうしょうもない依頼は蹴ってほしいんですが」
「あれは依頼主が警察の上層部で、その父親もかなりの立場にいた人間だったので」
「あーもう! 警察に恩なんて十分に売ってるでしょうが! とにかく自分の体優先して下さい! はいもう寝る!」
竜胆さんの首元に頭を押しつけられて背中を規則的に叩かれる。……どうやら本気でこのまま私を寝かしつけようとしているらしい。
「……あなた分かってます? お互い大人ですし、私が何もしないと思っているんですか」
「はいはい、そんな気力があるほど元気になったら相手してあげますよ」
「言いましたね」
「言いました。だから今日は早く休むんです。……大丈夫ですよ、“次”も起きられます。夕さんが居てくれないと私が困りますから、ちゃんと戻って来て下さいね」
「……」
言葉が出なかった。歯を噛み締めて涙を堪えて、返事代わりに彼女の体に腕を回した。
ずっと欲しかった言葉を当然のように言ってくれる。どうしようもなく満たされる感覚がして、温かい体に頭を預けて目を閉じた。先ほどまであれだけ眠っていたのに、もう一度眠れそうだった。
うつらうつらと揺らぐ意識の中で最後にもう一度だけ……口に出したら彼女に怒られてしまうから、心の中だけで謝った。
陽太……見付けられなくて、ごめん。
「兄さん!」
久しぶりに夢を見た。また訳の分からない物を作るあいつを。運動会でたった百メートルの距離を走ってへろへろで倒れ込んでいる弟を。好きだ好きだと未来に何度も告白しては振られ……けれど彼女の側にいることに心底嬉しそうな顔をする陽太を。
数年振りに、ぼやけていた弟の顔がはっきりと思い出せた。……そうだ、こんな顔だった。私とは似ているが、それでも違う。私と陽太は違う。どれだけ真似したってあいつになれる訳がなかったのに、それでも滑稽にも弟になろうとした。
私は陽太になりたかった訳じゃない。あいつを見付けられるほどの力が欲しかっただけだ。けれどそれを取り違えて、ずっと間違い続けて来た。
大丈夫だ、もう分かった。私は青海夕で、陽太じゃなくていいんだ。――私がいいと言ってくれる人がいるから、大丈夫。




