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シロクロ男  作者: とど
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17-2 この世でたった一人の


 目を覚ますと、何故か記憶していた日よりも二日進んでいた。最初は意味が分からず一日眠ってしまったのかとも思ったが、最後の記憶は事務所だったのに今は自宅のベッドにいる。

 雅人が事務所に来て自宅まで運んでくれたのかと彼に連絡を取ってみると、開口一番に酷く驚いたような声が耳に入って来た。


「夕? 夕なのか?」

「いや画面を見れば分かるだろ」

「そうか……いや、よかった」

「? それより少し聞きたいことがあるんだが、お前昨日うちに来たか?」

「は……」

「いや、どうにも昨日の記憶が飛んでいてな……一日寝ていたのかと思ったんだが、何か知らないか?」

「……」

「雅人?」

「いや、そうだな。何もなかった。別に覚えていないんならそれでいいんじゃないのか」

「お前、何か隠してるだろ」

「気にするなって。あ、もう仕事行くから切るぞ」

「は? おい待て」


 勝手に電話が切られた。何なんだ一体、昨日の自分は何をやらかしたんだと首を傾げる。

 しかし考えてばかりもいられない。私も仕事をしなくてはと身支度を整え、いつものように自宅を出た。


 ――そして、その翌日の記憶もなかった。その次はあった、だけどそのまた次も。

 だが記憶がない間にも普通に暮らしていた形跡はある。冷蔵庫の中身は減っているし、デスクに残していた調査依頼はいつも以上に完璧に終わっている。ますます疑問が強くなって記憶の無い間に触っていたらしいパソコンの中を調べてみると、昨日の日付の新規ファイルが見つかった。


「っな……」


 その中身を見た瞬間、呼吸が止まった。


『なんか兄さんと全然喋れないからデータにして残しておくことにしたよ。あのね、今日は雅人君が来たんだけどね――』


 何だこれは。

 残されていたのは大量の文書。昨日何があったかや、机に残っていた仕事の進捗状況、そして何の変哲もない雑談。それらが……まるで、弟が残したように自分に語りかけて来る。

 このパソコンに触れるのは自分だけだ。セキュリティにも気をつけているし他の人間がこれを書き込むことはほぼありえない。

 だというのに知らない間に作成されているファイル、前日の記憶がない自分、弟のような文章、不審な様子の雅人。


「まさか」


 一つの仮定が浮かび上がる。それを否定したいのに否定出来る材料がないどころか、その仮定を補強するような証拠しかない。

 私は新しいフォルダに先ほどのファイルを入れて、さらに新規ファイルを作成した。そしてたった一言を打ち込む。

 『お前は誰だ』と。


 そしてまた二日後、当然のように増えていたファイルを開くと、そこには想像していた通りの内容が書かれていた。


『兄さん何言ってるの? 僕は陽太に決まってるじゃん』


 書かれていたのは、当然のように自分が弟である青海陽太であること。そして家族でしか知り得ない幼少期の思い出など、彼の正体が何なのかということが明確に記されていた。


 つまり……このメッセージを書き残したのは、私が作り出した偽物の弟なのだ。私は一日おきにこの弟になりきった人格と入れ替わっている。そうであれば雅人の反応も理解できる。

 情けない。その一言に尽きる。自分の力ではどうにもならないことの為に偽物の弟の人格まで作り上げてしまうとは。とことん自分が不甲斐なく思う。ああそうだ、私ではなく陽太だったらと願った。だがその結果がこの中途半端な現実だ。結局何も変わらないじゃないか。


 ……だが、今の自分がどれだけ後悔しようとと一日おきに記憶が無いという事実は変わらない。一つだけ良いことがあったとすれば、人探し等の調査を“陽太”に任せると自分以上に成果を出すということぐらいだろうか。きっとそれは、陽太ならばできるという無意識の思いがそれを可能にしているんだろう。実際のところ、こちらでもミスズのセキュリティは突破できなかったのだから、本物とは雲泥の差だろうが。

 けれどもそのおかげで仕事が捗り陽太の調査に割く時間が増えた。……増えただけだ、手がかりなどない。それどころか自分よりも優秀なもう一つの人格が増え、ますます私自身の無能さが際立っただけだ。……もういっそ、青海夕という存在を消して全てあいつになった方がいいんじゃないかとさえ思う。


 だけど、それだけは耐えられなかった。どん底に落ちた最後の自尊心が「自分が消えるのは嫌だ」と小さな声上げる。たとえ誰も青海夕を必要としていなかったとしても、それでも居なくなりたくない。

 ……けれど、日に日に自分の存在価値が無いことを嫌でも実感していく。

 探偵事務所が評判になっていく、それは“陽太”のおかげだ。手がかりがいつまでも見つからない、それは自分の所為だ。私にしかできないことはないし、本物の陽太どころか偽物の人格にすら勝っている部分がない。

 誰か一人でも必要としてくれる人がいれば違うのだろうか。何か一つでもこの世の誰にもできないことがあれば自分を許せただろうか。


 明日が来るのが怖くなって、もし二度とこの人格が戻らなかったらどうしようと眠るのが怖くなった。親戚を見て嫌悪していた酒の力すら借りて何とか眠りにつく日が増えた。眠るのは怖い、だが起きている状態で日を跨ぐのは自分が消えていく瞬間を見るようでもっと怖かった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーー




 ――あの日もそうだった。一人になるのが嫌で午後十一時頃まで行きつけのバーで飲んでいた。そろそろ帰らなくては十二時になってしまうと出て行こうとしたところで、目の前にあった入り口の扉が勢いよく開いたのだ。


「あー、もう!! 飲まなきゃやってられないっての!! ……ん?」


 雰囲気の良いバーには似つかわしくない酔っ払って騒ぐ女。彼女はバーに入ってくると大きな声で叫びながら私を見て……そして、酷く驚いたように目を見開いた。


「ま……真っ黒くろすけ!!」

「は?」

「何この人真っ黒過ぎるんだけど! 黒すぎ! え? ブラックホールか何か?」

「何を……」

「ずっと共感覚持ってるけどこんな人初めて見るわ!」


 いきなり両肩を掴まれてじろじろと全身を見られる。何なんだこの女は。一軒死人のような顔をしているのに出てくる言葉は騒がしいことこの上ない。しかも何だ真っ黒とかブラックホールだとか共感覚だとか。……共感覚?


「青海様」

「いえ、気にしないで下さい」


 バーのマスターが絡んでくる女を引き剥がそうかと声を掛けてくるがそれを止めて、私は少し気になったこの女の言葉に耳を傾けた。だたの酔っ払いの戯れ言で共感覚なんて言葉がするりと出てくるだろうか。


「今共感覚とかおっしゃいましたが」

「あ! そうなんですよー! 私昔っから他の人の色が見えるんです。そういうの共感覚って言うらしいですよー。こう明るくて優しい人だったら淡いパステルカラーとか、性格悪い人だったら濁ってたりとかー」

「……で、私が真っ黒だと」

「そうそう! こんな全身からどす黒い色滲み出てる人見たことないですよ! あ、一緒に飲みます? 全身腹黒男さん」

「誰が全身腹黒だ……」

「いやーそれにしてもうちのクソ上司も色酷くてですね? 性格もその通り最悪なんですけどお兄さん比べものにならない色してますね。何かこう真っ黒を通り越してるっていうか――きっと死にたくなる程重たい物抱え込んでるんですねー」

「……」


 無理矢理酒を注がれながら暢気な口調で言われた言葉。初対面の人間にとんでもなく失礼な人間だと思いながらも、その通りでしかなくて思わず少し笑ってしまった。

 そうだ、もういっそ全部投げ出して死にたくだってなるさ。こんなにも思い悩むくらいなら全てをリセットして、と何度も思った。


 今日自宅へ帰ったら、明日が来るのを恐れるくらいなら……いっそのこと、終わらせてしまおうか。どうせ私が居なくなっても何も変わらないのだから。


「あ、それでですねー聞いて下さいよ! うちのあり得ないセクハラパラハラモラハラ野郎のクソ上司の話!!」

「……ええ、どうぞ」


 目の前で騒ぐ名前も知らない女に、どうせ最後なのだから少し付き合ってやろうと半分聞き流しながらグラスを手に取った。






「……馬鹿だ」


 気付いた時には例の如く二日後。死に損なった。あの後絡み酒をしてくる女を相手にしていたらいつの間にか日付が変わる直前になっていた。いつもならばずっと時計を気にしているのにしくじった。変わる前に急いで帰らなくてはと近くに停まっていたタクシーに乗り込もうとしたところで――そこから先を覚えていない。


 昨日の情報を得る為に近くにあったタブレットを手に取った。……これはあいつが作ったらしい。量販店で売っている物よりも遙かに性能の良いそれを操作すると案の定昨日のファイルが増えている。


『何か夜中に変な女の人に会ったよ。真っ白しろすけ君って言われちゃった。何だったんだろうね』


 そこに最初に書かれていた内容を見て、少しだけ驚いた。やはりあの女、酔っ払いのいい加減な言動ではなく本当に見えていたらしい。少なくとも初見で人格が変わったのを見抜いた。何か口止めでもしておいた方がいいだろうか。……いや、もう死ぬのだからどうでもいいか。

 せっかく一日延びたのだから仕事の整理だけはしておこう。今はそこまで大きな依頼も入ってはいないし一日で終わるだろう。そう思いその日は仕事の調整、事務所の掃除、書類整理までしているとあっという間に終わってしまった。日が沈み、一息付くようにソファに腰掛けてちらりと付けっぱなしになっていたテレビに目を向けた。最近は無音が耐えられなくてよく付けたままにしていたそれは夕方のニュースを放映している。


「……は?」


 そこに映っていたのはついこの前絡まれたばかりの女が手錠を掛けられて警察車両に乗せられていく姿だった。付けてはいたがまったく聞いていなかったニュースに耳を傾けてみると、どうやら殺人容疑でつい先ほど逮捕されたのだという。殺されたのは彼女の上司、そして死亡したのは二日前の夜十二時前後……つまり、私と会っていた時間だ。


「いや、何でだよ」


 思わず素で突っ込んでしまった。なんで完璧なアリバイがある時間の殺人容疑で逮捕されているんだこの女は。先ほどまで死ぬことを考えていたのに思わず全部ぶっ飛んだ。

 少し事件の詳しい情報を集めてみれば、どうやら竜胆瀨名というらしい彼女が事件当時現場にいたという証言が複数出ているという。偽装工作で殺害時間をずらしたというのなら分かるが証言があるというのがおかしすぎる。普通に証言の方が嘘だな。複数人だというのなら口裏を合わせたに決まっている。もっとしっかり調査をすれば裏だって取れるだろう。


 さっさと調べて証拠を出してしまおうとしたところで……自分は何をやろうとしているんだと我に返った。これから死ぬのに他人のことなんてどうだっていいだろう。それが冤罪だったとしても、自分が警察にリークしなければ一生真実が露見しない事件だったとしても。


「……私がやらなければ、か」


 それは裏を返せば、私だけが彼女を冤罪から助けることができるということだ。


「……」


 テレビを消した。ソファに座ったまま目を閉じて、ゆっくりと深呼吸をした。

 竜胆瀨名は現在冤罪で警察に捕まっている。犯行を否認しようとも複数の証言が出てしまえば難しく、たとえ証拠不十分で不起訴になったとしても世間の目は変わらないだろう。

 ……今、私だけが彼女を救える。既に捕まった彼女が誤認逮捕だったと認めるくらいならば警察はそのまま不起訴で釈放するだろう。だが、警察にいくつか貸しがある私からの情報提供ならば誤認逮捕だったと認め、真犯人の逮捕にまでこぎ着けられるかもしれない。

 冤罪を認めさせ、真犯人を見つけ出す。それは彼女が無罪だと知っている私にしかできない。この世で、私だけが。


「は、」


 思わず自嘲が漏れた。

 ずっと考えていたことだ。誰か一人でも、他の誰でもない私自身を必要としてくれる人が欲しいと。この世でたった一人私だけができることが欲しいと。

 それが今、こんな死のうとする直前で降って湧いたように現れた。私の願いをどちらも叶えてくれる可能性のある、そんな人が。


 竜胆瀬名は私が何もしなければ冤罪を背負い、この先謂れのない悪意に晒されて一生を過ごすことになる。けれどこの手で彼女の冤罪を証明すれば、彼女は私をどう見るだろうか。

 たった一度、偶然で出会っただけの女性だ。けれどそんな彼女が、もしかしたら私を――。








「こんにちは、竜胆瀨名さん」


 留置所の面会室に現れた彼女に、私はそう言って微笑んだ。

 私は彼女を救う。彼女は――私を救ってくれるだろうか。


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