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シロクロ男  作者: とど
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17-1 明日が消えた時


 私には、天才の弟がいた。


 名前は陽太。二つ下の弟で、顔は割と似ているが性格は正反対だとよく言われた。弟は気分屋で破天荒で、だけどそれらをすべて吹き飛ばすほどの天才だった。


「陽太、今度は何やってるんだ?」

「あ、兄さん! 今ロケットの設計図書いてる!」

「……なんでまた」

「未来ちゃんが七夕の日が雨だって聞いてがっかりしてたから、宇宙に行けば星見られるかなって」


 机に向かって真剣な顔でがりがり鉛筆を走らせている陽太に話しかけると、とんでもないことを平然とした顔で言われた。

 まだ小学校低学年でロケットの設計図(しかも本当に稼働しかねないレベルの)を書いている弟を見て、私は当時馬鹿と天才は紙一重という言葉を強く実感していた。

 未来の為に何かしてやりたいというのは分かる。だが努力の方向性が常人と540度ほど違う。一週回った上でさらに真逆だ。


「……陽太、悪いことは言わないからやめておけ。そもそも絶対に資金足りないだろ」

「そうなんだよねー。そこが問題なんだけど」

「というか今から作っても絶対七夕間に合わないからな」

「じゃあどうしよう、未来ちゃんを悲しませたくないんだけど……兄さんだったらどうする?」

「俺? ……給食の七夕ゼリーでもあげておけばいいだろ。あいつ甘い物好きだし、ロケットよりそっちの方が絶対喜ぶから」

「うーん……それだけ?」

「それだけで十分だ」


 適当にそんなことを言って陽太を宥める。そして七夕当日、小学校の昼休みに陽太がバタバタ慌ただしくこちらのクラスへとやって来た。


「さっすが兄さん天才! 未来ちゃん喜んでたよ!」


 お前に天才と言われてもこれっぽっちも嬉しくない。

 うきうきと未来がどうだったと話すその頭の中は普通の人間にはまったく理解出来ない物が詰まっているというのに、こと幼馴染みの笹島未来に関わるとこいつはポンコツ化するのである。


 理数系に滅法強く、プログラミング等の開発をさせれば大人すら簡単に凌駕する圧倒的な才能。それを周囲の人間はこぞって持て囃したものの当の本人は全く興味がなさそうで、今日も自分の好奇心の赴くままに物を作り、そして大好きな女の子の後を追いかけるばかりだ。

 弟が優秀だと兄としては劣等感を抱いたり他人から比較されたり、というケースも少なからずあるだろう。しかし自分の場合、優秀という言葉では推し量れないあまりにも突き抜けた才能に最早比較なんてされなかった。おまけに普段の言動がハチャメチャですぐ奇行に走る為、そのフォローに回る度に「お兄さんも大変ね」とむしろ同情するような目で見られることの方が多かった。


「兄さん兄さん、今日も未来ちゃんが可愛くてね?」

「あーはいはい」

「真面目に聞いてよ! あっ、でも好きになったら駄目だからね。未来ちゃんは僕と結婚するんだから」

「まず未来と恋人になってから言え」


 そもそもこの二人、まだ付き合ってすらいない。小学校に通うようになって初めて顔を合わせた時に陽太が未来に一目惚れして以来、毎日好き好き言っているが逃げられ続けている。……まあ雅人曰く「未来もまんざらでもなさそう」とのことだが。


 結局この二人がようやく付き合いだしたのは中学に上がってから、未来がとうとう根負けして告白を受け入れたのだ。覚えている限りあの日ほど陽太のテンションが高かった日はなかった。次点でその翌日、付き合い始めて一週間はずっと騒がしかった。


「ほんっとどうにかしてよ陽太のやつ……!」

「迷惑掛けて悪いな」

「そう思うんならどうにかしてよ。夕君も兄さんもずっと見てるだけじゃないの」

「いや今のあいつに俺達が何言っても無駄だ」

「完全に無敵だよな。今ならあいつが『今度は神様作っちゃった』とか言っても信じる」

「もー、二人とも役に立たないんだから!」

「じゃあいっそ一度落ち着かせる為に嫌いとでも言ったらどうだ」

「……それは言わない」

「そうか」


 まあそんなこんなで騒がしい日常が続いた。相変わらず陽太は意味不明な頭で様々なものを作っているか未来を追いかけ回しているし、未来はぐちぐち不満を言いながらもなんだかんだ陽太の側にいる。そしてそんな二人を雅人と一緒に生暖かい目で見守っている、そんな当たり前の日常。


 それが、ずっと続くと思っていた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーー




 その日、一本の電話で日常は崩壊し始めた。


『もしもし、夕君?』

「どうした?」

『陽太のやつ全然来ないんだけど、何か聞いてない?』

「俺に連絡して未来に連絡しないなんてことあるわけないだろ」

『そうだよね……。何かあったのかな』


 少し前に陽太と未来が高校へ進学した。未来は女子校に通うことになり、一緒の学校に行けなくなった陽太が面倒臭いだだを捏ねたりと一悶着あったものの、結局最寄り駅が同じ近くの共学へ進学することになり落ち着いた。

 二人は特に予定がなければいつも帰りに駅で待ち合わせているらしいのだが、その日は遅くになっても陽太は現れず連絡も来なかった。ひとまず未来へ帰って来るように言って、自分も弟に電話してみたがやはり繋がらない。

 あの未来大好き人間が何の連絡も無しに彼女を待たせるはずがない。そうは思ったがまあそのうち帰って来るだろうとそこまで深く考えずに弟が帰ってくるのを待っていた。


 ――あの時、もっと早く探しに行けばと後悔しなかった日はない。



 陽太は帰って来なかった。一日経っても二日経っても、一ヶ月経っても一年経っても、あいつは二度と「ただいまー」と暢気な声で玄関の扉を開けることはなかった。

 あの日、陽太が授業を受けていつも通り恋人に会う為に意気揚々と教室を出て行ったところまでは確認されている。が、それ以降の足取りは一切掴めていない。警察に失踪届を出し捜索してもらったものの陽太は見つからず、そうしていつの日か捜査も打ち切られた。


「……陽太」


 あの日から未来の顔から笑顔が消えた。数年はずっとそのままで、いつか未来も後を追って居なくなってしまうのではないかと危惧した。私は雅人に未来のことをよく見ているように頼み、そして弟を探すことに必死になった。


 突然何の予兆もなく消えた弟。悩み事があるようには思えなかったし、何より未来を置いて何も言わずに居なくなるなんてあいつが自分でするはずがない。だから陽太が自らの意思で居なくなったということは絶対にありえないと思った。

 ならば誘拐か。目撃証言などが全くないことから恐らく計画的な犯行だろう。身代金等の要求もなく、他にあいつを誘拐する理由があるとすれば……勿論、あの常人の理解を超える頭脳において他ならない。十中八九、陽太はその頭の中身を狙われて浚われたのだ。


「――だから、陽太の身の安全は保証されている可能性が高い。全て喋った時点で殺すよりも長期的に新しい物を作らせた方が効率がいいからな」

「あいつが抵抗して口を割らない……ってことはないか」

「大丈夫だろう。そもそも陽太は自分の技術が世間でどんな評価をされようが興味なんて無いし、それが勝手に使われようが……『特許? それって未来ちゃんと何か関係ある?』とでも言うだろうからな」

「っふ、それは言いそうだな……」


 疲れ切った顔をしていた雅人が少しだけ笑った。

 大丈夫だ、陽太はまだ無事なはず。そう何度も自分に言い聞かせたし、雅人にも未来にもそう言って心を奮い立たせた。必ず陽太を取り返す。それでまた馬鹿なことを言い出すあいつに振り回されるような、そんな日常を絶対に取り戻す。




 ……けれど、現実はそんな甘くはなかった。

 大学に入ってもずっと陽太の捜索は続けた。将来的に警察官になって何かあいつの事件の手がかりでも見つけることが出来れば。そう思い役に立ちそうなことは片っ端から学んだし、技術も手に入れた。

 けれど警察の採用試験を受ける直前になって、従兄弟である青海颯が逮捕されたという話が飛び込んできた。それも危険思想のカルト教団の教団員として、だ。すぐに釈放はされたが当然その事件はこちらにも飛び火した。むしろ陽太が居なくなってから頻繁にこちらの様子を見に来ていたので関与していないか私まで事情聴取を受けたくらいだ。

 勿論採用試験を受ける話は流れ、それを聞いた未来が「私が代わりに警察官になって陽太の事件を追うから」と急遽進路を変えて警察官になろうとした。


 警察官になれなかった私は……悩んだ末に探偵になった。依頼を受けて小さな事件や人探しを請け負い、人脈を広げてほんの小さな糸口でも掴めるように。

 最初は中々上手く行かなかった。弁護士になる為に法学部に進んでいた雅人が手を貸してくれたものの、顧客の獲得は自分で行って行かなければならない。それでも少しずつ評判が広がり何とか仕事を続けて行けるようになった頃……数年来会っていなかった従兄弟が姿を見せた。


「よお」

「どの面下げて此処に?」

「そんな固いこと言うなって。探偵になったって聞いてはいたが本当だったんだな」


 へー、狭いけど悪くないな。と無遠慮に事務所に入ってきたやつは勝手にソファに座り、まるで我が家のように「まあ座れよ」とこちらを促して来た。


「お前、警官になろうとしてたんだってな。叔母さんから聞いた」

「だったら何だ? のこのこと謝罪にでも来たのか」

「……その通りだ」

「必要ない。今更何を言われたって何も変わらない。私が警察官になれなかったことも、陽太の何よりも大切な未来が危険な職業を目指す羽目になったことも」

「……」


 何を言っても未来は聞き入れなかった。警察官になると言い張って、体を鍛えたり兄の六法全書を読み漁ったり、絶対になるからと口を挟まないでと言われた。

 陽太はこんなこと望んで居ないと言っても、「陽太が言うこと全部聞いてたら私外にも出られなくなっちゃうわ」とけろりとした態度で返された。

 ……あいつが戻ってきたら、きっと私はとんでもない目に遭わされるだろうなとその時思った。


「それでも」

「謝罪はいらないと言っている。……それに、お前があの教団に潜入してたのは、陽太の事件を追ってたからだろ」

「! なんでそれ」

「確証は無かったから鎌掛けたが当たりか」


 この男はジャーナリストだ。そしてそうなったのは陽太が失踪してから。こいつもこいつなりに従兄弟を探しているのは前から気付いていた。

 陽太、お前色んなやつの人生左右しているんだよ。分かったらさっさと帰って来い。


「……は、流石探偵様。全部お見通しってことか」

「御託はいい。何か情報はあったのか」

「あった。……が、確かじゃない。前に聞き込みをしていた時に陽太のことを見たことがあるってやつがいてな。だが何処で見たんだか覚えてないと来た。思い出したら連絡くれって言って別れて……そしたらそいつ、三日後に自宅で首を吊って死んでるのが発見された」

「……」

「他殺の可能性はゼロだと。それに前日から様子がおかしかったのは周囲の人間の証言で明らかになっている。遺書には震えた文字で一言だけ『食べたくない』とだけ書かれていたらしい」

「食べたくない……?」

「陽太の件との関わりは分からねえ、が調べたらそいつが所属してた教団がかなりやべえってことが分かってな。藁にも縋る思いで潜入捜査してたって訳だ。結局何も分からずじまいだった挙げ句逮捕までされたがな」


 何一つ分からないまま、謎が増えただけだった。

 一つ舌打ちをして、それでも考えたがそもそもその自殺者が本当に陽太を見たかも怪しいし、そうだったとしてもあいつは地元の新聞記事に載ることもあったからそれで見たのかもしれない。

 役立たず、とは言わなかったし言えなかった。何も情報が無いのはこちらも同じことだ。

 ようやく探偵になってもそれは変わらない。昔は弟のような才能がないことを特に羨むことなどなかったのに、今は――。


「夕、お前」

「何だ」

「……あんまり、思い詰めすぎるなよ」


 最後に余計な言葉を残して、颯は帰っていった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーー




 あれから何年も経った。探偵事務所は軌道に乗り、安定して経営していけるようになった。雅人は弁護士に、未来は警察官となって、それぞれ大人になって自立している。

 ……けれど、弟はまだ見つかって居ない。


 連日仕事が忙しく気がつけば転た寝をしてしまっていた。時計を見上げればもう日付が変わる直前で、しばらくぼうっとそれを眺めた後自分は何をしているんだろうと不意に頭に過ぎった。

 違う。私がしたかったのは陽太を見つけ出すことで、なのにこんな他の仕事にかまけて。……生きていく為には仕方が無いと分かっていても、結局何一つ進展していない事実が心に突き刺さる。


 少し前からミスズテクノロジーという会社に目を付けてはいる。小さなIT企業が突然様々な分野に手を出して急成長を始めた、今業界で注目されている企業だ。

 それらが売り出している技術が陽太が遊びで作り出した物と重なった。実家に戻って昔陽太が書き記していたものを確認してみたが、完成品はまったく違うが使われているらしい技術は確かによく似ていたのだ。

 陽太を誘拐した理由を考えると、いずれ必ずあいつの技術が表か裏かは分からないがこの世に出てくる。ミスズが陽太を誘拐した犯人である可能性は十分に考えられるのだ。


「ちょうどいい。今うちの事務所で誰がミスズの顧問になるか協議中だ。絶対に俺が選ばれてみせるから、内部から探ってくる」


 雅人にその話をするとあいつは力強くそう言って、そして実際に顧問弁護士の座を勝ち取って来た。ミスズは俺に任せろと頷く雅人に頷き返して……結局私は自分が無力だということに気付いて唇を噛み締めた。

 それでも何か手がかりを掴めないかとミスズにハッキングを仕掛けてみたがあっさりと返り討ちにあった。あまりにも強固なセキュリティに文字通り逃げ帰ることしかできず、痕跡を残さないのが精一杯だった。所詮私の実力なんてこんなものだ。もしこれが陽太だったら一瞬のうちに、それこそ飲み物片手に突破していただろう。


「……七年か」


 カチカチと小さな音を立てて進む時計を見て思う。陽太が失踪して、あと数分で七年になる。高校三年生だった私はとっくに大人になって、どんどんあいつの顔が思い出せなくなっていく。

 七年経てば失踪宣告が認められる。つまり、陽太を死者として扱うこともできるということだ。そんなことをする気もないが、けれども世間ではとっくにあいつはもう存在を忘れられている。

 世間にも法にも陽太が死んだと認識される。嫌だ、そんなの認められる訳がない。


「……私じゃなければよかったんだ」


 この七年、何度も考えていたことがとうとう口をついた。

 私だからこんな何年も掛かってもろくな手がかりも見つけられないんだ。もしこれが陽太だったらとっくの昔に犯人を突き止めて見つけ出していたはずだ。

 誘拐されているのは陽太でこんな想像なんて何の意味もないことは分かっている。だがそれでも……自分の力が及ばないことを実感する度に、きっと弟だったら私が出来ないことも笑いながら終わらせてしまうんだろうなと考えてしまう。

 昔はあいつに劣等感なんて抱かなかった。だというのに陽太が居なくなってからというもの何をするにもあいつの存在が過ぎった。陽太だったら、陽太がいれば。そればかりを考えてしまって、自分の存在を消したくなった。


 もう一分で七年になる。嫌だ、止まれ。願っても秒針が止まることはない。駄目だ、私が無力だから、役立たずだから、私が――。



「私が、陽太だったら」





 ――その日を境に、私から明日が消えた。


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