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シロクロ男  作者: とど
28/40

16-1 嵐の前の静けさ、だった


「……あーあ」


 暇だなあ、と沢山の英数字が羅列されている画面から顔を上げた。


 静かな探偵事務所の中には自分以外の誰も居ない。それはそうだ、今日は依頼人も来ていない……というか、そもそも兄さんは僕が担当の日は依頼人を呼ぼうとしない。

 僕はこの事務所の中では情報収集担当だからしょうがないけどつまらないな。前にバーのマスターが来た時は瀨名ちゃんと一緒に一から依頼を受けたけどあれは結構楽しかった。また同じように飛び入りで依頼が来てくれたら嬉しいのに。


 だけどどっちみち今の事務所には瀨名ちゃんが居ない。この前の爆弾テロの所為で大怪我を負って今入院しているのだ。もうすぐ退院できるとは言っていたけど、瀨名ちゃんが居ない事務所はいっつも一人っきりで退屈だ。


「お見舞い行こっと」


 まだ就業時間内だけどいいや。どうせ仕事は終わってて暗号解いてただけだし。それにしてもあのミスズが出した暗号難しいなー。色々試してるけど全然解けなくてちょっと楽しくなってきた。

 ぐぐ、と大きく伸びをして椅子から立ち上がると、僕はタブレットと鞄を手にして事務所を出た。途中で何かお見舞い買って行こう。


 道中のコンビニに入ってまずレモンティーを手に取る。瀨名ちゃんがよく飲んでるやつだ。それと後は何か甘い物を……あ、シュークリームにしよう。確か好きだったはず。

 瀨名ちゃんがうちの探偵事務所にやって来て大体一年ぐらい経った。もうすっかり馴染んで、こういう食べ物の好き嫌いもいつの間にか分かるようになってきた。早いなあ。


「もう一年かー」


 懐かしいなあ。初めて瀨名ちゃんと会ったのは……そうだあの時だ。初対面でいきなり不思議なことを言われたからよく記憶に残っている。

 あの子と最初に出会ったのは真夜中だった。その前に何をしていたのかはあまり覚えていないけど、ふと気がついたらタクシーに乗る直前で、目の前に酷く酔っ払った瀨名ちゃんがいたのだ。


『あれー? いつの間に体に漂白剤ぶち込んだんですか? ……まあいいや、それじゃあね真っ白しろすけ君』


 それだけ言って帰って行った瀨名ちゃんに、当時は本当になんだったんだろうと疑問しかなかった。それから少しして兄さんが殺人の罪を着せられていた瀨名ちゃんを助けて、うちの事務所で働くようになったんだよね。そこで共感覚の話を聞いてやっと最初に言っていた意味が分かった。僕は瀨名ちゃんの目から見て真っ白らしい。

 瀨名ちゃんの目って本当に不思議だ。共感覚なんてもの初めて聞いたけど、何を考えているのか察したりすぐに嘘を見抜いたりしててすごい。僕も一度でいいから瀨名ちゃんの視界がどうなってるのか見てみたいなあ。


 そんなことを考えながら病院行きのバスに乗り込む。平日の昼間だからかバスの中は空いていて、適当に目に付いた席に腰掛けて窓の外を眺める。病院は終点で、他にも色んな場所を回るのでかなり時間が掛かる。タクシーでもよかったかも。いやそれよりも僕が車を運転出来れば楽なんだけどなー。


「……あれ?」


 そこまで考えたところでふと頭の中に疑問が湧いた。なんで僕って車の免許取ってないんだっけ? 別に取れない年齢でもないし取れるんなら取っておいた方が便利に決まってるのに。

 ……まあいいや。今度覚えていたら取りに行こう。




「……あ、着いた」


 何も考えずにぼけーっとしているといつの間にか瀨名ちゃんが入院している病院まで到着していた。運転手に促されてバスを降りて、もう通い慣れてしまった病室までの道を歩く。少し前まで未来ちゃんも同じくこの病院に入院していて、特にその頃は事務所にいるよりも病院にいる時間の方が長かった気がする。


「瀨名ちゃーん、お見舞いに来たよー」

「……陽太君、何度も言ってるんだけどもっと静かにしてくれないかな。此処大部屋なんだけど」


 考える必要もなく辿り着いた病室の扉を開けて瀨名ちゃんを呼ぶと、シャッとベッドを区切っているカーテンが開いて少し不機嫌そうな瀨名ちゃんが顔を出した。


「ごめんごめん。今日誰とも話してないから勢い余って」

「誰とも……まあ、そうか。仕事一人だもんね」

「兄さんみたいに依頼人の人とおしゃべり出来れば楽しそうなのに全然僕の日に予定入れてくれないんだもん」

「陽太君がちゃんと依頼料の交渉とかできればいいんだけどね。……まあそれだけじゃないけど」

「まだ他に何かあるの?」

「ちゃんと敬語を使うだとか、美味しいお茶を入れられるだとか」

「えー……面倒くさい」

「じゃあ諦めて」


 呆れた顔をした瀨名ちゃんに促されて病室を出る。此処で喋ってると同じ部屋の人に迷惑だからラウンジで話すんだって。


「というか陽太君、別に毎日来なくてもいいんだよ?」

「来ちゃ駄目だった?」

「駄目じゃないけどさあ……陽太君も夕さんも毎日来るから、なんか他の入院患者の人から『双子の兄弟を二股掛けてる』って噂されてて」

「僕と兄さん双子じゃないよ?」

「それはそうだけど。ほら、よく似てるから端から見たら双子みたいなものなんだよ」

「それに僕が好きなのは未来ちゃんなのに……」

「はいはい分かってるから」


 随分と軽くあしらわれた。もー、もっとちゃんと話聞いてよ。

 ラウンジはいくつものテーブルと椅子が並べられていて、天井から床までの大きな窓から外が見える。窓際の空いている席に腰掛けると、僕は持ってきたレモンティーとシュークリームを差し出した。


「あ、美味しそう。陽太君ありがとう」

「いいって。早く食べよう」

「うーん、それにしても……何日もベッドの上で安静にしてるだけだと筋肉落ちるし絶対に太るなー……おまけに夕さんも陽太君も美味しい物いっぱい持ってくるし」

「じゃあ食べないの?」

「食べるけど」


 食べるんじゃん。瀨名ちゃん元々キックボクシングとかやってたしちょっと筋肉落ちてもまたすぐに元に戻ると思うけどなあ。入院した今でも僕よりも筋力ありそう。

 クリームがいっぱい詰まっていて落ちてしまわないように苦戦しながらシュークリームを頬張っていると、不意に「そういえば」と思い出したように瀨名ちゃんが口を開いた。


「三日後の診察で順調だったらそのまま退院できるって言われた」

「やった! よかったー、もう僕一人で仕事するの暇で暇で」

「でも私が来る前はずっとそうだったんでしょ?」

「瀨名ちゃんが居るのに慣れすぎて前のことなんて覚えてないよ」


 本当に、この子が来る前は一体どうやって仕事をしていたんだっけと思う。


「瀨名ちゃんがうちの事務所に来てくれて本当に嬉しいよ」

「それは、ありがとう?」

「瀨名ちゃん来てから依頼も増えたしね。ほら、浮気調査とかでも女の人一人だと事務所に来にくいみたいだったし」

「あ、それはそうかも。同性一人いると結構違うよね」

「それに何より……兄さんがね、とっても嬉しそうだから」

「え?」

「兄さん、瀨名ちゃんが来てから随分元気になったんだ」

「夕さんが、元気?」

「うーん、元気っていうか……落ち着いたって感じ」

「元気で落ち着くって余計に分からなくなったんだけど。どういう状況?」


 首を傾げる瀨名ちゃんにこっちも上手い言葉が見当たらなくてちょっともやっとする。なんて言えば伝わるかな。


「えっとねー……あ、そうだ。安定した。これが一番しっくり来るかな」

「安定……?」

「うん。兄さん分かりにくいからぱっと見じゃあ何も変わらないかもしれないけど、未来ちゃんも雅人君もちゃんと気付いてる。だから皆瀨名ちゃんに感謝してるんだよ」

「いまいち要領を得ないな……」

「えー、これでも? まあいいや。嬉しいってことだけ伝われば」

「それは見れば分かる」

「瀨名ちゃん目いいもんね」


 僕ももう少し目が良ければいいんだけどなあ。遠くの物が結構見辛いんだよね。


「……そういえば、結局あの事件、爆弾テロとかってどうなったの?」


 レモンティーをずずっと吸いながら瀨名ちゃんが尋ねてくる。そうそうそれだよ。瀨名ちゃんが入院している間に色々事態が動いて収束したんだ。


 僕は仕事の合間に調べ上げた情報を一つ一つ伝えた。あのショッピングモールの爆破事件の際、ミスズは即座に警察と連携してまもなく試運転予定だったアンドロイドを現場へ投入した。実際そこまでには色々とごたごたがあったらしいが、雅人君曰く社長がごり押したんだって。「不測の事態が起こった場合責任は全て自分が取る」って言って。それだけアンドロイドに自信があったってことだよね。実際あのアンドロイドに未来ちゃんと瀨名ちゃんは助けられた訳だし。


 それで事件後に、最初に未来ちゃんに捕まった男の供述で反対運動を行ってた色んな場所に家宅捜索が入った。案の定火薬やら危険物が見つかって中心人物の何人かが逮捕された。今回の件で世間の目も滅茶苦茶厳しくなったし、これじゃあもう大がかりに活動できないよね。


「それにしても……ミスズも上手いことやったね。あんな爆破テロを逆手に取ってアンドロイドの宣伝にしちゃうんだから」

「それ兄さんも言ってた。実用性を大いにアピール出来たし世間への知名度も一気に上げたからね」

「あれ、本当にアンドロイドなんだ……本当に、まるで本物の人間みたいだったし」

「僕も見たけどぱっと見じゃ分かんないよね。ちょっと表情硬いけどそのくらいで」

「うん、それに――」

「あ!!」

「!? な、なに」

「瀨名ちゃんそういえば今日二月十一日だよ!」

「は? う、うんそうだけど。祝日まで仕事お疲れ様」

「そうじゃなくって! 三日後に退院って言ってたけどバレンタインじゃん!」

「……確かに?」

「間に合って良かったね。兄さんもきっと楽しみにしてるよ」

「いや夕さんそういうの興味無いでしょ」

「そうかな? 聞いてみる?」

「聞かなくていい、むしろ聞かないで」

「えー」

「変なこと言わなくていいから」


 兄さんだってチョコ好きだし嬉しいと思うんだけどな。僕が未来ちゃんに貰ったら絶対に嬉しいし。


「ところでなんで急に大きな声出したの」

「いや思い出したから忘れないようにって」

「……此処病院なんだけど」


 そういえばそうだった。瀨名ちゃんがしきりに周りの患者さんを気にするようにきょろきょろと目を配る。……迷惑そうな色とか見えてるのかな。


 それにしてもバレンタインかー。僕も楽しみだな。去年は運良く未来ちゃんとデート出来たし、今年も……。




    ■ ■ ■  ■ ■ ■




「退院おめでとうございます」

「……夕さん?」


 三日後、無事に診察でも太鼓判を押されて病院を出ようとすると、入り口近くの待合で待ち構えていた夕さんに迎えられた。


「まだお昼なのにどうしたんですか。仕事は?」

「別にそのくらい調整できます。こういう時個人事業だと楽ですね」

「いやそういう話じゃなくて」

「退院の手続きや会計はもう終わったんですか?」

「終わりましたけど」

「それでは帰りましょうか」


 有無を言わせずに夕さんに病院の外に連れて行かれる。強引ではあるが強く引っ張られたりはしない。そのまま駐車場に停めてあった夕さんの車の助手席に押し込められた。


「……あのー、夕さん。」

「なにか」

「少し前から思ってたんですけど……ちょっと過保護過ぎませんか」


 滑らかに車を発進させた夕さんをちらりと横目に見ながら、私はずっと思っていたことを口にした。

 入院してからというもの(夕さんにとっては)毎日面会時間ぎりぎりでも様子を見に来るし、花だの果物だの本だの必ず手土産持ってくるし、今日だってタクシーで帰ろうと思っていたのに当たり前に真っ昼間に待ち構えてるし。

 あれこれと例を挙げていると、運転しながら僅かにこちらに目を向けた夕さんが呆れたような表情を浮かべた。


「……竜胆さん。あなた、自分がどれだけ危なっかしいか分かっていますか。いえ、分かっていないからそんなことを言うんですよね」

「は?」

「爆発に巻き込まれてその程度の怪我で済んだのは奇跡です。それにその程度と言っても重傷。骨は折れて打撲も多く火傷まで……そもそもですね、爆弾が発見されたような状況で不審者を追いかけるなんて軽率も甚だしい」

「いやだって爆発したら困ると思って」

「実際爆発しましたよね?」

「それは……返す言葉もないんですけど。未然に防げなくてすみません」

「……いえ、そういうことを言いたいんじゃなくてですね。ともかく竜胆さん、あなたは自分の命を軽く見過ぎなんですよ。ですからその分私が責任を持って重く受け止めて差し上げている訳です」

「はあ……」


 その理屈は通っているのか……?


「えっと、まあ何にせよご心配おかけして申し訳ありませんでした」

「まったくです。今後はできる限り目の届く場所に居てほしいものですね」

「それはちょっと無理がありますが」

「ところでそのまま自宅へ向かって大丈夫ですか? 急な入院でしたし何か入用があれば何処かへ寄りますが」

「……どこか近場のデパートかその辺りお願いします」

「デパート……大丈夫ですか?」

「ええまあ。別にそういう施設事態がトラウマになった訳ではないと思うので」


 いきなり話変えるなあと思ったが、ちょうど買い物がしたいと言おうとしていたところだったのでちょうどいい。

 鞄を開けて(……ちなみに鞄も爆発で焦げた為入院中に夕さんが買ってきた)財布の中身を確認する。……まあ最低限しか無いが足りるだろう。


 ちなみに一番近かったショッピングモールは例の事件の所為で勿論営業していないので次に近い場所になる。車を十分ほど走らせてデパートまで来て立体駐車場に車を停めると、私は夕さんにお礼を言って助手席の扉を開けた。


「ちょっと待ってて下さいね」

「は? 何馬鹿なことを言っているんですか。あなた退院したと言ってもまだ完治していないんですよ。何かあったらどうするつもりですか」

「いやちょっと買い物行くくらいじゃないですか。すぐに戻るので大丈夫ですって!」

「先ほど言ったことをもう忘れたつもりでは――」

「男の人と一緒に買いたい物じゃないんです!」

「……」

「……」

「配慮に欠けていました、すみません」

「いえ」


 一瞬虚をつかれたような顔をした夕さんが随分大人しく引き下がった。……あれ、これもしかして下着とか買うと思われてないか? 

 まあいい、それはそれで好都合。夕さんを無事に黙らせたのでさっさと買い物に行って早く戻ろう。


 立体駐車場から店舗入り口に入りエスカレーターを下って店内に入っていく。……その瞬間、私は一瞬だけ頭が真っ白になった。

 エスカレーターの下から覗く行き交う人々、楽しそうな声。エスカレーター……吹き抜けから、瓦礫とガラスが――。


「……」


 床に足が着いた瞬間我に返った。……動悸が激しい。大丈夫、大丈夫だ。落ち着け。此処に爆弾は無いし、瓦礫も降って来ない。……大丈夫。

 自分に何度かそう言い聞かせて心を落ち着かせると、私はエスカレーター下すぐにあったバレンタインの特設コーナーへと足を進めた。当日だから品揃えはどうかと思ったが案外残っている。多分これから夕方の仕事終わりのOLなんかが買って行くんじゃないだろうか。


「あ、これ」


 足早に回っていい物がないか見ていると、ふと目に入って来たのはあの事件の日に候補として手に取っていた六つ入りのチョコレートの箱だった。よしこれでいい。値は張るが買えない訳じゃないし即決だ。


「本当に早かったですね」

「だから言ったじゃないですか」


 目的を果たしてさっさと戻るとちょっと夕さんが驚いた顔をしていた。再び助手席に乗り込んでシートベルトを着けると、私は今し方買ったチョコレートを膝に抱えて隣を見る。


「夕さんってこれからまた仕事ですか?」

「そうです」

「なら家に行かずにそのまま事務所行って下さい。ちょっとは手伝います」

「あなた怪我人なんですが」

「無理はしませんよ。それにさっきの夕さんの理屈で言えば誰も居ない家よりも夕さんの居る事務所の方が安全ってことになりませんか?」

「……それは、そうですね」


 よし、これで休憩中にでも渡せるな。別に家に着いた時にでも渡せばいいっちゃいいんだけど……まあね、こっちの方が長く一緒に居られるから。




    ■ ■ ■  ■ ■ ■




「あー事務所だー。何か懐かしい……」


 日数にしてみればそんなに経っていないのかもしれないが妙に懐かしい空気がする。自分のデスクに荷物を置いて座ってみれば、いつも通り少し離れた向かい側の席に座る夕さんの姿が見えた。

 あー、いつもの光景。帰って来たなあ。


「……妙に機嫌が良さそうですね」

「何か嬉しくって」

「それは何より」


 机に上半身をべったりとくっつける。そんな子供染みた行動を見た夕さんの小さな笑い声が聞こえて来た。平和だ。穏やかすぎる。幸せ。


「さて、仕事しますか」

「無理はしないで下さいよ」

「ちょっとパソコン触るぐらい何ともないですって」


 言いながらパソコンを起動させて事務所の共有スケジュールを見る。うわ、当たり前だけど全然知らない依頼ばっかり。何だこれ……父親の還暦の祝いに何が欲しいか探って欲しいって。自分で決めろっていうかよく依頼受けたな。暇だったのかな。かと思えば息子を殺した犯人が迷宮入りしていて見つけ出して欲しいなんて滅茶苦茶重い依頼まである。これはもう陽太君が解決したようだけど。また警察に恩売ってるな。


 色々と驚きやら懐かしさを覚えながら手元の資料をデータベースに取り込んだり、掛かってくる電話の応対をしたりしていつもの業務を続ける。が、しかしながら何日もベッドに縛り付けられていたからかすぐに疲れてしまう。いつもなら半日尾行してても平気なのにまだちょっとデスクワークしただけでこれだ。


「疲れたら休んで下さいよ」


 肩を回していると見かねたように夕さんが口を出す。お言葉に甘えて休憩させてもらおうと、私はコーヒーを入れる為に立ち上がった。ちょうどいい、夕さんの分も入れて例のあれを渡そう。

 コーヒーの準備をしている間に鞄を取ってきて買ってきたチョコレートの箱を取り出す。……別に普通に渡せばいいだけなのに妙に緊張してきたな。


「夕さん、コーヒー置いておきます」

「ありがとうございます」

「それと……その」

「?」

「どうぞ、お納め下さい」


 手に持ったトレーからコーヒーを机に置き、続けて持ってきた小箱をずずっと差し出した。彼は一瞬なんだと首を傾げていたが、すぐにカレンダーを見て「そういうことか」と呟いた。


「さっき買ってきたのはこれですか?」

「そうです。何か勘違いさせてしまったみたいですけど」

「いえ。……ありがとうございます。早速頂きましょうか」


 夕さんがチョコレートとコーヒーを手にした立ち上がる。そして応接用のソファの方に腰掛けると、こちらへ来るようにと手振りをする。


「せっかくですから一緒に食べましょうか」

「え? でも夕さんのなのに」

「構いませんよ」


 私が夕さんの前のソファに座るとチョコレートの包装を解いてテーブルの真ん中へ箱を移動させた。ちらりとチョコレートから彼に視線を向けると非常に珍しく穏やかな表情を浮かべていた。……色を見ても間違いない。夕さんめちゃくちゃ機嫌いいじゃん。

 箱の中にあるのは一つ一つデザインの違うチョコレート達。ぱっと見でお高そうなのが分かるし実際結構高かった。


「どうぞ、好きな物を取って下さい」

「は? 夕さんの為に買ってきたんですから夕さんから選んでもらわないと困るんですけど」

「いいんですよ。頂けただけで十分です」

「……じゃあ、遠慮無く」


 夕さんそんな綺麗に笑うこと普段依頼人を前にした作り笑い以外でないじゃん!! 何なの今日! 止めてよねいきなりそういうの、動揺してせっかく夕さんに上げたチョコなのに三つも確保しちゃったよ。調子狂うな……。


 半ばやけ食いのようにチョコレートを口に入れてコーヒーで流し込む。非常に勿体ない食べ方をしているとは思うが今は許してほしい。夕さんはというと私とは対極でとても優雅にチョコを口に運んでいる。


「美味しいですね」

「それはよかった。夕さんだから気に食わないと文句でも言って来られるかな、と」

「あなた私のこと何だと思っているんですか。わざわざ竜胆さんが私の為に選んで下さった贈り物に文句を付ける訳無いじゃないですか」

「いや……はい、そうですね」


 ちょっとこの空気に耐えきれなくて軽口を叩いたのに軌道修正してくるの止めてくれません? なんだか居たたまれなくなって来た……。


「竜胆さんどうしました? 顔赤いですがどこか具合でも」

「あああもう! うるっさいですよ!」


 分かってて言ってるなこの真っ黒くろすけめ! さっきまで穏やかだった顔が今は実に楽しそうににやにやと笑ってさあ!


「美味しかった! はいごちそうさまでした! ……あれ、そういえば」

「どうかしましたか」

「いや、そういえば急いで買ったので陽太君の分買って来るの忘れてたなって」

「……別に、あいつの分は必要ないのでは?」

「は? なんで?」

「あいつはどうせ未来から貰う物が全てですから。他の人間から貰ったってちっとも喜びはしませんよ」

「いや陽太君流石にそんな薄情じゃないと思うんですけど」

「ともかく、あいつには渡さなくていいです。買って来なくていいですから」

「はあ……分かりました」

「よろしい。……ああ、それはそうと。せっかく退院したんですから今夜お祝いに食事でもどうですか。このチョコレートのお礼もありますしご馳走しますよ」

「え? いいんですか?」

「ええ。病院食は飽きたでしょうし竜胆さんの好きな物で構いませんよ」

「じゃあ和食がいいです! 今天ぷら食べたい気分! ちょっと前に日本酒も飲めるようになったんで美味しい所に――」

「怪我の治りが悪くなるので飲酒は禁止です」

「……やっぱり?」

「当たり前です」


 駄目元で聞いてみたがやはり駄目だった。せっかく夕さんと一緒だから外でも飲めると思ったのに。まあでも数時間後の楽しみが出来た。夕さんのことだからきっと美味しい店に連れて行ってくれるだろう。

 十分に休憩出来たのでカップを片付けて仕事に戻る。さっき疲れていたのが嘘のようにやる気に満ちている。やっぱり人間みんな美味しい物には弱いのである。


 


    ■ ■ ■  ■ ■ ■




「今日はここまでにしておきましょうか」


 夕さんがそう言ってパソコンの電源を落としたのは日が落ちる直前だった。気がついたら外が薄暗い。いつも通りに仕事をしていたが病院に居る時よりも圧倒的に時間が経つのが早いな。壁時計が何度も鳴ったのに全然覚えていない。


「竜胆さんの家の方向に評判のいい和食料理店がありました。そちらにしましょう」

「あ、ちょうどいいので一度家寄ってもらってもいいですか? 病院から直行したので着替えとか化粧とか色々したいので」

「分かりました」


 机を片付けて意気揚々と夕さんを待つ。然程時間も掛からずに支度を終えた彼がコートを手に取ったところで、何ともタイミング悪くデスクの上の固定電話が鳴った。ちょっと出鼻を挫かれた気分だ。


「依頼ですかねー……」


 面倒くさい客じゃなければいいのだが。たまに居るのだ、話は後日会ってから聞くというのに一から身の上話を始めるような依頼人が。


「先にエンジン掛けておきますね」

「お願いします。……はい、青海探偵事務所ですが」

『お忙しいところすみません。こちら警察ですが青海夕さんはいらっしゃいますか』

「警察? あ、夕さんちょっと待って下さい」


 電話口の声を聞いて慌てて夕さんを呼び止める。警察です、と受話器を渡すと彼は首を傾げてそれを受け取った。


「お電話代わりました。青海夕ですが……」


 この前も迷宮入りの事件を解決したみたいだしそれ関連だろうか。警察なら話が長くなりそうだなと思い、私は鞄を置いてソファに腰掛けた。


「はい。……ええ、そうですが――は、」

「……夕さん?」


 電話に受け答えをしていた夕さんが、突然言葉を止めた。いやそれだけじゃない。目は限界まで大きく見開かれ、顔は引きつったように硬直し……そして一瞬にして、頭が痛くなるようなぐちゃぐちゃな感情の色が表れた。


 コードレスの受話器が、大きな音を立てて床に転がった。


「夕さん!?」


 それと同時に崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ夕さんが頭を抱える。瞬きもせずにぶつぶつと小さな声で何かを呟き頭を掻きむしる。


「嘘だ、……そんな、そんなこと、だって」

「!」


 うわごとのようにそんなことを口にしたのを最後に、夕さんの体から力が抜けた。咄嗟に倒れ込むその体を支え、私は混乱しながらも受話器を拾って元凶らしき電話の向こう側へ呼びかける。


『青海さん? もしもし』

「ちょっと夕さんに何言ったんですか!」

『え……あの、関係者以外には』

「いいから!! こちとらそれどころじゃないんですよ! 夕さん大変なことになってるんですから!」

『大変って』

「早く!!」

『はっはい! いえ、それが……』


 気の弱そうな声だということをいいことに無理矢理ごり押すと警察らしい彼は非常に困惑しながらも続きを話してくれた。


 ――けれどそれを聞いた瞬間、私だって呼吸が止まった。








『十年前に行方不明の届け出がされていた弟さん……青海陽太さんの白骨遺体が発見されました』


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