15-2 嘘みたいな救世主
音が聞こえる。よく聞き慣れた……なんだっけこの音。
……ああそうだ、スマホの着信音だ。早く出なくちゃ。そう思うのに、体が動かない。
なんで動かないのか。おかしいなと無理矢理動かそうとして、途端に体中に激痛が走った。
「いっ、あ」
痛い、滅茶苦茶痛い。何なんだ一体!? 混乱している間にも着信音は鳴り響いていて、私はスマホを取ろうとうっすらと目を開けた。
そして――周囲の惨状を見て息を飲む。
目の前は滅茶苦茶に壊れ崩れていた。ガラスは割れ、瓦礫が散らばり、床は焦げて真っ黒になっている。
……ああ、そうだ。私、爆発に巻き込まれたんだ。
私は壁際に居て近くには持っていた鞄が転がっていて、痛む体を引き摺って鞄を掴みスマホを取り出した。他の物がクッションになっていたのか画面すら割れておらず無事だ。
「……もし、もし」
『どれだけ無視すれば気が済むんですか。また加神さんのライブ映像でも見ていたんですか?』
「……」
少し苛立ったようなその声を聞いた途端、思わず泣きそうになった。それを堪えて唇を噛み締めていると、わざと黙っていると思ったのか大きなため息が聞こえて来る。
「あなたが知っているかは分かりませんが、今ミスズに対する反対運動を行っていたやつらが爆弾テロを起こしました。うちにも警察から協力を要請されています。楽しんでいるところ悪いですがさっさと事務所へ――」
「……夕、さん」
「緊急事態です。休みはまた後日ずらしますから」
「そうじゃなく、て」
「……?」
掠れた声で何とか説明しようと口を開く。しかしその前に電話越しにカタカタとキーボードを叩く音が聞こえて来た。それと同時に、短く絶句するような声も。
「竜胆さんあなた……なんでそこに!」
「? ……ああ、そういえば……なんかスマホ、で場所が分かるって前に」
「質問に答えろ! あなた今……いや、もしかして爆発に巻き込まれたんですか!?」
「……はは」
夕さんは話が早くて楽だなあ、と思わず笑ってしまうと「笑ってる場合ですか!」と怒鳴られた。
「怪我は! 動けるんですか!?」
「んー……あー、まあ、どうにかなります、多分」
「報告は正確にしろといつも言ってるだろうが!」
「……未来さんとショッピングに来て三珠洲社長を狙ったと思われる爆発物を発見、犯人は未来さんが捕まえました。私はその時に他にも不審者を発見、自爆テロを行おうとした犯人を説得しようとして……失敗して巻き込まれました」
「っあなたは……」
「怪我は……咄嗟に頭を庇って逃げましたけど、爆風に巻き込まれて結構ボロボロですね。多分どっか折れてるんじゃないでしょうか」
だんだん痛みが分からなくなって来た。アドレナリンが出ているのだろうか。まあそちらの方が動くには好都合だ。
「……くそ、未来には通じないか。竜胆さん、あなた今何階にいるか分かりますか」
「三階です。三階の、東側の階段」
「分かりました。もう喋らなくていいです。警察にあなたのことを伝えて救出要請を出します。幸い先に避難誘導が始まっていたので巻き込まれた人間は多くない。すぐにそちらへ向かってもらいます。そこで安静にしていてください」
「分かりました……」
「スマホは切らないでそのままにしておくように。それでは、何かあったらすぐに伝えて下さい」
ふっ、と夕さんの声が途切れて聞こえなくなった。恐らく警察に連絡するのだろう。……なんだか途端に心細くなって来て、私は出来るだけ呼吸が楽な体勢を取って改めて辺りを見回した。
そういえばあの男はどうなったのだろうと不意に頭に過ぎる。勿論生きているとは思えないが一応確認してみると、沢山の瓦礫が積み上がっている側に血塗れの腕が見えた。……落ちている、腕だけが。
「っ、う」
胃から迫り上げて来る物を感じて思わず吐き出した。良いのか悪いのか、今まで何度も死体を見てきたがそのどれも損傷は激しくなかった。昨日見たホラー映画とは比べものにならないリアルな光景に吐き気が止まらない。
……だって、こんな凄惨な光景なのに……なんで、残った色はこんなにも綺麗なんだ。全く死ぬことに後悔はないと言いたげに鮮やかな色を残して私に伝えてくる。
「……は、馬鹿みたい」
こんな人、初めから止められる訳なかったんだ。それなのに無駄に説得しようとして、結局失敗して自分も巻き込まれて……余計なことしかしなかった。
「おまけに警察の手まで煩わせて……ホントに馬鹿だな私、何にも出来ないじゃん」
『そんなことありません』
「……え?」
『竜胆さんが何も出来ていない訳ないじゃないですか』
聞いていたのかと思ったがそれはそうか。何かあったら言うように言われてたんだった。
「……別に、変に慰めなくていいですよ。余計な正義感出して、結果的に何もできなかったのは事実ですから」
『確かに今回のことは軽率だったとは思います。ですがいつもそういう訳ではないでしょう?』
「そうですかね……」
『ええ。現に、あなたのお節介のおかげで生き残った男も此処に居るので』
「……」
……はあ。この男、たった一言で息がしやすくしてくれる。
『警察に竜胆さんのことは伝えました。すぐに向かってくれるそうです。未来もまだ見つかっていないんですがこちらは連絡がつきません』
「未来さん、きっと他のお客さんの誘導とかして逃げ遅れたんじゃ……」
『でしょうね。あいつが市民よりも先に逃げるとは思えない。同時に捜索を依頼しました』
「無事だといいんですけど……え」
『竜胆さん?』
「……夕さん、煙が」
出来るだけ電話に意識を向けていたからだろうか、気がつけば周囲の様子が随分と変わっていた。もくもくと黒い煙が立ちこめ、いつの間にか随分と暑い。ちりちりと小さな音を立てて崩れた階段の向こう側が燃えていて、それは少しずつ広がってこちらへと近付いてくるのが分かった。
「火事に、なってるみたいです」
『! 竜胆さん、動けますか』
「……平気です」
先ほどとは違ってはっきりとそう返せた。夕さんと話している所為か随分と気力が戻ったように思えたのだ。体を押さえながらゆっくりと立ち上がって、足を引き摺りながらできる限り火元から距離を取り始める。
「姿勢を低くしてあまり煙を吸わないようにしてください」
「はい……」
階段と反対側、テナントが入っていたフロアの方へと逃げようとするが、こちらも瓦礫が邪魔だ。しかし此処から逃げるしかないので無理矢理よじ登り、怪我を酷くしながらも何とか崩壊の少ないフロアの方まで逃げられた。
あーあ、最近生傷が絶えない。今回のことはあまり関係ないけど、探偵になってから一体何度怪我をしただろうか。……まあ、だからって前の職場の方が良かったなんて死んでも思わないけれども。
「……夕さん、此処もあちこち燃えてます」
『爆弾の数が多かったようです。一つ一つは小規模ですが、それぞれが爆発の影響で店の物に引火して火災が広がったんでしょう』
「それだけ、自殺した人がいるってことですよね」
『……そうですね』
最初の男だけは時限爆弾で逃げようとしたようだけど、目の前で死んだ男の口ぶりからして他の人間は自爆したんだろう。自分だけ生き残る訳にはいかないって言っていた。
のろのろと普段とは比べものにならないくらいの速度で火から逃げる。いくら姿勢を低くしても煙たいのは変わらなくて、上着を強く口元に当てて必死に進む。助けはまだだろうか。他にも私のように取り残された人がいるかもしれないし、動ける以上自力で逃げられる場所まで逃げなければ。
そうだ未来さん。未来さんだって連絡が取れていないんだ。もしかしたら私と同じように爆発に巻き込まれて――。
「……ああっ!! げほ、ごほ」
『竜胆さん!?』
「ゆ、夕さん! 未来さんが! 未来さんが居ました!!」
彼女のことを考えていたその時、不意に見慣れた青が目に入った。雑貨屋の崩れた棚の下で俯せになって倒れているその人を見つけてすぐさま全力で叫ぶ。
未来さんだ! 息をしているように僅かに体が動いていてちゃんと生きているのが分かる。……よかった、本当によかった。
「未来さん! 起きて下さい!」
「……せ、な、ちゃん」
「大丈夫ですよ、今棚どかしますからね!」
私はスマホをポケットに入れて未来さんの上に倒れる棚に手を掛けた。重っ、もう何も入っていないのにかなり重い。
「か、火事場の、馬鹿力……っ! 来い!」
「ご、ごめ……瀨名ちゃん」
「あ! ちょっと持ち上がった気がする! 未来さん動けませんか!」
僅かに棚が浮いたような感覚がしてそう叫べば、未来さんはゆっくりと這って棚の下から動き出した。もう少し、あと少し頑張れ私!
「瀨名ちゃんもういいよ!」
未来さんが完全に抜け出したところで一瞬で力が抜けた。ドン、とカーペットの床に重い音が響き棚がくっついた。もう絶対に持ち上がる気がしない。
荒い息を吐きながらも立ち上がった未来さんはあちこち怪我をしているが見たところ重傷ではなさそうだ。
「未来さん……無事でよかった」
「それはこっちの台詞だよ! 気がついたら瀨名ちゃん居なくて、しかも怪しい人見つけたから追いかけるなんてメッセージ入ってて血の気が引いたんだから!」
「それは……本当にごめんなさい。そういえば未来さん、連絡取れなかったけどスマホは」
「どうだろ……多分その辺で何かに潰されてると思う。突然近くが爆発して、残ってたお客さんを逃がした辺りで棚が倒れて来たから」
「そっか。……あ、夕さん未来さん無事です!」
『……そうですか。良かった』
慌ててスマホを耳に当てて現状報告をすると、耳元から酷く安堵した声が聞こえてきた。
よし、未来さんと合流出来て随分と気持ちに余裕が出てきた。
「未来さん、今夕さんが救助要請出してくれているのでとにかく安全な場所まで逃げましょう。此処に居たらまた火が来るので」
「分かった。ごめんね、私警察官なのに助けてもらうばかりで」
「そんなことないですよ。未来さんが避難誘導してくれたから助かった人達だって沢山いるんですから」
それに比べて私は……と一瞬また頭に過ぎったがそれを振り払う。今はとにかく無事に脱出することが優先だ。
また姿勢を低くして出来るだけ煙が来ない方へと進む。どんどん息苦しくなっていくのを気付かない振りをして、爆発の影響でぐちゃぐちゃになったショッピングモールの中を抜け出していく。
止まっているエスカレーターを見つけてようやく二階に降りられた。二階はまだ火の手は迫っておらず、新鮮な空気に思わず大きく深呼吸する。
「今のうちに行きましょう」
「はい」
一階に繋がるエスカレーターも近い。私達は随分肩の力を抜いて火も煙もないフロアを歩き出した。何とか無事に助かりそうだ。あと少し、あと少し――。
だから、完全に油断していた。
「っ瀨名ちゃん!!」
「あ、」
鼓膜が破れそうなほどの爆音。先ほど聞いたのとまったく同じそれが頭上から聞こえて来たのと同時に、ばきりと何かが割れた。
ふらふらと歩いていた私が上を見上げるがもう遅い。エスカレーター近くで吹き抜けになっていた頭上からガラスや瓦礫、沢山の物が降って来た。動けない。側に居た未来さんが咄嗟に私を庇うように抱きしめ、床に蹲った。
駄目だ、未来さんが。いや彼女だけじゃない。このままだと二人とも死ぬ。
どれだけそう思っても落ちてくる物は遅くなることもなく一瞬で真上に迫る。ただ、未来さんに抱きしめられた肩の向こう側から自分達を殺す凶器を見ていることしかできない。
死ぬ。
次から次へと轟音を立てて瓦礫が落ちた。
……けれど、私は突然視界を遮られてそれを直接目で見ることは無かった。
「……え」
突然目の前が真っ暗になった。音だけは聞こえるのに衝撃は一切ない。まるで、一瞬にして私達の上に頑丈な壁ができあがったかのように。
「な、なに」
未来さんも困惑している。むしろ彼女の方が天井に背を向けていた為訳が分からないだろう。……と、その時目の前を覆っていた影が動いた。がらがらと音を立てて私達を守った物の上から瓦礫が落ち、そうしてようやく視界が開けた。
「――最要救護者発見。直ちに救出を開始します」
そこに居たのは、とんでもなく綺麗な顔をした無表情の男だった。
短く切り揃えられた黒髪、ガラス玉のように澄んだ青い目、私達を庇って瓦礫を一身に受けたのにも関わらず平然としたその男は表情筋をろくに動かすことなくそう言って立ち上がった。
「え、ちょっと!」
その腕に、軽々と未来さんを抱えて。
「な……ええ?」
「大丈夫ですか!?」
何だこの人、え? 何?
私も未来さんも酷く困惑していると、すぐに彼の後ろからレスキュー隊らしき人達が現れた。男に運ばれていく未来さんに続いて私も抱えられてあっという間に一階に下り、すぐさま瓦礫の撤去されていた入り口から外へと運び出された。
死を覚悟してからの展開が急過ぎて全く頭がついていかない。何が何だか……それに、さっきのあの男の人は。
「竜胆さん!」
「……夕さん?」
先に運ばれた未来さんに続いててきぱきと担架に移されている時、気がつけば酷く焦った色をした夕さんが側に来た。事務所に居たのにわざわざ現場までやって来たのか。担架で運ばれながら夕さんに覗き込まれて、なんだか前にもこんなことがあったなと思い出した。
「夕さん、未来さんは」
「救急車に入る直前に容態だけ聞きました。怪我はありますが命に別状はないと」
「あー……よかった。あの、それで」
「人の心配よりも自分の心配をして下さい。あなた、自分がどれだけ重傷を負っているのか分かっているんですか!」
「え?」
「至近距離で爆風を受けて生きてるだけ奇跡なんですよ! それなのに平然とした顔して……」
「……」
そうだ。そういえば私、初っぱなからあんな近くで爆弾が爆発したんだった。あの男が他の人を巻き込まない為か小規模な爆発だったといっても、冷静になってみれば確かによく無事だったな私。
……そこまで考えて自分の体を改めて見下ろした途端、あまりにぼろぼろになっているのを認識して急に全身に痛みが蘇ってきた。
「い、痛い……」
「当たり前だこの馬鹿が! どれだけ自分に無頓着なんですか!」
「いや、だってもう必死だったんですよ! 生きる為に頑張ってたんです! あったたた……」
「安静にして下さい!! あなたも怪我人を興奮させない!!」
夕さんと言い争っていると担架を運んでいた救急隊員に怒鳴られた。その瞬間お互い黙り込み、救急車に乗せられて運ばれるまで二人揃って口を閉ざしていた。
「……あの、夕さん。聞きたいことが」
「何ですか」
救急車が動き始めてから少ししてからようやく話しかけると、先ほどとは違って落ち着いた様子の夕さんがこちらを見つめた。
「未来さんを運んでいったあの人……一体何なんですか」
「……」
「レスキュー隊とか警察みたいな格好じゃなったですし、私達を落ちてきた瓦礫から庇っても全然怪我をしてる様子もなかったし、それに」
「彼は……いや、あれは」
どうやら夕さんも知っているらしい。しかし眉を顰め、なんとも言えない難しい顔をした。
救急車のサイレンと私に繋がった機械の音が妙に耳に入ってくる。夕さんは、しばらく口を閉ざした後大きくため息を吐いた。
「何とも信じがたいのですが」
「はい」
「あれがミスズテクノロジーの開発した噂の、新型アンドロイドです」
「……はい?」




