15-1 危機
「本当に申し訳なく……」
「あの、未来さん」
「警察官ともあろう者が余所様の家で飲んだくれて寝落ちして、おまけに二日酔いの面倒まで見させてしまうなんて」
「だ、大丈夫ですって! 私も二日酔いだからついでだし! ほら、朝ご飯食べようよ」
「朝食まで用意させてしまって……」
「駄目だ未来さんの頭がどうしても上がらない」
翌日、起きてから周りの惨状を見て絶句した。すぐさまテーブルの上の大量の空き缶を片付け、寝ぼけて落としたであろうカーペットに落ちたおつまみをゴミ袋に入れ、付けっぱなしになって止まっていたDVDを取り出し……そして洗濯機を回して朝ご飯を作り始めたところでずっと眠っていた未来さんが目を覚ましたのである。
今にも土下座を始めそうな彼女の前のテーブルにトーストとお湯で溶いたコーンスープを置く。大分質素だが許してほしい。朝食と言うには時間が遅いし、昼ご飯までの繋ぎぐらいにはなるだろう。
「未来さん疲れてたんだからしょうがないって。ともかく、さっさと食べて買い物行こうよ。せっかくの休みなんだから」
「そ、そうだね……」
そう言って諭すと未来さんはようやくトーストにマーガリンを塗ってもそもそと食べ始めた。
……実は、何も言ってないが昨日の記憶は全部残っている。なんでこういう時に限って上手いこと記憶飛ばなかったんだろう。未来さんがどこまで覚えているかは分からないが、絶対に藪蛇になるから聞かない。
それにしても……夕さんを助けて、か。
「未来さん何買うの?」
「この前寝ぼけてマグカップ割っちゃったからそれ買って、あと新しい服も見たいし、他にも化粧水とか色々減ってるから買い足さないと……」
「私も服見たいなー、あと何か自分にご褒美買いたい。最近色々散々な目に遭ってばっかりだし……」
仕方が無いのだがこの仕事をするようになってから結構危険な目に遭いまくってる気がする。殴られて気絶させられたのは既に二回あるし、ヤクザには追いかけられるし、この前もジムでいちゃもんつけられ……あれは陽太君の方だけども。おまけに死体なんてもう四回ぐらい発見している。流石にちょっとは自分にご褒美を上げたい。
「うわ、停められるかなこれ」
という訳でやって来た近くのショッピングモール。あまり遅く家を出ると駐車場が混むからと手早く準備をして出発したのだが、到着してみればもうかなり混んでいる。駐車スペースを探しているとたまたま近くの車が出て行ったので運良くそこへ車を入れ、私達は暖房の効いた店内へと足を踏み入れた。
「何か今日いつも以上に人多いね」
「あれの所為かな? ほら、あそこ」
「ん?」
未来さんが示した方を見ると開けたスペースにステージが設置され椅子が並べられており、その近くでは何やら列に並ぶ人達が居た。近くに設置された看板を見ると、『もうまもなくに迫るアンドロイド試運転で話題のミスズテクノロジー社長トークイベント』と書かれている。……こんなところでもミスズか。
「ミスズって、確か兄さんが顧問やってる会社だよね」
「うん、今アンドロイドで話題のね」
「私そういうの詳しくないんだけど、きっとすごいんだろうね」
未来さんはちょっと感心しながらも然程興味は無さそうだ。……この様子だと未来さんは夕さん達がミスズを気にしていることを知らない? そういえばあの二人、あんまり彼女を巻き込みたくないみたいなことを言っていた気がする。
「……」
この前の夕さんが言いかけた話、大方予想は付いたし裏も取った。ミスズとの関連性も、なんとなく想像は出来る。だからこそ、あの二人は未来さんには何も言わないのだろう。それが未来さんにとって良いことなのかは分からないけど。
「あ、もうそんな時期か」
「何が?」
「あれだよあれ、バレンタイン」
ぼうっと思考に耽っていると、不意に未来さんが賑わっている人達を見て呟いた。よく見てみればそこはバレンタインの特設コーナーになっており、沢山のチョコレートが所狭しと並べられている。
「……え、もうそんな時期? まだ今年始まったばっかりじゃない?」
「瀨名ちゃんもそう思う? 私も今年入ってから忙しすぎて全然覚えてなかった……」
二人してそんなことを言いながらいそいそとバレンタインコーナーへと足を伸ばす。子供向けの可愛らしい動物の形のチョコがあったかと思えば数個しかチョコが入っていないのに数千円もするお高いチョコレートまで幅広い。こういうものは見ているだけで楽しい。気に入ったものがあれば何か自分用にも買って行こうかな。
ちらりと横を見ると未来さんも先ほどとは違って興味津々にチョコを眺めている。
「未来さんバレンタイン上げるんですか?」
「毎年兄さんとかあの二人には上げてるけど……瀨名ちゃんは? 夕君に上げるの?」
「……未来さん」
滅茶苦茶良い笑顔で聞いてくるな……。陽太君に知られたら怖いくらい。えーっと二月十四日……当日は夕さんか。何にせよお世話になってるしあらゆる意味で渡さない理由はないな。陽太君には前日に渡そうかな。
「ねえ未来さん、夕さんってどういうチョコレートが好きか分かる? たまにチョコ食べてるの見るし嫌いじゃないのは分かるけど」
「夕君はね、あんまり甘すぎるのは好きじゃないよ。あとどろっとした柔らかいチョコも好きじゃないって。ほら、フォンダンショコラとかそういうの。溶けたチョコが嫌みたいで、昔はよく冷蔵庫か冷凍庫でバッキバキに冷やしてから食べてたな」
「へー……知らなかった。じゃあ陽太君は? っていうか上げてもいい?」
「別に私に聞かなくても。まああいつは好き嫌いないから何でもいいんじゃない?」
「いきなり適当過ぎる」
「だって何か嫌がってた記憶ないし」
それは多分未来さんから貰った物なら何でも大喜びしてるだけでは? その所為で逆に好み分かんなさそう。まあどれでもいいなら無難なものにしておくか。
うーん、夕さんはやっぱりそれなりに値が張るものにした方がいいだろう。事務所で出すお茶菓子も結構良い物買ってるし、舌肥えてそうだもんなあ。量はいらないのは分かっているのでやっぱり高級っぽい小箱のやつにしておこう。
「未来さんこれなんかどう思い……未来さん?」
とりあえず候補を二つほど手にして未来さんの方を見る。しかし彼女の視線はいつの間にか一切チョコレートへとは向けられてはおらず、まったく対局にある人通りを眺めていた。一体何を見ているのだろう。彼女を見た流れで自然とその先を辿ると、一瞬でその理由が分かった。
まるで画用紙に一点絵の具を落としたように周りから浮いた色が一つ。周囲とはまったく異なるその淀んだ色を持った男が、ちらちらとしきりに周囲を気にしながら歩いている。私は色でその不審さに勘付いたが勿論未来さんは挙動だけで判断したのだろう、その目を鋭くさせて男の様子を窺っていた。
「あの人の色、何か良い雰囲気じゃないですね」
「色? あ、そうか……瀨名ちゃん職質に便利そう。警察向いてるんじゃない?」
「探偵にも向いてますよ」
「ごめん、ちょっと怪しいから追いかけて来る」
「私も行きます」
チョコレートを置いて歩き出した未来さんに着いていく。彼女は何か言いたげだったが、口論している間が惜しいと感じたらしくそのまま男の後を付けていく。
遠目から見るかぎりその男は四、五十代ぐらいだろうか。疲れた顔に僅かに緊張の色を乗せながらよれよれの灰色のコートと紙袋を手にして歩いている。
「見れば見るほど怪しいな……」
「私ちょっと話掛けて……え?」
「あ」
その時、ふらふらと歩いていた男が不意に物陰に消えた。先ほど見たトークイベントのステージの裏だ。見失うと思って足を早めるがすぐにその男は姿を現し、再び周りを気にしながら人混みを縫って歩き出した。
ただ先ほどと違うのは手にしていたはずの紙袋が無いこと、そして――淀んでいたその色に何処か喜びが混ざっていたことだ。
「未来さん!」
声を上げる直前かほぼ同時に険しい顔をした未来さんが走り出した。あっという間にステージの裏へ向かうとすぐさまそこから飛び出し、逃げるように早足になっていた男に一瞬で追いついて引き倒した。
「な、!?」
「警察です。あなた、自分が何をしてるのか分かってるの?」
不意打ちで背後から襲われた男は始め混乱していたものの、未来さんが身分を明らかにすると途端に焦燥を滲ませた。
嫌な予感がしながら私もステージの裏に行ってみると、案の定男が持っていた紙袋が目立たない位置に置き去りにされている。そしてその中を覗き込むと、四角い機械のようなものが姿を見せた。……それも、前面に小さなデジタル時計を付けた。
「っ、」
「瀨名ちゃん店員さんに事情を!」
「分かった!」
男を拘束しながら未来さんが叫ぶ。そして彼女は片腕で男を押さえたままスマホを耳に当てて警察に通報を始めたようだった。この騒ぎでぞろぞろと人が集まって来ており、何事かとやって来た店員をすぐに捕まえると、私は一度自分を落ち着かせる為に深呼吸してから口を開いた。
『爆発物らしき物が置かれている』と。犯人はそこで非番だった警察官が確保しているから、すぐに客の避難誘導をしてほしいと言うと、店員の男性は顔を真っ青にしてすぐに動き出した。周囲に聞こえないように言ったのでパニックにはなっていないが、それも時間の問題だろう。私は紙袋を見張って誰も近付かないように目を配りながら酷く煩い心臓を必死に宥めていた。
大丈夫、まだ大丈夫。あれが本物だったとしても、表示された時間はまだ一時間も残されていた。その間に絶対に警察は来るし何とかなる。
必死に自分に言い聞かせているとすぐに避難誘導が始まった。私の所にも「お客様も外へ、これは私どもが見張っていますので」と顔を青どころか白にした店員が来て、申し訳なく思いながらもその場を離れた。警察が来るまでどうか頑張ってほしい。
すでに犯人は縄で――その場にあったからなのか縄跳びの縄だが――で拘束されており、未来さんは厳しい顔で電話を続けている。私も彼女の元へ向かおうとしたのだが、しかし歩き出したところで視界の端に再び淀んだ色を見た。
買い物を楽しんでいたところにいきなり避難誘導が始まったのだ。何かしら嫌な気持ちになることはあるだろう。しかしそんな刹那的な感情による淀みじゃない。人格の根本からほの暗い色が漂っていて、先ほど捕まえた男とよく似ている。
男は避難する人達を尻目にふらりと人気のない方向へと歩いて行く。店員や警備員の人達も他の客の誘導に必死で誰も彼を気にしていない。
「……」
一瞬迷った。が、この状況で怪しい人物を放っておくのは正直後が怖かった。未来さんに説明している間に居なくなってしまいそうで、私はとりあえずスマホで「同じような怪しい人物を見つけたのでちょっと追いかけます」とメッセージを打ちながら男の後を追った。尾行だけだ、捕まえることはしない。もしかしてまた爆弾が置かれたら速やかに警察に連絡しよう。
避難が始まって周囲には誰も居ない。そんな静まりかえったフロアをふらふらと歩く男を物陰に隠れながら尾行する。他に紛れる人が居ないので見つかる危険性は高いが、足下がカーペットで出来ている為足音が消せるのがまだ救いだ。
男が足を止めたのは、建物の端にある階段の前だった。大きな鞄を床に置くと、彼はそこから両手で重そうな四角い箱を取り出した。遠目から窺っているが、恐らく先ほど見た爆弾に似ている。
「よし……爆弾設置完了」
「!」
やっぱり爆弾だ! 箱を見つめて疲れたように笑った男を見て、私はすぐに通報しようと彼から距離を取ろうとた。だが――
その直前に、男の右手が何やらスイッチのような物を手にしたのを見て一瞬で足を止めた。は? それ、え?
「しょうもない人生だったな、俺。それじゃあ終わりに――」
「ま、まま待って下さい!!」
「!」
淀んだ色が一瞬で安らかなものに変わったのを見て私は思わず大声を出して彼の前に飛び出した。え、時限爆弾じゃないの? ボタン式なの!? 本人が逃げる猶予もないどころか自殺しようとしてるじゃん!
誰も居ないと思っていたのだろう、男は酷く驚いた様子で顔を上げ、いきなり現れた私を見て酷く不可解な顔をした。
「誰だあんた、いつの間に」
「あ、あの! 早まらないで下さい……!」
「……これが何なのか分かってるのか。だったら早く逃げた方がいいんじゃないのか? 俺はすぐにでもこれを起動させるつもりだぞ」
「だからそれを思い留まって欲しいんですが……」
とにかくスイッチを押させないようにしないと……。力尽くでスイッチを奪い取るのは無理だろう、その前に押されるだけだ。どうにかして穏便に説得できないだろうか。
「あの、どうしてこんなことを。このまま起動させたら、あなただって死んじゃいますよ」
「死ぬつもりだからな」
「なんで……」
「自殺なんて別に珍しいことじゃないだろう? ……もう疲れたんだよ。ミスズに会社潰されて、家族は離れていって、借金取りには追われて。死んだ方がずっと楽になれる」
「ミスズに?」
「ああ、俺みたいなのは他にもいっぱいいる。だからわざわざ今日此処で死ぬんだ。普通に家で首でも吊っても誰も俺が死んだ理由なんて知ろうとしないだろうし、遺書に書いても握りつぶされるかもしれない。俺が死ぬ理由はあいつらの所為なんだって、世間に思い知らせてやりたいんだよ」
「……そう、なんですか」
「まあ、残念なことに本命は先に見つかっちまったみたいだがな。だがあれが発見された上で爆発事件が起きれば、誰だって無関係だとは思わねえだろ」
そんな理由で、と思ったが口には出さない。この男には十分な理由なのだろうから。一応人気のない場所を選んだのは最後の良心か。
しかしはいそうですかと引き下がって爆発させる訳にもいかない。何かこの男に心残りはないのだろうかと色を探ってもそこに一切の迷いもなく、淀んでいるのに澄み切っている。
何か手は無いか。考えろ、考えろ……。
「……あ、あなたがスイッチから手を離すまで、私も此処を離れませんから!」
「……」
「ごめんなさい、でも私、あなたを死なせたくないんです」
良心を揺さぶれば行けるか? 分からないがやるしかない。本当は心から死んで欲しくないと真摯に訴えかけたいが……生憎私はそこまで出来た人間じゃない。今だって爆発されると困るから必死になって止めているだけだ。
でもやらなければ。今この男を止められる可能性があるのは私しかいない。一歩、警戒させないようにさり気なく近付く。少しずつ近付いて、それで不意を付いてスイッチを奪うことが出来れば。
「!」
もう一歩。そこで突然大きな音と共に足下がぐらついた。思わずバランスを崩して倒れ、床に手をついた。それでもまだ揺れている感覚がする。
爆発音だ。此処じゃない何処かで爆弾が起動した。
「もしかしてさっきの……!」
「いや、違う」
「え?」
「俺みたいなのは他にも居るって言っただろ? 爆弾を持って此処に集まったのは俺の他にも何人かいる。そいつらの誰かがやったんだろうな」
「そんな」
「まあそういう訳だ。仲間が死んだのに俺だけおちおち生き残る訳にはいかねえ。止めようとしてくれたあんたには悪いがな」
男が静かに微笑む。私を見て眩しそうに目を細めて、それから――
「慰めてくれんなら、もう一緒に死んでくれよ」
スイッチが、押された。




