14 助けて
「未来さんいらっしゃい!」
「遅くなってごめん、お邪魔します」
とある土曜日の夜、インターホンの音を聞いていそいそと自宅の扉を開けて、待っていた女性を迎え入れた。
今日はうちで未来さんと女子会(という名の未来さんセレクションのDVD鑑賞会)である。仕事帰りにそのままで来たという未来さんは顔に疲労を滲ませているが、同時に非常に楽しそうな色も浮かべている。未来さんは今日このままうちに泊まっていって、明日は一緒にショッピングの予定だ。
「あーやっと仕事もちょっと一段落着いたよ……」
「何かごめんね……私達が仕事増やしちゃって」
「そんなことないよ。むしろ今まで行方不明だった人達が沢山発見されて、それで色々他の事件が解決されることもあったから。昨日本人確認出来た人だって、十年も前に行方不明になってた人で」
「一応聞くけどそれ、守秘義務とかでは?」
「あ。……まあいいや、どうせあいつが調べようと思えば分かっちゃうレベルの話だし」
「警察官がハッキング黙認してるの……?」
まあ黙認してくれないとうちの事務所的には困るけど。未来さん疲れ切ってるな……。
「それに瀨名ちゃんは事件の当事者だったからまあ……あ、そうそう全然会ってないけど夕君の怪我大丈夫?」
「うん、もういつも通り仕事もしてるよ。銃弾も擦っただけだったからそこまで大きな傷じゃなかったみたい」
「銃で撃たれるなんて日本も物騒になったよね……」
未来さんを部屋まで案内して早速お酒とおつまみをテーブルに出す。そして最初に見るDVDをセットして準備完了だ。どうやら最初は声優さん達のライブDVDらしい。「元気なうちに見ないと疲れるから」とのこと。
「あ、そういえばこの前はごめんね。なずなちゃんのコラボカフェ、どうだった?」
「もう最っ高だった! ノベルティも揃えられたし、ご飯も滅茶苦茶美味しくて! 勿論全部のメニューは頼めなかったけど夕さんが頼んだ分も少しもらえたし!」
「夕君と一緒に行ったの?」
「うん。最初は笹島さん……お兄さんに頼んでたんだけどね? ほら、夕さん絶対小食だし。でもね、やっぱなずな様をよく知ってる人と行った方がいいって夕さんに言われて確かに! ってなって」
「確かに兄さんそういうの全然分かんないけど、夕君も分かるの?」
「前に色々あってなずな様のプレゼンしたことあったんだけど、夕さん私が作った資料全部読み込んでくれたんだ! 知識で言うならにわかの人よりもずっとあるよ思うよ!」
「へー、夕君が……」
なんだ? 未来さんの目と色が妙に生暖かいんだけど。まあなずな様の話は今はいい、話し出すと止まらなくなってしまうから。
そして始まったライブ映像に私達はすぐに夢中になった。うわー、声優さんって詳しくないけど歌上手い人たくさんいるんだな。
「すごいね、こんな高い声で歌うの」
「この人地声は結構低いんだけどこういうライブだからずっとキャラの声でやってるの」
「へえ、すご……」
普通にいつも見てるアイドルのライブ感覚で楽しい。お酒を飲みながらだと余計にテンションが上がって来てもう至福だ。
「好きな物見ながらお酒飲んでおつまみ食べて……こんな幸せなことってある?」
「ほんとそれ」
私が思わず呟くと未来さんが真顔で頷いた。
「そういえば未来さんってお酒強いの? そんなに顔赤くなってないけど」
「前はそこそこだったけど最近は忙しくて全然飲んでなかったからなあ……。瀨名ちゃんは?」
「私は自分では結構強い方だったと思ってたんだけどさあ……例のあれの所為でちょっと大量に飲むの怖くなったよね」
「例のあれ? 何それ」
「ん? 言ってなかったっけ。私が初めて夕さんと会った時の話なんだけどさー」
見終わった為次のDVDに交換しながら、私は例の事件についてぺらぺらと喋り始めた。ちなみに次はホラー映画らしい。いや五人の同僚から罪被せられた現実の方がよっぽどホラーなんだよなあ……。
「……で、殺人の容疑で逮捕されたところを夕さんに助けてもらったって訳」
「はああ!? バッカじゃないの! 誰その無能な刑事は!」
「あ、そっちなんだ」
「同じ警察官として恥ずかしい……ねえ担当誰だったか覚えてない?」
「いやちょっと頭真っ白になってて取り調べとかの記憶とか曖昧なんだよね……」
「……今度夕君に聞こ」
聞いてどうするんだろう、直接本人に何か言うつもりなんだろうか。もうこれ以上蒸し返したくもないからそれは止めて欲しい……けど、また同じような冤罪者出しても困るしな。
しばらくぶつぶつと文句を言いながら缶チューハイを煽る未来さんを宥めているといつの間にか画面の中で包丁を持った着ぐるみが一人目の犠牲者を作り出していた。どうしてそういう展開になったか全然見てなかった。
「まあまあ……で、そういうこともあって夕さんに外でお酒飲むの禁止されてるんだよね」
「え? それは普通に嫌じゃない?」
「いや、まあ……夕さんと一緒ならいいって言うから」
「……ふーん」
「未来さんその顔止めてほしいんだけど」
「むりー」
あ、未来さんも相当酔ってきてるな。言動がふわふわしてきた。
「あー、また死んだ」
「まだ始まって十五分しか立ってないんだけど。ところで未来さんってホラー大丈夫なの?」
「もっとグロい死体生でいっぱい見てきてる」
「それはそうでしょうね」
「そうじゃなくても昔から怖いと思ったことはないなあ。瀨名ちゃんは?」
「私もー。色見えないから作り物感が強くてあんまり怖くない」
「色? あーそうか、共感覚か」
「うん、画面越しだと見えないから」
「前に言ってたよね、白とか黒とか。それって具体的にどういう性格なの?」
「えーっとね、例えば夕さんは稀に見る真っ黒黒すけなんだけど見たとおり腹黒いし性格悪いし……でも一人で色々溜め込んじゃってあんな色なのかなって」
「……」
「で、陽太君は真っ白。文字通りまっさらな心で、無邪気で明るくて何の悩みも無さそうな色」
「そっかー……」
夕君にはそう見えてるのか、と未来さんが小さく零した。私は彼女の色を見ないようにお酒を飲み干しておつまみのチーズに手を伸ばす。
「そういえばさ、未来さんってどこで共感覚とか知ったの? 何かの漫画とか?」
「あー……あれは十年以上前の話なんだけどー、知り合いに共感覚持ってる人がいてー」
「……は!?」
「瀨名ちゃんのとは違って数字とかがキラキラ光って見えるって言っててー、でも本人にはそれが当たり前だったから他の人は違うって気付いてなくて、たまたまそれを知って私が調べたの」
共感覚は持つ人によって色々と違う。常人とは違う知覚を持つその人達を、私はこれまで自分以外見たことがない。こんなにも近くに、私と同じ人がいたのか。
しかしそこまで話したところで不意に未来さんが「あ」と思い出したように声を上げる。
「どうしよう……これ言わない約束だったのに」
「え?」
「二人だけの秘密にしようって言ってたのにうっかり……あああもうどうしよう、嫌われちゃう」
そしてその途端に、未来さんは頭を抱えて机に突っ伏した。どうしようどうしようと呻きながらぐすぐす泣き始めた彼女を見て、私は困って焦って……咄嗟にまだ封を開けていないビールを差し出した。
「み、未来さん飲みましょう! 今のは無かったことにして忘れてしまえばオッケーです!」
「でも……瀨名ちゃんは」
「私も飲みますから!! ほら、私泥酔すると記憶飛ばしますから大丈夫です!」
「……うん」
泣きながら頷いた未来さんがビールを一気に煽る。私も同じように缶に口を付けてグビグビと飲み干しどんどん用意していたお酒を開け始めた。
……未来さんが泣きながら嫌われたくないって思う人、ねえ。一瞬思考しながらも約束通り忘れなければと、私は次の缶のプルタブに指を掛けた。
■ ■ ■ ■ ■ ■
頭がふわふわする。目の前が揺れる。
炬燵になってるテーブルに顔を付けてぼんやりと顔を上げると、いつの間にか十二時を回っていた。
ああ、もう日付変わっちゃった。昨日一緒に仕事をしていた陽太君は、今頃眉間に皺を寄せて真っ黒になっているのだろうか。
「……ねえー、瀨名ちゃんー」
「なーにー?」
すぐ近くから未来さんの声が聞こえてくる。どうやら彼女も私と同じように突っ伏しているらしい。間延びした声は今にも眠りそうで、私も返事をしながらも瞼が何度か落ちた。
「瀨名ちゃんの好きなタイプってどんな人ー?」
「浮気しないひとー」
「そっかあ、じゃあ大丈夫だねえ。じゃあさぁ」
「うん」
「夕くんのこと、好き?」
突然そんなことを聞かれても別に目が覚めることも無かった。だから、特に考えることなく頭に思いついた言葉をそのまま口にする。
「……うん、好きー」
そりゃあ好きだわ、うん。めちゃくちゃ好き。好きにならない訳がない。そこまで言うと、未来さんがくすくす笑う声が聞こえてきた。
「なんで笑うの」
「ごめん……うれしくって」
「うれしいの?」
「うん」
「ならいいや。……あのね、夕さんはね、いっつも私が困った時助けてくれるの。捕まった時も、お父さんに叩かれた時も、夕さんがね私のこと守ってくれたの」
「うんうん」
「でも、それだけじゃなくて……一番、好きなのは……」
「……瀨名ちゃん?」
「……」
「おーい」
「……あ、ごめん、寝てた。なに話してたんだっけ」
「えっとねー……あれ? ……ああそうだ、夕君の話」
あ、そうそう。夕さんが好きって話。でも何処まで話したか忘れちゃったな。まあいいや、お互い酔っ払ってるから話繋がってなくても分かんないよね。
「……きっと、起きたら忘れてそうだから言うけどさあ。わたしね、ホントはずっと未来さんに嫉妬してたんだー。いいなあ、ずるいなーって」
「それは、幼馴染みだから?」
「それもあるけどー……。だってさ、」
「うん」
「私がいくら夕さんが好きでも、一年の半分はあの人未来さんが好きなんだよ……」
「……」
「私と食事した次の日、おんなじ体で「未来ちゃーん」って会いに行くんだなーって思うとさ、ちょっと嫌な気持ちになって」
……あー、私なに言ってるんだろ。よりにもよって未来さんに、こんな話して。陽太君から離れろとでもいいたいの? 私馬鹿じゃないの……。
「ごめん……未来さん、ごめん。こんなこと言って」
そうやって口では謝るくせに体は動かない、頭は上がらない。だから未来さんが今どんな顔をしているのか、それにどんな色をしているのか見られない。見るのが怖い。勝手に幼馴染み達に割り込んだのは私の方なのに。
未来さんは何も言わない。怒ったのか、呆れたのか、それとももう寝てしまったのか。
「……ごめんね、瀨名ちゃん」
「、え?」
急に彼女の声が近くなった。頭に手が乗せられて、ゆっくりと撫でられる。何で謝ったのか理由が聞きたいのに、撫でられる手が気持ちよくてただでさえ落ちそうになっていた意識を手放しそうになる。
それでも、唇を噛み締めて必死に意識を保った。多分、これを聞き逃したら私は死ぬほど後悔する。
「ごめん、ごめんね。私達の所為で、瀨名ちゃんにまでそんな思いをさせて」
「……」
「でもきっと……瀨名ちゃんなら、あなたならもしかしたら、夕君を……救ってくれるかもしれない」
「……え?」
「私達じゃ、駄目だから。私や兄さんが何を言っても、それは夕君を追い詰めることにしかならない。――知らない瀨名ちゃんだからこそ、きっと」
「……」
「お願い、無責任なこと言ってるのは分かってるけどお願いだから……」
「夕君を、助けて」




