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シロクロ男  作者: とど
24/40

閑話 全員猫被ってる

※第三者視点


「おはようございます」


 出勤して着替えを済ませると、俺はロッカーに誰も居ないのをいいことに大きくため息を吐いた。まだ働く前だというのに憂鬱だ。それもこれも今日が木曜日だからということに他ならない。あー面倒くせえ日だ。


 俺は桜井、何処にでも居るジムのインストラクターである。キックボクシングを中心に初心者から中級者ぐらいまでを指導している。仕事自体は別に好きでも嫌いでもない。仕事は仕事だ、そこに感情は挟まない。好きなことを仕事にしましたってタイプも居るが俺の場合仕事にして好きなものを嫌いになる方が嫌だ。何事も強制されると嫌になってくる。


 ……まあ、好き嫌いはないと言っても勿論嫌になることも腹が立つこともある。例えばそれが今日――木曜日の勤務である。夕方からとんでもなく面倒くさいやつらが来るのである。


「こんばんは、今日もよろしくお願いします」


 ああ、言ってる間に来ちゃったよこの人。社会人になって数年、ダイエットが目的って感じの(感じも何も最初にそう言ってたが)女、中原。いかにも小動物って雰囲気で男ウケが良さそうな女だ。

 まあ実際の所彼女自体が厄介な訳じゃない。中原は真面目で話も聞くし、力は弱いが頑張って取り組んでいる様子だ。……ただ、この女がいるからこそ面倒なことになっているのも事実だった。


「やあ、中原さん今日も一緒だな」

「中原さん! 今日も俺と一緒に頑張りましょうね!」


 来たよほら、この災害クソ野郎共が。

 我先にとジムに飛び込んできた野郎が二人。ガタイが良くて爽やかスポーツマン(を装ってる)岡川と、細マッチョで紳士(の皮を被ってる)今野である。此処がスポーツジムだというのを完全に忘れてやがるのか二人揃って中原のやつを狙っててわざと実力の低いコースに来やがる迷惑客である。

 普通ならこいつら正直俺よりも強いからプロ志望も通うコースに案内するんだが、この野郎共と来たら「自分、そこまで強くないので」やら「上級コースに行ったらついて行けなさそうで」とか何とかしょーもない言い訳をして此処に居座りやがってる。その癖中原には「もっとこういうフォームの方がいいですよ」とかアドバイスしてお前らインストラクターの仕事奪うんじゃねえよと言いたくなる。ちなみに俺が中原に近付くと無駄に牽制されて死ぬほど面倒くさい。仕事の邪魔すんな。


 勿論そういうやつらなので俺も何度か彼女の邪魔にならないように、と苦情を言ったりするんだが適当に返事をするだけで全く反省しねえ。むしろ「客同士のコミュニケーションに口を挟まないでくれますか」と文句を言ってくる始末。しかも俺じゃなくて上に言ってくるあたり最悪のクソ野郎だ。てめえら中原完全に迷惑がってのが分かんねーのか。……分かんねーんだろうな、頭ん中腐ってそうだし。


「どうもこんばんは、お願いします」


 心の中で罵詈雑言を繰り返していると別の利用客が入って来た。ああ、こいつか。

 動きやすい服で軽く後ろで髪を纏めたそいつは、大体週一でうちに来る竜胆という名前の女だった。一言で言えば、残念な美人。そこそこ見た目はいいのに何かこう目が死んでるというか……うん、死んでるな。

 半年ぐらい前から通い出したこの女は女性にありがちのダイエット目的ではなく「強くならないとちょっと仕事的にやばいので」とか意味分からんことを言ってうちに入ってきた。そんな危険な仕事って何だよと雑談程度に聞いたところ探偵助手だという。探偵って現実でそんなやべえ仕事すんのかよ、こわっ。

 いや竜胆は別にいいんだよ、問題は……。


「こんばんは竜胆さん。……ちなみに、後ろの方は」

「うわー! サンドバッグとか生で初めて見たー! ホントにジムって感じ」

「ちょっと陽太君静かに! すみません、知り合いが見学がしたいって言うので一応事前に電話したんですが」


 彼女の後ろからひょこっと現れたのはこのジムには似つかわしくないひょろっひょろのもやし男だった。にこにこ顔ではしゃいでいるそいつを竜胆が慌てて引き寄せて頭を下げさせている。親子かよ。

 っていうか見学とか聞いてねーんだけど。見学自体は事前申請しておけば大丈夫だがまったく俺に話が来ていない。総務のやつら締め上げてやろうか。


「青海陽太です!」

「どうも、インストラクターの桜井です。青海さんは今まで何か格闘技などの経験はありますか?」

「まっったく!」


 だろうな。俺もマニュアルに書いてなきゃ聞いてねえわ。


「瀨名ちゃんが格闘技習ってるっていうから僕もちょっと気になって来ちゃった。暗号解くの飽きて暇だったし」

「ははあ、そうなんですか」


 男で来ちゃった、はきつ過ぎんだろ。いや正直なんか悔しいがしっくり来るけど。あと暇つぶしで俺の仕事増やしてんじゃねえよ。

 ともかく仕事だ仕事。青海を端のベンチに案内してそれぞれのミット打ちを始める。まずは岡川と今野だ。竜胆が中原に挨拶している間に二人を中原から引っぺがして順番に相手をする。


「っ、いいパンチですね」


 キックボクシングとは言うが普通に手も使う。気合いの入った岡川の一撃に内心舌打ちしながらも笑顔で褒める。クソが、さっさと上級コース行って元プロにぼこぼこにされろ。

 

「竜胆さんこんばんは。あ、もしかして一緒に来たあの人彼氏ですか?」

「違います」

「ぜんっぜん違うよ!!」

「陽太君遠くから叫ぶの止めて?」

「えー違うんですか。かっこいい人だからお似合いだと思ったんですけど」


 と、ミット打ちをしている間も女二人+αの会話が聞こえてくる。俺も正直あの二人恋人なんかなと思っていたが違ったのか。むしろ男の方の否定が滅茶苦茶全力だ。


「「は?」」


 しかしそんな暢気なことを考えているとミット打ちをしていた岡川とその後ろでシャドーをして順番待ちをしていた今野が低い声をダブらせた。おいせっかく今相手してやってんだから後ろ向いてんじゃねーよ。そのままぶん殴るぞ。


「かっこいいって、あの針金みたいなやつが?」

「ぽっと出の癖に中原さんに褒められるとかふざけんなよ……」

「あのー、岡川さん。続きやってもらっていいですか?」

「あ、ああ……すみません」


 クソ野郎二人がぶつぶつ言っているのを無視してミット打ちを続けさせる。その顔はさっきよりもずっと険しく、苛々しているのが目に見えて分かった。っぶね! 顔面狙って来てんじゃねーよ死ね!

 中原も中原だクソが。どう考えても自分に言い寄ってる男共の前で別の野郎褒めてんじゃねーっつーの! あれか? 鈍感アピールか? 清楚なイメージ作ってんの? それともこういうタイプが好みだからお前ら対象外って遠回しに言ってる? そうなら直接本人に言えよ面倒くせーな。


 岡川が終わって今野の番になる。すると岡川は待ちきれないとばかりに中原の方へ向かって青海を牽制するようにやつの視線から中原を遮るように立った。が、青海はまったく気にした様子もなくサンドバッグに向き合う竜胆を見て「瀨名ちゃんがんばれー」と脳天気な応援をしていた。


「いいですね竜胆さん。彼氏じゃなくてもそうやって応援してくれる人がいて」

「俺も勿論応援してますよ中原さん!!」

「あ、ありがとうございます……」


 ずい、と身を寄せて中原に迫る岡川に中原が引き気味に笑みを浮かべる。しかしその視線は青海に向いており、それに気付いた岡川が憎々しげに青海の方を睨んだ。ふざけんないつもでさえ面倒な三角関係なのにさらにオプション増やしてんじゃねーよ! 此処は合コン会場じゃねえんだわ! 面倒くさそうな顔をしている竜胆だけが唯一仲間だとも思ったがそういえば青海連れて来たのこいつだわふざけんな。


 っていうか青海ってそんなに顔いいか? と思って今野を相手する傍ら観察すると確かに所謂イケメンだった。っていうか何? 中原は青海狙ってんの? もう全員帰れよ。




    ■ ■ ■  ■ ■ ■




「桜井さん、ミット打ちお願いします」

「はい」


 ……んで、非常に視線が面倒くさい中原を終えて竜胆の番がやって来た。頑張れ俺、これが終わったら後は様子を見つつ個々の指導をして中原に絡んでるバカ二人を追い払って……こいつらが帰るまで気が遠い。


 まあともかく目の前に集中する。竜胆は中原同様いつも真面目に指導を受けて、しかも筋がいい。運動神経がいいんだなとは思うが何よりも蹴りを繰り出す足がマジで容赦の欠片もない。普通こういうの素人だと人に殴りかかるのに躊躇ったり力加減が分からなくて弱々だったりするんだが、こいつは初めっから何の躊躇いもなかった。ミット打ちやサンドバッグ蹴ってる時の目が本気で親の仇を見てるような目だからな。……そういう時のこいつの目、死んでることを抜きにしても怖いんだよなあ。


「……腐れ同担拒否野郎くたばれ、児童虐待カルト親父マジで死ね」


 俺が最初に「嫌いなやつのこととか考えると力入りますよ」なんて言った所為でぶつぶつそんなことを言いながら拳を突き出すこいつ正直怖い。何なの? 探偵ってそんな殺意抱くような奴ら相手にしてんの?


 まあそんなこんなで無事に全員分終わり、まだまだこっからだと肩を落とす。……そういえば竜胆の時は他のやつらが野放しになってるからいつもうるせえのに今日は静かだな。何故か中原しか見つからない。休憩は自由なので別に居なくてもいいのだが……いつもと違うとなんか嫌な予感するな。


「た、大変だ!」「皆さん聞いて下さい!」

「「俺の財布が盗まれた」んです!」


「……は?」


 そう言ったのは誰だっただろうか。竜胆だったかもしれないし中原だったかもしれないし、俺が無意識に言ったのかもしれない。何にせよ、俺達三人は呆気に取られてばたばた騒がしく戻ってきた岡川と今野を凝視していた。そして何故か、叫んだ二人すらお互いの言動に驚いている。

 ほらみろ俺の嫌な予感は当たるんだ! いや当たっても何にも嬉しくないがな!


「あの、財布が盗まれたって」

「そうなんだよ! 今休憩でロッカー行ったら俺の財布が無くなってて!」

「俺のもなんです! いつの間にか無くなってて……そういえば、さっき此処に居たもや……線の細い男性は何処へ?」

「え?」

「そ、そうだよあいつ! きっとあいつだよ俺達の財布盗んだの! なあ、あんたと一緒に来てたやつ何処に行ったんだ!?」

「そういえば陽太君何処行ったんだろ」

「逃げたんですか!? やっぱりあの男が」

「いやあのちょっと呼び出しますのでちょっと待ってて下さい」


 岡川と今野が此処に居ない青海が犯人だと騒ぎ立てる。それをため息を吐いて宥めた竜胆がスマホを耳に当て……少し何かを話した後すぐに電話を切った。


「青海さんはなんと?」

「非常に失礼な話なんですが眠たくなったから車に戻っていたと……」

「はあ」

「すぐに来るので……すみません」


 見学来といて勝手に帰んな子供かよ。最早突っ込む気力も無くなってくるし、これから先のことを考えると気が重い。俺が担当してる時間になんて面倒な事態を起こしてくれやがってんだ。


「瀨名ちゃーん」

「もう、戻るなら一言ぐらい行ってってよ」

「だって真剣だったから話しかけちゃ悪いかなって」


 寝ていたからだろうか、戻ってきた青海は先ほどに輪を掛けて緩いしゃべり方で現れた。片手には先ほどは持っていなかったタブレットを抱えている。


「おいあんた! お前が俺達の財布盗んだんだろ!」

「大人しく白状して下さい!」

「んー……? 財布って?」

「ふざけるな! ロッカーに置いてた財布をお前が持ってったんだろ!」

「はあ? 僕財布なんて盗んでないよ。なんでそんなことしなくちゃいけないの? 大体僕お金に困ったことなんて無いし」


 う、うわー腹立つ! 金に困ったことがない人種とか地雷だわ。どっかの金持ちのお坊ちゃんか?


「……あ、ごめん嘘吐いちゃった。一回あったよ。未来ちゃんの為にロケット作ろうと思ったんだけど全然お金足りなくて諦めたことあったなあ」

「陽太君、余計なことは言わなくていいから」

「瀨名ちゃんは未来ちゃんのことが余計だって言うの!?」

「あーもう面倒臭いなこの二十五歳児!!」


 ……こいつ二十五歳なん? 嘘だろ絶対二十歳前後のパリピ大学生だと思ってた。


「あー……でも、万引きとか盗みってお金が欲しいって言うよりスリルを味わいたいって人がやったりしますよね」

「そう、そうですよ桜井さん! その男絶対そういうタイプです! 中原さんも気をつけて下さい!」

「はあ……」

「桜井さん、他のスタッフも呼んで二度とこいつが此処に来ないようにして下さいよ! そうじゃなきゃ集中してトレーニングもできません」


 いやあんたはいつも全く集中してないだろうがと思ったが、まあ他の意見には賛成か。俺と竜胆と中原はずっとジム内に居たから盗みなんてできないし、青海は途中で出て行ったっていうのがまず怪しい。


「それじゃあすぐに他のスタッフを」

「待って下さい」

「は?」

「陽太君は犯人じゃないですよ」


 しかしジムから出て行こうとした俺を呼び止めたのは竜胆だった。彼女はじっくりとまるで睨み付けるかのように俺達を一人一人目を細めて見つめる。まるで蛇に睨まれた蛙だ、その鋭い視線に皆息を呑み、無意識に動きが止まった。……だから、こいつの目怖いんだって。


「青海さんが、犯人ではない?」

「当たり前じゃん! 大体ロッカー前の廊下の防は――」

「陽太君ちょっと黙ってて」


 タブレットを見せようとした青海を無理矢理押しのけた竜胆は、最初にジムに来た時の子供の保護者のような雰囲気とは全く違っていた。隙が無い。いや格闘技的な話ではなく、雰囲気に呑まれる。薄らと笑みを浮かべ、余裕のある表情で俺達を見て一歩前に出た。


「とりあえずお二人とも、ロッカーから財布を盗まれたということは鍵は掛けていなかったということで間違いないですか?」

「あ……そうなんだよ、うっかりしてて」

「はい、今日に限って忘れてて」

「それはそれは、運が無かったですね」


 いや二人して何やってんだよ。こういう盗難があると困るからロッカーには必ず鍵掛けろって最初に言っただろうがふざけんなよ。


「状況を整理しましょう。陽太君が車に戻ったのはいつ?」

「えーっとね、そこの人がインストラクターの人殴ってた時に」

「ミット打ちね」

「その時ぐらいかなー」

「成程。では……岡川さんと今野さんでしたっけ。あなた方が此処から出て行ったのは確か中原さんのミット打ちの途中でしたね?」

「そう……だったか? 詳しくは」

「大丈夫です、途中から急に静かになったのでよく覚えていますから。で、その時にロッカーには行かなかったんですか?」

「はい。ロッカーの手前の休憩スペースに行って……そういえばその時、ロッカーからこの人が出てくるのがちらっと見えたような。ねえ、岡川さん?」

「そうそう、何か見えたよな。多分そん時に財布盗んだんだろ」

「え? 僕ロッカーになんて入ってないよ。荷物も車に置いてたし着替えてもないから」

「はい嘘」

「嘘じゃないよ。そういうなら車とか調べてもいいよ。どうせ財布なんて出て来ないし」

「もう現金だけ取り出して何処かへ捨てたんでしょう。しらばっくれてないでそろそろ本当のことを言った方がいいんじゃないですか。今なら二度と此処に来ないことを条件に許してあげますよ」

「しらばっくれているのはそちらでは?」

「何?」

「陽太君は嘘を吐いていませんよ。むしろ嘘吐きは貴方たちの方です」


 竜胆が二人の前に立つ。じとりと下から見上げると「今正直に自白するんなら大事にしないと約束しましょう」と強気な姿勢で言った。


「は? ふざけんなよ。こっちは見たっつてんだろ。知り合いだからって庇ってんじゃねえよ」

「むしろ共犯なんじゃないですか? こっちは二人も目撃者がいるんだから紛れもない証拠です。言い逃れしようったってそうは行きませんよ」

「二人も? 目撃者がいる? ははあ、そうですか。たった二人ごときの証言で証拠になるとでも?」

「何だと」

「あなた達が二人と言うのならこちらだって二人だって言っているんですよ。ねえ、自作自演コンビさん」


 ……自作、自演? はあ!?


「! おい何適当なこと抜かしてやがる! 誰が自作自演だって!?」

「ですからあなた達お二人のことですよ。あなた達は何も盗られていないし、ただ陽太君が気に食わなくて此処から追い出したいが為にありもしない罪を着せようとしているだけです。それも、なんですか? 偶然にもまったく同じことを考えたあなた達が同時にそれを実行してしまったようですし。仲良いですね?」

「く、くだらない妄想を口にするのは大概にしてください。僕たちは被害者ですよ? どうしてそんな言いがかりを付けられなければならないんですか」

「おや、ではあなた達が被害者である証拠は?」

「そんなこと言うならお前らが犯人じゃないっていう証拠もあんのかよ!」

「無いですね」


 いや無いのかよ! ここまで言った癖に!? え? 何でこいつそんなに自信満々に言ってんの?


「そうなんですよ、現状でどちらも証拠はない。……ですから、第三者にきちんと判断してもらう必要があるとは思いませんか?」

「は?」

「せっかく穏便に済ませて差し上げようとしていたのにこれですから、もういいですよね。と、いう訳で……桜井さん、警察呼んで頂けます?」

「え?」

「警察に通報して下さい、と言っているんです。だって窃盗事件ですよ? 勿論ごく普通の善良な市民は警察に連絡しますよね?」

「え、ええ。そうですね。すぐに――」

「待てよ! ……せ、せっかくこっちが出禁だけで許してやろうって言ってんのに」

「そうですよ。たかがサイフ盗られただけで来いって言っても警察だって迷惑ですって。ジムの方も大変ですし。ねえ、桜井さん」

「は?」

「いえ、むしろこのまま見逃したらこのジムの信用問題になるんじゃないですか? ロッカー前の廊下の防犯カメラやロッカーの指紋、それに全員の荷物検査をすればすぐに真犯人が判明します」

「お前は黙ってろよ! 俺達は桜井さんに言ってんだ!」

「私も桜井さんに言っているんです。黙るのはそちらでは? ……いえ、もういいです。自分で通報しますから。えーっと110番っと」

「止めろ!」


 岡川がスマホを触る竜胆に掴みかかる。その勢いでスマホが床へ落ち、俺の方へと滑ってきた。思わず拾い上げると、顔を引きつらせた今野がこちらへ近付いてくるところだった。


「さ、桜井さん。あまり大事にしない方が……」


 ……流石にここまで来ると俺だってどっちが正しいのかよく分かる。こいつら竜胆の言う通りただ口だけで財布が盗まれたって騒いでただけかよ。こんだけ警察呼ばれたくないってあからさますぎだろ。仮に別の理由だったとしても何か他のことやらかしてんだろうな。

 さて、どうしようか。此処で警察を呼んだら事情聴取やら何やらで残業間違いなし。明日も普通に仕事あるしなあ……。

 俺はそこまで考えて、思わずにこっと笑いながらスマホのロック画面に表示された“緊急”を押して110番に掛けようとした。今日一日でこの先の木曜日が守られんなら迷うことなんてねえ!


 ――その瞬間、俺は顔面に衝撃を受けて吹き飛んだ。


「は」


 今野に殴られたのだと理解したのは床に倒れてからだった。中原の悲鳴が聞こえる。くそ、今日は厄日かよ……。俺を殴った今野は肩で大きく息をしながら興奮気味にしゃべり始めた。


「さ、桜井さんが悪いんですよ、警察なんて呼ぶ必要もないのに……ね、中原さん。こんなやつらに構ってないで行きましょう。俺、美味しい飯屋知ってるんで」

「止めろよ、中原さん嫌がってるだろ。それより俺とこれから雰囲気のいいバーにでも」

「は? 俺が先に誘ったんですが?」

「それが? 後からだろうが中原さんが行きたい方に行くべきだろ? 強制すんなよ」

「それはこっちの台詞です! 中原さん、俺と行きましょう!」

「俺と行きますよね?」

「あ……あの、」


 ……今まで生きてきた人生の中で今一番腹が立ってるかもしれない。

 は? 勝手に騒ぎ起こして試合でもないのに人殴っておいて完全無視? しかもすぐさま女取り合ってる? ……ふ、


「ふざけ」

「いい大人がなに小学生レベルの嘘吐いた挙げ句人殴って逃げようとしてるんですか!! 馬っ鹿じゃないの!!」


 俺が怒鳴る声に被さるように、竜胆のそれ以上の馬鹿でかい声がジム中に響き渡った。中原を掴んで出て行こうとしていたクソ野郎共がその声に驚き手を放し、その隙に泣きそうな顔の中原がこちらへ逃げてきた。


「――すみません! こちらで窃盗事件があったと通報を受けたんですが」

「……は?」


 竜胆の声に動きを止めてしまっていたその時、突如入り口から警察手帳を手にした二人組の男達が入って来た。え? 警察? だってまだ連絡してねえのに。


「通報者の方は?」

「はーい、僕です!」

「え?」

「ん? 事件が起きたら普通警察に連絡するよね? あーあ、未来ちゃん来てくれるの期待したのにな」

「いやあの子今忙しいからそんな都合良く来ないでしょ。というかいつの間に……」

「あ、あとそこの人がインストラクターの人殴り倒してました。証拠の動画も撮ってあるんでどうぞ!」


 今までずっとジムの隅でひっそりしていた青海が元気よく声を上げて警察と話をし始めた。あーもう、何だよ今日ホントに……。情報過多で考えるのに疲れ、俺は床に座りながらぼうっと岡川達が警察に詰め寄られるのを見ていた。

 疲れた……。



    ■ ■ ■  ■ ■ ■




 その後、警察が来た所為で結局上の人間まで呼び出す羽目になり色々と揉めた。まあ実際に窃盗があった訳ではなかったので厳重注意で終わったのだがそこに至るまでが非常に長かった。その場に居た全員に聞き取り調査が入ったり、今野に殴られたことに対して被害届を出すか聞かれたりと長時間拘束され、ようやく全てが終わった時にはもう十時を回っていた。

 結局俺は何かもう面倒になって被害届は出さなかった。が、上と話し合ってスタッフに暴力を振るった今野と、そしてはた迷惑な騒ぎを起こした岡川はジムを出禁になった。はっ、ざまあみろ。

 ところで竜胆は何故あいつらの言葉が狂言だと分かったのか。気になって聞いてみたが

「いや、普通に嘘吐いてたので」と当たり前のように言われた。いや普通分かんねーよ、何だよ探偵って嘘発見器でも持ってんの?


「瀨名ちゃんさっきのあれ兄さんのまね?」

「いや何か困った時はつい夕さんを脳内に召喚させてしまうというか」

「えー、おもしろ」


 何やら後で青海と竜胆が二人がぼそぼそ喋っていたが頭の中ですら突っ込む気力もない。

 まあ何はともあれ、色々ふざけんなと思うことはあったがこれで俺の木曜日の平穏が約束された訳だ。終わりよければ全てよし。あのクソ野郎ども永遠に消え去れ。


「あの、桜井さん」

「はい?」


 肩の荷が下りたと安堵して帰ろうとしたその時、背後から中原が俺を呼び止めた。


「今日は本当にすみませんでした。私の所為で殴られてしまって……痛いですよね」

「ああ……別に大したことありませんよ。ボクシングなんて殴られるのは日常茶飯事ですから。それに中原さんが気にすることはないですよ。悪いのはあの二人ですから」

「そんな……私が悪かったんです。私がもっとはっきり嫌だと言っていれば……」

「いえ、ですから」

「だからその……お詫びと言っては何ですが、これから一緒に食事でもどうですか!」

「は?」


 ……その時の俺はまだ知らなかった。これから先目をギラギラさせた中原に散々言い寄られて結局木曜日が最悪なままであることも、そのうち木曜日どころか毎日ストーキングされて堪らずに青海探偵事務所へ駆け込むことも、そしてそこで青海そっくりの全く性格の違う胡散臭い兄に会うことも、何も。



※11話、食事中の会話にて(格闘技教室の面白い先生について話す、の下り)


「――あ、そうだ面白い話があるんですけどねー、私今格闘技習ってるじゃないですか」

「ええ。キックボクシングでしたね」

「そこのインストラクターの先生がですね、いっつも笑えるほどに外と中身が違うんですよ。口調は丁寧なのに色がもう……私もここまではっきりくっきりしてる人中々見ないんで逆に清々し過ぎて、むしろ微笑ましく見えるくらいで。ああ今日も頑張って猫被ってるなーって」

「へえ」

「そうそう、先生も面白いんですけどもっとやばい人がいましてね……よくジムで一緒になる女の子がいるんですけど結構可愛い子で、他の利用者の男性二人にしつこく言い寄られてるんです。でもその子自体はそのインストラクターのことが好きで。それで自分に言い寄ってくる男二人を利用してその彼に庇ってもらうことを楽しんでいるんですよ」

「……」

「一回私がその男達止めたら後で呼び出されて『私は桜井さんに庇ってもらいたかったのになに余計なことしてんのよ!』って鬼みたいな形相で言われまして……いやー、怖いですよねえ」

「今って怖い話聞いてましたっけ」


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