13-2 考えろ
「あれ、何か混んでますね」
コラボカフェに行った帰り、朝事務所に置いてきた荷物を取りに戻ろうと思ったのだが妙に道が混んでいた。
最初はちょっと渋滞してるなと思っただけだったがどんどん走る速度が遅くなる。何か事故でもあったのだろうかと首を傾げていると、「ちょっと調べてもらってもいいですか」とハンドルを握る夕さんが言って来た。
「はい。……んー、この辺で渋滞……渋滞……は?」
「どうしました?」
「何か……デモで人が集まってるとか何とか」
「デモ?」
「あ、これ……この前の、アンドロイドの反対運動?」
SNSで情報を拾っていくと、どうやらこの先でアンドロイドの稼働に関する反対運動が起きており、それを見ようと集まった人達や通りがかりでちょっと気になった車がスピードを緩め、結果交通渋滞を起こしているらしかった。
「何か此処だけじゃなくて今あちこちでそういうことやってるみたいですね」
「……へえ、そうなんですか」
「この人達って、笹島さんを誘拐しようとした人達ですよね? 何かもうそれだけで印象悪かったのにこんなに渋滞起こして……」
「まあそういうのは一部の過激派が起こしたものでしょうけどもね。大部分の人達は人質をとってミスズを脅そうとしていたなんて考えもしていないでしょう」
「それにしたって……」
せっかくコラボカフェの帰りで最高の気分だったところに水を差された感じだ。車はそれからもどんどん遅くなって行って、何やら遠目から公園で集まっている人達が見えたところで完全に止まった。
メガホンで何かを訴えているらしい人が見える。人数は三十人くらいだろうか、デモ活動が此処だけじゃないということを考えると結構な人数が行動を起こしているらしいことが分かる。
『人造人間などという倫理に欠いたものをこの世に普及させるなど言語道断で――』
「何か言ってる」
「そうですね」
「そこまで文句言わないといけないことなんですかねえ……」
何を言われても「でもこの人達知らないとは言っても誘拐の片棒担いでる人達だしな」という悪い印象が拭いきれない。
おまけに帰る時間が遅くなるとちょっと苛々していると、不意に助手席の窓がノックされた。
「よう、お二人さん」
振り返った窓の外、そこで軽く片手を上げて声を掛けてきたのは颯さんだった。どうして此処に、と思いながらも会釈すると、彼は車の後部座席を指さして「ちょっと駅まで乗せてくれよ」と言ってくる。
夕さんが露骨に嫌な顔をした。そのまま無視するように前方を向いたので、私は仕方なく助手席の窓を開けた。
「嫌そうですけど」
「どうせ事務所帰んなら通り道だろ? いいじゃねえか」
「この渋滞だと歩いた方が早いと思いますけど……」
「疲れたんだよ。この寒さで一日中歩き通しでさあ……もうくたくただっての」
「あ」
「んじゃあお邪魔しまーす」
話しているうちに窓から手を突っ込まれて後部座席のロックを外された。止める間もなくさっさとドアを開けて入ってくる颯さんを、夕さんがゴミを見るような目で見ている。
「押し込み強盗は帰って下さい」
「従兄弟のよしみだろ?」
「私の人生の中でトップクラスに屈辱的なことがあなたが従兄弟であることです」
夕さんの絶対零度の視線に負けずに後部座席に乗り込んだ颯さんは「あー、重かった」と大きな荷物を横に置いて肩を鳴らしている。相変わらずマイペースな人だ。
「……んで、何だ? お前達もあの集まりが気になって来たクチか?」
「たまたま通り掛かったら渋滞に巻き込まれて迷惑している所です。颯さんこそ取材にでも来たんですか?」
「そーそー、上がこのデモの取材して来いってさ。朝からあちこちでやってるもんだから一日中引き摺り回されたっての。もうすぐアンドロイドの試運転するからその前に何とかしたいんだろうな」
「ああ……そういえばそんなこと前に聞いたような。笹島さんも大変でしょうね」
「あ、そういや雅人が顧問弁護士なんだってな。今頃走り回ってんじゃね? ……それにしても、ミスズもホントやべー技術だよなあ。一人だけ時代が違うっつーか、未来でも見て来たんじゃねえの?」
「……」
そういえば夕さんってミスズテクノロジーについて思うところがあったような……。今回のことも何か重要なことだったりするのだろうか。
「颯さん、ミスズテクノロジーってどんな会社なんですか?」
「ん? ジャーナリストから情報が欲しいんならそれ相応のもんもらわねーと困るんだけど」
「駅までのタクシー代ってことで」
「白タクは違法だぞ?」
「鍵開けとかしてた人に言われたくないんですけど」
「まあそれは冗談として……ミスズだろ? 元はかなり小さなIT企業だったんだよ。従業員二十人も居ないくらいのな。出来たのは十数年前で、社長の三珠洲は脳科学専攻の研究者だ。それで脳波に関する研究やらから色々作ってたらしいんだが……どれも鳴かず飛ばず、んで会社も低迷してたんだが、それをひっくり返したのがこれだな」
鞄から取り出していた資料を読んでいた颯さんがそれをこっちに差し出す。助手席から身を乗り出してそれを見ると、脳波を読み取って考えていることを表示する装置についての記事が貼り付けられていた。
「あ、それどっかで見たことあります」
「だろ? 実際に製品化までしたのは最近だが、それまでの試作段階でもかなり話題になってたんだ。……それでもって此処からが不思議なんだが、これを発表した十年前以降、ミスズは次々と新技術を世に生み出し始めたんだ」
「ん? その脳波読み取る装置じゃなくてですか?」
「ああ、脳科学とはかけ離れたような畑違いの分野にまで手を伸ばしててな。そのおかげでちっぽけな零細企業がこの十年で一気に大企業にまで成長したって訳だ」
「突然何があったんですかね?」
「噂では超絶有能な技術者を取り込んだとか何とか……ま、真偽は分からんが」
「ホントに未来人とか宇宙人とか雇ってたりして」
「それを冗談で笑い飛ばせないくらいの技術なんだよなあ。俺も専門じゃねーから詳しくはないがね」
そうこう話しているうちに車がかなり反対運動の集団に近付いていた。仕切っている人の色を見ると、怒りやら悔しさやらマイナスな色が見て取れる。
「こいつらもさ、倫理的にどうだとか色々言ってっけど大体のやつらはミスズの成長で煽りを受けて業績が落ち込んだ会社のやつらが多いんだよ。あちこちに手伸ばしてるからそれだけ恨みも買いやすいんだと」
「ああ……成程。何か変に理由付けられるよりそっちの方が納得できますね」
「ちなみにお前らは今回のアンドロイドの件についてどう思う? 反対か、賛成か?」
「んー……言うほどよく分かってないんですけど、便利になるならいいんじゃないですか? 夕さんは?」
「……」
「夕さん?」
「アンドロイドの技術に関しては何も。いずれ進歩するものが少し早く来ただけでしょうから。ですが……その技術を開発したのは誰か、本当にミスズが作り出した技術なのかということは気になります」
「本当に……って、どういうことですか」
「手当たり次第と言ったようにいきなり様々な分野に手を出し始めた訳です。おまけに段階を踏まずにいきなりアンドロイドと来たものだ。全てミスズの人間が作り出したと思うより……何処からか情報を盗んだと考えた方が納得が行く」
「え」
「まーそれは皆思うよな。けど実際の所、産業スパイだのそういう訴えはミスズに一切来ていない。有名な技術屋や研究者を引き抜いたなんて話もないから尚更不思議……いや、不気味と言っていいくらいだ」
颯さんが肩を竦める。確かに、今まで全く無名だった会社が突然成長したのなら何かしら大きな理由があったはずだ。普通ならそこまで急成長した企業はテレビで取材を受けたりして色々と理由を知られていそうなものだが。
公園を過ぎると一気に渋滞が緩和されて車が走り出す。そうして間もなく駅へと到着すると、颯さんは「まあ、ミスズが気になるんなら今日午後六時から会見があるらしいから見てみろよ。今回のデモ関連で色々喋るらしいからな」と言ってひらひら片手を振りながら車から降りていった。
■ ■ ■ ■ ■ ■
「あ、夕さん始まるみたいですよ」
そうして事務所へ到着したのは五時半、そのまま帰ってもよかったのだが颯さんの言っていた会見が気になって、事務所で見ることにした。夕さんも一緒に見るようで、モニターのある資料室に行こうとする私を止めてテーブルにパソコンを持ってきて画面を映してくれる。コーヒーの準備をしていればすぐに会見は始まった。
夕さんに呼ばれて慌ててソファに座ると画面に映っていたのは四十台くらいの……あ、本当に四十四歳って書いてあるな。三珠洲という名前の男がフラッシュを焚かれていた。この人が颯さんの言っていた社長か。
『今日はお集まり頂きありがとうございます』
『三珠洲さん! 今日の反対運動についてどうお考えでしょうか!』
『これからそれらについてお話したいと思います。まず今回の件で皆様にご心配をお掛けたことを謝罪します。しかしどうか反対運動をなさっている方々にも、我々の技術の結晶であるアンドロイドについて深く知って頂きたいです。そうすれば考えの変わる方もいるでしょうから』
画面越しだから色は分からないが、見た感じ穏やかそうで優しそうな人だと思う。
『社長、アンドロイドの普及によって今後人々の仕事が奪われるのではないかと懸念する声がありますがどうお考えですか?』
『まず先に言っておきたいのですが、アンドロイド一体作るのに掛かる費用は莫大です。今後無事に正式稼働して順次改良していったとしても、コストカットするにも限りがある。普通の人間一人を雇う方が余程効率的なので、皆さんの仕事が奪われることはありませんよ。我が社のアンドロイドを運用するのは主に普通の人間では難しい、もしくは危険な作業を必要とする場になるでしょう。例えば災害地域における救助活動なども視野に入れています』
『そもそも人造人間なんて世間で受け入れられますか? 人工生命など倫理的な問題もありますし、そんなアンドロイドを危険地帯に放り込む方が問題になりませんか。使い捨ての命を作っているようじゃないですか!』
『今発言した君……あなたです。逆に質問しますが、例えば災害地域に二つのアームを持ち、足がキャタピラで作られた救助ロボットを配置したとして、それが何かしらのアクシデントで壊れてしまった時、あなたはそれを死んでしまったと認識するんですか?』
『え? ロボットとアンドロイドでは全然違うじゃないですか』
『同じですよ、ただロボットに精巧な人の顔を付けただけです。人工生命などとおっしゃっていましたがそもそもアンドロイドに命などありません。百パーセント機械です。確かに人工知能は搭載していますが……どこぞのSFのように心が芽生えるなんてことはありえません。もしそうならそちらの発見を大々的に発表していますよ』
「そりゃあそうですよね」
「……」
思わず頷きながら呟いた。心作っちゃったらそれこそ世紀の大発明だ。
隣から相槌すら返って来ないなと思って振り返ると、夕さんは非常に真剣な目で食い入るように三珠洲社長を見ていた。声を掛けるのを憚られるような緊迫した雰囲気に何も言えずに彼を見ていると、それからもつらつら質問に答えていた社長が「今回の件についてはここまででお願いします」とストップを掛けていた。
『最後にミスズテクノロジーからこの会見をご覧の皆さんへ重要なお知らせがあります。――こちらです』
「……何これ?」
三珠洲社長がそう言った途端、背後にあったスクリーンに突如として大量の英数字の羅列が表示された。特に単語にもなっていないそれらが次々とページをめくるように切り替わり、そして十枚ほどでそれが止まった。
『こちらは暗号になっています。答えは英数字五文字。これらを解いて答えを導き出した方には我が社から一億円を贈呈したいと思います』
「い、一億!?」
『ミスズテクノロジーは優秀な人材を求めています。解いた方には是非我が社で一緒に働けたらと思っています。今の暗号はホームページに掲載するのでじっくり解いてみて下さい。それでは今回の会見はこれにて終了とさせて頂きます――』
ぽかんと口を開けたまま画面に見入っているといつの間にか会見は終わりニュースに切り替わった。一億……一億って。会見の内容が全部吹っ飛んだ。
「な、何なんですかね、あれ。一億って」
「……」
「暗号解いただけで一億ですよ? 一億……」
「金額に反応しすぎでしょうが。……ですがまあ、確かにどういう思惑で」
私に呆れた顔をした夕さんが、考え込むように口元に手をやってぶつぶつと何かを呟いている。完全に一人の世界に入ってしまった夕さんを置いて、私は二人分のコーヒーを入れる。
「どうぞ」
「……ああ、どうも」
目の前のテーブルにコーヒーを置いたところでようやく夕さんが我に返った。別に会見も終わったからもう帰っていいのだが、何となく私もそのまま隣に座り直す。
「……」
いつの間にかパソコンの画面は静かになっていて、少し身動きを取るだけの音すら静寂には響く。
「夕さん」
「何ですか」
「……前に言ってたこと、そろそろ聞かせてもらえませんか」
こうしてミスズの話が出た時点でずっと聞くか聞かないか迷っていた。けれどいい加減ずっともやもやしていたのだ。夕さんが何を抱えているのか、ミスズと何があったのか、私に頼みたいと言っていたのは何なのか。
あれから心の片隅にずっとあった疑問を口にすると、夕さんが目に見えて体を強張らせたのが分かった。
目が揺れる。何かを言おうとした口が開いては閉じ、それを何度も繰り返す。
「……そう、ですね。あなたには……言う、べきでしょうね」
「……」
「私は……私は――ずっと、探している人がいます」
腹の中の色を一層黒くして、酷く躊躇いがちに彼が話し始めた。
「探している人?」
「はい。私はその為に、探偵になって……今までずっと、手がかりを探して……でも、何一つ、確実な情報は見つからなくて。……ミスズが、いや、それだって何の証拠もなくて……私は、こんなに何年も、無意味なことを」
「……夕さん?」
「何の進展もなくのうのうと生きて、私が無能だから、役立たずだから、だからあいつはずっと……私が、」
「夕さん!!」
両手で頭を抱えた夕さんが俯いたままぶつぶつと言葉を繰り返す。どんどん黒色が体を巻き込んで、どんどん深くなる。
彼のただならない様子に咄嗟に肩を掴んで揺さぶると、夕さんは瞳孔が開いたままの目で私を見て……そしてたっぷり十秒使ってようやく一度瞬きをした。
「竜胆さん」
「すみません、私が変なこと聞いた所為で」
「……いえ、あなたが悪いことはありません。――すみませんが、頭が痛いので帰ります。戸締まりをお願いします」
私が何かを言う間もなく、夕さんはそう言ってふらりと立ち上がるとあっという間に事務所を出て行ってしまった。彼に釣られて中途半端にソファから浮いていた腰がすとんと落ちる。
「……」
頭の中でぐるぐると過ぎるのは、後悔と困惑だった。
私は今、余計なことを口にして夕さんを傷つけた。あんなに苦しげな顔をした彼を見るのは初めてで、あんな風に自分を卑下する彼を見ていられなかった。
いつも見ているはずの、あの慇懃無礼な余裕たっぷりの姿が上手く思い出せない。
今のような姿を見せられたら、もう先ほどのように夕さんに問い質すことはできない。なら今まで通り何事も無かったように過ごすべきなのか。それとも夕さんが自分から話してくれるまで辛抱強く待つべきなのか。
……いや、違う。
「考えろ、私」
そんな消極的な考えじゃ何も分からないままだ。だから、考える。今までの夕さんの、陽太君の、それに笹島さんや未来さんの言動を思い出せ。引っかかる所はいくつもあった。それがどういう意味で言った言葉だったのか、どう考えれば理由が付くのか思考する。
「私だって探偵助手なんだから」
頭を、手足を使って全部暴いてやる。夕さんが抱え込んでいる“黒”を。
 




