12-3 役立たずでも
「……役立たずが」
舌打ちと共に、思わず小さく零した。
一時半を過ぎたところで数人の男が部屋に入ってきて私を運び始めた。女が居なくなったとしばらく騒ぎになっていたが、結局捜索よりも供物を捧げる方を優先するらしい。好都合だ。
住民に捕まっていないことは分かったものの、竜胆さんは無事だろうか。できることなら戻らずにそのまま逃げてくれるのが望ましいが、彼女が言うことを聞くはずがないことは分かっている。
……せめてタブレットが無事だったら。この教会、そして村全体の見取り図、車を置いた地点から村までの正確な距離と道中の情報、陽太がまとめていたであろうそれらがあればここまで無計画な立案などしなかった。ヘアピンすらないのが痛すぎる。……まああったところでタブレットがなければ映像の再生も出来ないのだから同じことだが。
しかしこんなのただの言い訳に過ぎない。結局はこの状況でろくに計画も立てられない自分の無能さに嫌気が差す。
供物――ただの物として運ばれる自分を冷静に見て思わず自嘲する。役立たず、文字通りの足手纏い。私がこうでなければ彼女が無茶をする必要性もなかったというのに。いつもこうだ。私はただの凡人で……誰も、助けられない。
「そこに寝かせろ。腕と足は縛っておけ」
先ほどの狭い部屋とは打って変わって開けた空間に連れて行かれた。側に立っているのは大きな像――恐らく八十口様とやらだろう。そしてぞろぞろと教会に人が入ってきては全員長椅子に腰掛けて今か今かとそわそわした様子を見せている。
私は黒い鉄の板の上に乗せられた。……は、村人全員で仲良く深夜のバーベキューか。馬鹿馬鹿しすぎて笑いそうにさえなる。手と足はそれぞれ一纏めにきつく締め上げられ、銃で撃たれた部分が圧迫されて余計に痛んだ。
「まったく、この子もやっと大人しくなって」
「智也にも八十口様へ供物を捧げる大事さがやっと分かったようだな」
「……」
ぽつぽつと聞こえる話し声の中で気になる名前を耳に拾う。ちらりとそちらを見てみればぐったりとした少年が今にも崩れ落ちそうな姿勢で椅子に座っていた。……あの子が報告にあった智也という少年だろう。何をされたのかは分からないが恐らくただ説教されただけ、ということではないだろう。出来ることならすぐにでも病院に連れて行って検査でもさせたいが……今の自分の状況を改めて認識してため息が出た。やっぱり私では駄目だ。
……もしあいつだったら。
「そろそろ火の準備を」
「はい」
――ただ、今は無駄に自分を責めている時間すらも勿体ない。
タイムリミットは定まっている。引き延ばそうとしても無駄だ、時間稼ぎはできないだろう。
竜胆さんは絶対に戻ってくる。なら、無能でも何でもいいから最善を尽くさなければならない。間に合わないのならそれは仕方が無い。だが間に合った時に少しでも生存率を上げなければ。五分の状況を、できる限りこちらに有利に傾けてみせろ。
先ほどから指示を飛ばしている男――恐らく上代が視界に入る位置にやってきたのを見計らって、私はやつに向かって笑ってみせた。
「何を笑っているんですか」
「いえ、先ほどから考えていたんです。八十口様という存在、そしてその彼に供物を与える為に村人全員でそれを口にする……神の一部となるとは、全くよく出来ていて面白いなと。私も是非その精神を見習いたいなと思ったんですよ」
「……あなた、ホントにさっきの男ですか? 何やら雰囲気が……まあ何でもいい。私たちに媚びたところであなたが供物であることは何も変わりませんよ」
「ええ、それは勿論構いません。むしろ私も八十口様の一部になれるのならば喜んで受け入れましょう。……ただ思ったんですよ。勿体ないな、と」
「勿体ない?」
「こちら、供物が届かない時は私たちのような旅行者を使っているのでしょう? 都合悪く余所の人間が来ないことだってあるでしょうね。そうなると供物を捧げられなくなってしまう。ですがわざわざそんな運任せに頼らなくても、供物にふさわしい人間などいくらでもいるじゃないですか」
「そんなの何処に」
「決まっているじゃないですか。……ほら、こちらに集まっている皆さん、誰もが八十口様の敬虔な信者です。神に捧げるというのなら、当然何処の馬の骨とも分からない者よりも自身を信仰している信者の方が神様だってお喜びになられるのではないですか?」
「!」
その瞬間ざわ、と周囲に動揺が走ったのが手に取るように分かった。――かかった。
「神への捧げ物といえば子供や若い女性をよく耳にします。ねえ上代さん、そう思いませんか?」
子供と女性が思わず、とばかりに体を揺らしたのが視界の端に見える。私が上代を見上げて問いかけてみると、彼は戸惑いながらも否定する部分がないのか「まあ、そうですね」と頷いた。
今必要なことはこの場にいる村人の結束を乱すこと。同格だと思っていた人間に格差を作り出し、その関係にひびを入れることだ。
「ええ、そうですよね! 熱心に信仰を捧げる信者の肉体こそ八十口様はお喜びになられるに違いない! 何せそれを口にするのもまた信者の方々……同志を食らうことで更に信仰や結束は強くなる。……まあ、ですが」
ここで、声のトーンを落とす。
「実際問題、子供を使うとなるとこうして村人全員で分けて食べるのは難しくなるでしょうね。しかもその分だけ供物の数を増やせば信仰する我々の数も大きく減ってしまう。それでは本末転倒です。……だったら、より食い出がある体の大きな信者を捧げた方が効率がいい。そうは思いませんか? ええ、例えばですが――とても体格の良い上代さん、あなたのような、ね?」
「な、」
上代の顔色が変わった。それと同時に周囲の……子供や女性の視線が強く彼に突き刺さる。
立場が逆転する。そう、今度はお前が餌になる番だ。
「上代さん、あなたは村人から先生と呼ばれて親しまれているようですね。きっと誰よりも敬虔な信者なんでしょう。そんなあなたの血肉を皆さんに分け与えたとしたら、何よりも素晴らしい供物となるのではないですか?」
「わ、私はこの教会の管理もしていますので」
「安心して下さい。あなたの肉体を受け継いだ皆さんがきっと上手くやってくれますよ。ああ、それともう一つメリットがありますね。信者を供物とすることで余計な邪魔が入らないということです。私達は恐らく供物になった男性を探しに此処までやって来ましたが、同じように警察だって行方不明者が増えればこの村へ捜索に来るかもしれませんから。……まあですが、元々警察なんて怖くありませんか。だって私達はただ己の信仰する神様に供物を捧げているだけなんですから。彼ら警察や公の前でも堂々と私達の行いを説明出来ますよね。――ああ、」
耳を澄ませば微かに聞こえてきた音に思わずにやりと笑ってしまった。
「ちょうどいいところに警察がいらっしゃったようですよ? 私達の素晴らしい理念、きっちりと説明して差し上げるべきでは?」
「……え」
パトカーのサイレンの音。
遠くから、どんどんこの教会に向けてその音は近付いてくる。
「け、警察!?」
「逃げろ!」
自分の行いが完全に正しいと思い込んでいなければこの場には残れない。血相を変えて逃げ出した人数は半数を超えただろうか。上々だ。上代が慌てて村人を止めようと声を上げるがもう遅い。
木製の脆い扉が外側から破壊され勢いよく吹っ飛んだ。サイレンとクラクションの音と共にそこから教会の中へ一台の車が突っ込んで来て村人達は一気にパニックになる。
中央の広い通路を走り目の前にやって来た車に上代も驚いて腰を抜かし、尻餅を付いた。急ブレーキを掛けた車が私の側でようやく停止する。そうして一瞬の間に運転席から顔を出した女と目が合った。
「上出来です」
「そりゃあどうも!」
■ ■ ■ ■ ■ ■
車を発進させる前に手早くネットからダウンロードしたサイレンの音を大音量で響かせながら車のまま教会へと突進する。バキバキと音を立てて木の扉がぶっ壊れたのを見てちょっとハイになった。今なら何でも出来る気がする。
教会の中では村人達が逃げ惑い、八十口様の像の目の前で夕さんが鉄板らしきものの上で拘束されているところだった。まだ料理されてない!? セーフ!!
窓を開けて顔を出したところで夕さんが手首の縄を切って起き上がったところだった。やっぱり腕時計渡しておいて良かった。というか暢気に感想言ってる場合じゃないんですよホントに! すぐに足の縄まで切って片足を引き摺って立ち上がった夕さんを見て助手席のドアを開けると、ちょうど腰を抜かしていた上代が我に返って真っ赤な色を周囲に撒き散らしたところだった。
「供物を逃がすな!!」
しかしそんな上代の叫びに反応する村人は少ない。というかもう教会内に残っている村人は殆どいなかった。それでも数人は夕さんを捕まえようと手を伸ばして来る。
「出しますよ! しっかり捕まってて下さい!」
「待って下さい、あの少年も」
「え?」
夕さんが指さす方を見ると、椅子の下で荒い息を吐いて苦しそうにしている少年、智也君が居た。そうだ、あの子もこの村に残す訳にはいかない。
「ハンドルお願いします!」
私は夕さんにそう言って運転席のドアを開けると、アクセルを踏んだまま体を半分外に乗り出して智也君に手を伸ばした。それに気付いた彼は反射的に私の腕にしがみつき、そして力任せに車の中へと引きずり込んだ。火事場の馬鹿力ってこういうことなんだな……普段だったら絶対に小学生を片腕で持ち上げるなんて出来ない。
「待て!」
「誰が待つか」
後ろから聞こえて来る声にぽつりと言い返して思いっきりスピードを上げる。あっという間にルームミラーから人影が消え、村から出てしまえば辺りはすっかり静寂と暗闇だけになる。
「少しスピード落として下さい。此処で事故ったら洒落になりませんよ」
「了解です。……助かった、ってことでいいですよねもう?」
「そうですね。この先山を降りるまでに罠や待ち伏せが無ければ」
「不安になること言わないでもらえますか」
「警察に到着するまでが脱走です。……ですがまあ一先ず、竜胆さん。助けて頂いてありがとうございます」
「あ、あの! よそ者の姉ちゃん、ありがとな」
「何とか間に合ってよかったですよ。智也君も、無事で何より」
「ですが早急に病院へ連れて行った方がいいです。警察に着いたら事情を話してすぐにこの子だけ病院へ搬送してもらいましょう」
「いや夕さんだって足撃たれてますからね!?」
「そういう竜胆さんも先ほどよりもぼろぼろになっていますが」
「色々あったので」
私は軽傷な方だ。問題は夕さんの足と……声は割と元気なものの後部座席でぐったりと横たわっている智也君の二人だ。夕さんは包帯が真っ赤になっているし、智也君は何をされたのか分からないのが余計に心臓に悪い。
「智也君。その、言いたくないならいいけど……何されたの?」
「何か変な注射打たれた。前も暴れた時に同じことされて、それで二、三日まともに動けなかったんだよ」
「一番やばい」
「ですね」
子供になんて仕打ちしてんだあの野郎! 警察よりも先に病院だ病院! ナビの行き先を変更しながらどんどん怒りが湧いてくる。
「あー!! 腹立つ!! ってよく考えたらヘアピン拾ってきてないから証拠も無いんじゃないですか!? 智也君の証言で行けます?」
「体から薬の成分が検出されれば大丈夫なのでは。ですがまあそんなに心配なさらなくても犯罪の証拠ならありますよ」
「え、何処に?」
「此処に」
とんとん、と夕さんがルームミラーの隣を指で叩いてはっとする。
「ドライブレコーダー!」
「私を拘束して今にも殺そうとしていましたからね。はっきり映っていると思いますよ。……ですが同時に、あなたが教会の扉をぶち壊して侵入し人を轢きかねない運転をしているところもばっちり映っていますが」
「……いいですよもう! 命助かったんですから罰金でも免停でも受けて立ちます!」
そんなの夕さんの命に比べたら安いもんだ。今後仕事の時は夕さんに責任を取って運転してもらおう。
「ですがやはり詳しい村の情報は必要です。智也君、あなたの村のこと、今まで何をしていたのか警察に話せますか?」
夕さんが後ろを振り返った瞬間鏡越しに智也君が大きく震えたのが見えた。小さく悲鳴を上げてがたがたと体を小刻みに震わせ、酷く怯えた視線で恐る恐る夕さんを見ている。
「ひ、……は、話すよ。話すから……食べないで」
「……夕さん、智也君に何したんですか」
「特に何も」
「いや嘘でしょ」
■ ■ ■ ■ ■ ■
その後、真っ先に病院へ向かった後にその場で警察へ連絡した。智也君はすぐに精密検査、夕さんと私は病院へやって来た警察に簡単な事情聴取を受けて、一日入院することになった。
そして翌日退院した私達は警察署へ向かい、改めて事情を詳しく説明してから解放された。智也君は警察の方で保護してもらうことになり、彼の証言を聞いた警察は朝早く村へ向かい数人の村人を傷害の容疑で逮捕したという。ちなみに昨日と今日で全然性格の違う夕さんと陽太君に警察の人が困惑していたが、状況が状況だったのでパニックで情緒不安定になっているんだなと勝手に納得していた。
……いやまったく散々だったな。今更冷静になって考えると同じ人間に食べられそうになっていたなんて体が震える。
「瀨名ちゃん無事でホントによかったよ」
「それはこっちの台詞だからね?」
そして帰り道の車の中。命が掛かっていた為一先ずは免停にならずには済んだ(とはいえ後々罰則は検討されるらしい)ので無事に運転できている。陽太君も運転できればいいのだが……と思い助手席を見るが、本人は途中の家電量販店で購入した新しいタブレットをひたすら操作している。
「何人かは逮捕されたらしいし、このまま礼状取って村中調べられるだろうね。余罪ざっくざくに出てきそう」
「うん、智也君の話だとずっと昔から行われていたものらしいからね。警察にとっても大分大がかりな案件になるだろうね。ほら、この前颯君の依頼の時の暴力団も此処と関係してたらしいよ」
「え? あれと? じゃああの箱に詰め込まれてた死体は……」
「十中八九村との取引に使うつもりだったんだろうね。だけど僕たちが押さえちゃったから供物が滞って、結果的に旅行者を襲ったってところかな」
「……なんかそれ、私達の所為みたいじゃん」
「なんで? 殺した人が悪いに決まってるでしょ?」
「そうすっぱり言い切れる陽太君が羨ましい」
まあ探し人である青山さんの調査依頼が来なければこれからもずっと事件が隠蔽されていたことを思うと悪いばかりじゃないけども。特に智也君のことがあるから尚更。
ところで何故暴力団の関与まで知っているのかと訪ねるとにこっと笑ってタブレットを見せられた。買ったばっかりの物でもうそんなことまで調べられるのか。本人は「動き遅いし使いにくいなー」と文句を言っているが。
「それ最新式って言ってなかった?」
「売ってる中では最新式だったよ。まあ新しいもの作る間の繋ぎぐらいにはいいけどね」
「やっぱ自作だったんだ……」
「スマホの方も作り直さないとなー。色々パーツ買いに行かないと」
「陽太君、忘れてるかもしれないけど君足を撃たれてるからね? 安静にしてなきゃ駄目だからね?」
「ずっと痛いし流石に忘れてないって。じゃあ瀨名ちゃん代わりにパーツ買って来てよ。ネットじゃ売ってないやつとか色々あるから――あ!!」
「!?」
突然横から大声を上げられて思わずハンドルを変な方向へ切ってしまうところだった。
「い、いきなり何!?」
「未来ちゃんだ!!」
咄嗟にブレーキを掛けて車を停止させ隣を見ると、タブレットから顔を上げて窓の外を見ていた陽太君が目をキラキラと輝かせているところだった。
未来さん? 私も釣られて窓の外を見ると、何やら事件があったのか規制線の向こう側で仕事中らしき未来さんが他の警察官と話しているところが見えた。
「未来ちゃーん!」
「あ」
止める間もなくドアを開けて車から飛び出した陽太君は未来さんに向かって一直線。そして安静にしろと今言ったばかりの言葉を無視して走った結果、彼女に辿り着く前に足をよろめかせて顔面から思いっきり道路に激突したのだった。




