12-2 絶対に間に合わせる
「……」
目を覚ますとそこは薄暗く狭い部屋の中だった。ズキズキと痛む頭を押さえて体を起こすと、私の隣には陽太君が苦しげに呻いて倒れていた。
……そうだ、思い出した。私はあのまま教会に連れ戻されてこの一室に閉じ込められたのだ。銃弾が足を掠めて血を流していた陽太君に内ポケットに入っていた救急セットでできる限りの手当をして、そこで私も殴られてからずっと飛びそうになっていた意識を手放した。
腕時計に目を落とすともう日付が変わる直前だった。上代や智也君が言っていた“食べられる”時間は午前二時。あと二時間しかない。
「陽太君! 起きて!」
「う、う……ん」
とにかく陽太君を起こして此処から逃げなければ。彼の肩を揺さぶって声を掛けると、陽太君は険しい表情のままゆっくりと目を開けて私を見た。
「瀨名ちゃん……」
「ごめん、起きて早々だけど早く逃げなきゃ駄目なの!」
「今、何時……?」
「十二時前! だから早く」
「タブレット、どこ」
虚ろな目のまま上半身を起こした陽太君が手探りで何かを探す仕草を見せる。
「え? あれはさっき連れて行かれる時に落として踏まれて……って今はそれどころじゃ」
「あれがないと……駄目」
「そんなこと言われても」
「あれがなきゃ、兄さんに、伝えられな――」
「っ、陽太君!?」
ぐらりと陽太君の頭が揺れ、再び倒れそうになる。それを咄嗟に支えると、苦しげに息を吐きながら彼が私を見上げた。
「瀨名ちゃん、兄さんのこと、お願い……」
「陽太君……あ、」
色が、白が黒へと変わる。
思わず腕時計を見ると、針がぴったりと午前零時を指していた。これを見るのは二度目だ。あの時とは逆に、汚れのない真っ白がどす黒く染まっていく。
目を閉じた陽太君が再びゆっくりと目を開ける。……当たり前だが、顔は一緒なのにその表情は完全に切り替わっていた。
「り、んどうさん……? いっ、」
「無理に動かないで下さい!」
当たり前のように足を動かそうとした彼――夕さんが痛みに呻く。血は止まっているが銃弾が当たったのだ。無理をすればまたすぐに出血してしまう。
できるだけ怪我をした足に負担を掛けないように座らせている間、夕さんはひたすら困惑の色を見せていた。しかしそれも一分も無い間だ。室内をくまなく見回した彼は徐々に冷静さを取り戻して行き、そして私を見て一瞬口籠もった。
「竜胆さん、その」
「……昨日の報告をします。まず此処は八十口村の中の教会なのですが――」
私は努めて冷静にこれまでの状況を説明し始める。今まで様子から予想はついていたが夕さんと陽太君は記憶を共有していないらしい。切り替わる前の陽太君の言動からして、いつもはあのタブレットを使って情報共有をしていたのだろう。しかしあれは今壊されてしまってもう使えないしそもそも手元にない。
「それで捕まって、今ここって感じです」
「成程……」
あらかた説明し終えた頃、夕さんは大きくため息をついて眼鏡を持ち上げ……ようとして空振りした。
「あのー……夕さん眼鏡無くても大丈夫ですか? 荷物大体持っていかれて身に付けてたものしか無事じゃないんですけど」
「問題ありません。多少近視ですが無くてもそこまで困る訳ではないので」
今更だけど陽太君も同じ目ならそりゃあそうかと言ってから思った。コンタクトしてる様子も無かったし。
「……まあとりあえずですね、あと二時間もしないうちにタイムリミットが来る訳です。だからそれまでにどうにか逃げなきゃ行けないんですけど」
「ええ、状況は把握しました」
「なら指示お願いします。私は何をすればいいですか? 動けない夕さんの分まで全力で頑張りますから」
「……」
私が必死に思考しても手も足も出なかった。だが夕さんならきっとどうにかしてくれる。当然のようにそう考えてしまっていると、夕さんは眉間に皺を寄せて黙り込み、そして上を見上げた。
「……天井近くに小さな窓がありますね?」
「はい。足場もないしちょっと登るのは難しそうですけど」
「私が持ち上げますので竜胆さんはあそこから外へ脱出して下さい」
「え? でも夕さん足を怪我して」
「少しくらい平気です」
「……まあ、そうだとして。で、夕さんはどうするんですか?」
「私は此処に残ります」
「は?」
「竜胆さんはそのまま隠れて村を出て下さい。スマホは……無いんでしたね。とにかく車で山を降りて麓の警察に保護してもらって下さい」
「そ、そんなことしたら夕さんが」
「この怪我です、私は確実に足手纏いになる。あの窓から脱出するのも困難で、この部屋から外に出される瞬間を狙っても間違いなく逃げられない。私のことは気にしないで下さい、その希少な目を持つあなたは助かるべきだ」
「はあーっ!?」
「煩いんですが」
いや煩くもなるわ!! なんだその作戦、夕さんを囮にして一人だけ逃げろと言われて黙って居られるもんか。まるで自分が助かる気がない、いつになく弱気な発言だ。
「なに馬鹿なこと言ってるんですか!」
「確実性を取っているんです。一人でも生き残る可能性が高い方がいい。最悪なのは二人とも殺されてこの村の真実が伝わらないことです」
「確実に二人とも生き残るんですよ! 大体何ですか希少な目だから助かるべきって。こう言っちゃなんですけどこの目持ってても私より夕さんの方がよっぽど世の中の為になりますからね!?」
「私程度の人間などいくらでも居ますよ」
「あーもうっ! 怪我してなかったらはっ倒してますよマジで!」
何なんだこの人。いつもの自信満々のすかした態度はどうした?
「可能性が低くてもいいです、二人とも助かる方法は?」
「……」
「夕さん! おいこら真っ黒黒すけ!」
「はあ……口悪いですね」
私が詰め寄って両肩を掴むと、夕さんは少し呆れたような……諦めたような表情でため息を吐いた。
「で?」
「……外に出て車に向かう所まではそのまま。その車で、此処まで戻ってきて下さい。地盤が緩んでいるというのは恐らく供物にする人間の逃走経路を絶つ為の嘘でしょう。そうでなければ外から遺体を運ぶことも困難ですからね」
「あ、確かに」
「タイムリミットは午前二時。……ですが、それまでに間に合わないと判断した場合即座に山を降りて下さい」
「間に合わせます」
「できれば何か村人の気を引くようなものを……そうですね、パトカーのサイレンの音なんかがあるといいです。……正直、あなたの報告だけではこれが精一杯です。情報が少なすぎる」
「ぐ、」
「間に合ったとしても助かるかは五分五分です。私もやれることはしておきますが、あまり期待しないでおきますから間に合わなかったとしても気にしないで下さい」
「だから間に合わせるって言ってるじゃないですか! という訳ですぐに脱出します!」
私は立ち上がると左手首から腕時計を外して夕さんに差し出す。
「これ、捕まった時に便利なんで付けておいて下さい」
「あなたの方が時間が分からなくなりますけど」
「別にいいです。どっちにしろ最速で頑張ることには変わらないので。ほら、付けたら早く立って下さい。一秒でも惜しいんですから」
痛みに顔をしかめる夕さんを支えて立ち上がらせる。怪我をしている左足に負担を掛けないように右足に体重を掛けながら歩き、窓の下まで移動した。
……ホントに大丈夫かな。怪我してなくても夕さんのもやしっぷりだと私を持ち上げられるか心配なんだけど。
「ほら、早く乗って下さい」
「……はい」
怖いがやるしかない。しゃがんだ彼の肩に足を乗せて頭を掴む、つまり肩車だ。
「ぐ、う……」
「重くてすみませんね……」
最近筋肉付いてるから余計に重いと思う。呻きながらも勢いを付けて強引に立ち上がられると一気に視界が高くなる。ぐらぐら揺れるのが怖すぎるな……肩車なんて小学生の時の組体操以来だ。
一刻も早く夕さんの負担を減らさなければと目線の近くまでやってきた窓を開けて無理矢理上半身を窓枠にくぐらせた。
……地面まで二メートルくらいだろうか。足を折ったらそこまでだ、此処は特に気をつけなければならない。
「夕さん」
「はい」
「……行ってきます。絶対に戻ってきますから」
私は振り向かずにそう言って、意を決して窓の外へ身を投げた。
「っ、」
体が風を切る。あっという間に地面へ辿り着いた足は枯れた草がいい感じのクッションになってくれて思ったよりも衝撃は少なかった。よし、出だしは上々。
まずはとにかく見つからないように村を脱出する。そして行きに来た道を逆走して山道を降りて車まで戻り、全速力で夕さんの元へと向かう。
車から村までは歩いて一時間ほどだった。タイムリミットまでは二時間弱、片道は走って後は車を飛ばせば十分時間に間に合う……と、そう思っていたのに実際はそんなに上手く行かなかった。
まず、教会から村の外に出るまでに大きくタイムロスが発生した。然程大きな村ではないと言っても教会は村の一番奥にあったし、何よりこんな深夜だというのに起きてる住民が多すぎるのだ。彼らにとってはこれから“ご馳走”にありつける訳だからそれはもう元気に外に出ていたりして、私は物音を立てないように必死に建物の影や木々に隠れてなんとか村を脱出した。
「暗……」
しかし村の外に出ると今度は一面真っ暗で何も見えない。はっと思い出してポケットに入れていたペンライトを取り出して辺りを照らす。正直そこまで変わらないがあるのと無いのとでは安心感が違う。前の教訓を生かして持ってきておいてよかった。
だが小さな光源一つで足場の悪い山道を下るのは至難の業だ。前方に転がり落ちそうにある足を必死に踏ん張って走り、危うく木に直撃しそうになるのを何度もぎりぎりで気付いて躱す。
間に合うか? さっきは必要ないと言ったのに時間が分からないのがこんなにも怖い。もしかして気付かないうちにもう二時になっていたら……。不安がどんどん心の中に押し寄せてくる。
「……あれ」
その時、僅かに覗いた月明かりで少し視界が明るくなった。思った以上に崖になっている道の端を歩いていたことに気付いて冷や冷やしたが、問題はその下、ちらりと見えた崖の下に見覚えのある車を発見したのだ。
「ここから降りれば!」
ぐるぐると長い残りの道のりを一気に短縮することができる。私は崖の高さと周囲を確認した後内ポケットから先ほど陽太君に使った救急セットを取り出してそこから残った包帯を手に取った。できるだけ崖に近い木の太い枝に包帯をきつく縛って固定し、もう片方の端を自分の手に巻き付ける。
ゆっくり、ゆっくりと包帯を使い崖に足場を探して下に降りようとした。崖はあちこち出っ張っていたので足場は割とあったが、先ほど蹴られた手に包帯が食い込んで思わず歯を食いしばる。
我慢しろ、こんな痛みがなんだ。銃で撃たれた夕さんの方がよっぽど痛い思いをしている。自分にそう言い聞かせて無心で崖を下っていたが、そこで問題が発生した。……包帯の長さが足りない。応急処置に大分使ってしまったので大して残っていなかったのだ。
「……」
私は下の車をちらりと見て、そして包帯を見つめ……手を放した。
浮遊感が全身を襲う。投げ出された体は教会の窓から飛び降りた時よりも長く風を感じて、そして考える間もなく背中から車の上に叩き付けられた。
「いっ、」
痛い、痛すぎる。背骨折れたかと思った。けれども体は動く。よろよろと車の上から降りて中に乗り込みエンジンを掛けると、ずっと静まりかえっていた空間に昼間運転中に聞いていたなずな様の曲が流れて来て思わず涙が出てきた。
やっと此処に戻って来ることが出来た。私は袖で涙を拭うと、色々と準備を整えて勢いよくアクセルを踏み込んだ。
「夕さん今助けに行きますからね!!」
自分を鼓舞するように叫んで、私は進入禁止用に置かれていたコーンを破壊する勢いで弾き飛ばした。




