1-2 白い男
「やー、瀬名ちゃんおはよー!」
翌日。低血圧でローテンションの私が青海探偵事務所の扉を開くと、その瞬間勢いの良い元気な声が顔面に叩き付けられた。
「……おはよ、陽太君」
「瀬名ちゃんはいつも元気ないなー。これから仕事なんだからもっと張り切っていかないと!」
私の目の前でにこにこと笑う見るからに明るい彼は夕さんと良く似た――ただ眼鏡は掛けていない――顔をした男だ。
彼の名前は青海陽太。夕さんの二歳年下の弟で、彼もまたこの探偵事務所の一員である。冷静沈着な夕さんとは正反対の性格の陽太君は非常に人懐っこく、一つ年下の私にも「敬語なんていいから気軽に話してね!」とフランクに接して来る。
ちなみに顔は良く似ているとは言ったものの、ぱっと見ただけで私が彼らを見間違えることは百パーセントありえない。何故なら……まあ、簡単な話なのだが“色”が全く異なるのである。
先に言った通り兄は人間とは思えないほどの真っ黒男、そして弟はというと――これまた本当に人間かというほど……真っ白な男なのである。
普通に生きていたらどんな人でも嫌なことや悩みだって生まれる。それによって様々色が加わって濁っていくはずなのに、この男ときたらそれらを全て塗りつぶしてしまうほどの光属性なのである。兄も兄なら弟も弟だ、こいつらホントに人間か。
「兄さんから依頼のことは聞いてるから、早速仕事行こっか」
「うん」
陽太君は愛用の大きな画面のタブレットを持つと、何やら壁に立てかけてあったゴルフバックのような細長い鞄を手に取ってこちらへやって来た。
「でも、まずどこから調査するの? そのスーツケースを盗んだって人の足取りから探す?」
「ああ……。実はもう場所の目星はついてるんだよね」
「え? そうなの!?」
「うん、だから後は実際にそこにあるか調べるだけなんだけど」
「じゃあ、もしかして今回私って別に必要ない感じ?」
てっきりその盗んだ人を見つけてから、疑似嘘発見器でもやるのかと思っていた。なら私が一緒に調査に行く理由はないのでは? と思っていると、陽太君はにこにこ笑いながらその手に持っていた細長い鞄を私に差し出してきた。
鞄の中身は、一本の細身のシャベルだった。
「じゃ、掘り出すの頑張ってね」
「肉体労働か!」
しかも「頑張ろうね」ではなく「頑張ってね」という時点で手伝う気は一切ないのが分かる。
色は正反対な癖にこういう所だけは無駄に似ているものである。
■ ■ ■ ■ ■ ■
「それで、目星がついてるってどういうこと?」
陽太君の言う目的地までの道中、私は運転席でハンドルを握りながらちらりと助手席に座る白い男に目をやった。ちなみに車は社用車だが、陽太君は運転できないので彼と一緒に調査に出る時はいつも運転は私の仕事だ。
「瀬名ちゃんも兄さんと一緒に依頼の写真は見たんだよね?」
「うん、見たけど……」
「手がかりは此処にたっぷり残されてたんだって」
ちょうど信号が赤になったところで手渡された写真に目を落とすが、やはり昨日見た時と印象は変わらない。所々塗装が剥げてぼろぼろになっているスーツケースが一つ映っているだけだ。
「じゃあ次はこれ」
「ん? ネットの記事?」
続いて差し出されたのは陽太君愛用のタブレット。そこに表示されていたのはネットニュースで、とある宝石店へ強盗が入ったというものだった。
犯行は3日前の深夜。画像は監視カメラの映像らしく、薄暗い中に二人の男らしき人影が映っている。
「瀬名ちゃん青だよ」
「あ、」
陽太君に指摘されて慌てて車を発進させる。
「犯人は宝石と現金を盗んで現在逃走中、顔が隠されていたからまだ特定もされていない……って感じだね。ちなみに画像は見た? 犯人が金品を入れる為に大きなスーツケースを持ってたんだけど」
「見たけど……もしかして、そのスーツケースが例のやつ、とかまさか言わないよね?」
「言っちゃうんだよねーこれが」
「マジか。じゃああの依頼人の人強盗犯だったってこと!?」
へら、と笑う陽太君に頭痛を覚える。この二十五歳児、いちいち言動が軽々しすぎる。それにしても、依頼内容から怪しいとは思っていたがまさか強盗犯だったとは。つまり依頼人は共犯相手に裏切られて分け前を全て持ち逃げされた訳か。
「……というか、よくスーツケースが一緒だなんて分かったね。画像も暗いし粗いし、どこにでもありそうなやつじゃん」
「ああ、それは兄さんがスーツケースの形や塗装の剥がれ具合がそっくりだって気づいたから映像解析に掛けたんだよ。で、宝石店の防犯カメラをちょっと覗いてみたら案の定数日前に南野さんともう一人の男が偵察に来てたわけ」
「覗いたって……まあいいや、それで?」
「もう一人の有馬って男の顔も分かったからそれで家を特定して、事件の翌日以降の足取りを追ってみたら大体隠した場所も分かってきたってとこ」
「はあー、それを一晩で?」
「いや朝起きてからだけど」
「……ほんっと、相変わらず……」
まずあの写真だけで強盗事件に関連付ける夕さんも夕さんだが、この白い弟も別の方向でやばいやつである。
青海陽太。彼は電子機器――とりわけパソコンを触らせるとまさしく神業を発揮する電脳世界の天才である。大体困った時は彼を頼ればなんとかなると言っても過言ではない。過去の新聞記事から映像解析、(正直違法だが)防犯カメラやGPSのチェックなど、探偵事務所の調査の要と言っていい存在である。
「毎度のことだけど陽太君はすごいね」
「でも俺はニュースとか見ないから強盗事件があったなんて知らなかったし、兄さんが指示してくれないと全然駄目なんだけどねー。俺はちょちょっと調べただけだし」
夕さんが指揮を取り陽太君が調べ上げる。じゃあ私はいらないのではないかと思うだろうし実際私が来る前も問題なく事務所を運営していたのだろう。だけどこの兄弟肉体労働が嫌いな所だけは似てるんだよなあ……。体もひょろっとしていて薄っぺらいから体力もないし。
「それに俺は瀬名ちゃんみたいに色んな物が見える訳じゃないからなあ。機械が無いと何もできないから、君が事務所に来てくれて助かってるよ」
「あ、ありがとう」
にぱ、とまさしく太陽のように明るい笑顔だ。それになんだか気恥ずかしくなってしまって、私はそれを誤魔化すように運転に集中することにした。
彼は“真っ白”だ。……夕さんとは、本当に正反対。
■ ■ ■ ■ ■ ■
「さーて、到着だよ」
陽太君のナビに従ってたどり着いた先は、県境近くのとある工事現場だった。
周囲を白い囲いで遮っているそこはどうやら看板を見る限り何かの工場が建てられる予定らしい。が、周囲や敷地内に人影はなく、看板にも休止中のシールが貼られていた。
「此処にそのスーツケースがあるの?」
「周辺の防犯カメラに有馬が夜中スーツケースを持って歩いてる姿が映ってた。見切れていたけど画面ぎりぎりでこの工事現場に入ろうとする姿もね。しばらく工事も無いみたいだから一旦隠すにはちょうどよかったんだろう」
躊躇いなくひょいっと敷地に入っていく陽太君を見て、私もシャベルの入った鞄を担ぎ直してこそこそと工事現場に足を踏み入れる。
中はショベルカーが二台だけ置かれているだけのだだっ広い空間だった。所々地面を掘って砂が積まれている場所もあるが、本当にそれだけの何もない更地である。
「……このひっろい所からスーツケースひとつ探し出すの?」
「瀬名ちゃんは自分が埋めるとしたら何処にする?」
「は?」
「これは兄さんの意見だけど、掘り返すの前提で埋めるんなら自分が埋めた場所が分からなくなるのが一番困るよね。それにもし突然工事が再開されても掘り返されない場所じゃないといけない。だからこの何もない場所の中である程度分かりやすい場所――何も目印の無い場所よりも隅の方を選ぶ。埋めたのは二、三日前だから流石に痕跡は残ってるんじゃないかなって」
「隅って言ったって、簡単に見つかるかな……」
「金属探知機ならあるよ」
はい。と先端に丸い形の輪っかのような物が付いた棒を渡される。これはかなり地道な作業になりそうだが仕事は仕事だ。陽太君は早速同じように金属探知機を持って土が掘り返された場所が無いか確認しながら探索を始めている。
「まあ流石に外から見られたら困るから奥の方かな……」
「あ、そうだね。じゃあ先に向こうから探して行った方がいっか」
「……というか今更なんだけどさ、普通に強盗犯なんて分かってるんならさっさと警察に通報すればいいんじゃないの? そしたらわざわざこんな私たち二人で探さなくても見つけてくれるって。……流石に見つけても依頼人に渡して知らない振り、なんてことないよね?」
「もちろん。ただ、しっかり証拠を見つけ出した後の方が都合がいいってだけだよ。スーツケースを見つけるって依頼自体は達成されて契約は成立するから報酬も請求できるし、あと警察に売れる恩も大きくなるって兄さんが」
「あの人ホントに腹黒いな」
腹だけではなく全身真っ黒だけど。
「あ、」
「え?」
と、不意に私と陽太君の声が被った。
「金属探知機が反応してる。なんか土も少し盛り上がってるし此処じゃないかな!」
「……」
「瀬名ちゃん? どうしたの」
嬉しそうな陽太君の声を聞きながらも、私は彼の指さす場所とは違う場所に釘付けになっていた。
なんか、薄ら赤いもやがある。
少し離れた木の陰になる場所。そこになぜだか薄く赤色のもやが見えるのだ。
「陽太君、あそこ何か見える?」
「え? 何って木があるくらいだけど」
目を擦って改めて見てみるがまだ見える。やっぱり私にしか見えていないらしい。ということはいつもの共感覚とやらが原因なのだろうが、しかし今まで人間以外のものから“色”が見えたことはなかった。
何か知らないうちに勝手にアップデートしてしまったのかと首を傾げて近づくと、赤いもやの付近の土の色が違う。どうやら此処も掘り返されたらしい。
「あれ、こっちも探知機が反応するよ」
「ちょっと掘ってみる」
どっちが当たりかは分からないが気になるのは確実にこっちだ。鞄からシャベルを取り出して少しずつ土を掘り出し始める。
やはり一度掘ったらしく土が柔らかく思ったよりもやりやすい。しかし細身のシャベル一本でひたすら土を持ち上げる作業はすぐに腕にくるし、快晴ともあってかなり体が熱くなってくる。
そして案の定、陽太君は側で――しかもいつの間にか木陰で――暢気に私を応援するだけだ。
「瀬名ちゃん頑張れー」
「無邪気な応援が余計に腹た……あ」
がつん、とシャベルの先端が土ではない何かに当たった。やっと見つけた。
終わりが見えたことに安堵して徐々に周囲の土をひっかくようにどけてみると何かの布が見え始めた。スーツケースを包んでいるものがと思いきや、それはやけに横に長い。
「……は?」
「ああ……」
陽太君がため息交じりに呟いた声が妙に頭に残った。
これはスーツケースなんかじゃない。四角ではなく、むしろ細長くて、まるで――
からん、とシャベルが地に落ちる。
土の下から現れたのは――人間の、足だった。
■ ■ ■ ■ ■ ■
あの後どうしたのかというと、今度こそ即座に警察に通報した。
ちなみに金属探知機が反応したもう一方の方からは無事に件のスーツケースが見つかり、中には案の定盗まれた宝石や現金がしっかり入っていたという。
そうして「スーツケースが見つかった」と連絡してのこのこやって来た依頼人を警察が確保。一件落着というやつである。……勿論、私はそんな単純に喜ぶことなんてできないのだが。
「うわああああ……死体なんてもう二度と見たくなかったのに……」
「まあまあお手柄だったじゃないですか。もう一人の犯人まで見つけてしまったんですから」
事務所のデスクに突っ伏してぶつぶつ呟いている私に、夕さんは一瞥もくれることなくどうでもよさそうにそう言った。
私が見つけた赤いもや。其処に埋まっていたのは、もう一人の犯人、有馬だった。スーツケースを持ち逃げして埋めた後に依頼人である南野と鉢合わせ、口論の末に殺されていたのだという。
「そもそも……もう一人の犯人がすでに死んでるって予想付いてたんなら最初に言ってくださいよ」
「言ったところで特に変わりませんよ。とはいえ流石にほぼ同じ場所に埋めたなんてまぬけなことをするとは考えませんでしたしね」
「確かにあの辺で隠せそうなのはあそこしかなかったかもしれないけど……ある意味で気があってましたね」
私は大きくため息を吐いてデスクから顔を上げる。今此処には私と夕さんしかおらず、昨日一緒に調査した陽太君は不在だ。
「それよりも新しい発見ができて良かったですね。死後あまり経っていなかったからか、遺体からも色が見えたとは、やはりあなたの目は面白い」
「全然良くないですし面白くないです!」
「いえいえ、大変興味深いですよ」
じろりと夕さんを睨むがまるで意に介されない。そのままメモ片手に近づいて来る彼を、私は改めて観察するように見つめた。
相も変わらずの真っ黒男……だが、それだけじゃない。
私は、この男の秘密を知っている。
「これからの調査にも何か役立つかもしれませんし、どのように見えたのか詳しく伺っても?」
「はいはい……」
青海夕、この男は。
「ちなみに前は気づかなかったんですか?」
「あの時はそれどころじゃなかったんで覚えてないですよ!」
――多重人格者だ。