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シロクロ男  作者: とど
18/40

11 見る目があります


「無事に終わってよかったですね」

「ええ。一時期はどうなるかと思いましたが」


 とある依頼の帰り、私は夕さんと共に疲れた肩を落として駅までの道を歩いていた。今日の依頼は大変……というか非常に面倒くさかった。例によって浮気調査だったのだが、依頼人の要望で報告を直接夫に聞かせたいから家に来て欲しいと頼まれ、更にそこに不倫相手が居合わせて大口論……結果的に調査しなくても不倫相手が分かったから依頼料を負けてくれとまで言い始める始末。まあ夕さんがそんなことさせるはずもなかったんだけども。

 もう夕方も過ぎて真っ暗である。


「予定よりも時間が掛かってしまいましたが、予定通りこの後食事に行きますか? 疲れて帰りたいというのなら止めますが」

「とんでもない! これを楽しみに今日乗り切ったんですから行きますよ!」


 夕さんの言葉に私は力強く声を上げた。今日は元々この後、夕さんおすすめのお酒が美味しいイタリアンで夕食を取るつもりだったのだ。その為にわざわざ車で来なかったのに今更止めるなんて冗談じゃない。完全に今パスタの口をしている。

 熱弁する私を見た夕さんがちょっと笑った。


「分かりました。それでは――」


「待て! 竜胆!!」

「え?」


 突然背後から叩き付けられた鋭い声。名前を呼ぶそれに釣られてそのまま背後を振り返った私は、そこに居た男を見て目を瞬いた。


「杉浦先輩」


 その男の名前を呼んだ瞬間、彼はぎっ、と強い視線でこちらを睨み付けてきた。体中から怒りと憎しみの色が広がっているし、色なんて見なくても彼が私をどう思っているかなんてすぐに分かるだろう。隣に並んだ夕さんが警戒を露わにした。


「お久しぶりですね」

「どの口でそんな暢気なことを……!」

「それはこちらの台詞ですが。どの面下げて私の前まで来たんですか?」


 この杉浦という男、何を隠そう私の元同僚である。あの事件で私を犯人に仕立て上げた人間のうちの一人。最後に見た時よりも随分と痩せて色も淀み、一瞬誰か分からなかった。


「お前っ!」

「謝罪ならいりませんよ。もうお金も頂きましたし」

「ふざけるなよ……! なんで、何でお前一人だけへらへらした顔で生きてるんだよ!」

「……」

「飯田は正当防衛だっていうのに前科がついて、俺たちも会社を追われて周囲から冷たい視線に晒されて、金もお前に取られて! 竜胆、お前は自分一人の為に俺たち五人を全員地獄へ突き落としたんだぞ! 何とも思わないのかよ!?」

「……竜胆さん、行きましょう。この男の言葉に耳を貸す必要は――」

「夕さん、少し黙ってて貰ってもいいですか」


 黙って杉浦さんの言葉を聞いていた私の腕を夕さんが引っ張る。しかし私はその手を振り払って、憤りを露わにする男の方へと一歩一歩近付いて行った。


「それで? 言いたいことは全部ですか?」

「……っ」

「私も忙しいんですよね。ようやく厄介な仕事が片付いて、これから楽しみにしていた食事に行くんです。ワイン美味しいらしいんで早く行きたいんですよねえ」

「てめえ!」


 怒りの色がぶわっと広がって、杉浦さんが右手を振り上げる。背後から夕さんの焦った声が聞こえて来たがそれを無視して、私は振り下ろされようとする手をあっさりといなした。こんな枯れ木のような腕で勢いで殴りかかられたって当たる訳がない。普段どれだけ修羅場潜ってると思ってるんだ。


「さっきあなたはこう言いましたよね? 何とも思わないのか、って。はい、何とも思いません」


 びっくりするほどこの男の言葉に心が動かない。そしてまるで興味も情も湧かない。私今、この人のこと心底どうでもいいんだなって実感した。


「ああでも、飯田先輩には少しだけ同情していましたよ。だって彼女は殺したくて殺したんじゃないんですから。自分の身を守ろうとして、結果的に死んでしまっただけ」

「ああそうだよ! あいつは何も悪くない! だからこそ俺たちはあいつを守ろうとしたのに、お前がそこの野郎とグルだった所為で全部が台無しだ!」

「グルの意味分かってます? 私がこの人と会ったの事件後なんですけど」

「んなことどうでもいいんだよ! とにかく俺たちはお前の所為で仕事も金も周囲の信頼も全部失ったんだ! 俺はただ、あいつを守りたかっただけなのに……!」

「……」


 この人、私に何を望んでいるんだろう。もう一度私が犯人だと言って捕まれば満足なんだろうか。……満足なんだろうなあ。

 私、今鏡を見なくても自分の顔がどれだけ白けているのかよく分かる。私はこんな人達を同調意識といえど慕って、仲がいいと思い込んでいたんだなと笑いすら出てくる。あの頃の私はこの目を積極的に使おうとも思っていなかったし、そこまで細かな感情の動きを理解していなかった。まあつまり“見る目”がなかったのだ。

 まだごちゃごちゃ言っている目の前の男を見る。……もう、話聞くの無駄だな。


「そういえば杉浦先輩、飯田先輩のこと好きでしたね」

「! な、んでお前が」

「いや見れば分かりますから」


 中身を見るまでもなくあからさまだった。ちなみに飯田先輩はこの人のこと何とも思っていなかったが。


「そんな人が『人を殺してしまった、どうしよう』って泣きついて来たらそりゃあ慰めますよね。そして、何とかしてあげたいと思ってもしょうがない」

「……ああ! だから俺は――」

「飯田先輩、執行猶予付いたんですってね。正当防衛が認められたから実刑は無しで、でも私に罪を擦り付けようとしたから無罪にはならなかった」

「そう、だ」

「ねえ杉浦先輩、まだ分かりませんか? ――正当防衛で無罪になる可能性のあった飯田先輩を、好きな人を犯罪者に仕立て上げたのは、あなた達なんですよ」


 やかましかった目の前の男が目を見開いて言葉を失った。力が抜けたように膝から崩れ落ちた彼を一瞥した私は、もう何も言うことは無いなと踵を返して夕さんの元へと戻った。


「竜胆さん」

「無駄に時間を割いてしまいましたしさっさと行きましょうか」

「……ええ、そうですね」


 何か言いたげな夕さんに気付かない振りをして、私は再び駅への方へと足を向けた。




    ■ ■ ■  ■ ■ ■




 鮮やかで瑞々しい真っ赤なトマト、柔らかくクリーミーなモッツァレラチーズ。そんな最高の組み合わせを同時に口の中へと運ぶ。


「いかがですか?」

「……まったく味がしません」

「でしょうね」


 目の前に座る夕さんが呆れた表情を見せた。普段だったら間違いなく大好きなカプレーゼ、しかしさっきの今で美味しい物を食べても全然味覚が働いてくれなかった。


 夕さんが連れてきてくれたのはカジュアルでありながらちょっと大人な雰囲気のレストランだ。隣の席との距離も十分にあって話し声も気にならないし、耳を澄ませると聞こえるくらいのBGMもいい感じだ。そして何より値段が思いの外リーズナブル。何事もなくお店に来ていればきっと今頃最高の気分だっただろう。

 水を一口飲んだ私は夕さんをじっと見つめる。すぐにその視線に気付いた彼は顔を上げると、無言で見つめる私に不可解そうな表情を浮かべた。


「何か?」

「別に……なんでもないです」

「……先ほどの男のこと、あまり気にしない方がいいですよ。あなたは全面的に被害者なんですから」

「分かってます。……ただ」

「だた?」

「いやその、夕さん……幻滅とかしましたか?」

「は? 誰が誰に」

「夕さんが私に、です。私、杉浦先輩にあれこれごちゃごちゃ言われましたけど、正直何とも思わなかったんですよ。へー自業自得だなって思っただけで」


 父親に理不尽に怒鳴られた時は結構ショックだったのに、あれで吹っ切れたからだろうか。お前の所為だと責められようがまるで心に響かなかった。


「ざまあみろとすら思いませんでした。だから何、って感じで。でも後から冷静になって思い返すと、あー私って全く人の心無いんだなって……」

「それで私があなたに幻滅したと?」

「幻滅というか……こいつ思った以上に薄情だなって思われたかと」


 まあ実際それは事実なんだけども。私が返事を待っていると、夕さんは心底大きなため息を吐いて片手を額にやった。


「普段から“色”見ている癖にどうしてこうも……」

「あ、あのー」

「はあ……いいですか竜胆さん。あなたはそんなことで落ち込んでいますけど、他の人間は皆、あなたが思っているよりもずっと薄汚い心を持っているんです」

「は?」

「あなた程度の薄情さで人の心がないなんて言ったら、この世は人でなしで溢れていると言っているんです。逆恨みして来た人間に同情しなければならない理由が何処にありますか。もっと言ってやってもよかったんです」

「そう、ですかね」

「そうです。大体あなたが人の心が無いなんて言うなら、竜胆さんが言う真っ黒黒すけの私は何だって言うんですか」

「……せ、説得力の塊」

「これで納得されるとそれはそれで腹が立ちますね」


 少しむっとしている夕さんに思わずちょっと笑ってしまいそうになって、緩む口元を誤魔化すように料理を口に入れた。


「うま、」


 思わず言った。おかしいな、さっきと同じものなのに今度は美味しい。……あー、自分現金過ぎない?

 あっという間に食べ終えてしまうと、すぐに空いた皿を下げてメインディッシュがやってくる。この店スタッフの教育も行き届いてるな。目の前に差し出されたのはシーフードがふんだんに使われたスープパスタで、同時に楽しみにしていた白ワインも注がれた。


「夕さんこの店大当たりですね」

「……そうですね」

「? 夕さんはあんまりでしたか?」

「いえ、そういう訳ではありません。ただ……この店を教えて来たやつのことを思い出してちょっと不愉快になっていただけです」


 ん? つまりこのお店は元々夕さんが知っていた場所じゃないのか。かなり渋い顔でパスタを口に運ぶ夕さんを見て、もしやと口を開く。


「颯さん、ですか?」

「……そうです」

「やっぱり。そういえばグルメレポも書くとか言ってたっけ。というか夕さん、そんな顔で食べてたらお店の人に失礼ですよ。せっかく美味しいものなんですから」

「まあ……そうですね。失礼しました」


 うーん……夕さんホント、颯さんが絡むと機嫌悪くなるなー。なんでそんな……あ。


「あのー、夕さん。ちょっと小耳に挟んだんですけど」

「何ですか?」

「夕さんって探偵じゃなくて実は警察官になりたかったって本当ですか?」


 沈黙。しかし少し驚いたように目を瞠った彼は、しばらく硬直した後静かにフォークを置いた。


「……誰から聞いたんだか。雅人、いや未来ですか?」

「陽太君ですけど」

「は? 陽太?」


 カタン、と水の入ったグラスに腕がぶつかって倒れはしなかったものの水面が大きく揺れる。同じように、普段落ち着いている夕さんの色が揺らいだのが見えた。警察官になりたかったのかと尋ねた時よりも遙かに驚いているのが容易に窺える。

 夕さんは暫し考え込むように口元に手をやっていたが、難しい顔をしたまま顔を上げた。


「まあいいでしょう。陽太は他に何か言っていましたか」

「えーと……確か、それを颯さんに邪魔されたとかなんとか。だから夕さんは颯さんが嫌いだって」

「……なんであいつがそれを」

「夕さん?」

「何でもないです。まあ……間違ってはいないですね。当時私は警察官になろうとして、ちょうどそのタイミングであの男が警察に逮捕されたんですよ」

「逮捕!?」

「元々昔から色々しでかしてはいましたが、あの時はやばいクスリを使っていると警察にマークされていたカルト教団に入信した際に一斉逮捕で捕まっていました」

「は、颯さんがカルト教団に?」

「すぐに釈放されましたがね。どうやら別の事件の手がかりを追っていて潜入していたそうです」


 ああなるほど、それなら納得する。


「あいつは素行も悪ければあまりよろしくない友人も大勢いる。その後もしばらく警察に尾行されていたらしいですしね。……そういうごたごたがあった所為で警察になるのを止めたのは事実です。――だから、私の代わりに未来が」

「え?」

「あ」


 思わず、という感じで零れた呟き。口にした本人も言ってしまったことに少し驚いているようで、まるで誤魔化すようにワインを口に含んだ。誤魔化し方が雑だ。釣られるように私もワインを飲んで、今の言葉を頭の中で考える。


「……ですが今となっては探偵になっておいてよかったと思いますよ。警察組織の中では勝手な行動は許されない。こちらの方が余程自由に動けて性に合っていましたから」

「確かに。夕さんってあれですよね、割と真面目ではあるんでしょうけども自由人というか」

「自由人は陽太の方でしょうが」

「いやまあそうですけど、夕さんも結構型に嵌まらない所ありますから。……それにあの、こう言っては何ですけど」

「?」

「夕さんって、そもそも警察の体力測定とか通ったんですか?」

「……あの頃は若かったんです」

「そ、そうですか」


 多分体力測定通っても、その後の警察学校とかで潰れてそうだなこの人。

 目の前の薄っぺらな体を一瞥してワインを飲み干す。おかわりしようとしたところで夕さんがボトルを持ったので遠慮なくグラスを差し出した。

 とくとくとグラスに注がれるワインが綺麗だ。今まであまり飲んだことは無かったんだけど気に入った。


「あまり飲み過ぎないで下さいよ。介抱するのは私なんですから」

「大丈夫ですって」

「あなたのお酒に対する大丈夫は何の説得力もないんですが」

「だって夕さんが居るから久しぶりに外で飲めるんですよ? しかもこんなに美味しいお酒、飲まないともったいないじゃないですか」


 介抱するのは自分だと文句を言いながらそうさせているのは彼自身である。律儀に夕さんが居ない時はノンアルコールで我慢しているのだからこれくらい許容してほしいものだ。


 その後も食事は続く。美味しいワインとパスタに舌鼓を打って、私がとりとめのないことをぺらぺら話しては夕さんが時折相槌を打つ。料理スイーツつまみにとチーズの万能性を語り、なずな様の新曲について熱弁し、格闘技教室の面白い先生について面白おかしく話す。そんななんともゆったりとした時間が流れていた。

 デザートのティラミスを掬って頬張ったところで、ふと全然顔色の変わらない夕さんが気になった。


「夕さんってお酒強いんですねー。結構飲んでいる割には全然顔赤くなってないし」

「強い方ではあります。しかしながら許容量は分かっているので無茶をしないだけですよ」

「えー、夕さんが酔っ払うとどうなるか気になるのに」

「酒で醜態を晒すのがどれほどみっともないかは幼い頃から周囲の大人を見て嫌と言うほど理解しているので」

「ああー……」


 それはそうでしょうね。一度彼の実家に行っただけの私でも分かるのだから、昔からあの集まりに顔を出していた夕さんがどう思うかなんて考えるまでもない。


「あーそういえば、陽太君が言ってたんですけどー」

「また陽太ですか……」

「夕さんと一緒じゃないと外で飲むなって言うじゃないですか。あれ、夕さんが私が他の人と一緒に飲むのが嫌だから言ってるって陽太君が言ってましたけど、どうなんですか?」

「……」


 夕さんが黙った。黙って、ティラミスを持ち上げていたスプーンを下ろして、私の目を見た。バチ、と音が鳴るほどしっかりと目が合って酔ってぼんやりしていた思考が急激に冷めるのを感じる。


「そうですが、何か問題でも?」

「は」

「ですから、陽太の言う通りですがそれが何か。異論でもありますか?」

「ない、ですけど」

「ならこれまで通り、私が居ない時に外で飲まないようにして下さい。いいですね?」

「……はい」


 平然と、本当に当然のようにそう言った夕さんがまったくいつもの調子を崩さずに食事に戻っていく。


「……」


 ちょっと反応が気になって面白半分に聞いてみたら見事に返り討ちにあった。

 心臓が煩い、少しは大人しくしてくれないだろうか。あとちょっと店の暖房切って欲しい。

 私は相変わらず普段通りの夕さんを、気付かれないようにちらりと盗み見た。その色を、波を見つめる。



 あの頃とは違って――今の私には見る目がある。それこそ僅かな動揺の波だって見逃さず、ブラックホールに巧妙に隠された色だって分かってしまうほどに。


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