10-2 危険な調査依頼
いきなり名前を呼ばれて、私は四つの飲み物を抱えて声のした方向を振り返った。そこに居たのは少しチャラそうな見た目の茶髪の男で――えっと、この前この人見たぞ。
「夕さんが嫌ってた……」
「その覚え方酷くね?」
「大丈夫です、思い出しました。青海颯さんでしたね」
夕さんの実家に行った時に顔を合わせた、彼の従兄弟だ。あの時最終的にほぼ全員に自己紹介されたから(しかも半分くらい名字が一緒)名前がごっちゃになりかけたが何とか思い出した。
「こんなところまでどうしたんですか? 夕さんに何か用でも」
「そうそう、あいつにどうしても頼みたいことがあってな」
「今日は事務所休みですよ」
「でも瀬名ちゃんも此処にいるってことは仕事してるんじゃねえの?」
「仕事はしてないんですけど……」
「で、夕は居る?」
「はあ……まあ」
何て答えようか少し悩んだが頷く。絶対夕さん嫌な顔するだろうなとも思ったが、私の一存で勝手に帰す訳にもいかない。
「んじゃあ上がらせてもらうわ」
「あ、ちょっと待って下さい!」
私の声を聞かずに颯さんはずかずか階段を上がっていく。私は腕から落ちそうになる飲み物を抱えて後を追いかけるが、追いつく前に彼は既に事務所の扉を開けていた。
「よー、夕。依頼なんだけどー」
「は?」
案の定事務所の中から聞こえてきた声は酷く驚いたようにひっくり返っていた。私が追いついて颯さんの肩越しに室内を覗き込むと、三人が三人とも同じ表情を浮かべている。
「は、颯さん……?」
「ん? お前雅人か! 久しぶりだなー。ってことはそっちは未来ちゃんか」
「……どうも」
「相変わらずお前ら仲いいなあ」
名前を呼ばれた未来さんの表情が固い。知り合いのようだが夕さん同様、あまり好意的な色は見られない。むしろ……。
「何で此処に……」
「だから言っただろ? 依頼があって来たんだよ」
「本日は休業です。お引き取り下さい」
「まあまあそう固いこと言うなって。話だけでも聞いてくれよ」
どかりと無遠慮に空いていたソファ――つまりさっき私が座っていた場所に腰を下ろして夕さんに絡む颯さん。そんな彼を夕さんがとんでもなく冷え切った視線で睨んでいると、笹島兄妹が顔を見合わせて立ち上がった。
「仕事するんならそろそろ俺たちは帰ることにする。守秘義務もあるだろうしな」
「あ、瀬名ちゃん。さっきの続き、今度でいい?」
「勿論、また近いうちに連絡するね」
「うん! また次の時にじっくり見ようね!」
先ほどのDVDや荷物等を回収するべく未来さんが資料室に入っていく。完全に帰る気になっている二人に夕さんが苦々しい表情を浮かべ、「逃げる気か」と小さく呟いた。
「それにしても……未来のやつ、随分と加神さんのこと気に入ったんですね。よかったじゃないですか」
「ははは……」
私が乾いた笑いを浮かべていると、ぱたぱたと荷物を持って未来さんが戻って来て、二人はそれじゃあ、と軽く会釈して事務所を出て行った。
……そして、残されたのは私と夕さんと颯さん、そしてこの気まずい空気である。
「とりあえず、せっかく飲み物買って来たんでいります?」
「……コーヒー下さい」
「あ、俺も何か頂戴」
「じゃあお汁粉を」
「なんで? まあ好きだからいいけど……」
夕さんに上げる予定だったお汁粉の缶を颯さんに渡し、余った紅茶は冷蔵庫に入れて戻る。
「……色々言いたいことはありますが、ひとまずどいてもらえますか。邪魔です」
「へえへえ。んじゃあこっちに座りますかね」
「そのまま帰って頂いて構わないんですが」
「いや何もしないまま帰る訳ないだろ。お前ホントに俺のこと嫌ってるよなあ、何がそんなに気に入らないんだか」
「細かく言えばキリがないのでざっくり言うと存在全てです」
「酷えの」
刃物のような夕さんの鋭い言葉にも、けらけら笑う颯さんにはさしたるダメージになっていないようだ。そのまま私が夕さんの隣に座ると、颯さんがそれを見て「お」と小さく声を上げた。
「なるほど、お前の隣は嫁専用だったわけ」
「……真面目に叩き出してやろうかこいつ」
「ここの探偵は依頼人に対して口わりぃなあ。大体お前じゃ俺を動かすのも無理だって、ひょろっひょろのもやしの癖に」
あー、夕さんのブラックホール色がどんどん赤くなってる。思わず敬語もログアウトしてるし……このままじゃ収集つかないな。
「夕さん、とりあえず話だけは聞いてみましょうよ、ね? 多分この人用が済まないとずっと居座りますよ」
「瀬名ちゃんもさり気なく言い方悪いよなー」
「……それもそうですね、取り乱して失礼しました。聞くだけ聞いてとっとと追い出すことにします」
「お前らさあ……まあいいわ。実は、人を探して欲しいんだよ。それも出来るだけ早く」
呆れた顔をした颯さんは、お汁粉を一口飲むと持っていた鞄から一枚の写真を取り出しテーブルに置いた。そこに映っているのは強面で、しかし笑った顔が少し幼い男性の姿だった。
「名前は徳重大河、俺の高校時代の後輩だ。連絡が取れなくなってもうすぐ一週間になる。それだけならまだいいが、周りのやつらに聞き込みをしたら何か最近やばいことに首を突っ込んだって零していたらしい」
「やばいこと……?」
「詳しくは誰も聞いてないみたいだが。で、この事務所評判を聞くと人探しに強いらしいじゃないか。という訳で」
「お断りします」
まあそうなるだろうなと思ったが瞬殺である。完全に私情で仕事断っちゃったよ。
「人命が掛かってるかもしれねえんだぞ?」
「こちとら慈善事業じゃないんです。警察に駆け込むなりなんなりして下さい。お引き取りを」
「いや、あいつ警察に会わせると色々やばくてだな」
「尚更、その手の人間は捕まって下さった方が我々としてもありがたいのですが」
全く取り付く島もないな。……だけど颯さんの言うことが本当なら、確かに早く見つけてあげないと命に関わる案件なのではないだろうか。
私は隣からそっと夕さんの袖を引いた。
「夕さん、探してあげたらいいじゃないですか」
「り……瀬名さんは黙ってて下さい」
あ、颯さんの前だからまた言い分けるのね。
「いくら積めばいい」
「そういう話ではないです。調査員の命が危険に晒される可能性が高い依頼を受ける気はないんですよ」
「え?」
「職業上、ある程度の危険は許容しますが……その男、どうせ昔あなたが色々悪さしてた時の知り合いでしょう? それも現状大分雲行きが怪しい。そっちを助けようとしてこっちの命を掛ける訳には行きません。どうぞ警察へ。捕まろうが生きていられるだけましでしょう?」
「……実際のところ、何の情報がない現状で警察が動くとも思えない。あいつがよく居た所はかなりの無法地帯だからな。確実な犯罪の証拠でも掴めればまた別なんだが」
颯さんは苦々しい顔でそう言って、「危険なのは分かってる。だが頼む」と頭を下げた。それを見て夕さんが少し驚いた顔をする。
「時間が無いんだ、情報提供だけでいい。実際に現地で探すのは俺がやるから引き受けてくれないか」
「……あなたが頭を下げるなんてことあるんですね」
大きくため息を吐いた夕さんが足を組み、膝に手を置く。ちゃんと話をする気になったのがすぐに分かった。
「絶対にうちの調査員を守れると確約できますか」
「夕さん?」
「その手の場所は監視カメラの死角も多ければ実際に足を運ばないと得られない情報も多い。あなたが必ず守って下さるというのなら考えましょう」
「……ああ! これでも腕っ節には自信があるからな!」
「瀬名さん、この調査は強制ではありません。この男は無駄に腕は立ちますが何もないとは限りませんから」
「でも、私が断ったら」
「私が行きます」
「……は? 夕さんが?」
「何か問題でも?」
「いやだって……」
問題しか無くないか。こう言っちゃ悪いが夕さん多分私よりも体力無いぞ。力も無いし、それこそ万が一のことがあった時が怖い。調査も私より臨機応変に対応出来るかもしれないが、改めて何か調べ直す必要が出た場合もう二日無駄にすることになる。
……うん、夕さんに行かせるべきじゃないな。
「大丈夫です、私が行きます! それに私なら危険そうな人が居ても先に分かりますし」
「それはそうですが……分かりました。依頼を受けましょう」
「本当か!?」
「瀬名さん、いつもの」
「はい!」
「助かる。俺の情報網でも全く見つからなかったから本当に困ってたんだ。早く見つけ出して――って、は? おい夕、ちょっ依頼料」
「危険手当ですが何か」
「……なんでもないです」
隣から契約書を覗き込んで思わず「うわー」と声を上げる。大分吹っ掛けたな。普段は相場を見て依頼人と交渉するのに勝手に書き始めてるし……。
このくらいは貰わないと割に合わない、と夕さんが笑う。
「調査は明日の朝から、午前九時にまたこの事務所へ来て下さい」
「分かった。……ありがとな、夕」
神妙な表情で再び頭を下げた颯さんが立ち上がって事務所を出て行く。「あの男感謝とか出来るようになったんだな」と小さく零した声を聞いて、夕さんの中の颯さん一体どんな酷い人間なんだと苦笑した。
「――さて、竜胆さん」
「はい」
「明日の調査ですが……身に危険を感じた場合は即座に調査を中止、あの男を囮にでも何でもして逃げて下さい」
「お、囮って」
「あいつは殺しても死にませんから大丈夫です」
すごい言い様だな……。何で夕さんそんなに颯さんのこと嫌いなんだろう。生理的に合わないとかは言ってたが。
「それと……この前も言いましたが、あの男に陽太のことは一切匂わせないで下さい」
「……ああ、はい」
「陽太には例の男の素性調査と、明日あなた達を随時サポートさせるつもりですが……私がやっているとでも言っておいて下さい」
「分かりました」
まあ実際夕さんではあるわけだしな、と頷くと何故か夕さんは何か言いたげな顔をした。しかし私がそれを指摘する前に彼はソファから立ち上がると契約書を持って資料室の方へと向かっていってしまった。
「今日はもう帰って頂いていいですよ」
「あ、そういえば休みでしたね。……あーあ、さっきの続き見たかったなあ」
「家に帰って見ればいいじゃないですか」
「あーそうですよねー、見れたらいいんですけどねー!」
「?」
DVDは勿論未来さんが持ち帰ったので無い。しかし続きが気になる……もういっそ買いに行くか? いやいやいきなり新ジャンル買うのもなー、今日は色々と散財してしまったし、せっかく買うならもっと吟味した方が……ちょっとこのタイミングで来た颯さんを恨みたくなってきた。
あー、気になる。中途半端に見てしまったから余計に気になる。でも買うのはなあ……。
……私は知っている。こうやってどうしよっかなーと悩んでいる時は結局何を言っていても最終的に衝動買いしてしまうことを。
面白かった。
■ ■ ■ ■ ■ ■
そして、翌日。
「瀬名ちゃんおっはよー!」
「……」
いつものことだがテンションの差が酷い。若干寝不足の頭に響く。へらへら笑う陽太君は事務所にいくつかのパソコンを持ってきてセッティングしており、ちらりと見たが何をやっているのか全然分からなかった。
「何か今日の依頼危ないらしいね? しかも依頼人が颯君!」
「陽太君って颯さんのこと知ってる、んだよね」
「勿論、だって従兄弟だからねー」
至極当たり前のように言うが向こうは知らないんだよなあ……。
「颯君は昔よく遊んでくれたんだ。しかもね、当時は近所じゃ有名な不良で、もっと時代が古かったら番長って呼ばれてたんじゃないかなー?」
「へー……」
「んでもって、今回探す人もその時の舎弟みたいだよ。……はい、今日はこれ持って行ってね」
配線をいじっていた陽太君が思い出したように愛用のタブレットを差し出してくる。その画面には既に、今回の探し人である徳重大河の情報がずらりと並んでいた。
「相変わらず仕事が早い」
「へへー! そうでしょ!」
「あ、そうだ陽太君。夕さんから聞いてるかもしれないけど、仕事終わるまで此処に居てね。くれぐれも颯さんに会おうとしたら駄目だよ」
「なんで?」
「何でって……あー、あれだよ。夕さん颯さんのこと気に入らないからあんまり陽太君に会わせたくないんだよ多分」
「何それ、兄さん勝手だなー。兄さんが颯君を嫌ってるのは昔からだけどさあ」
「何かかなり嫌がってるよね。昔からかわれたり苛められたりとかしたのかな」
「ああ……それは――兄さん、警察官になるの颯君に邪魔されちゃったからしょうがないかな」
「……は?」
「兄さんって、本当は探偵じゃなくて警察官になりたかったんだよね」
目を擦った。しかしそれは間違いじゃなくて、けれどすぐに消えてしまった。
夕さんが警察官になりたかったなんて初耳だ。だがそれ以上に驚いたのは、普段どんな言動をしていようが新品のシーツのように真っ白な陽太君の色に――一瞬黒が混ざったからだった。
なんだ今のは。陽太君にとって、この話題は地雷だったというのか。
「……ねえ、陽太君。夕さんはなんで警察官になりたかったの?」
「んー……?」
もしかしたらずっと穏やかだった陽太君の逆鱗に触れるかもしれない。そう思いながらも色の変化が気になって、慎重に問いかける。
陽太君の眉間に皺が寄る。酷く難しそうな表情を浮かべた彼は、やがて――。
「はは、忘れちゃった!」
「……」
へらへら笑ういつもの陽太君に逆戻りしていた。あー、見間違いだったかもしれないとすら思えて来る。思わず力が抜けてがくりと肩を落としていると、不意に事務所の外からカンカンと階段を上る足音が聞こえてきた。
「やば、颯さん来ちゃった! 陽太君私行くね!」
「瀬名ちゃんいつものヘアピン付けた?」
「付けた付けた! あと救急箱もスタンガンも持った! じゃあサポートの方お願いね」
「まかせてー」
手早く鞄とタブレットを抱えて事務所から出る。扉を閉めたところでちょうど颯さんと目が合って「よう、瀬名ちゃん」と軽く片手を上げられた。危ない危ない、ぎりぎりセーフ。
「おはようございます。今日は一日よろしくお願いします」
「こちらこそ。ああ、夕は?」
「夕さんは此処で色々遠隔サポートをしてくれるので調査には行きませんよ」
「ふうん? 嫁だけ行かせるのか。まあとりあえず顔見てくか」
「あー! 大丈夫です! 夕さん颯さんの顔金輪際見てたまるかみたいなこと言ってたんで!!」
「……そうか」
事務所に入ろうとする颯さんを止める為に咄嗟に酷いことを言ってしまったが仕方が無い。あ、ちょっと傷ついてますねすみません。本人から言われるよりも他人から伝え聞いた方が信憑性高いことありますよね。
「……とにかく、今日は頼む。その代わりきっちり守るからな」
「はい、お願いします」
何はともあれ、今日の仕事は危険と隣り合わせだ。気を引き締めて行かなければ。
落ち着く為に一つ深呼吸をしていると手にしていたタブレットの画面が勝手に切り替わり、目的地までのルート案内になる。
調査開始だ。




