8-2 必要としてくれるのなら
「止まって下さい、此処です」
もう日も沈んだ頃、夕さんに言われて車を停めたのはとある廃工場の前だった。周囲も寂れた雰囲気で人気もなく、なるほど誘拐するのに選ばれそうな場所だな、と感想を抱いた。
「車のナンバーも一致、間違いないですね」
「あの一瞬でナンバーまで記憶したんですか……」
近くに乗り捨てられていたワゴンカーを確認した後、廃工場を見上げる。中々大きい建物だ。中は入り組んでいるようで、外からは笹島さんが何処に捕まっているのか全く窺えない。
「夕さん、これからどうしましょうか。というか警察に連絡した方がいいんじゃないですか?」
「……」
場所は分かったのだし、後は警察に任せた方がいいに決まっている。しかし夕さんはじっと考えるように黙り込んで、やがて小さく首を横に振った。
「次に犯人達が行うのは勿論ミスズへの脅迫でしょう。出来ればそれを行う前に終わらせたい。警察を呼んでからでは間に合いません」
「何で脅迫よりも先に?」
「会社に雅人が拉致されたことが伝われば大事になる。あいつもそれは望むところではないでしょう。警察に連絡するにしても、雅人一個人に対する事件だと認識させたい」
「さっき言ってた泳がせたいってやつですか? でももうこうして被害も出ているのに」
「分かっています。分かっていますが……」
「……」
夕さんの眉間に皺が寄る。私はそれをじっと見つめた後、小さく頷いた。
「分かりました。じゃあさっさと笹島さんを助けましょう」
「!」
「夕さんがそうするべきだと思ったんなら、それに従います」
私よりもずっと色々なことに頭を悩ませて、その上で結論を出したのだ。きっと夕さんにも、この件を大事にしたくない理由があるのだろう。
私がそう言うと夕さんは少し驚いた顔をして、けれどすぐにいつものすまし顔に戻った。
「事が済めば警察に連絡します。……まずはあいつを無事に助け出すことです」
「はい! どういう作戦で行きますか?」
「相手は少なくとも三人、そして私たちは三人の人間を一気に相手取れるほどの武力はありません。相手を油断させてその隙を突く必要があります。今から作戦を伝えますからしっかり覚えてください」
大きく頷いて夕さんが説明し出す作戦を頭の中にしっかりと叩き込む。……叩き込むが、え、これ本当にやるんですか?
■ ■ ■ ■ ■ ■
「いっ、て……」
「おい、弁護士が起きた。すぐにミスズに連絡するぞ」
「ああ」
薄暗い廃工場の中、微かに聞こえて来る声を頼りに進む。どうやらぎりぎり間に合ったようだ。誘拐でよくある、脅迫相手に人質の声を聞かせようとしているのだろう。
私は隣の夕さんに一つ頷くと、すう、と息を吸った。
「きゃあああああっ!」
「!」
突然聞こえてきた女の悲鳴に実行犯の男達が息を飲む。驚いて一人の男が近付いて来た所を見計らって、私は……隣の夕さんの腕にしがみついた。
「お化けっ……あれ、人……?」
「な、何だよお前ら」
「ああ良かった! すみません、僕達ここがホラースポットだって聞いて来てみたんですけど、出口が分からなくなっちゃって……それで彷徨ってたら誰もいないはずなのに話し声が聞こえたので彼女が怯えちゃって」
でも他の人が居て安心しました。と気の弱そうな顔をして夕さんがほっと息を吐く。
……ちなみに設定としては、SNSで幽霊が出たと噂になっていたホラースポットへ肝試しに来た大学生カップルである。いや大学生は無理があるんじゃないかと思ったが社会人でこんなところに肝試しに来ている方がやばい。特に夕さんは陽太君の時のように表情を柔らかくすればまあまあ若く見えるので多分大丈夫だ。
笹島さん達が何処にいるのか分からないから中に入って探す、これは分かる。そして犯人達に近付いても油断させる為にいかにも無害な人間を演じる、これも分かる。でもその油断させる為の設定がこれってどうよ? 滅茶苦茶恥ずかしいんだけど……!
「何だよ驚かせやがって……」
「あの、出口ってどっちですか……? あ、そっちに明かりが」
「おい! そっちは」
夕さんの腕にしがみついたまま僅かに明かりの見える方――他の人間の声が聞こえた方へと強引に進む。暗闇で怯えている時に光が見えたらそっちに行っちゃうよね、うん。
「! え、何これ……」
案の定、そこには朽ち果てた作業台の足にぐるぐるに縛り付けられ布を噛まされた笹島さんが座っており、側には二人の男が立っていた。笹島さんは私達を見て驚くように目を見開いたが、夕さんを見て頷くように目を伏せた。
随分――それこそ気絶させられるまで抵抗したのか、何度も殴られたような跡が見える。
「な、なんですかこれ……あなた達がこの人を……?」
「くそ、これから忙しくなるっつうのに邪魔者が」
「とりあえず捕まえておけ! こいつらのことは後で考える」
最初に出て来た男と、もう一人笹島さんの側にいた男が私たちの腕を強く掴む。夕さんと引き離されて小さく悲鳴を上げた私は、そのまま笹島さんの側まで連れて行かれた。抵抗しようと足に力を入れるが更に強い力で引っ張られ、私は前のめりに笹島さんの隣に倒れ込む。
「おい何やってんだ。さっさと起き上がれ!」
「ひ、……」
「さもないともっと怖い目に――」
倒れた私を起こそうと男がしゃがみ込む。その瞬間――私は右手の袖の中に隠し持っていた小さなペン型のスタンガンを、男の腕へと押しつけた。
「ぎゃ、」と小さな悲鳴を上げて倒れ込んだ男の体が痙攣するように動いている。こわ……こんなに小さいのに一撃でこれ? スタンガンやばすぎ……。
「竜胆さん!」
「!」
「舐めたことしてくれるじゃねえかよ!」
私と同じようにもう一人の男を行動不能にした夕さんが声を上げる。はっと顔を上げると、最後に残っていた男が私のすぐ目の前に立っており、薄闇でも僅かに反射して光るナイフを私の眼前に突きつけていた。
「いいかお前、この女の命が惜しければ」
「いい加減にしろ」
しかしそのナイフが私の首元に押しつけられる前に、背後に迫った笹島さんが即座に男を拘束し、ナイフを持つ手を捻り上げた。俯せにした上に膝で男を押さえつけたのを見て、すぐさま夕さんが再びスタンガンを押しつける。
危なかった……というか笹島さん強いな。
「夕、助かった。竜胆さんも、縄を切ってくれてありがとう」
「いえ……あの、殴られたみたいですけど大丈夫ですか?」
「ああ。これくらい何ともない」
男に引っ張られて倒れ込んだ時にこっそり後ろ手に縛られていた縄を切ったのだが、上手く行ってよかった。
「酷い顔だな」
「傷害にするなら分かりやすく殴られておいた方がいいだろ」
「そこまで分かってるんならそもそも尾行されるな馬鹿」
「それは本当に悪かったと思ってる」
「?」
二人の会話の意味がよく分からない。傷害にするってなんだ? それに笹島さんはわざと殴られたってこと?
「……さて」
と、おもむろに夕さんがナイフを持っていた男の側にしゃがみ込んだ。未だにカタカタ痙攣している男を覗き込むと、彼は含むように笑みを形作った。
「あなた達は例のアンドロイド反対の抗議団体の一員……いえ、ただ雇われただけの破落戸ってところですか」
「……」
「ちなみにこのままですと、あなた達はこの男を拉致し暴行を加えた罪で逮捕されます。が、件の団体は勿論あなた達との関係を一切否定するでしょうね。何せまだ脅迫も行われていないんですから、あなた達が何を言おうと無関係を貫くはずです」
「!」
男が驚きと憤りの色を見せた。同様に、床に転がっている他の男達も。
「誘拐、脅迫未遂、傷害……一体どれほどの罪になるでしょうね? ですがまあ、あなた方が勝手にやったと自分達で主張して下さるのなら、その罪を傷害だけにして差し上げても構わないのですが」
「ど……ういう」
「たまたま町を歩いていたこの男が目に入って、なんとなく気に食わなかったから縛り上げて暴行を加えた……。そう証言して下さるのならば、誘拐のことや人質を取って大企業を脅迫しようとしていた事実に目を瞑ってやると言っているんです。悪い話ではないでしょう? どの道警察に捕まるのなら、罪は軽い方がいい」
……そうか。詳しくは分からないが夕さんはこの事件を大きくしたくない……この事件はたまたま笹島さんが狙われただけで他に意図はないと、そうやってただの傷害事件で片付けようとしているのだ。犯人達からしても、わざわざ罪が重くなるだけなのに誘拐したなんて主張する意味は無いし、頼まれてやったと言ったところで恐らくそれを証明できないだろう。
「それで? 返事は」
片手に持つスタンガンをバチバチと鳴らしながら小首を傾げた夕さんは、それこそ立派に脅迫罪が成立しそうな程いい顔をしていた。
■ ■ ■ ■ ■ ■
「――はい、そうなんです。ちょっと肝試しに来たら変な連中が男の人をぼこぼこに殴ってて、思わず護身用のスタンガンを使ってしまったんですが……。はい、すみません怖くて逃げて来ちゃったんでそれ以上は……はい、よろしくお願いします」
ガチャ、と公衆電話の受話器を置いて、「とっとと帰りますよ、警察に鉢合わせると面倒だ」と夕さんが車に乗り込む。
今私達がいるのは件の廃工場から一番近い公衆電話だった。ちなみに笹島さんはまだあの廃工場に残っており、再度スタンガンを食らわせておいた犯人達と一緒に転がっているだろう。
「でも本当に良かったんですか? 笹島さん置いてきて」
「あいつが残っていないとわざわざ殴られた意味がないでしょう」
「いやまあそれはそうなんですけど……。というか、なんでわざわざ公衆電話から通報したんですか? しかも匿名で」
普通だったらその場で電話して、通報者として事情を説明した方が犯人達が余計なことを言う心配をしなくていいのに。それにいつもは警察に恩を売りつけようとするくらいなのに今日に至っては匿名の通報だ。
夜道を運転しながらちらりと隣を窺う。その表情は柔らかいとは言えず、腕を組んでじっと斜め下を睨むようにしていた。
「今回私たちは何も関わっていない、そうでなければ困るんです。あのまま事件が大きくなれば警察の捜査ももっと進む。ミスズを脅迫する為に笹島雅人が青海探偵事務所から出てきた所を拉致したとあいつらが証言すれば、脅迫される予定だったミスズにもうちの情報が伝わることになる」
「それが、夕さんにとって問題になるんですか」
「あの会社にうちの情報を知られる訳にはいかない。……少なくとも、今は」
「……そうですか」
それが、今回事件を隠蔽しようとした理由。夕さんにとって、ミスズテクノロジーに情報が渡ることこそが最も忌避するべきこと。
その理由は分からない。きっと、今説明を求めてもはっきりとした答えは得られないだろう。だが……夕さんが警戒するあの会社には絶対に何かがある。それだけはしっかり覚えておかなければならないだろう。
車が事務所に近付いていく。そうして見慣れた最後の信号で停止したその時、それまでずっと黙りっぱなしだった夕さんが私の名前を呼んだ。
「竜胆さん」
「はい」
「……いずれ、仕事抜きであなたに協力を求めることがあるかもしれません」
「それは、どういう」
「詳しいことはまだ話せませんが……ですが、心に留めておいて下さい」
「分かりました」
「嫌だと思ったら断って下さって一向に構いません。どうせ仕事ではないのでね」
「……断りませんよ。任せて下さい」
「何も聞く前から了承するものではありません。私が何かとんでもないことを押しつけたらどうするんです」
「大丈夫ですよ。だって夕さんは絶対に無理なことなんてわざわざ頼むことしないでしょうから」
出来もしないことをやらせるなんて時間の無駄だ。そこんところ、夕さんは見極めが上手いから何も心配することはない。何せいつもぎりぎりまで可能な仕事を押しつけて来るんだから。
それに何より。
「どーせ夕さんがわざわざ私に頼むってことは“色”関連でしょうし。だったら私以外に適任なんていないじゃないですか」
私だけに出来ること。なんて嬉しい響きなんだろう。嫌なことしか呼び込まなかったこの目が私の唯一の強みになるのなら、きっとこの目を好きになれる日も近い。
「さんざんスパルタで鍛えられて来ましたからね、ばんばん頼ってくれて構いませんよ」
「あなたは……まったく」
大きく大きく、心の底からため息を吐かれた。何だその反応は。もう車は走り出していて隣の色をしっかり見る余裕がないから何を考えているのか分からない。
「分かりましたよ。その時は精々倒れるまで思いっきりこき使わせて頂きます」
「いやそこまでは言ってないんですが」
「ばんばん頼れと言ったじゃないですか。似たようなものでしょう」
「全然違います!」
……だけど、まあ。
必要としてくれるのなら、いくらでもやってやりますよ。
 




