8-1 隠されごと
「さーて今日の尾行も終わりっと」
時刻は夕方に差し掛かろうという頃、私は一仕事終えて事務所に戻ろうとしていた。
今日はいつもとは少し毛色の違う仕事で、最近子供にできた恋人の素行調査をして欲しいという何とも過保護な依頼だった。
家族構成や学校の成績なんかは夕さんや陽太君が調べているので私は本人の普段の生活態度やら友人関係などを尾行して調査している。しかしながら一日中年下の女の子を追いかけ回しているのは気分的にもちょっと申し訳なくなってくる。彼女自身が何の問題もないいい子なので余計に。
さっさと帰って今日の報告書を書かなくてはと駐車場に車を停めると、いつも空いている隣のスペースにもう一台車が停まっていた。この車は笹島さんのだ。また何か用があって来ているらしい。
探偵事務所は二階にあって、駐車場はその真下の一階部分に当たる。私はいつものように靴音を立てながら階段を上ってもう見慣れてしまった事務所の扉を開いた。
「ただいま戻りましたー……?」
私が扉を開けた瞬間、中に居た二人が驚いたようにびくっと肩を揺らした。案の定来ていた笹島さんと夕さんの二人は応接用のソファに向き合って何かを話していたようだったが、私の足音も聞こえないほど真剣な話をしていたのだろうか。
何せ二人揃って色が濁っている。少なくとも暢気に世間話をしていた訳ではないだろうということはすぐに分かった。この色は……何だろうか。一つの感情ならすぐに見分けがつくのだが三つ以上混ざっていると流石に判断に困る。だが、少なくとも良い感情ではないというのは確かだ。
「ああ、竜胆さんどうも」
「こんにちは笹島さん。……何かありましたか?」
「何でもありません。それより戻って来たんなら早速奥の資料室の整理をお願いします」
二人の様子が気になって尋ねるもののすぐさま夕さんの指示が飛ぶ。このまま側のデスクで報告書を書こうと思っていたのに、「さっさと行って下さい」と急かされて資料室へと押し込まれた。
……そんなに聞かれたくない話なんだろうか。
資料室の整理なんていつでも出来るのにこんなに急にやらせようとするなんて、明らかに私が居ると不都合なことがあったのだろう。
「……何話してるんだろ」
先ほどの色からして深刻な話なのは間違いないだろう。私は怪しまれない程度に軽く資料整理をして時間を空けてからそっと扉に近付いて耳を当てた。帰って来た時にあれだけ驚いていたのだから、また集中し始めたらちょっと盗み聞きしてもばれないかもしれない。
……駄目だ。何か言っているのは分かるが内容までは聞き取れない。少しだけ扉を開けてみるか。
この時点で何でそんなに頑張って盗み聞きしようとしてるのかと頭に過ぎったがすぐにスルーした。あれだ、陽太君だってちょっと違法スレスレ(というかアウト)な調査してるし私もこれは調査の練習の一環、ということで一つ。
誰に言い訳してるんだとセルフツッコミを入れながら酷く慎重にほんの少しだけ扉を開ける。このドア全然軋まなくてよかった。
「――手がかりはまだ見つからないか」
「すまない」
「いや、慎重にやってくれと言ったのはこっちの方だ。お前だって仕事が懸かってるし知られたらただじゃ済まないだろ」
いつも敬語の夕さんの口調が砕けているとなんだか新鮮だ。だが何の話だろうか。いつもの依頼の話ならば少しおかしい。何かの手がかりを欲しがっているのは夕さんで、いつもとは立場が逆だ。
「改めて聞くが、やっぱり間違いないんだな?」
「……と、思う」
「お前にしては随分曖昧な言葉だな」
「私情が入っているから視野が狭まっている可能性は否めない。……だが、今回の件で殆ど確信した」
「例の件か。確かに今回ばかりは流石にな」
「ああ。……早く尻尾を掴んでやる。それで、陽太を」
陽太君?
いきなり夕さんから出てきた名前に首を傾げる。この話には陽太君が関係しているのか?
今聞いた話から推測するに、夕さんは笹島さんに何かの情報を手に入れるように頼んでいる。知られたらただじゃ済まない、という言葉からそれはあまり表沙汰に出来ないものだと思う。尻尾を掴むって言ってるし、何かの事件の犯人とかを追ってる?
そしてその件にはどこかに陽太君が絡んでいる。私情って言うのも彼のことだろう。夕さんが何かしら情報を得たいのならまず一番に陽太君に頼むだろうに、それをせずに笹島さんに頼っているってことは陽太君には知られたらまずいこと、なのか?
「……盗み聞きならもっと上手くやることです。探偵助手が聞いて呆れますよ」
「あ」
色々と頭の中で推理を並べていると、いつの間にか僅かにしか開かれていなかった扉のその先に酷く呆れた表情を浮かべた夕さんが立っていた。
「あ、はは……」
「誤魔化し方も雑。……資料整理はもういいです。こちらに戻って来て下さい」
乾いた笑いを浮かべていると、小さくため息を吐いた夕さんが踵を返して戻っていく。……怒ってないな。それどころか盗み聞きの技術についての指摘しかないという始末。色を窺っても相変わらずのブラックホールで分かりづらいったらありゃしない。
とにかく手にしていた資料を置いて戻ると、今度は夕さんの隣に座るようにと促された。結局報告書書けないな。
「何か言うことは」
「……盗み聞きしてすみませんでした」
「それで? 盗み聞きした結果何か分かりましたか?」
「え?」
どこまで話を聞いていたのか確認してるのかな。とりあえず先ほど考えていたことをそのまま述べると、夕さんは足を組み直して「なるほど」と頷いた。
「半分正解、と言ったところでしょうね」
「半分ってどこがあって」
「おい、夕。まさか竜胆さんにも協力してもらうつもりか?」
「……それで事態が進展するなら、それもいいかもしれないな」
なんだなんだ、具体的に何の話なのか分からないまま巻き込まれそうになっているのだけは分かるぞ。夕さんの言葉に笹島さんは何とも言えない顔をしている。
「だが、そうすると陽太のこと」
「それはそうと竜胆さん、昨日のニュース見ましたか?」
「は? ニュース?」
苦渋の色を浮かべる笹島さんを見ていると、打って変わって平然とした顔で隣の夕さんが話題を変えてきた。昨日のニュース……といえば!
「逢川椎名の新曲が発表されました!」
「真面目に答えてくれますか」
「いや至って真面目なんですが」
いやね次の新曲がかなりよかったんですよ、と言いたかったが流石に夕さんの目が冷え切ったので黙った。新曲が良すぎた所為で他のニュースが完全に頭から抜けている。
ふ、と笹島さんが小さく笑う息が漏れ、少し彼の色が和らいだ。
「アンドロイドって言えば分かるか?」
「ん? ……ああ! 前になずな様と共演したアナウンサーが言ってたやつ!」
「あなたアイドルと関連したことしか記憶できないんですか?」
そうそう、そういえば昨日のニュースであったわ。どっかの企業がアンドロイド……人工知能を搭載した人型ロボットの試作機の開発に成功したっていう話。なんだか現実離れしていてSFの世界の話みたいだ。これから先もきっとファンタジーみたいな技術が普通に出てきちゃったりするんだろうな。
「すごいですよね。本当に人間みたいな感じなんでしょうか」
「詳しい情報はまだ公表されていませんが、まあ試作機ですからあまり期待するものでもないでしょう。いきなり本物の人間のような代物は出てこないと思いますよ」
「ところがそうとも限らない。広報担当がかなり気合いの入った宣伝スケジュールを組んでいるらしいからな。試運転も来年の始め頃に行うらしい」
「へー……って、何か妙に詳しいですね」
「この男、その会社……ミスズテクノロジーの顧問弁護士をしているんですよ」
「顧問弁護士! すごいですね!」
「運が良かっただけだよ」
笹島さんは結構大きな弁護士事務所に所属しているらしいのだが、そこにその会社から弁護士を雇いたいと打診があったそうな。それで色々な審議の結果笹島さんが選ばれたと。
「人工知能ってよく聞きますけど、本当に人間みたいに思考できるんですかね。色とか見えるのかな……」
「コンピュータと同じです。全てプログラムを組んで思考条件を設定しているだけですから、まず見えませんよ」
「竜胆さんの目、そういえば人の色が見えるんだったか。確かにアンドロイドにも見えたら面白いな」
「……ちょっと待て」
不意に夕さんの表情が険しくなった。今の会話に何か引っかかる所でもあったのかと首を傾げていると、彼は身を乗り出してテーブルに手を付き笹島さんを睨んだ。
「夕?」
「何故お前が竜胆さんの目のことを知っている?」
「あ、すみません。それ私が」
「は?」
「え、こわ……この前飲んだ時にちょっとぽろっと言っちゃって」
超重低音の「は?」が怖い。いや私も今考えると軽率だったと思うけど、なんで当事者じゃない夕さんがそんなに怒るんだ。
「いいですか竜胆さん」
「は、はい」
「あなたのその目は非常に貴重なものなんです。嘘を吐いている相手を見抜くことができる、殺意や害意を持つ人間を即座に発見できる、感情の揺らぎを見て動揺を察することができる。……他にもありますが、とにかくあなたの目は有用でそれだけ価値のあるものです」
「はあ……」
「それを酔っ払っていたからと言ってぺらぺらと……初対面の人間に宝くじで十億当たったことをばらすようなものですよ、分かっているんですか」
「いや流石に初対面の人間には……」
「初対面の? 人間には?」
「なんでもないです」
まさしく初対面でぺらぺら喋ってしまった男が目の前に居たわ。
「でも、夕さんだって笹島さんも未来さんも信用できるでしょ?」
「待って下さい未来の話はもっと聞いていないんですが」
「あ……いやでも! 未来さんにばらしたのは私じゃなくて陽太君です!」
「はあ? 馬鹿じゃないのかあいつは!」
いやそれもう一人のあなたなんですけどね。苛立たしげに声を上げた夕さんに心の中で突っ込みを入れていると、黙って見守っていた笹島さんが「まあまあ」と夕さんを宥めるように声を掛けた。
「夕、少し落ち着けって」
「私は落ち着いています。ちょっと個人情報の流出について甘ったるい考えをお持ちなやつらに少しばかり腹を立てているだけです」
「全然落ち着いてないじゃん……」
「はは、それだけしっかり竜胆さんのこと考えているんだろう。君が変な輩に目を付けられないように必死なんだよ」
「よその人間にうちの事務所の手の内を明かす訳には行かないだろうが」
「本当にそれだけか?」
「何がいいたい」
じと、と睨み付ける夕さんのことも笹島さんは涼しい顔で流して軽口を叩いている。こういう遠慮の無い言動が幼馴染みなんだなと思わせる。私もそういう友達欲しかったな……色に振り回された悪夢の幼少期が蘇って思わずため息が出た。
「自覚してる癖によく言う。まあいいや、そろそろ俺もお暇して……あ、そうだった。すっかり忘れていたが」
時計を見て立ち上がった笹島さんが、一度持ち上げた鞄を再びソファに置いてそこからクリアファイルを取り出した。
「実はさっきのアンドロイドの件で脅迫状が来ててな。今日はそれを相談しに来たんだった」
「はあ!? そんな大事なこと普通忘れます!?」
ファイルから取り出されたのは新聞の切り抜きを使ったいかにも脅迫状、と言ったもの。私が思わず笹島さんに突っ込んでいる間に、夕さんは冷静にじっと脅迫状を見つめて考え込むように口元に手をやった。
「えーと何々……アンドロイドの開発を直ちに中止しろ。さもないと酷い目に遭う……?」
「元々正式発表の前から噂は広がっていて色々と批判してくるやつらもいたんだよ。人造人間を作るなんて倫理的にー、とかアンドロイドが普及したら人間の仕事が無くなるー、とか」
「へー、色々考える人いるんですね」
「警察には?」
「いや、まだ俺個人への脅迫だしな。此処で通報して実行犯を捕まえるよりも泳がせて一網打尽にした方がいい……ということらしい」
「つまりある程度目星は付いているんだな? それも個人ではなく団体か」
「ただ証拠はまだ無いからそれを探って欲しい」
「一応聞くが先方にうちのことは?」
「勿論いつも通りに」
「ならいい」
「でも、なんで社長とかじゃなくて顧問弁護士とはいえ笹島さんに脅迫状なんて送ったんですかね?」
「顧問弁護士は何か問題が起こった時に矢面に立つことが多いですからね。ミスズの訴訟も既にいくつか担当していますし、雅人を押さえないことには抗議活動をしても阻止されると考えたんじゃないですか」
「いやそもそもそんな笹島さんに脅迫状を送った時点でそれこそ訴訟起こされるだけじゃ……」
「そこまで考えていない馬鹿か、もしくは何か裏があるのかそこまでは分かりませんが……とにかく調査はしておく。それと、一応何かあった時の為に陽太に色々作らせておくから近いうちにまた来てくれ」
「ああ、頼んだ」
笹島さんは軽く頭を下げると、「それじゃあまた来る」と今度こそ鞄を持ち上げて事務所を出て行った。夕さんは難しい顔をしたまま腕を組んで何かを考えているようで、私は今度こそ報告書を作成しようと立ち上がった。
「……ん?」
「どうかしましたか」
「いや、なんていうか……」
よくよく思い返してみると、そういえば最初に話をしていた件は一体なんだったんだ? 何やら陽太君が関わっている話だったけど……結局アンドロイドやら私の目の話やらで流れてしまった気がする。というかわざと世間話ではぐらかされたのか?
「あの夕さん、さっきの話ですけ……ど?」
何やら外が騒がしいような。私が窓の方を振り返ると同時に夕さんが私を押しのけるようにして窓際に立った。
「放せっ……」
「!」
私も彼の後ろから外を見下ろすと、三人の男が無理矢理ワゴンカーに笹島さんを乗せているところが目に入った。驚く間もなく押し込まれた笹島さんはすぐに発進した車に連れて行かれ、そしてあっという間に見えなくなってしまった。
夕さんが苦々しく顔を歪める。
「……尾行にも気付かないとか馬鹿かあいつは」
「夕さんどうしましょう!? 多分さっきの脅迫状の人達ですよね?」
「ええ、すぐに後を追います。竜胆さん、今から言うものの準備を早急に」
「はい!」
私は言われるがまま鞄にあれこれと詰め込んで、そしてすぐさま事務所を飛び出して車に乗り込んだ。エンジンを掛けてシートベルトを締めていると、陽太君のタブレットを手にした夕さんが助手席に乗り込んでくる。
「まずは先ほど逃走して行った方向へ。細かい道はこちらで指示します」
「分かるんですか!?」
「電話番号さえ分かればスマホでGPSを追えるように陽太にプログラムを組ませました」
「え、まさか笹島さんがこうなることを見越して……」
「ません。元々あなたがこの前の加神さんの時のような事態に陥った時に素早く対応する為に作らせたんです。まさかこんなに早く使う機会が来るとは思っていませんでしたが」
「なるほど……あ、でもこの前はスマホ持ってなかったんですよね」
「ですから今後あんな事態にならない為にもしっかり所持しておいて下さい。――次の信号を右に、側道に入っていって下さい」
「了解」
夕さんの指示に従って車を走らせる。先ほどまで笹島さんが誘拐されたことへの焦りでいっぱいだったのに、今は絶対に夕さんが見つけてくれるから大丈夫だと随分落ち着いている。この前不在だった時に痛感したが、やっぱりうちの事務所は夕さんが居ないと回らないな……まあそれを言うと陽太君のサポートが無くても回らないんだけども。
……価値があると認めてくれたこの目で、私も二人のように役に立てるだろうか。
 




