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シロクロ男  作者: とど
11/40

7 酔ってるったら酔ってるの!


「ねー瀬名ちゃーん。何か依頼来ないのー?」

「今日は無いねー。明日だったら二件予約が入ってるんだけど」

「えー……明日って僕居ないじゃん」


 そりゃあだから夕さんがその日にしたからね。

 今日は陽太君との仕事だ。私は昨日終了したばかりの依頼に関するデータをパソコンに打ち込んでいるものの陽太君はまた暇そうである。そもそも同じ日数出勤しているのに関わらず夕さんよりも陽太君の方が圧倒的に仕事をしている時間は少ない。

 それもそのはず。うちの事務所に依頼の予約が来ると、まず必ずと言っていいほど最初の訪問時は夕さんが対応することになっている。最終報告を陽太君がすることがないとは言わないが、依頼時は絶対に夕さんが出勤する日に調整するようにと私も言付かっている。

 基本的にこの探偵事務所の決定権は夕さんにあるのだ。主人格が彼の方だというのもそうだが、多分お金が絡む交渉を陽太君に任せるのが心配なのではないかと推測している。


「兄さんばっかりずるい」

「でも、夕さんが持ってきた依頼も陽太君さっさと調べ尽くしちゃってどっちみちすぐに暇になるでしょ」

「えー、だってそんなのちょちょっとやれば終わっちゃうもん」


 もんじゃないんだよこの自称二十五歳児……。

 陽太君が暇になる理由としてもう一つ、この無自覚の天才は仕事が早すぎるのだ。夕さんが依頼を受けて調査の方針を決め、翌日に陽太君がぱぱっと調べる。そしてその時点で調査が終わってしまうことが多すぎるのだ。浮気調査の証拠集めなんかでは対象が尻尾を出すまで時間が掛かって何日も掛けることもあるのだが、単純な人探しなどになると陽太君の独壇場だ。おかげで仕事が早いと事務所の評判は上がっているが、当の本人にとっては自分の才能の所為で暇を持て余す結果になっている。


「もー僕どっか遊んできてもいい?」

「んー……、まあいいんじゃないの?」

「え、本当!? 未来ちゃんに会ってきてもいい?」

「それは未来さんに聞いて下さい」


 まあどうせ誰も来ないし、実際暇なのは嫌だろうしね。無責任なことを言ってしまった気がするが夕さんもそこまで口を出すことも無いだろう。何か言ってきたら次からは止めればいい。

 わくわくした様子でスマホを耳に当て……そしてまったく通じなかったのかがっくりと肩を落とした陽太君を見ていると、ちょうどその時事務所の電話が鳴った。


「あ、もしかしたら未来ちゃんが掛け直してくれたのかも!」

「いやだったらスマホの方に掛けるでしょ……って聞いてないし」


 何度も思うが本当に未来さんのこと好きすぎる。私の声などまったく届いていない様子で受話器を耳に当て「もしもし!」と元気すぎる声を上げた陽太君に思わず頭痛を覚えた。頼むから依頼人を減らしてくれるなよ。


「へ? あ、そうです! 青海探偵事務所ですよ! 何かご依頼ですか? ……うん……ああ、それなら大丈夫です! 今から来て下さい! 今すぐ!」

「ちょ、陽太君」

「はーい、黒崎さんですね。それじゃあ待ってます!」


 ピ、と制止も聞かずに電話を切った陽太君に大きなため息が出た。何やら勝手に依頼を受けてしまったらしい。


「電話、何だって?」

「何か人探しして欲しいんだって! 早めがいいって言うから今から来るってさ」

「はあ……まあいいや」


 お茶菓子は明日の為に準備していた分の予備があるのでそれでいい。あとは契約書なんかの準備と軽い掃除と……。

 仕事を中断してやらなければならないことを指折り数えながら立ち上がると、私は先ほどとは打って変わって楽しそうな陽太君の前を横切って依頼人を迎える準備を始めた。




 ……が、まさか五分で外の呼び鈴が鳴るとは思わなかった。陽太君が急かすから依頼人を焦らせたに違いないと、私は申し訳なさとまったく準備の出来ていない現状に頭を抱えたくなった。


「ちょ、ちょっと待ってよ……! 陽太君依頼人案内しといて! 私お茶入れるから!」

「おっけー」


 いや正直陽太君に任せるのも非常に不安なのだがやつが茶を入れられるとも思えない。夕さん今だけ前倒しで出て来てくれないかな。何か頭に衝撃でも与えればその拍子に飛び出して来ないだろうか……。

 思考が少々物騒なものになりつつある中手早くお茶と茶菓子の準備を進める。……何やら向こうから話し声が聞こえるが失礼なこと言ってないだろうか。


「えーと、人探しって言ってたっけ。その場合の相場の目安、確かどっかの資料にあったはずだけど……」


 夕さんが不在の為金額の交渉も私がやらなければならない。何度も隣で見ていたので大丈夫だとは思うが、運悪くしつこく値引きを食い下がってくる依頼人だと(ちなみに時々いる)それも難航しそうだ。

 ……いい人でありますように!


「お待たせしました。どうぞこちら――ん?」

「あ、瀬名ちゃん。この黒崎さんって人、兄さんの知り合いなんだって」


 緑茶と羊羹を持って陽太君と依頼人の元へ向かうと、二人はソファに向き合うように座り楽しそうに談笑していた。四、五十代くらいに見える痩せた男が今回の依頼人らしく私は彼に向かって軽く会釈する……が、そこでなんとなく違和感を覚えた。何かこのモスグリーンの色、見たことないか?

 黒崎と呼ばれた男を見て誰かを思い出しそうになっていると、陽太君から私に視線を移した彼は上品な仕草で頭を下げた。


「どうもこんにちは、竜胆様」

「様って……あ、そうだバーのマスター!」

「ええそうです。名乗ってはいませんでしたね、黒崎と申します」


 そうだった、たまに行くあのバーで見たのだ。店内はいつもいい感じに照明が暗く、それに店で見るようなきっちり固められた髪でもなくバーテンダーの服も着ていなかったのですぐには分からなかった。ただ纏う色だけは何処かで見たことがあると思っていたのだが、なるほど。


「あれ、瀬名ちゃんも知り合いだったの?」

「たまに飲みに行くからね」

「えー? 僕だけ仲間はずれ? ずるいなー」


 むっと頬を膨らませる仕草は……まあ陽太君だから許されるものだ。他の人だったら年を考えろと……あ、でもなずな様なら全然オッケーです。


「あ、彼は夕さんの弟の陽太君です」

「はじめまして! 青海陽太です!」

「これはご丁寧に。お兄さんとよく似ていらっしゃいますね」


 いやまあ体は本人ですからね。見た目だと眼鏡があるか無いかぐらいしか違いが無い。


「マスター……いえ、黒崎さんは探偵事務所のこと知っていたんですね」

「ええ。以前青海様から名刺を頂いたことがありまして。ちょうど近くまで来た時にそれを思い出したので電話させて頂いたんです」

「それにしても急かしてしまったようですみません」

「いえいえ、こちらとしても早くに越したことはないので」

「今日は夕さん居ないんですが……大丈夫ですか?」

「はい、ひとまず話だけでも聞いて頂ければと」

「そうそう人探し! それなら大得意だからぱぱっと見つけるよ!」


 張り切ってそう言った陽太君はソファから立ち上がるといそいそと愛用のタブレットを取って戻ってくる。

 私もソファに腰掛けると、隣に座った陽太君がわくわくした様子で黒崎さんの話を待っている。いつもこうやって依頼人の話を聞く時に隣にいるのは夕さんなので、ちょっと変な感じだ。

 ……とにかく、あの人が居ない以上私がこの場を仕切らなくては。私はいつもの夕さんを思い出しながら、居住まいを正し依頼人に向き合った。


「……それでは、依頼について詳しく聞かせて頂けますか?」




    ■ ■ ■  ■ ■ ■




「プレゼントが届く?」

「はい。半年前から一月ごとに」


 黒崎さんが言うには、半年前から突然彼宛に差出人不明のプレゼントが届き始めたらしい。中身はその時によってばらばらで、花だったりワイングラスだったりネクタイピンだったり……大体どれも数万円ほどのプレゼントだという。ちなみにそのどれにも「よかったらお店に飾って下さい」だの「あなたに似合うかと思い選びました」だの毎回短いメッセージカードが添えられているらしい。


「ちなみに、どうして今までそのままにしておいたんですか?」

「差出人が名乗り出て下さるかと待っていたんです。それに、せっかくの心の籠もったプレゼントのことで大事にはしたくありませんでしたので」

「じゃーなんで急に探そうと思ったの?」

「陽太君、敬語ね」

「いえ、構いませんよ。実は、先月も送られて来たのですが……その時は現金で、しかも一緒に『これからしばらくお金になります、すみません』とメッセージカードが入っていまして……どうにも気になったものですから」

「すみません?」


 なんだか少しきな臭くなって来たぞ。まるで絶対に支払わなくてはいけないもののような言い方だ。ちらりと黒崎さんを観察するが、そこには心配そうな色が見えただけだった。


「いい加減こちらも今までのお礼をしたいと思っていたところですし、毎月現金を渡される理由もありませんから直接差出人の方に会ってお話が出来たらなと」

「なるほど……」

「確かに急にお金送られてきたらビビるよね。なんか事件かなって」

「私はプレゼントでも怖いけど……。あのー、ちなみに失礼なんですけど……今までプレゼント、何か変な仕掛けとか無いですよね? 盗聴器とか……」

「ええ、一応最初に全て確認はしています。まあ流石にワイングラスに何か仕込むのは無理でしょうがね」

「毒、とか」

「これでもバーテンダーですから、流石に店には出していませんがきっちり洗浄と消毒はしています。実際使いましたが何事もありませんでした」


 ならいいのか? いや私の場合見知らぬ人から贈られたものなんて何でも怖すぎて無理だが。あとで高額請求とかされたら怖いじゃないか。

 正直私の予想では、贈り主は黒崎さんのちょっとあれなストーカーじゃないかと思うんだけど。


「……ともかく、その差出人が誰かというのを調べればいいんですね。分かりました、その依頼こちらで承ります」

「よーし、じゃあ早速ちゃちゃっと調べ――」

「待った待った、先に契約書と金額交渉!」

「えー」

「そういうのはちゃんとしなくちゃ駄目でしょうが」


 陽太君が出鼻を挫かれたように不満げな顔をしているが、こういうことはきっちりやっておかないと後で何かあった時に怖い。黒崎さんがどうという訳ではないが、契約書を作る前に人を見つけ出してそのまま契約書が無いからと依頼料を踏み倒されても困るのだ。もしそんなことになったら私がクビになってしまう。


 とりあえず陽太君には茶菓子でも食べておくように言って黒崎さんと契約書を作成し、依頼の報酬について話し合う。運良く夕さんのデスクの上に依頼料の相場が書かれた用紙があったのでそれを元に前金と成功報酬を決め、そうしてようやく隣で暇を持て余している陽太君に向き直った。


「じゃあ陽太君、お願いね」

「うん。で、瀬名ちゃん何から調べればいいの?」

「え? ……何かいつもみたいにいい感じにちゃちゃっと特定とか」

「いつもは兄さんがやること一覧表作っておいてくれるからそれ見てやってるだけだよ」


 えーそうか、陽太君への指示も私の役目なのか。……で、どっから手を付けてもらえばいいの? ……イマジナリー青海夕、今こそ私に乗り移ってくれ。


「えーと……とりあえず、そのプレゼントの指紋とかは……」

「いえ、最初にチェックした時に全て綺麗にしていますし、梱包されていた箱は処分してしまったので……」

「あーそうですよね」


 いやそもそも、指紋があった所で犯罪歴でもないと特定できないだろう。何か別の手がかりは……。

 箱を捨ててしまったということは何処から送られてきたのかも分からないってことか。せめてプレゼントを買った店だけでも分かればよかったのだが。


「……明日夕さんが来てからじゃ駄目?」

「駄目! それじゃあ結局僕今日一日暇じゃん!」

「せめて早く探してあげたいとか言ってほしかったな。……そうだ、そのプレゼントが届くのってご自宅にですか?」

「いえ、店の方ですね」

「あー、じゃあお店に関係した人……お客さんとかなのかな。それで黒崎さんのファンになったとか」


 ……んー、なかなか夕さんが降りてきてくれない。陽太君の期待するような目が痛い。


「じゃあ黒崎さん、プレゼントがお店に届いた日時が分かるものってありませんか?」

「そうですね……大体月末に届くのですが、確証があるのは先月の三十日に現金が届きました」

「三十日……そうだ現金なら、宅配便じゃなくて書留のはず。つまり郵便局! 陽太君! 先月三十日に黒崎さんのお店宛てに郵送された現金書留のデータって調べられる?」

「もっちろん楽勝だよ。今は宅配物の追跡システムとかあるからささっとハッキングしちゃえばオッケー」

「ハッキングとか依頼人の前で言わないでもらえるかな!?」


 いや頼んだ私も私なんだけども。でもちょっと今私冴えてない? 何か光明が見えてきた気がする。

 そしてタブレットを使ってまるでピアノでも弾くかのようにたたたっ、と指を動かす陽太君を見ていること……およそ三十秒。


「調べたよ」

「はやっ!?」

「でも、お店に届けられた書留は一つも無かったけど」

「ええっ、嘘!?」


 此処に来て外れ? でもなんで?

 何が間違っているのだろうと考え込んでいると、同じように何やら思考を巡らせていたらしい黒崎さんが「そういえば」と呟いた。


「ポストに入っていた封筒には消印が無かったような……。そもそも現金書留なら配達員が直接受け渡すはずですが」

「! じゃあつまり、その封筒はポストに直接入れられたってこと? 陽太君! お店の近くに防犯カメラある?」

「うん、前の通りにあるね」

「陽太君といえば防犯カメラ! そこで郵便職員以外でお店のポストに何か入れてる人見つけて!」

「りょーかい。えーと三十日の朝から……」


 陽太君の十八番とも言える防犯カメラ解析で、流石に三十秒とはいかなかったが驚異的なスピードで「これだ」という言葉が飛び出した。


「多分この男の人だね」

「黒崎さん、彼に見覚えは」

「……いえ、ぼんやりとしか顔が映っていないので絶対とは言いませんが、恐らく見たことはないですね」

「そうですかー……ねえ陽太君、この映像だけでこの人のこと特定することって流石に」

「できるよ?」

「そうだよねー流石にこんなに不鮮明じゃあ……って、出来るの!?」

「うん。歩き方とか骨格とか服装とか、手がかりは山ほどあるでしょ? あとはそこから近い時間の周辺の防犯カメラまでチェックして一番はっきり映ってる映像を探してー……っと、この人だね」


 私が理解出来る範疇を超えた操作でタブレットを動かし始めた陽太君をただただ眺めていると、何ともあっさりコインパーキングに停められた車に乗り込む男の姿を見せられた。


「よかったね瀬名ちゃん、とっても運がいいよ。車種とナンバーさえ分かればもうこっちのもの……」


 タブレットの映像が数秒単位で切り替わっていく。車の映像、何処かの家、名前がずらっと書かれた何かのリスト、そして最後に――先ほどぼんやりと映っていた男の顔の、恐らく運転免許書の写真と名前、住所、電話番号、家族構成が画面いっぱいにずらりと並んだ。

 にや、と陽太君が満足げに笑う。


「みーっけた」




    ■ ■ ■  ■ ■ ■




「うわー、僕こういうお店初めて!」


 さて、依頼を無事に達成した私と陽太君は現在黒崎さんがマスターを務めるバーに足を運んでいた。私は何度も訪れたので驚きもないが、陽太君は興奮気味にあちこちを見回して非常に楽しそうである。


 結論から言うと、件の男はプレゼントの差出人ではなかった。差出人だったのは彼の奥さんだったのである。

 あの後車で男の家を尋ね、そのまま事情を問い詰めてみると彼は観念したように事情を話してくれた。


 男――北原さんというのだが、彼は半年前に今の奥さんと結婚したのだという。そしてその奥さんは以前から黒崎さんのバーを何度も訪れており、次第に彼に憧れを抱いていたのだ。ちなみに恋愛感情は一切無く、北原さん曰く「あいつのとっての彼は推しです」とのこと。……なんか妙に親近感湧いてきたぞ。

 しかし結婚して以降、なんとなく夫に後ろめたくて奥さんはバーに通うのを控えるようになった。しかし結局推しに貢ぎたいという思いが抑えきれず、以前バーに通っていた時に一ヶ月に使っていた金額分くらいのプレゼントを店宛てに送ることで店に行けない気持ちを押さえていたのだという。

 ところが先月、奥さんは仕事帰りに車に撥ねられ両足の骨折等の重傷を負って入院してしまったのだ。そこで彼女ははっと気付く。今月のプレゼントを買いに行けなくなってしまったということを。

 別にネット買えばいいのではとも思うのだが、自分の目で直接選ばないと気が済まない、それをするくらいなら現金を渡して好きなものを買ってもらいたい。……ということらしい。それを説明する北原さんは実に頭の痛そうな顔をしていた。


 しかし、だ。現金を送るとなるとどの道郵便局に行かなければならない。そこで彼女は本気で悩んだらしいのだが、結局夫に全てを打ち明けて代わりに郵便局に行って欲しいと病室のベッドの上で頼み込んだのだ。


「いやそれよく許しましたね?」

「別に生活費を注ぎ込んでる訳でもないし、それに……私も妻には内緒でしたが結構推しに貢いでいたので……」

「同類か」


 お互い知らなかったものの似たもの夫婦だったらしい。貢ぐ対象が二次元と三次元と違うらしいが、どちらにしろこの機会にお互い発覚してよかったんじゃないだろうか。


 まあともかく、北原さんは奥さんの頼みを聞き届けて郵便局に行った。しかしそこで問題が発生したのだ。現金書留を送る際、宛名だけではなく差出人の名前まで書かなければならなかったのである。

 プレゼントを突っ返されるのが怖かった奥さんは今まで全て匿名で送っていた。そして今回も匿名で、と言われていた北原さんはどうしたものかと悩み、そして結局、自分の足で店のポストまで入れに行ったのである。何とも奥さんに献身的だ、世の中の浮気男全てに見習ってほしい。

 そして結局黒崎さんはお金を北原さんに返し、こういったものはもう受け取らないということを伝えた。


「その代わりと言ってはなんですが、奥様の怪我が治ったら是非お二人でうちの店のお越し下さい。これまでのお礼というのも何ですが、色々とサービスさせて頂きます」

「ええ、ありがとうございます。あいつも絶対喜びますよ」


 なんて言葉を交わし、無事に一件落着と相成った。




「陽太君、ほらカウンター座って」

「うわ、椅子高いね」


 カウンター席特有の高いスツールに腰掛けた陽太君は早速メニューを手にとって楽しそうに眺めている。

 ちなみに依頼が終了してすぐ陽太君がこのバーに行ってみたいと言い出したのだ。二人ばっかりずるい、と不満げな彼の頼みで北原さんの家からこのバーへ直接向かい、しかも今日は休みだったのに関わらずお礼に、と黒崎さんが店を開けてくれた。

 何ともありがたいことだ。だがあえて言うことがあるとすれば……私は運転手なのでお酒が飲めない。


「瀬名ちゃん、兄さんって何飲んでるの?」

「えーっと何だったかな……ジン……ジンなんとか」

「マスター! ジンなんとか下さい!」

「いやそのまま言うな。あ、マスター私サラトガクーラーで」


 ばっ、と手を上げて元気よくそう言った陽太君にマスターが小さく笑って「少々お待ち下さい」と恭しげに会釈した。


「お待たせいたしました、ジントニックとサラトガクーラーになります」

「あー、それそれ。思い出した」


 ようやく名前がしっくり来て頭がすっきりした。わあ、と目の前に来たグラスに歓声を上げている隣の男を見ると、彼はすぐさまグラスを手に取ってそれを口元に持って行こうとする。


「……っていうか陽太君、ホントに飲むの?」

「何で飲んじゃいけないの?」

「いけないっていうか、いやだって」

「いただきまーす」

「全然聞かないじゃん」


 ごくり、とお酒が喉を通る音が聞こえた。一度口を離した彼は、またすぐにグラスを傾け、夕さん曰く情緒がない飲み方であっという間に飲み干してしまった。


「へー、おいしいね!」

「……普通に飲んじゃった」


 いやそりゃあ体的には飲めるんだろうけども。


「夕さんの言ってたことは一体何だったんだ……」

「兄さんが何だって?」

「何か陽太君はお酒が飲めない体質だって」

「そもそも僕お酒飲むの初めてだけど?」

「え?」

「ん?」


 何か話が食い違って来てますます分からない。本当に何なんだと首を傾げていると、「まあ兄さん僕のこといつまで子供だと思ってるからそう言ったのかも?」と一応まだ納得できそうなことを言って陽太君がおかわりを頼んだ。


「というか、なんで兄さんそんなこと言ったの? 他に何か言ってた?」

「あー……なんか」


 私はその時の会話を思い起こしながら説明した。外でお酒を飲む時は夕さんが監督するとか何とか……いやそもそもこれもどうかと思うけど。

 話に耳を傾けていた陽太君は最初こそ不思議そうな表情をしていたものの、話し終えたところで口元に手を当てて考えるようにして……やがてにやっと笑った。


「なーるほど」

「何か分かったの?」

「兄さん、やきもち焼いたんだ」

「はあ?」

「うんうん、そうだよねー。兄さんは昔っから大事なものは独り占めしたいタイプだったもんね」

「あの、陽太君?」

「だからさー、兄さんってば瀬名ちゃんが僕とか雅人君とかと一緒に飲むのが嫌だからそーんなこと言っちゃってるんだって」


 数秒ほど、陽太君の言っている意味が分からなかった。


「……はああ? いやそんなことある?」

「あるある。じゃなきゃ自分が監督するなんて言わないよ。そうだなあ、例えば普通の従業員が酔っ払って何かやらかしたとしても……」


 陽太君が鞄を漁る。そして中から眼鏡ケースを取り出したかと思うと、夕さんの眼鏡を掛けて一つ咳払いをした。


「全てご自分の責任でしょう? ああ、何ならうちの事務所の評判を落とした分の賠償請求させて頂きますが。……とか言うって!」

「言いそー、滅茶苦茶言いそう」

「でしょー」


 陽太君物まね上手いな。いやそもそも顔が一緒だからそう思うだけかもしれないけど。夕さんの眼鏡を掛けて笑顔を見せられるとややこしくて脳がバグる。


 それにしても、物まねとかに意識を振ってあんまり考えないようにしていたけど……いやいや本当に夕さんに限ってそんなことある?


「私と一緒に飲むことにそんな価値があるとは思わないけどね……」

「瀬名ちゃん顔赤い」

「……飲んでるから」

「いやそれノンアルコールじゃん」


 うるさいな!


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