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シロクロ男  作者: とど
1/40

1-1 黒い男


「……」


 抜き足、差し足、忍び足……ではないが、非常に慎重になって一歩一歩を進める。

 私――竜胆瀬名りんどうせなはほどほどに行き交う人達の合間を縫って、十メートルほど先を歩く男の背中を追いかけていた。

 四十ほどに見える男は仕事用らしき鞄の他に小さな紙袋を手にして機嫌良さげな雰囲気を纏い歩いて行く。私はその背中を見て思わず眉を顰めながら、存在感を消すように息を顰めて足を進める。


 その男の足が止まったのはとある一軒家の前だった。男がインターホンを押した直後待っていたかのようにすぐに玄関の扉が開き、そこから女性が一人顔を出した。


「――、――!」


「はいはいピンクピンク……」


 私の隠れている位置からは距離があって会話は聞こえない。しかしどんな話をしているのかは容易に窺えた。私は鞄からそっとスマホを取り出して仲睦まじく話す二人の写真を撮る。そして男が女に紙袋を渡したところでもう一枚。ズームにして分かったことだが紙袋のロゴは近くのジュエリーショップのものだ。

 女性が男に腕を絡めて家の中に入っていった所を撮ったところで、私は疲れを感じて目頭を押さえた。


「やっと終わった……流石にこれだけ何日も通い詰めてることが分かれば言い逃れ出来ないよなあ」


 今し方撮った写真を確認がてら眺める。そこに映っている光景は先ほど画面を覗いて撮ったものと寸分変わらず、しかし撮る直前まで自分の目で見たものとは大きく異なっている。


「“色”“波”も全部映ってれば一発で分かるのに」




       ■ ■ ■  ■ ■ ■




「ただいま戻りましたー……」


 最早かなり見慣れてしまった扉を開けると、そこにはやはり見慣れ始めてしまった一人の男がデスクに座って何やら書類を読んでいる。


「ああ、竜胆さん。帰って来ましたか」


 こちらを見てにこりと笑みを形作った男、彼を表現する言葉はいくつもあるだろう。例えば年は二十代後半であるとか、腹が立つくらいさらっさらの黒髪だとか、中々に整った顔立ちであるとか、細いフレームの眼鏡を掛けているだとか。

 しかし私がこの男を一言で表すとすれば、そんな言葉は使わない。


 この男、青海夕おうみゆうは―― とんでもなく“真っ黒”な男である。


「早速ですが調査報告書の作成を。あともうすぐ依頼人が来るのでそちらの準備と、それからこっちは新しく入った依頼の詳細です。隅々まで目を通して今日中にデータ入力しておいて下さい」


 夕さんが手にした分厚いファイルをどさどさと私のデスクの上に落としていく。それを無言で眺めた私は、よく「死んだ魚の目って表現がホントに当てはまる人初めて見た」と表される濁った目を彼に向けた。


「……夕さん、私一日中尾行して帰って来たばっかりなんですけど」

「それが何か? まだ就業時間なので仕事をするのは当然かと」

「……」

「なんですかその顔は。まあ、別にいいんですよ? やりたくなければそれで。その分給料に響くだけですから。ええ、好きにして下さい」

「この、真っ黒男め……」


 にこにこと腹の立つ顔で微笑む彼に「いつか絶対パワハラで訴えてやる」と知り合いの弁護士を思い出しながら呟いた。まあ彼はこの男に甘いので宥められるのが落ちだろうが。

 しかも何が腹が立つって、本当に必死になって全力で頑張ればぎりぎり終わるくらいの仕事量を毎回見極められているところだ。人間常にフルパワーで働くことなんて出来ないんだからもう少しその辺考慮してほしいものである。


「まあともかく、もう依頼人が来ますのでいつも通り準備をお願いします」

「……はい」


 この男はともかく、もうすぐ此処へ来るという依頼人は別に悪くない。私は一日歩き通しだった体に鞭を打って備え付けの小さなキッチンへと向かった。


 その前に、ちらりと振り返って再び定位置に戻った男を一瞥する。


「ホント、いつ見ても見事に真っ黒……」




    ■ ■ ■  ■ ■ ■




 共感覚、というものをご存じだろうか。


 色々と専門的な説明もできるだろうが、私自身が理解していることといえばまあ、「通常の人間の五感の感覚で感じるものとは異なる知覚を持つこと」という感じだろうか。

 適当に例を挙げると、文字や音に色が付いているように見えたり味を感じたり。その他その人それぞれで様々な感覚を持つ特殊な人間がいる。……いるというか、私もそのうちの一人である。


 私は物心付いた頃から人の性格や感情が色や波になって見える体質だった。優しく穏やかな性格の人間は淡く薄い色を纏うように映り、そして意地悪だったり誰かを恨んでいたり心が病んでいたり……そういう人間は濃く濁った色で見えた。波は感情の揺れ動きを表し、平常心では静かに、そして怒っている時などは激しく波打つように変わる。


 さて、周りの人間全てにそのような色と波を見て生きてきた私はどうなったかというと……当然というべきか、人間不信に陥った。

 それはそうだ。どんなに優しく親切な人でもその中身がどす黒かったらどうだろうか。特に、小学校の頃はともかく中学高校と進むにつれて言葉と中身が伴っていない人間が溢れかえっていたら……もう何を信じていいのか分からなくなる。

 勿論人間本音と建前が違うのは仕方が無いし、思ったことだけを口にしていたら生きにくくなるのは当然のことだ。だからと言って仲良さげに話している四人組が腹の中が皆薄暗い紫や赤で渦巻いているのを見てしまえば人を信じようとする気持ちはどんどん削り取られていった。ちなみに数日後、その四人のうちの二人が彼氏を取った取られたで髪を掴み合って喧嘩していた。人間って怖い。


 そして、色んな人間の腹の中を嫌でも見る羽目になって来た私の人生でトップクラスにやばい“色”をしているのが件の男――青海夕である。

 彼を最初にはっきりと見た瞬間、私は思わず「こいつ本当に人間か?」と言いかけた。というか我慢できずに言った。なにせ真っ黒。もう何が混ぜられているのか分からない程のどす黒いブラックホール。いっそ怨霊とでも言ってくれた方が納得できた。

 本来ならそんな人間なんて一度だってお目に掛かりたくなかったし、一度会ったとて二度と会いたくはない。だが……色々あって現在私はこの男の下で働くことになってしまっている。

 ちなみ何の仕事かというと――。



「此処が青海探偵事務所、だよな」

「ええそうです。ご予約頂いた南野様ですね」


 と、早速先ほど夕さんが言っていた依頼人が来たようだ。お茶菓子を用意する傍らキッチンから応接室の方へと顔を覗かせると、夕さんが三十代半ばくらいに見える少々強面の男性をソファへ案内しているところだった。

 相変わらず胡散臭い……外面の良さだ。私は「まだ来ないのか」と視線の来る前にさっさと紅茶とお菓子を用意して依頼人の前に差し出した。


「どうぞ」

「……ふん」


 ちなみに今日の茶菓子はバームクーヘンだ。前に依頼人が直前でドタキャンしてきた時に残った物を食べたがとても美味しかった。

 

 今依頼人が口にしたように、ここは探偵事務所である。探偵なんて物語の中でよく目にしても実際に現実でそれを生業にしている人に出会うことなんてほとんどない。が、紆余曲折あり私この探偵の助手というポジションに収まっている。

 ちなみに仕事内容はというとかなり地味である。依頼は人や失せ物探し、素行調査が大半を占めており、時々知り合いの弁護士から裁判の証言や証拠集めを請け負うくらいだろうか。


 私は雑な所作でバームクーヘンを囓り始めた男を見た後、そのままポケットに入れていたメモ帳を片手に夕さんの隣に腰を下ろした。


「ずいぶん若いが……ほんとにあんたたちが探偵なのか?」

「もちろんです。まだ若造で頼りなく見えるかもしれませんが、仕事は確実にこなしますよ」


 二口で食べ終えてしまった男は皿から顔を上げると、なんとも胡乱げに私達を見る。相変わらず笑みを崩さずに返答した夕さんにも、本当か? と疑うような目だ。


「それで、ご依頼ですが」

「……こいつを探してほしい」


 南野さんは鞄の中から端の折れ曲がった一枚の写真を取り出して夕さんに差し出した。隣から覗き込むと、そこに映っていたのは何の変哲もない黒色のスーツケースだ。


「これは?」

「俺の荷物だ。一昨日の夜盗まれた」 

「警察に被害届は出さなかったんですか?」 

「出してない。警察は犯人を捕まえても無くなったもんまで探してくれねえだろ。犯人はどうでもいいから荷物だけ帰ってこればいいんだ」


 私は思わず首を傾げる。犯人が見つかればそのまま一緒に荷物も見つかるのではないのだろうか。それとももう荷物を手放しているという確信でもあるのかと。

 そうですか、と夕さんは頷いて写真から顔を上げる。


「中に何が入っているか伺っても?」

「別に何だっていいだろ。鍵は俺が持ってる、見つけても中身の確認はせずにそのまま持って来ればいい」

「どこにあるか何か心当たりはありますか」

「さあな。どうにか探してくれ」

「では、その荷物を持ち去った人物について伺っても?」

「ああ。名前は……有馬、だったか。少し前に知り合っただけで名前しか知らねえが」

「顔写真などは」

「無いな」

「そ、そんな無茶な依頼……」


 手がかりは写真と犯人の名字だけ、なんてそんな無茶苦茶な依頼なんて受けられる訳がない。思わず反論しようとしたところで、しかし直前で夕さんが軽く手で制した。

 ちらりと隣を窺うと、彼はにこにこと微笑み、しかし「黙ってろ」言わんばかりの圧を向けて来た。


「分かりました、お引き受けしましょう」

「え!?」

「早速依頼料の交渉と契約書の作成を。竜胆さん、書類一式」

「は……はい」


 受けるの!? と動揺しながらも夕さんがさっと伸ばしてくれる手に素早く書類を滑り込ませる。この人手を出せば何でもすぐに出てくると思ってるところあるからな……。上出来だというように深めた笑みが少し腹立たしい。

 そうして金額の交渉(流石に依頼が困難な為かかなり値段を釣り上げていた)や、書類の作成が終わると、南野さんは「早いとこ見つけろよ」と偉そうに言って出て行った。


「……」


 私はさっさと茶器や皿を片付けると、南野さんから得た写真を無言で眺めている夕さんの前――先ほどまで依頼人が腰掛けていたソファに座った。

 すると夕さんが手を膝の上で組んで顔を上げる。


「竜胆さん、それで?」

「分かってると思いますけどクロです」

「発言は正確に。具体的に“何色”だったかと聞いているんです」


「……濁った黒色よりの赤が中心でした。波も常に荒れてて……まあ、ただ見るだけでも苛立ってる感じでしたもんね」

「そうですか」


 夕さんは私の発言をまるで不審に思うことなく当たり前のように頷いた。……それが、どれだけ私にとって貴重なことかちっとも知らずに。

 この男は私の共感覚のことを知っていて、かつそれを仕事に生かしている。依頼人からの言葉だけではなく、中身を見ることができる私の意見を聞いて調査に利用しているのだ。まあ百パーセント信じているのかは知らない。だが判断材料の補強には打って付けで、特に先ほど行っていたような浮気調査なんかだとかなり重宝されている。……ただ良いように使われていると言われればそれまでだけども。


 今回の依頼人は見るからに怪しい男で依頼内容もあれだったので私が見る必要は無かったと思うが、夕さん曰くこれは訓練であるらしい。常に正確に“色と波”を読み取れるようにと日頃から外に連れ出された時にもよく人間観察をさせられている。


「では竜胆さんは仕事の続きを。この件については明日の調査にします。詳細は陽太ようたに伝えておくのでいつも通り明日はあいつとよろしくお願いします」

「分かりました」


 夕さんはそう言うと自分のデスクへと戻ってパソコンを立ち上げるとカタカタとキーボードを打ち始める。私はそんな彼の姿をなんとなく見ながら、今言われたばかりの言葉を頭の中で繰り返した。


「いつも通り、ね」



「何ぼやっとしているんですか。さっさと再開して下さい」

「……はーい」



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