6:全く別の人生
王都ザーガスと一口に言っても面積は広大だ。それぞれ区画わけされており、商業区や市街区、工業区、軍事区などが存在する。
そしてこの喫茶店メープルは鉱床区と呼ばれる鉱床への入り口があるギルドを擁する区域と、市街区の間くらいの位置に存在する。
それが故に客層も様々で、ギルド帰りの採掘者や市街区から足を運ぶ住民たちなど、普段余り顔を合わせないような組み合わせが店内で同じ時間を過ごすということも多い。
他にも遠い地区からわざわざランデル車という路面線路を走る乗り物を駆使してまでやって来る好き者もいるような、このメープル。
その売りはと言えば――
甘い香りがすでに濃密に充満する厨房へ駆け込んできたフリントがすぐさま叫ぶ。
「来ました。リンゴのシブーストとシャルロットです」
その時、ログは小さな器に入ったクレームブリュレに金属製の焼きごてを押し当て、焦げ目を付けているところだった。それに一区切り付けて、オーブンの方へ向かう。オーブンにも大きめの金属核が象眼されており、そこに触れる。
このオーブンにもまた金属核が利用されており、そのオーブンによる生地の焼き具合はログが判断していた。
このオーブンの火力の調整は流れる鉱素量を増減することで行われる。
ログは自身の経験と感覚とその目を持って、鉱素の供給量を調整し熱の加減を決めていた。
「生地がまだ焼き上がってないな。少し待ってもらうと伝えてくれ」
「了解です」
フリントは答えつつも手を止めず、手際よくカップやドリッパーを用意。ケトルに沸かしていた湯をフィルターを通し、コーヒーをカップへ一心不乱に注ぐ。
「新調したオーブンはどうですか?」
作業中、フリントはログにそんな風に訊ねた。
「ああ、かなり具合がいい。気に入ってるよ。前のはもう火力の調整も利かなかったからな。わざわざ大枚を叩いた甲斐があったよ」
すると忙しそうにしながらも、ログは充実感に満ちた声音でそう返した。
「しかしこんなにも菓子に本腰を入れて作って。ウチはいつからケーキ屋になったんだろうなあ」
小さな店とは言え、連日メープルは繁盛していた。そしてその理由のおおよそが品揃え豊富な生菓子にあることは、客の注文傾向からも歴然だった。
「それログさんの好みでしょ」
「違いない」
話ながらもお互いてきぱきと作業をこなし、先ほど別の注文にショートケーキと珈琲を持って忙しなくフリントはホールに戻っていく。
繁忙中の店に続いてやって来たのは衣服に拘りの強そうな着飾ったマダムだ。フリントが席に案内するなり、事前に決めていたのだろうすぐに注文してきた。
「レアレアを六つ欲しいわ。持ち帰りで。孫が喜ぶのよねえ~」
「かしこまりました。こちらで少々お待ちくださいませ」
忙しく注文が舞い込む店内で急ぎたい気持ちをぐっと抑えつつ悠然と歩いて、再び厨房へ。
「いつものマダムがレアレア六つだそうです」
「ああ、そんなとこだろうと思って準備してた。もうすぐ仕上がるぞー」
確かに、すでにキッチンには細長のシュー生地がたくさん並べられていた。あとはチョコレートとクリームを詰め込む作業だけだ。確かにそれほど時間はかからなさそうだった。
程なくして出来上がった商品『レアレア』。
これはこの喫茶店メープルオリジナルの商品である『エクレアドゥエクレア』のことを指している。
細長いシュー生地にたっぷりのクリームと、上にはチョコレートを塗る。そこまでは普通だが、このレアレアはパキパキとした食感の細長いチョコレートをまぶすように上乗せしている。
細切りにされたチョコレートがまぶされた刺々しいその見かけは、あの黒剣の刀身の部分によく似ていた。だからこそ『エクレア』の『エクレア』という名前になっている。
飾りの部分を崩さないように包み紙をして丁寧に紙袋に詰めていく。フリントが慎重な作業をしている中で、下げ物をしてくれていたエクレアが調理台に置かれていた商品に気づく。
「ボクもレアレア食べたい!」
「また後でな。どうせこの後はしばらく暇になるから」
「わかったー」
と言いつつもエクレアは置かれていたレアレアに手を伸ばそうとしていて、フリントはそれをやんわり弾いた。
「手は分かってなさそうだけど?」
「バレちゃった」
愛嬌のある笑みでごまかすと、エクレアもホールに帰っていった。そしてフリントもその後を追うように、レアレアを詰めた紙袋をマダムの元に届けた。
一番繁盛する昼~夕方の時間を抜け徐々に空が群青色に近づいてくると、さしものメープルもようやく落ち着いてくる。お客たちも昼下がりの有閑ののんびりした客層から、今度はギルド帰りの採掘者たちが多くなる。
大概、鍛えた肉体をしているし剣を携えていることもあるので、彼らがどういう仕事をしている人かは見かけだけでよく分かった。そんな強面の彼らもメープルの甘味に魅了されていると思うと、何となくフリントは親近感がわいて嬉しくなる。
「お待たせしました。レアレアとフォンダンショコラです」
いかにもいかつい見かけをした鉱床帰りの二人ザックとゲーブルは、しかしお盆に載せられた洋菓子を見て、子供のように目を輝かせていた。
「おう。ありがとよ。いやあ俺はこれが楽しみで鉱床潜りなんてことをチマチマやってんだよなあ」
「お前いつも似たようなこと言うよなぁ。ま、ここの菓子が美味いのは確かだけどさ」
二人からそれぞれ手放しの賞賛を受けて、フリントは恭しく頭を下げた。
「当店をいつもご贔屓にしていただき、ありがとうございます」
「そんな畏まることないさ。この店がなくて困るのはむしろこっちなんだからな。マスターのアルマース帝国仕込みのスイーツは本場にも負けてねえ。いや、むしろ本場を越えてるかもなあ。ああ、甘い! なのにくどくない! 不思議!」
フォンダンショコラを頬張りながら、まるで乙女のようなセリフを言うザックの姿はなかなか珍妙ながら、やはりフリントには店を褒められる喜ばしさが断然勝る。
「恐れ入ります。たくさんお褒めの言葉をいただいたと後でログにも伝えておきます」
「ああ、ドンドン褒めといてくれ。マスターのスイーツは最高だってよ」
「それに接客するウェイターもハンサムだしな。そういやあんたフリントって言ったな? 確か」
ザックよりも少し細身のゲーブルが、そんな言葉でフリントに水を向ける。この快活な二人との会話は楽しかったが、その切り出しに何となく嫌な予感がした。
「え、ええ」
声を上ずらせながら答えると、ゲーブルがフリントを見据えながら言う。
「良い名前だよ。ロードラガって国の英雄が同じ名なんだ。知ってたか?」
「いえ、初耳ですね……」
するとフォンダンショコラを頬張っていたザックが代わりに言った。
「はっはっは。そうか! これからはドンドンあやかるといいぞ、英雄に」
たまにこういう出来事があるので肝が冷えるのも玉に瑕だが、とにかくフリントにとって、この喫茶メープルを訪れる採掘者たちは二重の意味で同好の士だった。
だが残念ながら採掘者の来店は良いことばかりでもない。
もちろんほとんどの採掘者はさっきのような気の良い、メープルの菓子や食事やコーヒーを気に入ってくれている客ばかりなのだ。
それでも世界に様々人間がいるように、客にも種類がある。そして中でもとりわけ迷惑で、鬱陶しい客もいる。その面倒な客の一団はこの時間、数日おきに、はかったように現れる。
フリントも今日あたりやって来るのではと予想していたが思った通り、閉店より一時間ほど前に勢いよく扉が開き、その振動でドアベルの音がやかましく鳴り響いた。