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5:とあるウェイターの日常

 その異変にはっきりと気づいたのは寝返りを打とうとした瞬間だ。


 さりとてここはいつものソファーの上。シーツ代わりに簡素な布を引いただけの狭い敷地。その間を小さく動いて上手く寝返りを打つのが、ここでの生活でフリントの見出した新たな技だったのだが。


 ごつり、と違和感。寝返りを打とうとして引っかかる。少し温かくて柔らかくて、そして何か髪の毛のようなもっさりとした感じ。


 そこまで思い至って、ようやく今の状況の判別が付いた。


「おはよう」


 抵抗も頑なな瞼をゆっくりと開いて、すぐ近くですやすやと眠る黒髪の少女に声をかける。するとエクレアは虚ろな様子で顔を上げて、寝ぼけ眼で言う。


「おはよー……」


 その様子に少しも悪びれたところはない。フリントが起き上がってソファーの背にもたれるとそれに追尾するようにエクレアも付いていき、隣に腰掛ける。

 その様子に流石に一言申したくなって、フリントは口を開いた。


「ちょっといいですか……エクレアさん」


「はい、なんですかフリントくん」


 嬉しそうにエクレアは小首を傾げた。


「あのね、わざわざ俺はソファーの方で寝てるんだから! こっちに潜り込まないでくれるか!?」


 その抗議にエクレアはそっぽを向いて答えた。


「ふーんだ。知りません。そんなことは。フリントくんがベッドで一緒に寝てくれたらいいのに、そうしてくれないのが悪いよ」


「いやだからそれは俺の気持ち的な問題が」


「でもボクは一緒に寝たいよ?」


 この流れに既視感を覚えたフリントは続く反論を飲み込んだ。


「この会話、何回目だろうな……」


「うーん、わかんない?」


 と笑顔のエクレア。前髪が額から目の辺りに深くかかっているが、目がきらきらと嬉しそうに輝いているのはフリントにも見えた。


「剣に戻ってくれりゃあ別に一緒に寝ても良いけどさ……」


「でもボク、重いよ? 鉱素も吸うよ?」


「まあなあ……」


 実際剣と一緒に寝るというのも何か心理的なハードルがある。物理的にもちくちくと痛いだろう。

 しかも鉱素をバンバン吸い上げる黒剣と隣で寝ていれば、さらに別の問題が出てくる。

 

 とはいえ、現状のシチュエーションも余人から見たら倫理的な問題もあるだろうが。

 困り果てて頭をかくフリント。とりあえず朝の準備として近くのテーブルに置いてあった変装用の黒縁眼鏡をかけた。


 そして床に置かれた本だの新聞だのの雑貨をふらふらと避けながら、小物入れからヘアゴムを取り出して長くなった後ろ髪を結ぶフリント。

 その最中だ。


「フリントー、起きたか?」


 と、男性の低めの声が階下から響いた。


「はーい! 起きてます! ってかちょうど今、起きたとこです!」


「おう。朝飯出来るから、エクレアちゃんも連れてこい!」


「了解です!」


 声を張り上げて返して、フリントたちは階下に降りていく。

 するとキッチンでエプロン姿になって料理をしている男性がいた。

 年の頃は五十そこらか、赤茶けた短めの髪をした人物がフライパンに火をかけている。彼の名はログ・ラルス。この家の家主だった。


「よっ」


「おはようございます、ログさん」


 とはフリントの声。


「おはよーログ」


 とはエクレアの声。


「ああ。おはよう。もうすぐ朝飯が出来るからちょっとそっちで待ってな」


「俺も手伝いますよ」


「ボクもー」


 そう口々に答えると、ログは喜んで微笑んだ。


「お、そうか。助かる。じゃあエクレアちゃんはこれ向こうに持ってってくれ。フリントはスクランブルエッグを頼む」


「了解です」

 

 言われたとおりエクレアはサラダの入ったボウルや食器類を食卓に並べる。フリントはログに並び、コンロを使う。


 コンロは押しこみ型のスイッチがあり、そのスイッチで中央部の金属核に鉱素が供給が始まる。すると可燃性のガスが生成され、火が灯るという仕組みだった。


 ログもログで、ベーコンを炙りトーストを焼き上げ、それらをエクレアが運ぶ。


 全部が出そろったところで、先にフリントたちがダイニングテーブルのところに用意された椅子に腰掛けた。


 そしてエクレアもひよこのような足取りですたすたと歩いてフリントの隣の指定席に収まる。ちなみに以前は適度に離れていた二つの椅子だが、毎度エクレアが席の位置をくっつけるようにしたので、最近はもうずっと隣り合わせに密着したまま固定されている。


 今日の朝食はベーコンにスクランブルエッグとサラダ。それにバター付きのトースト。ログは最後に出来上がったトースト用の皿を並べながら言う。


「相変わらず仲の良い兄妹だな」


「ええ、まあそうですね」


 ログの言葉に淡々と返事をしつつフリントは苦笑していた。


 それは『こんな兄妹そうそういるわけないよな……』という自嘲の笑みだ。二人は髪色も背格好も、何から何まで違う。でも、フリントとしては本当の事情をおいそれと話せるわけもなかった。

 

 それが例え、見知らぬ異国の地で自分たちを拾ってくれた恩義ある相手でも。というわけで居候先のこのログの家で過ごさせてもらうに当たり、兄妹ということでごり押ししている。

 

「よーし。じゃ食べるか!」


 全て準備が終わり、向かいに座ったログのその一言にあわせて二人も食事に手を伸ばす。


「いただきます」


「いただきまーす」


 今でこそ、こんな平穏な日常を手に入れたフリントたち。だがここへ至るまでにかなりの紆余曲折があった。


 あの日、アインに騙され国を追われたのが三年前の出来事。当然ながら指名手配されたロードラガ王国にいられるはずもなく、フリントはエクレアと共に国を脱出。その後、向かったのはロードラガより東方の【ラピラ連合王国】だった。


 以前はロードラガとの戦争で切り結んだこともあるような因縁ある国だが、しかしラピラ連合王国はその国民や風土も含め自由な気質のあるところで、よそ者であるフリントたちを迎えてくれるに易しい場所だとフリントは考えていった。


 そしてその広大なラピラ連合王国の中でも、一時期仮住まいをしていたことがあった王都ザーガスを狙いに定め、そこでフリントたちは居場所を求めた。


 幸いなことに、フリントをロードラガの英雄フリントとして気づく者はいなかった。変装をしているということもあるが、六傑の英雄と褒めそやされてはいても所詮余所の国の話。そんな事情に詳しい人間は古株の採掘者マイナーくらいのものだろう。


 何にせよ様々あって、今はこのログという中年の人物に拾ってもらい、以後そのまま同じ屋根の下で暮らしている。


「まーた口元が汚れてる」


 ほとんど食べ終えたエクレアがフォークを置いたところ、フリントが自分のハンカチを使ってエクレアのケチャップで汚れた口元を拭う。エクレアはじっとしてフリントの手の動きに身を任せていた。


「ありがと、フリントくん」


「まったく。ちゃんと綺麗に食べれないと立派な淑女レディになれないぞ」


「どーでもいいー」


 暢気のんきな様子でエクレアはトーストをかじっていた。


「ダメだダメだ。ちゃんと綺麗に食事が出来るように、テーブルマナーを勉強しないと」


 そしてそれを糾弾きゅうだんするフリントは最近自分がとみに教育熱心な父親みたくなってしまっているのが気になった。


「何? それ?」


 きょとんとした様子のエクレアに、フリントは偉ぶって語る。

 

「テーブルマナーってのは、みんなで美味しく食事をするための作法だよ」


「そうなんだー」


「そうなんですよ」


 そんな会話はあったが、エクレアは全然理解していない風だった。それを見てフリントはどうしたもんかとさらに頭を悩ませる。またその様子を眺めていたログは嬉しそうに微笑む。


「何というか、お前たちは兄妹というより、何というか年の近い父親と子供みたいだな」


 はっきりと核心を突かれたそのセリフにフリントも少々動揺する。


「い、いやいや。俺たちは兄妹ですよ? 間違いなく。確かに」


「ま、こんな身内同士のような朝食で細かいことはいいじゃないか。楽しく食事できれば」


「そういうもんかもしれません」


 程なくして三人とも食べ終えて、食器を片付ける。そしてフリントたちが移動するその先には客席の並んだホールフロア。


 カーテンで遮られていて薄暗いが、一つずつ開いていくと燦々とした陽の光が入り込み、店内は一挙に明るく輝く。フリントもログもエクレアも一斉に店内を磨き上げ、床を掃き、表に『開店』の意を示した看板をかける。 


「さてと、喫茶メープル開店の時間だ」


 そのログの一言で三人の一日が始まった。


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