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4:英雄離別

 目を見開いた。フリントの感覚としては長い時間微睡んでいたような気がしていたが、現実の時間はほとんど経過していないようだった。


 ただ最も驚くべきは自分の腕の中に眠る、《《その子》》の存在だった。


 長い長いぼさぼさの黒髪に黒い服と、それに相反するような病的なまでに白い肌。年の頃は、十歳程度だろうか。目を閉じている姿でも分かる。その容貌はまるでよく出来た美しい人形のように精緻だ。

 

「どうなってるんだよ、こんな子、さっきまでいなかった! 俺が手にしていたのは剣で……一体どういうことなんだよ! アイン、お前も見てただろ? 何が起きたんだ!?」


 救いを求めるようにアインに視線を向ける。するとアインは何かを悟ったかのような目をしていた。


「剣が人に……。そうか。奴の言葉は、そういう意味か……」

 

 そんな呟き声を聞いて、フリントはますます声を荒げて訊ねた。


「なあアイン、何か知ってるのか? この子について、さっきの武器について。ならちゃんと教えてくれよ」


 フリントがそんな言葉を発した瞬間、突然アインから乾いた笑いが吹き出た。そしてしばしの沈黙の後、見たこともないような冷然とした表情でアインは言う。


「お前は本当におめでたい性格をしているな」


 そのアインの表情に含まれていた感情は、侮蔑と嘲笑。今まで向けられたことのない感情を突きつけられ、フリントは激しく動揺した。


「……さっきからお前が何を言ってるのか、分からない」


「そうか? なら一つだけ明確に分かりやすい、絶対的な事実を教えてやる。……それはフリント、お前が英雄と呼ばれる時代は今ここで終わったと言うことだ」


「だから、何を言って……」


「すぐに分かる。もう、すぐにでもな」


 それだけ言い残すとアインはすぐにきびすを返し、出口へと進んでいく。


「ちょっと待ってくれよ、アイン!」


 声で追いすがるが、アインは足を止めない。フリントは追いかけたかったが、まず何とも、この腕に抱いた女の子の処遇を決めなければ、動くに動けない。


 程なくしてそのフリントの大声で目を覚ましたのだろうか、少女は瞳を開くとフリントの顔を凝視した後、腕から降りた。


「キミがボクを起こしたの?」


 彼女の黒い瞳の色は無機質で、何を考えているのか、何を思っているのか、フリントには皆目予想が付かなかった。


「いや、違うよ。俺はただそこにあった剣みたいなのを握っただけで」


「それなら間違いない。キミの名前は?」


 完全にこの少女に会話の主導権を握られてしまっているが、これでいいのだろうか。そんな疑問を覚えつつも、ともかく質問には答えた。


「俺はフリントだよ、フリント・オブシディア」


「わかった。よろしくね、フリント。ボクはエクレアだから。末永く、永遠に、永久に、ボクと共に一緒に」

 

 美しい顔に微笑が浮かぶ。だがその笑い顔は年不相応な、達観が含まれているような気がしてフリントには不気味に映っていた。


「とにかくこんなところは出てキミの家を探そう。ここは鉱床だし危ないから――」

 

 話ながらフリントは身体をかがめて、落ちていた自分の武器を手に取ろうとした。


 だが出来なかった。


 自慢の武器である自在匙に触れようとしたその瞬間、何か小さな爆発でも起きたかのように自在匙が吹き飛んだのだ。


 その事態に混乱しているところ、後ろから回り込んできたエクレアがフリントの顔間近まで来た後、淡々と語る。


「ダメだよ。ボクを一度手にしたのならキミはもう他の武器は手にできない。握れない。このボクを手にしておいて、そんな不埒ふらちは許さない」


「……なんだそれ。理解しがたいけど、つまりキミはさっきの剣なのか?」


「そういうことだよ。手を出して」


 言われるがままに手を差し出す。すると黒いもやのような光が生まれ、次の瞬間にはフリントの手の平の上にさっきの黒剣が現れていた。


『こういうことだよ』


 その奇跡に呆然としていたところ、また再びさっきのあの強烈な目眩のような感覚がフリントに襲いかかり、そのままふらふらと身体を泳がせた後、倒れ気絶した。


 音のない静謐な空間で目を覚ましたのは、遠くで感じる明らかな害意のせいだった。今日のような未踏の鉱床や階層、フロアに訪れたとき、居合わせたゴーレムたちから向けられるそれはフリントにとってなじみ深い物だった。


 しかしこの敵意が何を狙っているのかは分からない。ただ間違いなく、ゴーレムが発している物ではないのは確かだ。何せフリントがここのゴーレムはきっちり片付けた。

 

 こういった小さな私有鉱床では、一度ゴーレムを刈り取ればもう二度と現れることはないのが常識。


 腕を突いて、ゆっくりとフリントは立ち上がる。しかし生まれて初めて感じるような、倦怠感と体調の悪さを覚えていた。


 その原因が何であるのかは明らか。この黒剣だ。もう一歩、踏み込んで言うならこの黒剣がフリントの〝鉱素こうそ〟を吸い上げているからだ。


 万物の中には、そして鉱床の中には特に多く鉱素というエネルギーが存在している。それはゴーレムたちの動力源になっていると推測され、変成術などの使用や、日常生活においても費やされる万能の力であった。


 そしてこの黒剣はそれを吸い上げている。


 しかし補足すると、どんな剣でも、槍でも、あるいはコアグローブなどの特殊なアイテムや、装身具など全ての物体が程度に違いはあれ鉱素を吸う。


 ただこの黒剣が異常なのは、その吸い上げる量だ。


 はっきりと意識すれば分かるが、この黒剣はフリントの手の平を伝い多量の鉱素を引き抜き集めている。それも際限なく、貪欲に。だからこそのあの不調だったわけだ。


 しかし捨て置くことは出来ない。それはあのエクレアという少女を捨てることになるのに抵抗があるという意味もあったが、手を離しても剣が手の平から離れないのだ。まるでフリントの身体に吸着しているように離れない。


 つかず離れず、そして装備者の鉱素を枯渇するほどに吸い上げ、しかし他の武器の装備を容認しない。


 詰まるところこれは〝呪い〟とでも言うべき現象なのか。


 理解しがたい事実に頭を振りつつ、まずフリントは外へ出ることにした。

 ともかくアインに会って話を聞く必要がある。アインは何か知っているような素振りをしていた。問い詰めれば、この剣についてもう少し色々分かることも増えるだろう。


 ただそれだけでなく、不安はもう一つある。出口に繋がる長い階段を進みながら、次第にはっきりと感じ始める、明確な敵意の波長。

 だがこの先は地上だ。ゴーレムは鉱床の外に出られはしない。

 

 故にゴーレム以外の何かが待ち構えているのだが、それは一体どういうことなのか?

 あるいは、この不調のせいで起こっている誤認識なのか。

 自分を疑いながら外へ繋がる鉄扉を開く。


 そして鬱蒼うっそうと草木の茂った森の中に出ると、囲まれていた。

 赤い制服を身につけた王都を守る精兵たちが銃を持ち、出口から何かが出てくることを待ち受けるようにずらりと並んでフリントに向け銃を構えている。


「遅い出立だな、フリント。おかげで逃げられずに済んで助かったが」


 そんな言葉と共にゆっくりと軍勢の中から現れ出たのは、立派な将校服を身につけたアインだった。


「ど、どうしたんだよ。こんなに大勢憲兵を引き連れて。やっぱりこの鉱床に何かあったのか? ちゃんとあそこの剣は持ってきて――」


「空とぼけも大概にしろ! 貴様がシュラウ殿下を弑逆しいぎゃくした大罪人であることはすでに調べが付いている!」


 そう言い放ったのはアインの隣にいた別の青年兵士だった。フリントの薄らとした記憶の中から思い返すに、彼は子爵家のパーティで会った貴族の一人のようだ。


「どうだ。何か、弁明する気はあるか? フリント・オブシディア」


 その他人行儀な言いようにフリントの背筋が凍った。


「弁明? 俺がシュラウ様を殺したことについて? 冗談だろ? 俺がやったと本気で思ってるのかよ。大体あの暗殺が起きた日、俺はお前と一緒にいたはずだろ!」


「何を言うかと思えば、聞き苦しいくだらん偽りを述べるな! 俺はあの日あの時刻、このベルムントと共にいた」


 そうアインが促すと、隣に立っていた貴族が表情をおぞましく歪めながら言う。


「仰るとおり。アイン殿とはその日、我が邸宅にて酒を酌み交わしていたのだ」


「こういうことだ。分かっていたことだが、まともに弁明すら出来ないお前がやはり犯人だったようだな。残念だが、身内の恥は遺漏いろうなくそそがれねばならない」


 躊躇いなく、不意を打つように、アインは刃爪を振りフリントを攻撃する。

 

 瞬間、エクレアの黒剣で何とか受け太刀出来た。いくら六傑の英雄と語られる採掘者マイナーのフリントとはいえ、今は様々な悪条件が重なった状態。


 普段と全く勝手の違う武器で受け太刀できたのは幸運だった。しかしそんなことすらどうでもよくなるほどに、フリントの胸中は乱れていた。


「どうしてだ? なんでだよ!? なんで、俺を信じてくれない……?」


 祈るようなすがるようなフリントの必死の言葉に対し、アインは苛立ち青筋を立てながら爪にかける力を上げていく。


「何故だと? そのようなこと。……お前の言葉は全て裏切り者の吐く欺瞞ぎまんだからだ、フリント!」

 

 激しい憎悪が込められた言葉に、フリントは全身が脱力するような絶望感を覚えていた。しかし戦闘機械として磨き上げられた実力が、反射的にフリントの身体を動かし、爪の攻撃の勢いを捌きながらアインから間合いを取った。


 その動きに対し兵士たちが引き金に力を込めたところで、フリントは脚に力を込めて、次の刹那、火線が行き交う最中、兵士たちの人垣を飛び越えた。


「全員、ヤツを捕らえろ! 殺しても構わない!」


 後ろからアインのそんな怒声が聞こえた。信じられないような脚力で飛ばし、一気に兵士たちとの距離を作ったフリントはその心の中に、ほんの数週間前の出来事を映していた。


 あの日、シュラウ殿下が殺された日、殺されたであろう時間――フリントとシュラウは同じ場所にいたのだ。


 二人は突匙騎士団の代表として呼び出された食事会の後、願いの展望橋と呼ばれる場所で、鉱素灯独特のオレンジの夜景を対岸に置いた美しい景観の中、互いに語り合っていた。


 それは奇しくもフリントとアインがパーティ『突匙騎士団』を結成した日だった。


「……思えばここまで長かったな」


 そう口を開いたアインの穏やかな眼差しは、ソーディア川の流れを見つめていた。


「ああ、色々あったよな。ケンカみたいな始まり方で出来たこのパーティも、もう六年って驚きだよ」


 フリントは欄干に手をかけながら、そう返す。


「六年というと、短く感じるが俺たちのような年代の人間には長大だ。それぞれの人生を、生き方をがらりと変えてしまうほどに」


 あまり語りたがらないアインが今日ばかりは色々言葉数が多いのがフリントには意外に感じられた。


「どうしたんだよ。今日はなんかよく喋るな」


 フリントはアインの方に顔を向ける。だがアインはじっと川面を見つめたままだ。


「いや。……それより、お前ももうすぐ誕生日だったな」


「ん? ああ、そうだけど。そんなことちゃんと覚えててくれたのか」


 礼儀作法には詳しいアインだが、誕生日だの何だのとそんなことを言われるのは初めてだった。


「祝いに、そのうち何かお前に相応しい物を見繕っておいてやる」


「そんなのあんまり気張らなくてもいいぞ」


 無理をさせたくなかったフリントがそんな言葉をかけると、アインはゆっくりとフリントの方を見やった。


「違うさ。俺が贈りたいからそうするだけだ。お前がいなければ俺は今、ここにはいられなかっただろう」


 フリントはずっとその隣にいたからよく分かっていたが、アインは激しい上昇志向を持った、ぎらついた人間だった。いつでも闘志を持ち、熱く、上を目指そうとしていた男だった。


 だが今のアインの表情はまるでそのソーディア川の水面のように静謐で、優しかった。


「二度は言わない」


 何かを悟ったような眼差しでフリントを見つめながらアインが言う。


「ありがとう。俺はお前と出会えてよかった――」


 脳裏に鮮明に蘇ってきた記憶のせいで、知らず知らずのうち、目の端から涙がこぼれていた。だがそれを拭うことすらせず、フリントは一心不乱に走り続けた。


 あれは、あの時の言葉は、全部嘘だった。


 フリントがそのような罪を犯していないことは誰よりアインがよく知っていることなのだ。

 にも関わらず、アインはフリントを素知らぬ顔で犯人扱いした。むしろ率先してフリントを捕まえようと軍を指揮している姿さえ見た。

 

 これは詰まるところ、アインにめられれ衣を着せられたということ。そう考える以外に、矛盾なく今の状況を説明できないだろう。


 アインのことを勝手に親友だと思い込んでいた。


 命懸けの戦いを生き残り、食事を楽しみ、長く時間を過ごし、揉めたこともあった、言い争ったこともあった、だが最後にはお互いに認め合い、もっと絆が深まった気がしていた。


 しかしその全てはフリントの身勝手な勘違いでしかなかった。


 走りながら、息が枯れるほどに走り続けながら、フリントは自らの内に問いかけていた。

  

 いつの間にか、気づかぬうちにアインに何か嫌な思いをさせていたのだろうか。

 知らぬうちにアインを傷つけてしまっていたのだろうか。

 無思慮のせいで辛い思いをさせていたのだろうか。


 もう、分からない。

 面と向かって訊ねることさえ出来ない。

 だからもう、どうでもいい。

 全てを忘れたい。突匙騎士団という名前を得てからの時間を全て鉱床の中に置き去ろう。


『俺は……鉱床には潜らない。もう鉱床になんて二度と関わるものか』


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