2:英雄たちの企み
亀型の置物があるこの噴水広場はフリントが集合場所としてよく使う地点の一つだった。
そこで待つこと三十分弱。上等なチョッキとズボンを身につけた黒髪の男がきびきびと真っ直ぐにフリントの元へやって来る。
「よっ、アイン」
声をかけると、呼ばれた相手――アイン・レゼストはますます顔を渋くさせた。
「……で? こんな手紙で今日も昼中に呼び出してどういう用件だ、フリント?」
アインの容姿と言えば、緩やかにウェーブのかかった黒髪と、涼しげな眼差しが印象的な美丈夫だ。しかし今日の彼は普段の理知的な雰囲気が少々崩れ、こめかみをひくつかせていた。
「分かっているとは思うが、俺は書類仕事をほっぽり出して来た。しかも本来はパーティリーダーのお前が処理するべき仕事の、な」
そう言われてフリントは悪びれもせずに言う。
「いや実はさ、今日も古霊祖の塔に登ってて休憩してたんだけど」
「まずもって休憩という言葉はきっちり作業をしている人間が合間に挟む休み時間を指す言葉でお前には相応しくないし、そもそもあそこには登るな!」
長々とした説教だったが、フリントはあっさり聞き流していた。
「まぁ、それは置いといてだな。そこでとても重大なことを思い出したんだよ」
「……何だ?」
悪ふざけに乗ってやっているアインの落ち着いた顔が、一瞬だけ不安そうな悲しげなものに移ろった。だがフリントはその微細な変化に気づかない。
「ルルクス地区に美味い菓子店が新しく出来たって! なんと喫茶スペースもあるぞ!」
「一人で行け!」
引っ張られてから明かされた内容のくだらなさに、思わずアインは叫んでいた。
「一人じゃ寂しいだろ!」
フリントにそう叫び返されると、アインは頭を抱えた。
「どうせこんなことだろうと大体察しは付いてたが……。バカバカしい。帰って仕事の続きをやる」
踵を返したアインにフリントはみっともなくしがみついた。
「待って。いや本当、ほんと、頼むって! 一緒に来て! 一人じゃ無理なの! お願い!」
「ダメだ。そんなくだらないお願いは絶対に断る。俺はお前と違って忙しいんだ」
二十分後。ルルクス地区の『カフェ・ユーストマ』のテラス席。
「……くっ、何故俺はここに」
そう呟いたのはもちろんアインだ。二人は午後の緩やかな日差しの中、テーブルに向かい合って座っていた。
「何だかんだ付いてきてくれるんだよな、アインは」
「お前がごり押しするからだろうが……」
ため息交じりのアインの声は疲れ切っていた。
そして待つこと少々。ウェイトレスが運んできた品々が二人の目の前に並ぶ。
フリントが注文したのはブルーベリージャムの付いたスコーンとモンブラン。アインはアップルパイを頼んでいて、それぞれに紅茶が付いていた。
「美味い!」
クロテッドクリームを存分に乗せた熱々のスコーンを頬張った後、フリントが言った感想に、アインも素直に頷いていた。
「本当だな。たまにはこうして新しい店を訪ねて、菓子を食べて一服するのも悪くない、か」
フォークとナイフを丁寧に使って食べていたアインも味に満足げだった。
「だろ? たまには息抜きも重要なんだよ」
「お前が言うな。報告書に、お偉方との会議、次回鉱床攻略場所の選定に、国への煩雑な申請手続き。俺たち『突匙騎士団』にはやることは山ほどある」
「いいじゃん。アインは好きなんだろ。本当に大変なら手伝うけどさ」
言われたアインは少し表情を緩めた。
「……ま、確かに。正直嫌いじゃない。教養のある人間と話すのも、交渉するのも面白い。ある程度一人でやるのは構わない。ただな、お前がいないと話が通りにくいことが多いんだ」
言われてフリントはきょとんとした表情でアインを見返す。
「そうなのか?」
「ああ。一目会わせろと言われることも多い。やはりお前が俺たちパーティの顔なんだ。六傑の一人にして、ロードラガの英雄、フリント・オブシディアがな」
「そういうもんか」
「そういうもんだ」
アインは言いながら苦笑いを浮かべていた。
その後、二人とも菓子を食べ終えて、紅茶を飲んでゆっくりしているところで、ふとアインが口を開く。
「――ところで、フリント。折り入って一つ、お前に頼みたいことがあるんだが」
「へえ。アインから頼みなんて珍しいなあ。なに?」
アインは基本的に個人主義だ。もちろんフリントがこうして無理に誘うとちゃんと付いてきてくれるのだが、他のメンバーと仕事以外で顔を合わせているところをほとんど見ないし、知りもしない。
「実は俺個人が雇ってる密偵が少し離れたところに新しい鉱床を見つけたんだ」
「マジかよ。すごいな」
フリントは驚いていた。何せ新しい孤立鉱床が見つかるということは今時分相当珍しい出来事だからだ。
まず、このソークトス大陸の地下には広大な鉱床が広がっている。
それは国を跨がるような超巨大な規模であり、地下で大きく一つ繋がりになっているため『共有鉱床』と呼ばれている。
だが時折その共有鉱床から外れて区切られたものが見つかる。
その『孤立鉱床』は発見者が私有でき、中で発見した財産の半分以上を取得できる。
要するに見つけるだけで一財産になるわけだ。
ただしその半分近く、特に軍事・鉱床攻略に関連する物は徴収されてしまうが。
「国に報告は?」
フリントが訊ねると、苦笑いしてアインは首を横に振った。
「していない。だが探索しても構わない。『発見者の原則』だよ」
「何だっけ、それ」
「未発見の鉱床はそれを発見した際に国に報告する義務があるが、発見者は最初の鉱床攻略者となる権利を得る……だ。つまり、先に攻略しておいて後から報告する、という具合に順番が前後してもさほど問題はないだろう」
「えー、いいのかよ。それ。俺たちは国の直轄鉱床攻略隊だから色々規制があるとかなんとか、昔説教されたような気がするけど。誰かさんに」
「別に平気だ。王国の観測員隊が乗り込んで荒らされるより前に先に中を見ておきたいだけだしな」
「でもめぼしいアイテムがあればかっぱらうんだろ?」
「もちろん」
にやりとアインは笑う。
「なるほど。楽しくなってきたな」
アインも同じように笑う。
「で、決行は明後日にしようと思ってるが、そっちは構わないか?」
「随分早い話だな。俺はいいけどさ。……まだ第三王子のシュラウ殿下が亡くなって、服喪の期間だぞ。いいのか?」
思えばフリントはこの瞬間にも色々違和感を覚えていた。
規則や規律に厳しいアインが、この時期に何故か急ぐように慌てるように鉱床攻略をしようとするのなら何か理由があって当然だ。しかしフリントはそこまで深く推測しようとしなかった。
「確かに。でもこっそり見つけた鉱床を誰かに横取りされるのは痛い。どうせ俺とお前だけなら見つかりっこないだろう?」
「そっか。了解」
ただ親友の頼みを聞けるならそれでいい。フリントに他意はなく、ただ真っ直ぐで純粋だった。