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山手線は、なぜ泣かないのか。~神様と幽霊の死生譚~

作者: 郡野 一青

 鉄道が美少女化して、主人公といちゃこらしたら楽しいのではないか。

 

 そんな軽い気持ちで書き始めたらたいへんなことになってしまいました。


 ぜひ最後まで読んでいただけたら幸いです。


 生まれてこのかた、セトは鉄道に関して特にコレといった感情を持ったことは一度もなかった。

 セトにとって鉄道とは、ただの移動手段であり公共交通機関の一つにすぎない。

 それ以上でも、それ以下でもなかった。


 でも、


「電車ってさ、すごく詩的だと思うんだよね」

 かつて、セトにそうつぶやいた少女がいた。


 その少女は鉄道ファンなわけでも、中二病なわけでも、旅好きなわけでも、詩的センスの持ち主である訳でもなかった。


 彼女は、普通の女の子だった。


 平凡が黒髪をロングストレートにして、几帳面そうな顔をしながら歩いている、なんて形容がしっくりくる、そんな人間。


 だからセトは、その言葉にひどく驚いた。


「詩的って…………どうして?」


 たしかセトは、そう尋ねたのだと思う。


「そんなの、簡単」


 彼女は、なんだかすごくうれしそうに言葉を続けた。



「それはね、___________________だから」



 そう。記憶の中から、そこだけきれいに失われている。


 その台詞にとても感動したのは覚えている。


 でも、なぜだろう。

 気がついたら、肝心なことを忘れてしまっていた。


 そして、その時にはもう、彼女はセトの手の届かない遠い所にいた。

 

 その日以来、セトは、電車が詩的である理由を探しつづけている。

 

 平凡な少女が、ふとした思いつきで言った、どうしようもないほどに綺麗な言葉。


 見つからないと知りつつも、セトはその言葉を探すのをやめられない。


   ***



『まもなく、5番線に、山手線外回り、品川・渋谷方面行きが参ります…………危ないですので……』


 頭上のスピーカーから大音量で流れるアナウンスで、ふと我に返った。


 瞬く電光掲示板。雑然として止めどなく流れる革靴の足音。整然と並ぶ人々の疲れ切ったため息。


 午後7時35分。 


 セトは、東京駅5・6番線ホーム、その端っこを歩いている。


「黄色い線の内側に下がってくださぁい! 電車がまいります! 大変危険ですので黄色い線のぉ……」


 駅員さんが、必死に叫び、スピーカーを震わせる。


 大変だな、そんなことを思った時。


「邪魔っ!」


 人混みの中の誰かが、セトを突き飛ばした。全く予期していなかったことに、セトは反応できずにバランスを崩してしまう。とっさに踏ん張ろうとした足は、午後三時の夕立に濡れていたホームに、むなしく滑った。


 気がつくとセトは、空中に放り出されていた。そこへ、けたたましい警笛を鳴らしながら山手線外回りが飛び込んでくる。


 人混みの一人一人がはっと息を飲む。


 迫り来る車両のヘッドライトが、ギラリと光る。


 駅員さんのスピーカーが響きわたる。


 セトは、ゆっくりと眼を閉じた。


 *****



 静寂と暗黒が、どこまでも広がっていた。


 なにも見えない。


 なにも聞こえない。


 それでもセトは、耳をすませる。


 すると、息の音が聞こえた。


 自分の、聞き慣れたリズムの呼吸。

 

 ……生きてる?

 

 そして、もう一つ。知らない息づかいが聞こえる。


 すぐそば。1メートルも離れていない。


 ……誰か、近くにいる?

 

 目を開ける。

 視界に、見慣れたホームの光景が広がる。セトはホーム中程のベンチに座っていた。


「気が、ついたみたいだね」


 すぐ横から、声がする。


 セトがそちらを見やると、一人の少女がセトの隣に座って、不安そうな視線をこちらに向けていた。


 心配そうな笑みをたたえる大きな瞳に、深夜のそよ風を受けてふわりと揺れるうぐいす色のミディアムロングの髪。


 無垢な新雪を連想させるような汚れのない純白の肌。高校生ぐらいだろうか。身長はその年齢の女の子にしては高いが、セトよりは一回り程低い。


 女性の駅員さんが着るようなJR東日本の制服のあちこちに、黄緑から深緑のアクセントを配置した上着と、こちらは制服とは違って高校生が着るようなプリーツスカートがよく似合っている。


 ステンレスのようなけがれのない真っ直ぐな意志と、それを人に押しつけることをしない優しさ。


 そのようなものを見るものに感じさせるような、セトが今まで感じたことのないような雰囲気をまとった少女。 


「あなたは…………?」


 そう訪ねると、少女はとたんに悲しそうな顔をして、こう告げた。


「ボクは、山手線外回り。君を殺した、鉄道路線そのものだ」




 傍らの少女は、はっきりとそう言った。


 だが、セトは、あまりに分からないことが多すぎて、何から聞いてよいのか分からなかった。


「……ごめん、いきなりこんなこと言われても困るよね、うん。ひとまず、君に伝えなきゃいけない情報がいくつかあるんだ」


 外回り、と名乗る少女はすぐさまそう言い直した。

 

「謝らなくても大丈夫です、続けて下さい」


「そう言ってもらえると助かるよ。まず、今、君は生きていないんだ」


「え、助かったんじゃ……ないんですか? じゃあ……この身体は?」


 いくら何でもおかしい。

 セトの腕には脈が通っているし、胸はこの少女とのなれない会話に少々高鳴っている。

「ごめんなさい。君を助けることは……できなかった。本当の君は今、意識不明、心肺停止の重体、大学病院で集中治療を受けている。いまここにいる君は、そんな君から意識が幽体離脱したようなものだと思ってくれるといい」


「はぁ、そういうものですか……」


 セトは生きてはいないが、どうやらまだ死んでもいないらしい。


「それともう一つ。ボクたちは路線霊と呼ばれる存在で、言ってしまえば鉄道路線の憑喪神のようなものだ」


「山手線の……神様ってことですか?」


 そういうと、少女はちょっとはにかんで言った。


「そう言われると照れてしまうけど……そう言うことだよ」


 セトは黙って、少女を見た。


「……ちっとも神々しくないのはわかってるよ。それに、頼りないのも。でも……しょうがないじゃないか」


「いえ、そういうことではなくて……神様なら、助けてくれるのかな、と」


 神様は、深いため息をついた。


「……みんな、そう言うんだよ」


 一拍おいて。


「ボクたち路線霊には、そんな“ちから”なんてありはしないのに……そりゃあ、昔はあったよ? でも、君たち人間は科学技術を発達させた。人間の生死に、ボクたちのような非科学的な存在が入り込む余地はなくなったんだ」


「そう、なんですか」

 セトもつられてため息をつく。


「生死だけじゃない。君たちはあらゆることを科学と理性で解明しようとしているね? そのおかげで、ボクたちはもはや、科学で未解決の事柄にしか“ちから”をもてなくなってしまった。別に、それがいやだと言っている訳じゃない。科学技術の発展、素晴らしいと思う。でも、今日もボクたちの居場所はなくなっていくんだ」


「そんなこと、考えたこともなかったです」


「こんなグチを聞かせてごめん。具体的にボクたちに残された“ちから”を言うと、人間の集合的無意識への干渉と、死後の世界に関することだ。初めの方は今やってること。もう一つは…………」


 そこまで言って、神様は胸ポケットから何か取り出した。何かと思ったが、みどりの窓口で切符を買うとついてくる、切符を入れる封筒のようなものだった。綺麗な写真とともに、観光地の宣伝が載っている。


「君は、運命を信じるかい?」


「えっと……信じたり信じなかったりですね」


「そっか……はいこれ」


 そう言って、先ほどの切符用の横長封筒を大切そうに持ってセトに差し出す。


「これは……?」


「切符なんだけど……ただの切符じゃない。君の運命の一部を、形にしたもの……端的にいうと、君がこれから生き返れるかどうかがその切符に託されている」


「運命は……絶対ですか?」


「少なくとも、いままで抵抗できた人をボクは知らないよ?」


「そんな……」


「まぁ、とりあえず、気持ちを整えて切符を見てみてもいいんじゃないかな。話はそれからでもできるし……」


「……この中に、あるんですよね」


「うん。中に切符が一枚入っている。その裏が黒色だったら君の運命は死だ。もし裏が白色だったら君の運命は生、ってことになる」


「じゃあ……見ます」


 横長封筒を開け、中身を取り出す。

 その裏をみて、セトと神様は顔を見合わせた。


 その切符は、白でも黒でもなかった。いや、白でも黒でもあったとも言える。


 万華鏡、というのが一番近いかもしれない。見る角度によって、白と黒がくるくると入れ替わっている。


 セトは自分がめくるめく運命のただ中にたたずんでいるのを感じた。



「これは、どういうことですか?」


「こんなの……ボクの記憶にもないよ……運命が、揺れ動くなんて」


 セトは、神様も知らない事態に途方に暮れる。


 神様は、セトと、セトの切符を見比べながら、しばらく考え込んでいたが、


「……ボク一人では決めかねる。ちょっと手数をとらせるけど、一緒に来てもらえないかな?……他の路線霊に聞いてみることにしようかなって、思う」


 先ほどから話の端々にあがっていたが、どうやらこの外回りの神様以外にも路線霊という存在はいるみたいだ。


「……わかりました。ついて行きます」


「よかった。んじゃ、ちょっと待ってね、予定を確認するから」


 そう言って、神様は腕をすっと虚空にのばした。すると、なにもない空中から何か分厚い本のようなものが現れてくる。


「ボクの予定帖だよ。日本の鉄道たるもの、1秒たりとも遅れる訳にはいかないからね」

 本は決して予定帖の見た目をしていなかった。

 第一、表紙に 「JTB全国時刻表 8月号」と書いてある。


「時刻表に見えてもね……ほら……八月四日!」


 神様は“予定帖”の中身を見せてくれた。彼女の「よっか」の声に呼応するように時刻表の数字が動き、今日のダイヤと神様が書き込んだであろう、丸い文字の予定が現れる。


「すごい……」


「えーとね、今日はね、夕方にはみんな仕事が終わって集まれる。今は朝の6時半で、それまで……ボクはボクの仕事があるんだけど……」


「俺はいない方がいい感じですかね」


「ううん、むしろ心配だから一緒にいてほしいかな。それに……この世界はやることがないと本当に退屈だよ?」


「ついて行かせて下さい……仕事ってなにするんですか?」


「ん、大したことじゃないよ。ちょっと“ちから”を使って、君のような迷える死者とお話をする……って感じだね」 


 自分のような人間が他にもいるなら、何か聞けるかも知れない、とセトは考える。 

「それと……その前に、おなか空かない?」


 言われてみれば、空いている。不思議だ。


「でも、そもそも俺お金持ってないんですけど」


「大丈夫。路線霊にお金なんていらないよ、というか、そもそもボクたちは君も含めて、一般人には知覚できないよ?……君は、死んだ人の意識や魂が電車に乗っているのを見たことがあるのかい?」


「……ないですね」


「そういうこと。向こうと同じで、こっちも現実世界に一切手出しできない。ボクたちはあくまで、物理学的には“存在しない”ものなんだから」


「それじゃあ、朝ご飯はどうやって……」


「まぁ、やればわかるよ」


 そういって神様は立ち上がり、階段をおりて中央通路の中程の駅弁屋で足を止めた。

「ここにはね、北海道から九州まで、日本全国の駅弁が置かれてるんだ。今朝は、もし君がいやでなければだけど、ここのお弁当をいただこうと思う」


「ぜんぜんいいですけど……でもふれられないんですよね」


「うん、ふれられない。現実世界にはね。だから……ちょっと手を出してそこの幕の内弁当を持ち上げてみてくれる?」


「はい……でも……」


 セトは持ち上げた。そして、己の目を疑った。


 確かにセトの手の中には幕の内弁当がある。だが、確かにとったはずの棚には、セトが手を伸ばす前と同じ状態で、同じ個数の幕の内弁当が置いてある。


「幕の内が……増えた?な、なんで」


「君は、仏壇にお供えものをしたことがあるかい?……それと同じ。仏教では、仏様がお供えもののうち、霊的なものだけを吸い取ってるんだって解釈するらしいんだけど、ボクたちも似たようなものだよ」


「なるほど、まさか、吸い取る側に回るとは思っても見ませんでしたよ」


「普通の人はそうだよ。じゃあ、そんなわけだから、ここにある駅弁のなかから好きなものを選んで。ボクもボクの朝ご飯を選んでくるから」


 店の奥に足早に消えてゆく神様の後ろ姿を、セトはぼんやりと眺めていたが、


「神様……いい人だな」

 そうつぶやいた。


 そんな瞬間。

「きゃっ」


 セトは腰のあたりに小さな衝撃を感じて、振り返る。


 見ると、小学生ぐらいの幼女が床に尻餅をついて倒れていた。


 小さな身体に、黒を基調に緑色系の色を配置したフード付きのパーカー、神様と同じうぐいす色のふわふわしたショートヘアが目に映える。


 見ているだけで誰もが和んでしまうような、無邪気さと未熟さを感じさせる雰囲気を纏っている。そんな幼女。


「だ、大丈夫? 怪我してない?」


「はい……痛いけど、大丈夫なのです」


「ごめんね……注意してなくて……立てる?」

 セトが差しだした手を、ふわふわ幼女は掴んでくれた。


「よいしょ……ふぅ、ありがとうです」


 そういってセトに礼をいう幼女をみて、セトは焦っていた。


 ぶつかったという事実が示す意味。


 このふわふわ幼女は、この世の人間じゃない。


「おにーさんも、朝ご飯をもらいにきたのです?」


 無邪気に笑いかけてくる。


「そう、だけど……」

 

「今朝は、死んじゃってから何日目なのです?」


 幼女はふわふわ笑いながら、なかなか怖いことを聞いてくる。


「えっと、まだ初日ですけど……」


 セトと幼女は店の中を歩きながら会話をする。彼女がめいっぱい背伸びしてぎりぎり届かないお弁当をセトはとってやった。


 そのお弁当を手に持ちながら、幼女は

「そうですか、じゃ、あと九日なのですね?」


「え」


「おにーさんが、死ぬまで?」


「…………」


「がんばってねおにーさん。なのです」


 セトが固まっていると、そうやってセトを激励して、彼女は去ろうと、


「こーらウチノ。ボクの霊を脅かしちゃだめだって」


 その髪の毛を上から無造作に掴む手があった。


「ふぇあぁ……お、おねーちゃん?」


 お姉ちゃん?


「君、ごめんね。ボクの妹が迷惑をかけたらしいね」


「妹?」


 神様はそういいながらさらに幼女の髪をわしゃわしゃとかき回す。


「ふにゃぁ……くしゃくしゃになっちゃうのです……」


「妹……さんですか?」


「そう。ボクの妹。山手線内回り」


「ウチノは……ウチノのことはウチノってよんでほしいのですっ」

 なんていって、幼女はない胸を張る。


「というわけだから、よろしく。ウチノ、こっちは……えっと、そういえば君の名前を聞いていなかったね」


「セトです……というか、外回りの方の神様、なんて呼べばいいでしょう」


「そうだね、外回りさん、とでもよんでほしいかな」


「わかりました……よろしくお願いします。ウチノ、外回りさん」


「うん、セト、よろしくなのです」

 三人は、そんな会話をした後、それぞれ駅弁を手に店を出た。



 山手線の車内で駅弁を並んで食べたセトと外回りは、ウチノと別れ外回りの仕事の待ち合わせ場所、新宿駅へ向かっていた。外回りは自分の仕事についてセトに教えてくれた。

「ボクたち路線霊のところにやってくるのは鉄道関係で死んだ人なんだけど……そんな人たちにさ、生とか死とかの運命を押しつけていくわけ」

 セトは頷く。

「当然、受け入れない人も多いよ。大の大人が泣き叫んだりする。でも、それじゃああんまりだから、ボクたちがなんとかして、安らかに死んでもらおうとしてるわけだね。たとえば、今回の人は……」

「はい」

かき 貞夫さだお氏 24才。有名政治家の見習いをしてる官僚さんだね。死因は車両内で過労死。運命は黒。五日目……データはこんな感じかな。この何日目ってやつはね、君たちが死んでから今日までの日数。十日目が終わると、運命が強制執行されるんだ」


「じゃあ、これから会う垣氏はあと5日で執行ってことですか」


 長いのか短いのか、今はあまり実感がもてない。


  **


 セトたちが新宿駅構内のコーヒーチェーンに席をとってから五分後。時間ぴったりに垣氏は現れた。


「こんにちは、おや、今日は知らない方がいらっしゃいますね。何線でしょう」


 きちんと手入れされた髪、のりのきいたスーツ、ブランドものらしい鞄と靴と、とても死人には思えない。セトはちょっと気後れしてしまった。


「いえ、俺はただの幽霊です。お気遣い無く」


「注文はなににします?」

 そう外回りは聞く。

 セトと垣氏はアイスコーヒーを頼んだ。


「ちょっと待っててね」


 そういって外回りは席を立った。コーヒーメーカーの音が響く中、二人だけが取り残された。


「政治家さんと生であったことがなくて……まさかこんな形になるとは」


「いえ、政治家といっても見習いですし、思ってるほど大したものでもないです。とくにコレといった成果を残す前にこんなことになってしまいましたから……」


 なかなか謙遜する人だ。


「どんなことをなさっていたんですか?」


「敢えて言うなら、教育関係を是正しようとしてました。君は……日本が教育の機会平等が謳われている国であるのは知ってますね」


「平等じゃないんですか?だって、努力すればみんな可能性があるって話ですよね」


「それであっています、でも、君は、努力は誰にでも出来るって考えていません?」

 垣氏は、そこだけゆっくりと強調するように話した。


「え、違うんですか」


「少なくとも私は違うと考えています。たとえば、裕福で生活に余裕があり、両親とも深い教養をもっていて、家の壁は多くの本棚がついている。そんな家の子供と、かたや両親ともにパートタイムで働いていて、帰りが遅く、家事や他の兄弟の世話も全部自分でやる、両親はたまに返ってきたと思えば喧嘩ばかり。そんな家の子供。勉強に対する考え方は変わって来ると思いませんか」


 セトは思案する。

 そうか、勉強なんて頭に浮かばないよな。そんな家の子は。


「なるほど」


「人間、はじめは平等であることが必要なんです。不平等であるというだけで、苦しくなってしまいます。だから私は、この不平等を是正すべくかけずりまわっていたわけです」


「……ほんとにそうだね」


 気がつくと、外回りが戻っていた。各自の手元に、飲み物が置いてある。


「やり残したことは多い。だが、運命とやらに逆らおうとは思いません」


「死ぬのは……いやじゃないんですか」


「無理にあがくのはみっともないかなと。……でも。なぜ死ななきゃならないのか……なぜ自分なのか……それだけわかりたい、そう思います」


 そこで、外回りが口を挟んだ。


「垣さんのなかでは、ある程度見当はついてるんですか?」


「そうですね、なにか、いけないことをしたのでしょうか……」


「いけないことって、なんです?」


 外回りがそう聞くと、垣氏はちょっと悲しそうな顔をして


「政治家なんて、存在自体が罪みたいなものですよ」


「でも、それじゃあ政治家全員が死なないのはなぜでしょう」


「さぁ……私は、見せしめみたいなものなのですかね……そう考えると本当に悲しくなりますね……なんとなく、理不尽さを感じてしまいます」


「それは……自分を少しは肯定しているからですよね。なんでよりによって自分が、と」


「そうかも知れません。下手なりにがんばってきた自覚はありますから」

そういって弱弱しく笑う。


「佳人薄命……そんな言葉がありますね」


「私は佳人ではないですけど……そういえばあれもおかしな話ですよね」


「? どうしてですか」


「私は数年前の震災の時、被災地に出かけたのですが、津波は別に佳人だけを狙って襲うことはありませんでしたから……あれは誰も狙いません。ただ、万人みな同じように……平等に……」



「平等に、ですか」

 外回りが、垣氏の言い捨てたその言葉を拾い上げる。


 それをきいて、垣氏は、しばし黙考していたが、やがてゆっくりと口を開いた。


 「そういうことだったんですね」

 彼はつぶやく。


「運命とか、死とかって、私たちはよく理不尽とか言いますけど……ちがうんですね。ただ、万人に平等なだけなんですね。機会の平等……」


 その考えに、セトの方が衝撃を受けた。でも、真実だ。


「平等を求めすぎたあげく、平等に殺されるとは……思いませんでしたよ」


 やすらかな死に顔、そんな言葉が、脳裏をよぎる。


「もしかしたら、そうなのかもしれませんね」

 外回りは、そんな言葉をかけた。




 夕方、セトと外回りは東京駅に戻ってきた。

 ホームに降り立つと、外回りはおもむろにポケットからなにか小さな箱を取り出して開けた。中には、白いチョークが数本入っていた。

 その中から一つを手に取り、なにもない空中に線を描いてゆく。


「す、すごい……」


 30秒ほど手を動かしていた外回りが手を止めると、空中にドアの絵が描かれていた。

 驚くセトをよそに、外回りは扉に手をかける。重い音を立てながら、扉がゆっくりと開く。


「みんな、今帰ったよー」


 隙間から、明るい光が射し込む。その隙間に顔をつっこんで外回りはそんなことを言う。


 扉が完全に開いて、セトにも扉の中身が見える。


 瞬間、アットホームな雰囲気が、ふわっとセトを包み込んだ。

 視界に入ってきたのは、天井の高いホールのような場所。

 暖かな照明の下、児童館のような感じで女の子たちが遊んだり、本を読んだり、書き物をしたりしている。


「あ、おかえりなさーい、もうすぐご飯できるよ?」 

 遊んでいた子供のうちのひとり、カナリアイエローの髪をツーサイドアップにした幼女がこちらに声をかけてくる。


「ここは東京駅第六機関区。ボクたち路線霊がみんなして暮らしてる所で、ここなら大抵のことは出来る……いい、ところだよ?」

 セト達は、たちまちに路線霊の女の子たちに囲まれてしまう。


 先ほどこちらに声をかけたカナリアイエローの幼女が、

「あー、お兄ちゃんだ。お兄ちゃんがうわさのセトとかいう人?」

 なんて聞いてくる。そんな幼女をたしなめながら、


「こんばんわぁ、来て早々すまんなぁ」


 そういうのは、オレンジバーミリオンの長髪をツインテールにまとめた長身の少女。お姉さんオーラと、ひまわりのような底抜けの笑顔が印象的だ。


 カナリアイエロー、オレンジバーミリオン。

「もしかして……中央快速線さんと中央総武緩行線さんですか?」


「せや!じぶん、セト君やったっけ? うち共々、よろしゅうたのむわぁ」


 そういって満面の笑みを浮かべる。セトにはそれがまぶしくて仕方がない。


「おねーちゃん! セト、おかえりなさいなのです!」

 中央線と総武線の後ろからチョンと顔をだして、ウチノがそう挨拶する。


 そんなことをしているうちに、ホールの奥でカランコロン、とハンドベルが鳴った。


「あ、ごはん!」

「メニューはなんなん?」

「今夜はカレーなのです!」


 めいめいにしゃべりながら、ばらばらとホールの奥へ向かう。


「ほらー、はやく席についてー」

 ベルを鳴らしている路線霊の少女。ロングストレートの髪は漆黒。陸軍の将校が着るような学ランを着ているが、正直似合っていない。全身から漂うかったるそうな雰囲気が、軍服を着ても全く打ち消せていない。なんというか、不思議な余裕と悪戯っぽさを感じさせる人だ。


 セトは、疑問に思って傍らの外回りに聞いてみた。


「外回りさん……あの人は? ラインカラーが黒な路線ってありましたっけ?」


「東北本線さん。この関東エリアに四人しかいない“本線”の路線霊だよ」


「つまり……すごい人なんですね」


「本線のひとはみんなあんな格好をしてる。間違っても無礼なことがあってはいけないよ」

 

 東北本線さんに会釈をして、ホール奥の食堂に入る。

 途端に、香辛料の香りが鼻をつつく。思わずお腹が、きゅっとなった。


「これ、俺の分もあるんですか?」


「もちろん。さ、はやく座ろう」


 東北本線さんが音頭をとって、みんなでいただきますをし、くだらないことを話しながらご飯をいただいた。総じてとても美味しい。


 食後、みなで談笑していると、一人の路線霊が食堂に入ってきた。

 次の瞬間、水を打ったように食堂が一斉に静かになる。


 見ると、東北本線さんと同じ軍服をきて、やはりおなじ黒髪をこちらはポニーテールに纏めた女性。整った鼻筋に、切れ長の目。東北本線さんとは対照的にばしっときめた軍服がいやと言うほど似合っている。大和撫子、という言葉をセトは連想した。


 外回りが、東海道本線さんだよ、とささやく。


 東海道本線さんは、食堂正面から路線霊たちを見渡し、うなずいた後、


「みな、食べ終わったようだな。なら、身体をこちらへ向けてくれ」


 いすの足を引く音がして、みんなが一斉に向きを変える。


「……ありがとう。今日は皆に連絡すべきことがある。もう知っているだろうが、そこにいるセトとかいう少年の件だ」


 食堂は静かに話を聞いている。東海道本線さんの凛とした声だけが、響きわたる。


「外回り」


「はっはい!」

 その声に、外回りさんは弾かれたように立ち上がる。


「問題の切符を見せられるか?」


「あ、はい大丈夫です!」

 セトは急いで自分の持っている切符を差し出した。


 東海道本線さんは、セトのきっぷを観察する。曲げてみたり、振ってみたり、光にかざしてみたりした後で、


「ふっ……懐かしいな」


 そう、たしかにつぶやいた。


「ひとまず、昼間の行動は外回りに一任する。」


「はい!」


「その上で、夜なのだが……ここで預かるにしても、少年は男の子だからな……年頃の少女たちと同じ部屋、という訳にも行くまい……だがなぁ、あいにく部屋は埋まっているしな……」


「あの……俺、廊下でいいですよ?」


「仮にも客人に対してそのような扱いはできない。出来たとしても、私が許さん」


 そこで、東北本線さんが口を挟む。


「なー、トウカ。少年君さ、トウカのところでどーかな」


 トウカ。本線同士はそうやって呼ぶのか。セトは心の中では東海道線をトウカさんと呼ぶことにした。


「は? なぜだ東北」


「だってさー、トウカの部屋はもの少ないし、さすがの少年君でも、トウカに手を出すほど勇敢じゃないでしょー」


「ふふ、それもそうだな……決定。話は以上。せっかくの楽しい時間を邪魔してすまなかったな……少年と仲良くしてやってくれ」


 そういってトウカさんは食堂をあとにした。


 ***


 1時間後。セトはトウカさんの部屋で正座していた。


「居心地が……わるい……」


 確かに、六畳一間の部屋はこぎれいに整理されていて、必要最低限なものだけが置いてある。

 くつろげ、と言われたが、くつろげるものではない。


 さっきっから、トウカさんは桶とタオルとかシャンプーとかを持って東北本線とお風呂に入りにいっている。

 特にコレといったことも出来ず、セトはおとなしく正座をしていた。


 しばらくの後、ガラリと部屋の扉が開く。トウカさんが戻ってきた。


 髪を濡らし、端正な顔をほんのりと上気させ、なにより白い浴衣姿。


「うむ、今あがった。少年、貴様もとっとと入ってこい。いい湯だ……なにをぼけっとしている。風呂の場所はだな……」


 そこまでいいかけた瞬間だった。


 トウカさんが、まるで透明な糸にひっかけられたかのように何もないところで盛大に転ぶ。


「きゃ……ふぇぁっ……あぁ」


 突然のことに、トウカさんはあられもない声を漏らしてしまう。

 転んだ衝撃で帯が緩み、浴衣の前が大きくはだけてしまっている。


 セトはいきなりのことに、目をつぶったり、そむけたりするタイミングを失った。


「み、見るな!……だから見るんじゃない! ……み、みないでくれ……」


 トウカさんの懇願で初めて、セトは我に返って身体ごと後ろを向くことができた。

 背後で、トウカさんが荒くなった息を押さえ、もう一度浴衣を着直す音がする。


「し、しょうねん……セト、そのだな」


「ははい、なんでしょうトウカ……い道本線さん」


「……あの、私の情けない悲鳴は……聞かなかったことにしておいてくれないか?」


 気にしてるんだ。トウカさん、意外と可愛いところがある。

 セトはちょっと悪戯心がわいた。


「案外、可愛い声をしてるんですね」


「ぅるさい……私が可愛いとかって、言われ慣れてないから弱いのを知って言ってるのか?……とにかく、あんなのがうちの子たちに知れたら……困る。頼む、この通りだ」


 そこで。


 東北本線が部屋に入ってきた。


「トウカちゃんの頼みを聞いてやる必要はないよー。少年君」


 手に、透明なテグス糸を持っている。マジシャンが使うような、近くでよく見ないと見えない糸だ。


 トウカさんが先ほど転んだ何もないはずの空間を探る。そこには、おなじテグス糸がくっついていた。


 すなわち、今回の犯人である。

「東北! 貴様ぁぁぁぁあ!」


 ぶちぎれるトウカさんをよそに、東北本線は涼しい顔で、部屋の中央に置かれたちゃぶ台に近づく。


 セトはいやな予感がした。


 ちゃぶ台の裏側に東北本線が手をのばす。すると、ビリっという音がして、東北本線がなにか機械を回収する。



ICレコーダー。


「録音シューりょー」

 ピッ

 東北本線は、爆発一歩手前のトウカさんをあおるように、それをくるくると回して見せた。


「け」

「?」


「消せぇぇぇっぇぇぇっぇぇぇぇ!!!!!」


 トウカさんが浴衣姿で空中から軍刀を抜刀し、居合い斬りをかける。


「おーこわ、でも、これは命に代えてもわたさないよー」


 見切った上で、廊下をすたこらと逃げてゆく。


 セトは、深い深いため息をついた。




 セトがこちらに来てから7日目の夜。


 いつものように外回りは第六機関区のホールのソファーで本を読んでいたのだが、突然立ち上がった。


「……セト君」


「いきなりどうしたんですか」


「東京駅で、人身事故が起きた……ボクはちょっと、様子を見てくる……君は……こない方がいいかも知れない」


「なぜです?」


「……君には……残酷すぎると思うから」


「行きます」

 セトは即答する。そういわれては、行かない方がよっぽど怖い。


「……わかった。ボクは止めたからね」


 ***


 扉は、東京駅の中央通路につながった。


 外回りは、無言で振り返らずにどんどん歩いてゆく。


 彼女は、5、6番線ホームへ続く階段を上る。ホームの一番端まで歩いていった。かつてセトが事故にあった、まさにその場所だ。

「…………。」


 外回りはホームの端に立って、線路の中をのぞき込む。そして、合掌した。


 セトは、恐る恐るのぞき込んで、そして。



 そこにあったのは、まさに、なんの加工も施されていない《《死》》だった。


 血の水溜まりから所々顔を出す、青白い肌。潰れて、もはや原型をとどめていない顔。胴体は車輪にひかれたのか、ねじ切れて二つに分断されている。



 人が、人が、人が、人が…………


 そんなことを叫びながら、セトはその場にしゃがみ込み、夕食を吐き戻してしまう。


「大丈夫だよ。セト君。そうやって死を怖がっていられるうちは、君はまだ生きているから……」



「それじゃあ、外回りさんは……」


「ボクはとうに死んでるよ……さぁ、そこでちょっと待っていてくれるかい?彼女の“意識”を引っ張り上げてくるから」


 外回りはそうやって、線路に降りていった。セトは、目をつぶった。


   ******



「セト君。大丈夫かい? さぁ、目を開けないと帰れないよ?」


「帰るんですか?」


「君はね。ボクは……この娘が起きるまで、ここにいるよ」



 この娘? セトは、目を開けて声のする方を見た。


 外回りが血まみれになって、一糸纏わぬ少女を抱いていた。


 その顔。


 一目見た。


 直感。

  

 そこには、あるはずのない死があった。


 外回りの腕の中の少女は、かつてセトに、鉄道が詩的だと語った、あの少女、そのものだった。 


 

 そいつの名は、星野由比ほしの ゆいといった。

 

 間違ったことがキライで。

 正しいことを貫くほど強くはなくて。


 無個性な自分を嫌って、一念発起するくらいには個性的で。

 途中で投げ出して、現状に甘んじるくらいには没個性的。


 幼馴染というには気まずくて。

 恋人というには、幼すぎた。


 そんな少女。


 でも、それがなぜ、今でもセトにとってかけがえのない存在になっているのか、セトにもよくわからない。おそらく彼女にもわからないだろう。


 小学校高学年。

 思春期の入り口で、彼女はセトに多くのことを教えてくれた。


 別の中学に進んで、お互いの気持ちに気が付きながらも、だんだんと会わなくなった。

 それでも、彼女はずっとセトの心の中にいて、ことあるごとにセトを支え、温めてくれた。

 もう、二度と会うつもりはなかった。

 でも、セトは心の中の一番の特等席を、彼女のためにとっておいている。


 そんな、やつだった。


「星野 由比。死因は、飛び込み自殺による事故死だね」


 決して、自殺など、するような奴じゃなかった。


「……なんかの間違いですよね?」


 外回りは不思議そうに首をかしげて、

「……セト君……もしかして、知り合いかい?」


「いや……死んだりするような奴じゃないんですよ」


 全人類が絶望して自殺したとしても。

 星野が自殺する姿なんて想像つかなかった。


「なんかの……嘘ですよね?」


「残念ながら、本当みたいだよ」

 外回りは、“それ”に生前の服を再生させながら言う。


 人違いじゃない。

 ほんとに、しんだんだ。


 同時に、セトの中で理性が叫ぶ。


 うそだ。そんなの、ありえない。


「嘘だうそだうそだうそだぁぁぁぁぁぁぁ!」

 絶叫が、東京駅の狭い空に消えてゆく。

 

 セトにはもう、何も聞こえない。

 子供のようにうずくまって、泣き出してしまう。


 うそだうそだうそだうそだ


 外回りはため息をついて、パチンと指を鳴らす。


 すると、虚空に線が引かれ、ドアになり、中から中央線と総武線が顔をだした。


「セト君……今日はもう帰ってゆっくり寝たほうがいい……と言っても聞こえないか」

 そういって外回りは、セトを指差した。二人はそれをみて、


「あちゃー、しゃーないなぁ……そんなこともあるんやで。人生……さ、かえろか?」


「おにーちゃん、なさけなーい、でもしょうがないよね。まともな心もっているしょーこだね」


「ほな、立てる? もぅ、ほら、つかまって、?」


「ごめんね中央線……寝かしておいてくれると助かるかな……ボクはこの娘が起きるまで待ってるから」


「なんでもないわぁ~」

セトは、扉の奥に消えて行った。



「んん……」

 すれ違うように、外回りの隣のベンチで星野が目を開ける。


「……ここは……わたしは……! あなたは?」

 覚醒するなり、飛び起きる星野。

「そんなにいっぺんに聞かれると困るな……まずね、ここは現世と天国の間。鉄道で死にかけた人が立ち止まる場所だよ」

 

「……わたしは?」

 星野が問う。外回りは咳払いをひとつして、続ける。


「君かい? 死んだよ。無事に」

 外回りは、切符入れを虚空から出して、中の真っ黒な切符をひらひらと降る。


「……あなたは? それは?」


「ボクは、山手線外回り。君を殺した、鉄道路線そのものだ……これは、君の運命を示す切符だよ」


 そこまで聞いて、星野は微笑んで肩を落とす。

「よかった……死ねたんだ」


「うん、そうだよ」

 星野は、その答えにちょっと不満そうな顔をした。


「自殺しちゃだめとか……言わないの?」


外回りは少し笑って

「ボクは自殺は嫌いだけど……自殺した人に自殺しちゃだめじゃないかと言ったってしょうがないと思うんだ」


「どうして自殺が嫌いなの?」


外回りはちょっと言葉を探しているようだったけど

「“自殺は、真実の救済にならない”かな」


「えらそうに」

「ごめん……」

 星野はわかりやすく考え込むポーズをとって、

「……さっき、鉄道で死んだ人が集まる場所っていった?」


「言ったね」

 

「……三角セト(みすみ せと)っていう少年が、いませんでしたか?」

 そこだけ敬語で、すがるように聞く。


「……いるよ」


「どんな感じでしたか?」

「……悲しんでたよ。それはもう。自分のためにじゃない。君の死に、だよ」

「!」


「君が……セトとどういう関係にあるかはしらないけど……一度謝ってもいいかもしれない」

 

「そんなの……できるわけないじゃない……」


「そうなんだ」


「私は……あいつに……合わせる顔がない」

 そういって、黙って涙をこぼした。


「今日の所は第六機関区に泊まるといい。それ以降は自分で好きなところで寝ていいよ」


   ***



 セトは、第六機関区のロビーで目を覚ました。


 真っ暗なロビーで、時計の針だけが午前2時を指している。

「俺……」

 

 むくりと起き上がる。誰かがかけてくれたらしいタオルケットがこぼれる。

 背中が痛い。セトは伸びをして、眠い目をこすりながら自分の本来の部屋へ戻ろうと立ち上がった。


 窓から差し込む月明かりを頼りに、廊下を進む。すると、自分以外の足音が廊下の向こう側から歩いてくるのに気が付いた。


 人影が、月明かりに照らされる。


「星野……」


「三角……」

 互いが互いを認識して一瞬後。星野は踵を返してにげ

るように去ろうとする。

 

「星野!」

 後ろ姿がぴたりと立ち止まる。


 セトは、次に言う言葉を用意していなかった。

「……髪、切ったな」


 そんな言葉を最後に、沈黙が訪れる。


 よく見ると、星野の肩は震えていた。


「……三角、あんたってやつは……この状況でなにをいいだすかと思ったら」


「悪いか?」

 振り返るなり、セトの顔を見て星野は、


「あんた、ほんと呑気な顔してるよね……そんな顔されちゃ……こっちは、台無しだよ。あんたに合わせる顔なんて、なかったのに」

 星野は、泣きそうな顔で笑う。


「久しぶり。星野」

「久しぶり。三角……こんなところで、再開するとは思ってもなかった」

 

 セトは、窓を開けた。夜の風が吹き込む。


「月が見える。異空間なのに」


「……あんたは、なぜ自殺したのかとかきかないのね」

「聞いてほしいのか?」

星野は答える。

「……まぁ」

「なんで?」


「私はね……《《ある人》》を殺しちゃったんだ。それで、その償いのために」


「うそだ。星野、お前につぐないのために死ぬほど大事なやつはいない……それに、それってあれだろ、実質わたしが殺したようなもんだってやつだろ。お前はいつだって……」

「ばか」

 セトの言葉を、星野が遮る。

「え?」

「ばか!」

「は?」


「バカ! バカバカバカバカヴぁーか!……あんたは昔からずっとそうだ! 細かい、どうでもいいこと……朝の私のねぐせとか……そういうことは全部気が付くくせに、肝心なこと……一緒に出かけた時の髪飾りとか! そういうことには全く鈍感もいいところよ! ふざけんな!」

 

 セトは困惑する。

「ごめん……話が読めないのだが」


 星野は、深いため息をついて、悔しそうな顔をして、覚悟を決めて、


「私が殺したのは、君なんだよ」



 《《邪魔ですっ》》


 その声は、星野のものだったらしい。


 その事実をつげ、星野はセトの前で泣き崩れる。


「なんだそんなことか」

 セトは、星野が思ったほど驚かなかった。

「え?」


「おまえ、夢中になると周りが見えなくなるもんな……どうせ、何かに必死だったんだろ? そんなことより……」


 呆然とする星野の前で、セトは切符を取り出す。


「おれはまだ死んじゃいない」

「それ、なんなの?」

 セトは、切符をひらひらと振って見せる。

「なんかな、これからの行い次第では生き返るのも夢じゃないらしいぜ」


「そんなの……聞いてない」

「だろうな、言ってないもん。どうだ、自殺したことを後悔したか」

「した……自殺してよかったことなんか、三角にあえたことだけだよ」

 セトは照れて笑って、

「そんなこと言って、あとで後悔するなよ。んじゃ、お休み」

「おやすみ、三角」


 セトは、星野を見送って、部屋に戻る。トウカさんが寝ている。


 セトは寝床に入って、


「ちくしょうっ!」

 一人、泣いた。


 セトのほうはまだ、星野の死に納得していなかった。



 その夜。セトは夢をみた。


 霧のかかるホーム。そこには、セトと同じ姿格好をした少年がいた。

「まことに忌々しいが、規則だ。俺は貴様にこれを見せなければならない」


 そういって時刻表を開き、ピンク色のページをセトに見せる。



 1、お手持ちの切符は運命がまだ定まっていないことを表す切符です。

 2、運命は、お客様の生や死への意志により、どちらかに徐々に収束していくものとなっております。

 3、切符の払い戻しは出来ません。

 4、白や黒の切符と同様に、切符はお客様の存在と現実世界をつなぎ止めるものです、決して紛失したり、破損したりなさらないでください。万一の場合、当社は存在の消滅に関して一切の責任を負いかねます。

 5、切符の有効期限は十日間です。期限をよくご確認くだざい。


 6、__

「6番が読めない」

「読めなくてよい。読んだやつで、幸せになったやつを俺は知らない」

「教えろ」

 少年はため息をついた。

「そう聞かれたら言うという契約だからな……いいだろ、よく聞け」


「“裏が白黒の切符に限り、破壊することで、自身の存在と引き換えに、路線霊になることができる”」


「路線霊に……なる?」


「そうだ。お前が見てきた路線霊は皆、もともと白黒切符を持ったお前のような幽霊だった……ただし、路線霊になるには条件がある」


「条件、それは」


「条件と言えるものではないがな……決して叶うことのない、真摯な願い。これを持ってないといけない。これを叶えることと、自身の存在の完全消滅を条件に、路線霊になることができる。自分の生きた証が、この世のすべての人の記憶と記録から消失する苦しさにたえられるなら、の話だがな」


「その願いは、叶うのか?」


「叶わぬ願いなら、必ず。たとえば、東海道本線なら、自分に関する記憶と記録が、未来につくられるものも含めて消滅しないようにしてほしい、とかだった。内回りは、路線霊のお姉ちゃんが、ほしい、とかだな」


「ちょっとまて、今なんて」


「外回りは、内回りの願いによって創られた路線霊なんだよ」


 そんな願いまで……ほんとに何でも叶うんだな。


 セトは思う。


 二択だ。


 このまま、切符を自分の意志で操って、生き返る。これは星野の真摯な願い。

 叶わない願いを叶えて、自身の存在を消滅させて路線霊になる。


 少年はいう。


「悩め。少年少女の仕事は、悩むことだ」




 迷いのうちに、二日間が過ぎた。


 午後6時。


 セトは外回りと共に、東京駅5番線に立っていた。


「もうすぐ執行だよ?」


「心配ないです。もう決めてますから」

 嘘だった。


 その嘘を見抜いてか、気づかないのか、外回りは何も言わなかった。


 セトは、切符を取り出す。裏は、やはり白と黒を繰り返している。


 切符を頭上高く掲げ。

 セトは言う。

「生きたい」

 その言葉に呼応するように、切符の白が輝きを増した。

「生きたい」

 切符の白は、さらに光をまし、黒を侵食する。

「生きたい!生きたい!生きたい!」

 もはや、切符は白にほぼ近くなった。黒は、太陽の黒点、古い映画フィルムの傷程度にしか見えない。


「生きたい生きたい生きたい!」


 眩いほどに光る切符。その輝きが最高潮になったとき、セトはそれを、




 真っ二つに引き裂いた。


「え?」

 外回りが唖然とする。切符を破壊することは、すなわちその存在の消滅を意味する。

 セトは、身体を支えていた見えない糸が切れたかのように脱力し、倒れこむ。


 外回りはそれを必死に支え、困惑の形相で、

「セト君一体、なにを……え、そんな、き……消えちゃうんだよ?」


「……これで、いいんです」


 崩れゆく意識のなか、セトは何とかそう告げる。


 この十日間。たくさんの死と生を見てきた。


 幸せな生も、死も。

 不幸な生も、死も。

 一番幸せそうだったのは、誰かのために生きて、死ぬことだった。


 垣氏は言った。運命は平等だと。

 またある死者は言った。運命とは残酷だと。

 総武線は言った。死を恐れるのは、健全な証拠だと。

 星野は言った。セトに会えてよかったと。

 

 これで、いいんだ。


 外回りの腕の中のセトは、手足の先から光の粒になってゆく。


「消えちゃうなんて……いなかったことになるんだよ? みんなが君を……わすれちゃうんだよ……そんなの……死ぬよりつらいじゃないか!」


「泣かないでください……外回りさん。辛くはないです……そんなことより……外回りさん……あなたの泣き顔のほうが……よっぽど辛いです」


 後悔はない。だが、外回りの涙は、唯一の誤算だった。


 だんだんと薄れゆく、視界。


「外回りさん……せめて最後は……笑顔で送りだしてくださいよ」


「そんなこと……むちゃいうな……わかった。うん」

 外回りは、涙をポロポロ流しながら、それでも最高の笑みを作った。


「ありがとう……ごさいます……俺みたいな死にぞこないを……助けてくれて。十日間……楽しかったです」


「セト君!……世界が君を忘れてもっ……ボクだけは君を……忘れないからね!」


「無理、しなくていいですよ」


「忘れないからね!」


 返事はなかった。ただ、外回りの手の中から、セトだったもののかけらが、零れ落ちていった。


 外回りは誓う。


 絶対、忘れないからね。


 ぜったいぜったい、忘れないからね。


 ボクは__君のことを……


 え


 ボクは___のことを……


 あれ?


 ボクは_________


 ボクは……なんで悲しいんだっけ?


 ボクは……


 大切な何かを、


 忘れちゃいけない何かを、



「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!」


 外回りの慟哭は、東京駅の夜空に吸い込まれていった。




 セトは、霧のかかったホームにいた。


 霧の向こうから、夢にでた少年が姿を現す。


「用があってきた」

セトは告げる。


「だろうな。言ってみろ」

 セトは空間から時刻表を取り出し、開く。


「時刻表のピンクのページ。白黒切符の使い方。6、を適用しろ」


少年は鼻で笑って、

「悪いな、ただの死にぞこないを路線霊にするわけにはいかない」


「叶わぬ願いならある」

セトは、少年をきっと睨みつける。


ゴクリとつばを飲み込み、覚悟をきめて、


「俺の願い。“星野 由比の死をなかったことにしろ”」


 途端、少年の薄気味悪い笑みが消えた。


「あのなぁ、そりゃいくらなんでも叶わぬ願いすぎるだろ……もうちょっと常識をもってだな……だって、それ、運命に逆らうってこと、わかってんのか?」


「わかってる。叶えろ」


「それってなぁ、世界を書き換えるってことだぞ、もうちょっと、ほら、なんでもいいからさ……」


「さぁ、叶えろよ。神様なんだろ?」


 セトは、確かに、少年が頷いたのを見た。


「いいだろう。それでは、三角セト 改め、京浜東北線南行。貴様を正式に路線霊と認めてやる。今、貴様の記憶と貴様の記録を消去する」


 少年は、指を、パチンとならした。


10




 ふと気が付くと、遠くにいる誰かを思っている。


 その人を、外回りは知らない。


 その人も、外回りを知らない。


 でも、外回りは、その人を思う。


 朝だ。


 なぜか流れている涙を拭いて、起き、朝食を食べ、列車に乗る。


 山手線外回りの列車が田端を発車する。

 窓の外、となりの線路を、京浜東北線南行、大船行きが追い越して行く。


 その向かいの窓に。


 スカイブルーの髪をした、少年がこちらを見ていた。


 京浜東北線南行。記憶ではずっとまえから知ってることになっていた。


 でも、外回りの身体は、違うと叫ぶ。


 京浜東北線の列車はさらに加速する。

 山手線は西日暮里に停車するため、減速する。


 スカイブルーの少年が、離れてゆく。次の停車駅は、日暮里だ。


 外回りは、焦っていた。


 どうしたらいいいのだろう。


 自分の前に、巨大な壁(うんめい)が立っているような。


『巨大な壁にぶち当たったときはさー、いつでもポケットに手をつっこんでみなー、案外、どうにかなるってもんだよー』


 なぜか、いつか聞いた東北本線さんの呑気な声が、場違いに頭に響いた。

 

 ?


 ポケットの中に、なにか入れたはずのないものが入っている。


 ICレコーダー。


 起動すると、中には音声データが一つだけ入っていた。


“初心なトウカちゃんのお宝音声(永久保存版).mp3”


 永久保存版。そうだろう。外回りは知る由もないが、トウカさんに関する音声は決して消滅することはない。彼女の願いによって。

 

 耳につけて、再生ボタンを押してみる。


『なにをぼけっとしている。風呂の場所はだな……』


『きゃあっ……ふぇぁっ……ぁあ』


『!』


『み、見るな!……だから見るんじゃない! ……み、みないでくれ……』


『し、しょうねん……セト、そのだな』


 セト。


 そう、彼の名は、セトといった。


「セト君」


 名前をきっかけに、外回りの中の霧が全て晴れる。


 《《連鎖的に、セトとの十日間が蘇る》》。


「セト君!!」


 セト君、君ってやつは……とんでもないやつだな。


 あのスカイブルーの少年も、こちらをみて驚いていた。

 彼がもしセトなら、日暮里でおりて待っていてくれるはず。


 ***


 はたして、京浜東北線南行は、日暮里にたたずんでいた。

 不思議そうな顔をしている。


「セト君っ!」


 外回りは駆け出して、彼の胸に飛び込んだ。


「セト君っセト君っ! よかった。ボク、ちゃんと忘れなかったよ。もう、二度と忘れないからねっ!」


 京浜東北線はそんな外回りの頭に手を置いて、


「あの、セトってだれですか?」


 外回りはふと、我に返った。


 彼の胸から顔をはなして、一人笑う。


「そっか……そうだよね……なんでもない。はじめまして、京浜東北線南行くん」


「やっぱり、外回りさんもそう思いますか。記憶では、ずっと前から一緒だったことになっているのに、なんか、たった今出会ったみたいな気もするんです」

 そういって、首をかしげる。


外回りは、悲しそうに笑って、

「ちがうよ。ボクたちは、十日前にであったんだ」


「?」


「なんでもないや。忘れてくれ。さ、はじめましてをしよう」

 

 ***


 二人を乗せた列車は、単調な音を立てて進んでゆく。

 

 京浜東北線は、隣の線路が反射する太陽光に目をすぼめて、


「線路が、きれいですね」

 そんな京浜東北線を眺めて、

「鉄路が美しいのは、なんでか知ってるかい?」

 彼はまたすこし考えて、

「わかりません」


「線路が美しいのは、その先のどこかに、終点を隠してるからなんだって」


「サン・テグジュベリですね」


「……えらそうに。これはある人からの伝言だよ」

外回りはちょっと不機嫌な顔をして見せる。


「星野由比っていう……君の……大切なひとだよ」


「そうなんですか……なんか、懐かしい、気がします」


「線路は、どこまでもつながってる。迷っても、きっとこの線路の先に大切な人がいる。いつか、きっと会える……レールの上にいる限り、別れも、別れじゃない。そんなところかな……だからボクは、もう泣かないんだ」

 外回りはそう締めくくる。


 セトは、なんだか温かい気持ちになった。





 ご清読ありがとうございました。


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