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はらはらり

作者: 葵れい
掲載日:2016/12/14


 今年も桜が色づき始める。

 木々を点々と染める桃色が、冬の終わりを告げようとしている。

 まだ冷たい風の中にも、温もりが感じられるようで。

「だから、」

 春が来る。

 すぐそこで、待っている。

「……俺は、お前が」

 春のにおいは、桜の香り。

 桜が香れば、空気が香り。

 その香りに花々すべてが、喜び謳う。

 花が笑えば、世界が笑う。

「……好きだ」

 だから、春は輝かしい。

 だから、春は、愛しくて。

 どうしてか、知らず誰かを幸福に誘い込む。




 蕾が開き、桜が笑う。

 木々が1年にたった1度、桃色に染まったその頃に。

「……なん、で……」

 しかし桜の季節は出会いと別れ。

「……なんで……」

「ごめん…………」

「いやだ……」

「……」

「……いや……。絶対、そんな、」

「……ごめん」

 咲いた花からひとひら、桜がこぼれ落ちた。

「……忘れてくれ」

 花びらは空を渡り、滑り台の上へとたどり着いた。

「そんな、」

「さようなら」

 一つ、強い風が吹いた。

 木々から飛び立った桜の花びらは、まるで桃色の雪のようだった。

 なぜ散る桜は儚く見えるのか。

 ……これほどまでに美しいのに。

「なんで……」

 吹雪く姿は誰も見ない。

 これも一つの姿なのに。

 今年の桜ももう終わりなのねと、誰かがそっと呟いた。




 花が終われば葉が芽吹き。

 若い芽たちは夏の到来を待ちわびて我先にと輝き始める。

 受ける光こそ絶対で、愛しいと。

 光一つで、無邪気に喜ぶ子供たちのように。

 輝きたいと、木々は言う。

 そんな木の声を聞きながら、滑り台の上に落ちた花びらは時を過ごす。

 ある日偶然、花びらの上に石が落とされた。子供たちのいたずらだ。

 石の下で、動く事も雨に打たれる事もないままに。花びらは思ったのだろうか。

 土に還りたいと。

 土に還って再び根から這い上がって。

 また、花になりたいと。

 今日も子供たちのはしゃぎ声がする。

 日常の、繰り返される毎日の。




 ――光景が、一変したのは。光。




 その日、世界は崩壊する。






 ……かと言って。

 誰にも何もわからない。

 起こった事は光った事。

 轟音すら消える、まるで沈黙の中の光。

 光は一瞬で無になった。

 音は終ぞやまない、静寂へ姿を変えて。

 誰もいなくなった。

 はしゃぐ声など聞こえない。

 ……いいや、爆音が聞こえる。

 衝撃の中で、炎が散った。

 炎は海となった。

 桜の樹々は、わけもわからず焔を上げた。

 若い芽たちは、焼け落ちる瞬間まで笑い続けた。

 幹が落ちた。

 木々は墓標となった。

 土の上に陽炎が躍った。

 ……誰も何の説明もない。

 ただ言える事は。

 もう、桜は咲かない。

 来年は、ない。





 ……夏は来たのだろうか。秋はあったのだろうか。

 空から落ちるこの白いものは、雪とは別のものなのだろうか。

 しんしんと降り積もる。

 どこか、冷たさもない雪と、だけれど心底震えるような寒さ。

 桜の木は残っていない。真っ黒な大地があるだけ。

 あれから一度も風が吹かない。

 時が止まったような世界だった。

 これが終わりの姿なのか。

 ……だから、その風はあまりにも唐突だった。

 そして突然の事に、滑り台の上の石がグラリと零れ落ちた。

 その下から現れたのは、桜の花びら。

 乾いて、色が変わってしまっても、だがまだ土に還る事もなく。

 ――風の後に生まれたのは音だった。声だ。

 声は、泣いた。

 ただずっと泣いていた。

 嗚咽に混ざる言葉は、ごめんなさい、ごめんなさいと唱えていた。

 なぜあなたが別れを告げたのかと。

 なぜあなたはいなくなったのかと。

 なぜ……私を残して。

 私はどこへ行けば。

 私はどうすれば。

 これから――。

 何か奇怪な単語も入り混ざった。その意味はわからない。

 声は最後にこう言った。あなたは今どこにいるの? と。

 私もそこに、連れて行ってと。




 もう一度静寂の世界が訪れた。

 沈黙の夜と沈黙の朝。

 ……そしてまた風が吹いた。

 小さな風だった。滑り台の上の花びらは一瞬飛ぼうとしてためらった。

 ああ、飛びたい。空を見上げてそう言っているように。

 もどかしそうに揺れて。

 風の後にまた、声が生まれる。

「……諦めないと言ったら」

 笑うかな。

 ……また風が吹いた。花びらはもじもじと揺れた。

 次に吹いたらその時こそ飛ぼう。

 大空に向かって。

 最高の風を呼んで。

 ここにこいと。

 今ここで、空に向かって一直線に。

「……ごめん、あなたは忘れろと言ったけど」

 ――吹く風が。

 花びらが飛び立つ。

 ああ、空だ。

 ひらり、ひらりと裏表。

「……もう迷わない」

 ――散るために咲くのではない。

 桜の本当の姿は、木を離れる瞬間。

 それは散るのではない。落ちるのでもない。

 舞うのだ。

 生涯に1度の最高の舞い。

 どこよりも遠く、誰よりも美しく。

 その瞬間に桜は恋い焦がれて。

 夏の日差しに笑い、雨の中に身を潜め、冬の寒さに力を蓄える。

 待ち続けたその瞬間、舞い踊る姿は。

 はらはらり。

「あ……」

 地面にある、雪とも言えない白い物の上に辿り着く。

 ああ、満足だと、桜は笑ったのだろうか。

 白い物に抱かれるように、花は静かに眠りにつこうとしているようだった。

「桜……?」

 だが、不意に花びらは再び空へと持ち上げられた。

 感じたのは指先の温もり。

「今年の桜……」

 声が言う。ああ、お前は……と。

 そして声は……涙は、堪え。

「……一緒に行こう」




 知らない風が吹いた。

 舞うのと違う、優しさがあった。強さがあった。

 今年の春には戻れない。

 次の春はいつだろう。

 ……それでも、風は吹くのだろう。

 温もりはあるのだろう。

 そしてどこかで花はまた舞うのだろう。

 はらはらり。

 ――夢のような、ひと時を求めて。



 

 そのために、最高の花を咲かす。





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― 新着の感想 ―
[良い点] れいさん節が全開の、読み応えある一編でした。 流れるような文体も健在。 というより、一段と磨きがかかっているようにも…… 思いも寄らない展開を絡めてくる辺りもさすがですね。 深い味わいの…
[良い点] 美しい文章ですね。暗喩がきいていて、少しダークな風味も。 [一言] おかえりなさいと言わせていただきます。
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